第103話 楓の誓い
――おばあちゃん、おばあちゃん!!
楓は何度も祖母を呼びながら、夏城町を駆け抜ける。
途中、何度も人にぶつかり、道を間違えそうになりながらも、必死に走り続けた。
ひと月前、叔父の家でのことに一切触れず、あたたかく楓を迎えてくれた祖母。
母に似た口元を緩やかに曲げて、微笑みをくれた祖母。
両親が健在だったころも、遊びに行けば祖父と共に嬉しそうに両手を広げ、抱き締めてくれた祖母までもが、死んでしまうかもしれない――。
「やだ……っ、やだ……もうっ……!!」
楓が病院の入り口までたどり着くと、夏城中の制服を着た少女が、楓の姿に気付く。
「あ、光月さん!こっち、おばあさんのとこ案内するから!」
「…………っ!!」
見知らぬ顔だが、楓は祖母のことを知っている少女を信じ、「お願いっ!」と彼女の後ろをついて行った。
*
緑依風から救急入り口に案内された楓は、椅子に座って膝に肘を置き、両手を組んで祈るような格好の祖父を見つけた。
「おじいちゃんっ!!」
「――楓っ!!」
楓の声に気付いた欣二は、駆け寄った楓と手を取り合い、「よかった……見つけてくれたんだな」と、しわがれた声で言った。
「おじいちゃんっ、おばあちゃんは?大丈夫だよねっ……!?」
「まだ、わからん……。ずっと待ってるが、処置室から出てこないんだ……」
楓は処置室の前に立ち、カタカタと体を震わせて、ギュッと目をつぶった。
スッ――と、処置室の自動ドアが開く。
そして、青いスクラブを着た医者が、開かれたドアからゆっくりと歩いてきた。
「えっと、ご主人は――?」
「あ、先生――女房はっ!?」
欣二は履いてきたサンダルを鳴らしながら、慌てて医者に詰め寄った。
医者の後ろからは、ベッドに寝かされ、点滴に繋がれて目を閉じたままの友江が、二人の看護師にどこかへ運ばれようとしている。
「おばあちゃん!!」
青白い顔で友江に駆け寄る楓に、一人の看護師が「大丈夫ですよ」と宥めるように言った。
「ご主人、奥さんはやはり熱中症でした……。脱水症状がかなり酷くて、もう少し発見が遅れてたら危なかったですが、二日ほど入院して治療すれば、すぐに良くなるでしょう」
医者から説明を受けた欣二は、「はぁ~っ……」と大きく息を吐いた後、「お世話かけました」と、深々と医者に頭を下げた。
「おばあちゃん、大丈夫なんですね……?死んだり、しませんよね……?」
説明を受けても、まだ不安な様子の楓は、目に涙を溜めたまま、もう一度医者に問いただす。
医者は、小刻みに震える少女の楓に、深く頷いた。
「大丈夫だよ。しばらく安静にすれば元気になる。……おばあちゃん想いのお孫さんですね!」
医者は欣二にそう笑いかけると、一礼して去っていった。
「…………」
楓は震えを治めようと、長袖の上から左手首をギュッと握る。
「おばあさん、無事でよかったね」
緑依風は、そんな楓の右手に優しく手を添え、微笑みを向けた。
「うん、ありがとう……」
楓は、緑依風の手を握り返しながら、感謝の言葉を告げた。
*
一般病棟に運ばれた友江。
その友江に会うため、楓は緑依風に付き添われながら、祖母のいる病室へと足を踏み入れる。
緑依風は、病室には入らずに扉の前で待機していた。
楓が、閉められたままの白いカーテンをそっと開けると、友江はすでに目覚めていたようだ。
「おばあちゃん……」
祖母の無事を改めて確認した途端、楓の目に再び涙が溢れてくる。
「なんだい、楓……。泣いてるのかい?」
友江はふっと笑いながら、点滴が付いていない手を布団から出して、楓に伸ばした。
