第9章 まんまるふわふわ

第107話 子猫


 十月。

 少しひんやりした朝。


 亜梨明と奏音は、朝陽に照らされる道を二人並んで歩いていた。


 制服は夏服から冬服に戻り、朝晩は冷え込む日も増えてきたが、日中はちょうど良い気温で過ごしやすい。


「空が高いなぁ~!」

 亜梨明は、夏よりも澄んだ空気が広がる青空を、見上げながら言った。


「文化祭も体育祭も終わったし、今度はまたテストか〜……。秋ってイベントだらけで忙しいよね」

 九月中旬から十月最初の週にかけて、夏城中学校の生徒や教師勢は慌ただしい日々が続いていた。


「でも、楽しかったよ!特に体育祭なんて、出られると思わなかったもん!」

 これまで運動系のイベントとは無縁だった亜梨明だが、今年の体育祭は選手としても参加することができた。


 参加できたのは比較的心臓に負担の少ない玉入れのみで、あとは応援や観戦だったが、波多野先生はわざわざ手作りのポンポンを作成し、それを亜梨明に渡して、彼女が応援を楽しめるように工夫してくれたのだった。


 充実した体育祭を経験することができ、亜梨明ももちろん大喜びだったが、それ以上に波多野先生に感謝していたのは、相楽姉妹の両親だった。


「これから、亜梨明さんがたくさん楽しい学校生活を送れるようにしましょう!」

 四月――波多野先生は、不安で胸がいっぱいの姉妹の母。明日香にそう言った。


 波多野先生はその言葉通り、たとえ亜梨明が直接参加できない体育の授業も、様々な工夫を凝らして、ただ見学のつまらない授業などにさせなかった。


 ボール投げや激しい動作の少ないものなら、他の生徒同様に行わせていたし、バスケやバレーボールの試合形式の授業時も、ルールを教えて審判などをさせていた。


 それらを日頃、亜梨明から聞いていた明日香と父の真琴だったが、体育祭でも亜梨明が元気いっぱいに応援する姿を見て、二人は密かに目頭を熱くしていたのだ。


「三年生のダンスかっこよかったよねぇ〜!男の先輩なんて、バク転してくるくる~って!」

「それ、何回言ってるんだか……」

「だって、だって~!……――ん?」

「ん?」

 亜梨明がピタリと足を止めると同時に、奏音も歩みを止める。


 相楽姉妹が立ち止まった場所は、ブランコと滑り台と砂場のみの、小さな公園の前だった。


「なんだろ……何かの声がする」

「うん……」

 亜梨明と奏音の耳に聞こえてきた「ミーミー」と鳴く、高くて細い声。


 気になった姉妹は、公園の中に入って、その声の正体を探してみることにした。


「あ……」

「わぁぁ~!!」

 公園の隅の草むらを覗いた奏音と亜梨明は、それぞれ声を上げた。


 草むらの中に置かれたダンボールの中に、白色の子猫とグレーの子猫がいたのだ。


「子猫ちゃんだ〜!!」

「『生後二ヶ月です。増えて困っているので拾ってください』……って」

 奏音はダンボールの側面に書かれた文字を読んで、眉間にシワを寄せた。


「ひっどい!育てられないなら子供産まないようにしなよね!」

 奏音が怒りを露わにする横で、亜梨明は子猫の白い方を抱き上げた。


「可愛い〜!ちっちゃいけどあったか〜い!」

 子猫は知らない人間にいきなり抱かれて、怯えた顔をしている。


「――あ、学校遅刻する!ほら亜梨明、猫戻して行くよ!」

「あ、そうだね……」

 亜梨明は子猫を箱に戻したが、名残惜しそうに後ろを振り返る。


「早く!」

「う、うん!」

 亜梨明と奏音は、二匹の「ミャーミャー」と鳴く声に罪悪感を感じながらも、急ぎ足で学校に向かった。


 *


「あ、二人ともおはよ~!」

 教室に入ってきた亜梨明と奏音に元気よく挨拶をしたのは、細い三つ編みがトレードマークの空上星華だ。


 どうやら、相楽姉妹以外のいつものメンバーはすでに登校しているようで、爽太を中心にして、楽し気に会話をしている。


「ねぇねぇ、二人とも聞いてよー!日下がね、今度犬飼うんだって!」

 星華が亜梨明達に言った。


「へぇ〜!爽ちゃんち犬飼うんだ?」

「まだ予定なんだけど、ひなたの友達の犬がもうすぐ出産するんだって。それで、里親募集してたからもらおうって話になってね」

「予定?」

 奏音が聞いた。


「うん。たくさん産まれるかもしれないから、里親もたくさん募集してたんだって。だからもし、その里親候補の数よりも子犬が少なかったらもらえないってこと。うちが一番最後に名乗り出たからね」

