第104話 よろしくね!!


 欣二に頼まれて、入院手続きを終えるまで楓に付き添っていた緑依風だったが、彼が病室に戻り、楓も友江も大丈夫だと判断したため、欣二に短い挨拶を済ませて、病院を出ようとしていた。


 楓と合流する前、爽太から亜梨明が無茶をしたことを聞いていた緑依風は、亜梨明の体調を心配していたのだが、携帯を取り出すと、もう症状は落ち着いたことと、今日はこのまま亜梨明を家まで送り届け、話はまた後日にするといった内容が、爽太のメッセージにつづられていた。


「……さてと、私も帰ろ……――?」

 緑依風の背後から、バタバタと誰かが急いで走ってくる足音が聞こえる。


「ちょっと待って!!」

 呼び止められ、振り返る緑依風。


 追いかけてきたのは楓で、立ち止まった彼女は、薄手のパーカーの裾をキュッと握りながら、上目遣いで緑依風を見た。


「あの、救急車呼んでくれたのが、あなただったって聞いて……。ありがとう……」

 楓はペコっと小さく頭を下げて、緑依風にお礼を言った。


「どういたしまして」

 緑依風がそう言うと、楓はまだ何かを気にするように、モジモジと落ち着かない様子だ。


「……あの、えっと……――名前聞いていい?」

「……松山緑依風」

 緑依風が少し躊躇うように自己紹介すると、楓は「松山、さん……」と、髪を指でいじりながら、何度も下を向いたり、緑依風の顔を見たりを繰り返している。


「その……あの子、相楽さん……は?」

「なんか、ちょっと体調悪くて公園で休んでたみたいだけど、一緒にいる子が「大丈夫」って、連絡くれたよ」

「そう、よかった……」

 楓は緑依風から話を聞くと、ホッと胸を撫で下ろした。


 緑依風は、楓が亜梨明を気遣う様子に、クスッと小さく笑う。


「それじゃ、私帰るね。――あ、そうそう!亜梨明ちゃんが、光月さんにお話があるんだって。助けたお礼と言っちゃアレだけど、今度お話聞いてあげてね!」

 緑依風はサッと手を振ると、楓の返事も待たずに病院を後にした。


「…………」

 楓は、ちょっと悩むように後頭部を掻くと、祖母達のいる病室へと戻った。


 *


 翌日の昼休み――。


「おーい、なんか二組のやつが、亜梨明と松山と日下に用があるってさ!」

 クラスメイトの男子生徒が、黒板横の入り口を親指でクイッと指差しながら、三人に知らせた。


「あ、楓ちゃん……!」

 白いセーラー服の上に、長袖のカーディガンを着た楓が、何やらビニールの手さげ袋を三つほど提げて、緊張するような面持ちで佇んでいる。


 亜梨明が、爽太と緑依風と共に廊下に出ると、楓はまだ怒っているのか、それとも緊張しているのか、何度も話始めようとしては、口をすぼめてしまう動作を繰り返している。


「――相楽さん……体は……もう、いいの?」

 数秒経って、意を決した楓の最初の言葉は、亜梨明の体調を気遣うものだった。


「えっ?……うん、もうなんともないよ」

 あれほど自分に対して怒りを露わにしていた楓から、まさかそんな言葉が出てくるとは思っていなかったので、亜梨明は一瞬驚いて目を丸くしたが、亜梨明の返答を聞いた楓は、「そう、よかった……」強張った表情をホッと和らげて、小さく息を吐いた。