「だってっ……!だって、おばあちゃんまでっ、死ん、じゃったら……っ!!」
父と母に続いて、祖母まで死んでしまったら……。
楓はもう二度と、そんな恐怖を経験したくなかった。
「大丈夫だから、泣くんじゃないよぉ……ホントに」
友江は、自分の右手にすがり付き、嗚咽を漏らして泣く孫娘の頭を、点滴が付いている左手をゆっくり動かしながら、優しく撫でた。
「そりゃあね。楓よりもうんと年を取ってるんだ。いずれは、楓よりも先にあの子達のところに行くけどね……それは、まだまだ先のこと――……」
友江は目をつぶると、瞼の裏に鮮明に蘇る、娘の美奈子――そして、義理の息子である昌行を思い浮かべながら、ぽつりぽつりと語り続けた。
「楓のお母さん達の分も、私はあんたを育てなきゃいけない……。中学校を卒業して、高校、その先も……。成人して、お酒が飲めるようになった楓、良い人に巡り合って、花嫁衣装に身を包んだ楓もしっかり見て、ひ孫の姿も見て……。それを全部見届けてからじゃないと、あの子らに合わす顔が無いんだよ……」
「そんなの……」
するつもりはないと、楓は言いかけるが、友江は「愛しいよ……」と、楓の涙の跡を指で拭いながら、美奈子に似た微笑みを向けた。
「美奈子が死んだと聞いた瞬間、目の前が真っ暗になったけどね……。楓が生きてる……美奈子と昌行くんが守ってくれたと知って……私はどれだけ救われたか……」
「…………!!」
楓は短く息を呑み、祖母の瞳を見つめる。
「“楓がここにいる”――それだけで、おばあちゃんの生きる理由だよ……」
「おばあちゃん……――!」
自分に『愛しい』と言ってくれた祖母。
楓も、言葉にしたことは無いが、同じ想いだった。
それと同時に、楓の胸にまたあの言葉が響く。
――こんなこと知ったら、天国にいる楓ちゃんのお母さん達、絶対悲しむよ……!
途方もない悲しみを味わったのは、自分だけだと思っていた。
何故、祖母達は実の娘である母を失っても、笑顔で日常を過ごせるのだろうと……。
二人のように、悲しみを忘れられたら――でもそれは違った。
祖母も祖父も、自分と同じように今も悲しくて苦しい。
その中で、自分を生きる希望としてくれるのなら……――。
「(生きなきゃ……)」
おばあちゃん達のためにも、守ってくれた両親のためにも。
「(そしたらお母さん達、悲しまないで褒めてくれるかな……)」
今すぐ会いに行きたいけど、一生懸命頑張るから。
その代わり、今度会ったらたくさん褒めてね。
楓は、生き続けることを誓うように、友江の手をぎゅっと握り締め、涙をもう一筋流して、頬に跡を作った。
「はぁ~、手続きってのは、どんな場所でも面倒でなんねぇ~!」
しわがれた声が、病室の外で響く。
友江の入院手続きを終えた欣二が、病室にやって来たのだった。
「お嬢ちゃん、すまねぇなぁ……。外で待っててくれたのか……」
開けっ放しのドアの横にいた緑依風に、欣二は申し訳なさそうに言うと、目覚めている妻と、泣きべそを掻いている孫娘に近寄った。
「あら、あんた……どこ行ってたのぉ?」
間の抜けた声で聞く妻の姿に、欣二は呆れたように眉を八の字にして、「はぁ~……」とため息をついた。
「ばぁさん、やっぱり熱中症だとよ!庭掃除するなら、水飲みながらやんなきゃダメだ!」
「あらまぁ~……すぐに終わるつもりが、ついはかどっちゃってねぇ~……。こりゃ、庭掃除する時は常に飲み物持っておかなきゃかしらね~」
呑気な声で話す友江に、欣二も、そして扉の横に立ったままの緑依風も苦笑いをした。
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