 爽太が説明すると、「なるほどね」と奏音が頷いた。


「でも、うちのお母さん犬が苦手で……。これから慣れてくれるといいんだけど……」

 爽太が困った顔でふっと笑うと、「ワンちゃんの種類は?」と、亜梨明が聞いた。


「ラブラドール・レトリーバーの黒だって」

「へぇ~!」

 亜梨明は犬種を聞くと同時に、爽太が黒くて大きな体の犬と一緒に、フリスビーやボールで遊ぶ姿を想像した。


「(爽ちゃんと黒のラブラドールかぁ~!きっと似合うだろうなぁ~!)」

 亜梨明がほうっとした表情で妄想していると、奏音が緩み切った姉の顔を元に戻すべく、肘で脇腹を軽く突いた。


「日下って、動物に例えると犬って感じだよね!賢くて、優しい所とか!」

「いや、猫だろ。掴み所がないし、時々何考えてるかわからんし」

 爽太を賢い犬と例える緑依風に対し、風麻は飄々とした猫をイメージしたようだ。


「犬だってば!」

「猫だって!」

「二人とも……。人の例え話でケンカしないで欲しいな……」

 ムキになった緑依風と風麻に挟まれた爽太は、眉を下げて苦笑いする。


「星華はリスだね。小さくて身軽なところ」

「えー!うさぎの方がいい!」

 奏音と星華も動物に例えた話を始める横で、亜梨明が「あ、猫といえば……」と、通学中の出来事を思い出して、口元に指を添えた。


「どうしたの亜梨明?」

 亜梨明の声に反応した爽太が、彼女に振り返る。


「さっき、学校の近くの公園に子猫ちゃんがいたの」

「猫っ!?」

 星華が興味津々な顔をした。


「それって野良猫?」

 緑依風が聞くと、奏音は「ううん、捨て猫みたい」と答えた。


「すごく小さくて可愛いの!」

 亜梨明が子猫の大きさを手を使って表現すると、星華はますます興味が湧いたようで、「え~っ、見たい見たいっ!!」と言って、キラキラと目を輝かせた。


「ねぇねぇ、今日みんな部活無い日だよね?帰りに見に行こうよ~!!」

 星華が提案すると五人は賛成し、放課後揃って公園へ向かうことにした。


 *


 学校が終わり、子猫のいる公園にやって来た六人。

 亜梨明と奏音が四人を草むらへ案内すると、二匹の子猫はダンボールの中で仲良く、ぴったりくっつきながら眠っていた。


「か〜わ〜い〜いぃぃ~~!!」

 小さくて愛くるしいその姿に、星華は全身を震わせて感動している。


「へぇ〜、子猫ってこんなに小さいんだね」

「生まれたての猫は手のひらサイズの大きさで、この子達よりもっと小さいんだよ」

 本物の子猫を見たことなかった緑依風に、爽太が詳しく説明した。


「手のひらサイズかー……。それが大きくなって、抱っこできるサイズになるんだな」

 風麻がグレーの子猫をそっと撫でながら言うと、子猫はパチッと目を覚ました。


 目覚めたグレーの子猫は、「ミャウー!ミャウー!」と大きな声で鳴き出し、その声につられるように、白い子猫も起きて鳴き始めた。


「えっ、なんだ……!?撫でただけなのに!」

「あんた、強く撫でたんじゃないでしょうねー?」

 緑依風が疑いの眼差しを向けると、「まさか!指で優しく撫でたぞ!」と、風麻は誤解を解こうと首をブンブン横に振った。


「…………」

 慌てて訂正する風麻の隣で、爽太は子猫達とダンボールの周りを眺めている。


「なんでこんなに鳴いてるんだろう?」

 亜梨明は「なかないで〜」と、子猫達の頭を優しく撫でながら声をかけた。


「……ねぇ、もしかしてこの子達、お腹空いてるんじゃないかな?」

 爽太が顎に手を当てながら言った。


「あ……」

 亜梨明はその時初めて気付いた。

 子猫達のいるダンボールの中は、ボロボロになったバスタオルしか入っていない。


「……ご飯も置いてもらえなかったなんて……」

 飼い主の都合によって、母猫と引き離されただけでなく、食事も用意されず、ずっと空腹に耐えていた子猫達の状況に、亜梨明はとても悲しい気持ちになった。


「……子猫って、何食べるんだろう?やっぱりミルクかな?」

 奏音が考えると、「二ヶ月なら、もう離乳食食べれるんじゃないかな?」と、爽太が言った。


「離乳食?」

 星華がその単語に、人間用のビン詰めされた物を想像する。


「ふやかした子猫用のドライフードとか。……缶詰なら、子猫用がコンビニに売ってるはず……」

「じゃあ、それ買ってきてあげなきゃ!」

 亜梨明がパチンと両手を合わせて立ち上がった。


「そうだな!じゃあ相楽姉、一緒にコンビニ行こうぜ!」

 風麻が誘うと、亜梨明は「うん!」と返事をして、コンビニへと急ぐ。


「あ、待って!僕も――」

「んなに大勢はいらねぇだろ!緑依風達と子猫見ててくれ!」

「あ……」

 ハッキリとした口調で風麻に頼まれた爽太は、速足で歩く亜梨明と追いかける風麻の背中を、ポカンとした顔で見送っている。


「…………」

「いだだだっ!!子猫の爪が制服に引っかかったー!!」

 爽太の真後ろでは、グレーの子猫を無理矢理抱っこして頬ずりした星華が、爪を引っ掻けられて慌てふためいている。


「日下どうしよう……。猫の爪私も怖くって……!」

「あ、ちょっと待ってて……」

 緑依風に助けを求められると、爽太は星華の肩に刺さったままの子猫の爪を解いてあげた。


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