 祖母の無事が確認されて落ち着いてからというもの、楓は自分の元に走ってやって来た亜梨明の様子が、気になって仕方なかったのだ。


「なんか、病気……結構大変そうって思ってたから、しんぱ――」

「してくれてたのっ!?」

 亜梨明が嬉しそうな顔で詰め寄ると、楓は言葉を止め、ぐるりと横に顔を背けた。


「…………」

 チラっと視線だけ亜梨明に戻すと、亜梨明はニコニコとした笑顔で見つめるので、楓はその邪気の無いオーラに照れるようにして、首を正面にした。


「あ、あと……これ。おじいちゃんから、みんなにお礼って……」

 楓は重たそうな三つの袋を、それぞれ三人に一つずつ渡した。


「あ、梨だ!」

「大きい!!」

 爽太と緑依風が、中身を見て声を上げた。


 白いビニールの手提げ袋の中には、ゴロンとした大きな梨が、四つ程入っている。

 それを三つ――合計十二個も手にしていた楓は、ようやく解放された手をぱっぱと軽く振っていた。


「家にたくさんあるから、たくさんもらって……」

「ふふっ。おじいさん、またたくさん買ってきたんだね!」

 亜梨明が笑うと、楓もその笑顔につられたようにクスッと声を漏らした。


「――あ、笑った!」

「………っ!!」

 亜梨明に指摘されると、楓は元のやや硬い表情に戻し、ふいっと斜め上を向いた。


 和やかな空気に包まれた四人だったが、亜梨明は梨をもらってすっかり忘れていた、大事なことを思い出した。

 楓も、どうやらそれ以外にも用事があったようで、ピクっと肩を揺らして、亜梨明に向き直った。


「……あの!」

「あのさ」

 亜梨明と楓は同時に言った。


「……相楽さん、先にいいよ……」

 楓に譲られると、亜梨明はちょっぴり緊張したように息を吸い、チラリと後ろで見守る爽太と緑依風を見た。


 二人は、『頑張れ』と応援するようにゆっくり頷く。


「……あのね、楓ちゃん。私、この間のこと……謝りたかったの」

 亜梨明は緊張して硬くなっている口を動かし、言葉を繋ぐ。


「楓ちゃんの気持ち……わからないのに、余計なこと言って……ごめんなさいっ!」

 亜梨明が深く頭を下げて楓に謝ると、楓は無言だったが、亜梨明が頭を上げ直すと、「じゃあ、今度は私が話していい?」と言った。


「…………」

 許してくれるような言葉が出てこなかったことに、亜梨明も爽太も緑依風も残念な気持ちになったが、楓も亜梨明同様に緊張したような顔で、三人を順番に見ている。


「……あの、わたし……もう、やめる」

「えっ?」

「リスカも……この間みたいなことも、もうしないから……」

 楓は左手首をギュッと握ったまま、亜梨明の目を見据えて言った。


「本当……?」

「うん、約束する……。それから、私も……ごめんなさい。松山さん達も……」

 楓は亜梨明と、彼女の後ろにいる爽太や緑依風にも謝罪をし、肩をすくめて反省したように下を向いた。


「そ、それ……から」

「?」

 消え入りそうな楓の声を聞き取ろうと、亜梨明が一歩前に詰め寄ると、俯いた楓は耳まで真っ赤にしている。


「私……あんなに冷たくしたのに、こんなに真剣に関わってくれた人……初めて」

「え?」

「う……うれしかっ、た……!」

 ただウザがられていただけだと思っていた亜梨明だが、楓は照れながらも確かにそう言ったので、亜梨明は思わず楓の肩を掴んで、「ホントにっ!?」と聞き返した。


「……ありが、とう」

「…………!!」

 亜梨明はパアッと明るい笑顔になり、後ろを向いて、爽太と緑依風に嬉しさを表すような、キラキラした目を向けた。


「ねっ、あのねっ、楓ちゃん……!私、楓ちゃんと仲良くなりたいの!クラス違うけど、私と友達になってくれる……!?」

「…………」

 楓は少し間を開けてから、小さく「いいよ」と首を縦に振った。


「やったぁ~!!じゃあ、今日からお友達ってことで、よろしくね!!」

 亜梨明は楓の両手を掴むと、ぴょんぴょん跳ねて大喜びした。


「あ、あなたって……恥ずかしい人ねっ!」

「ええ~っ、そうかなぁ~?」

 楓はこういったノリが苦手なのか、顔だけでなく首の方まで赤く染めて、亜梨明からまた顔を背けている。


「日下に似てきたんじゃない……?」

「あ、ひどいなー」

 緑依風が爽太を見上げて言うと、爽太はヘラヘラと笑いながら、亜梨明と困り顔の楓を眺めていた。


 *


「光月さんと何かあったの~?」

 亜梨明達が教室に戻ると、こっそり様子を見ていた奏音が、星華や風麻と共にわらわらと集まってきた。


「えっとぉ~、まあ……話はまた後でってことで……」

 内緒にしていたことをどう説明しようかと、亜梨明は言い訳を考え始めた。


「わぁ~、梨がたくさん入ってる!いいな~!」

 星華は、爽太が持つ袋の中身を見て、羨ましそうにしている。


 爽太が「ひとつあげようか?」と、星華に一個差し出すと、星華は「さっすが、日下!男前っ!!」と言って、全く遠慮せずに受け取った。


「これで梨のタルト作ろうかな~!」

 緑依風は、大きく立派な梨をそのまま食べるだけでなく、お菓子作りにも使用するつもりのようで、それを聞いた風麻が、「マジか、食わせて!!」と反応すると、「言うと思った……」と、呆れ顔になった。


「ふふっ、梨かぁ~!」

 亜梨明は楓がくれた梨を見ながら、嬉しそうに笑う。


「私、実はりんごより梨が大好きなんだ!」

 袋の中身を眺める亜梨明に、奏音は「共食いだよね」とふざけるようにニヤリと笑った。


「そういえば、亜梨明って梅雨生まれなのに、なんで名前に秋の果物の『梨』って漢字が使われてるの?」

 爽太が不思議そうな顔をして、亜梨明に質問する。


「えと……お父さんが梨好きだから」

 亜梨明が答えると、「そんな理由っ!?」と星華が大声でツッコミを入れた。


 皆が和気あいあいと雑談する中、亜梨明は袋の中の梨を一つ手に取り、楓のことを想う――。


 “死にたい”と願っていた彼女が、どうして考えを改めてくれたのかはわからない。

 それでも、生き続けることを約束してくれたこと。

 自分と友達になってくれた喜びを、亜梨明は胸いっぱいに感じていた。


「(楓ちゃん、ありがとう……)」

 亜梨明はそっと心の中で呟くと、再び梨を袋の中に戻した。



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