第102話 届け!


 放課後――。

 亜梨明、爽太、緑依風の三人は、光月楓の住む、萩原家に向かって歩いていた。


 今日も残暑は厳しく、緩やかな坂道でも、汗がじわじわと毛穴から滲み出てくる。


 楓の家に行くことは、三人だけの秘密にした。


 幸いにも、奏音と星華は部活。

 風麻は、秋麻を歯医者に連れて行かなければいけない母の伊織に、末弟の冬麻のお守りを言いつけられていたので、「日下と一緒に亜梨明ちゃんの家に遊びに行く」という緑依風の嘘に、少々残念そうな様子で一人家へと帰った。


 念のため、楓が学校に登校しているかもしれないと思った緑依風は、晶子に楓のことを尋ねてみたが、楓はやはり今日も学校に来ておらず、先週からずっと欠席続きのようだ。


「楓ちゃん……家にいるかなぁ」

「いても、まず会ってくれるかが問題かな」

「だよね~……」

 爽太の言葉に、亜梨明はしゅんと肩を落とす。


「まぁ……とりあえず家に行かないと、何にもわからないし。私と日下は、光月さんのおばあさん達と面識ないから、家の外で待ってるね」

「うん、ありがとう緑依風ちゃん」


 *


 坂を上がりきって、交差点の横断歩道で青信号を待つ。

 信号が変われば、そのまま真っ直ぐ道なりに歩き、楓の家を目指す――。


「あともうちょっとだよ」

 亜梨明は、ツツジで作られた萩原家の塀を目にすると、両隣にいる爽太と緑依風に説明した。


 さらに進むと、萩原家の家の前に農作業をする時に着るような服装の、老人女性の姿も見えた。


「あっ、楓ちゃんのおばあちゃんだ!」

 ピンクの花柄の服に、ピンクのゴム手袋をしている友江。


 何だか動きがやや不自然なことが、三人とも気になった。

 のろのろと、異常なくらいゆっくりな歩き方に、枝葉を持つ手が妙な振り方になる。


 すると、そばにあったゴミ袋を持ち上げようとした途端、友江はアスファルトに膝をついて、こてんと横向きに倒れてしまった。


「あっ!!」

 その光景を見た亜梨明達は、慌てて友江に駆け寄った。


「おばあさんどうしたのっ!?」

 亜梨明が友江の顔を覗き込むと、彼女の顔はまるで火傷したように真っ赤になっており、息も絶え絶えで苦しそうだった。


「う……なんか、ねぇ……掃除をしてたら、クラクラしてきちゃって……。やすもうと、して……たんだけども、急に……ねぇ……」

 友江が、どのくらい前から庭掃除を始めたのかはわからないが、ゴミ袋には雑草や剪定されたツツジの枝葉が、こんもりとしていた。


「熱中症だ……。救急車を呼ぼう!松山さん、電話をお願い!僕は家の中におばあさんを運ぶ――!」

「わかった!」

 爽太は緑依風に指示をして、友江を担ぎ込む。


「亜梨明は、光月さん――誰でもいい、先に家の人に知らせて!それから、何か冷やすものを頼んで!」

「うん……!」

 亜梨明も爽太の指示を受け、萩原家の引き戸を勢い良く開けた。


「勝手に開けてすみませんっ!――誰かっ、誰かいませんかっ!!」

「なんだ、なんだ――!?」

 亜梨明が大きな声で呼ぶと、家主の欣二が何事かと驚いた顔で出てきた。


「――あっ、この間のお嬢ちゃんじゃないか!」

「おじいさん、大変なの!おばあさんが倒れちゃった!!濡れタオルとか氷があればくださいっ!!」

 妻の一大事を聞いた欣二は「大変だ……!」と、急いでタオルを手に取って、食器洗い桶に氷水を作り、それで冷やしたタオルと小さな保冷剤を持って、家の中に運び込まれた友江に駆け寄った。


「ばあさんっ、ほらタオル!……大丈夫か?」

「も……だいじょぶよぉ……」

 友江は心配させまいと笑顔を作り、タオルを顔に当てる夫の手を握る。


「救急車もいら…ない……。びょう、いんなんていったら……かえでに、だれがごはんをつくる、の……?」

 玄関上に横たわった友江は、ふんっと体に力を入れ、起き上がろうとする。


「おばあさん、無理ですよ……!もうすぐ救急車来ますからっ……!」

 緑依風は、起き上がろうとする友江の体を押さえ、彼女の頭を自分の膝に乗せた。


 爽太は、欣二から受け取った保冷剤を自分のハンカチで包み、友江の首の側面へとあてがい、下敷きで顔周りを扇いだ。


 数分経過し、救急車のサイレンが聞こえる――。


「ちょっと待ってろよ……家の鍵と、財布を持ってくる」

 欣二は付き添いの準備をしようと、三人に友江を任せようとした。


「おじいさん……楓ちゃんは?」

 亜梨明が聞くと、欣二はハッとしながら「あ、そうだ……楓!」と言って、天井を見上げた。


「家にはおらん……さっき、またどこかへ行ってしまったが、伝えんと……!」

 欣二は開いたままの扉と、妻を交互に見ながら、どうしたものかと低く唸る。


「……亜梨明ちゃんと日下は、光月さんを探して。私はおばあさん達について、運ばれる病院が決まったら連絡するから!」

「わかった!絶対楓ちゃんを見つけて、一緒に連れて行く!」

 緑依風に萩原夫妻を託し、亜梨明と爽太が外に出ると、ちょうど救急車が到着し、欣二が救急隊員を家の中へと案内した。


 *


 亜梨明と爽太は、まず家の周辺を二手に分かれて探した後、春ヶ崎方面へと続く道を、少し急ぎ足で進んでいった。


「光月さんが向かいそうな場所わかる?」

「えっと、楓ちゃんがいそうなのは危険な場所だよね……。もしかして、あの横断歩道かな……」

 萩原家に向かう前に通った横断歩道よりも、車の通りが多い交差点――。


 先日、彼女が飛び込んだ光景を思い出し、亜梨明はその場所周辺を探すことを提案した。


 爽太もその案に賛成し、二人は交差点に向かう途中の反対側の歩道や、曲がり角も、いるやもしれぬ楓の姿を見落とさないよう、注意深く観察しながら進んだ。


 ブォン――と、一定の速度を保って通過する車達。


 亜梨明と爽太は、楓が飛び出していった交差点に到着し、周囲をキョロキョロと見回す。


「光月さんいないね……」

「うん……」

 横断歩道はここだけでなく、数十メートル離れた左側にも存在するが、そこで青信号を待つのは、プカプカ浮かぶ赤い風船を手に持つ小さな女の子と、その母親らしき女性や、サングラスをかけ、ヘッドホンを頭にかけた若い男性で、楓らしき少女の姿は見えない……。


「あっ!」

 亜梨明達の左方面の横断歩道にいる女の子が、短い声を上げた。


「あぁぁぁ~……」

 どうやら女の子が、うっかり紐から手を離してしまったようで、風船は天高く昇って行ってしまった。


 亜梨明と爽太は、女の子の叫びにつられて、風に吹かれて空を漂う風船を目で追う。


「――あ、いた……」

 二人のすぐそばにある歩道橋――プカプカと風船が空飛ぶ真下を、爽太は指差した。


 亜梨明が、爽太の指し示す方向を見ると、楓が歩道橋の真ん中で、柵に手を掛けたまま遠くを見つめて佇んでいる。


「かえ、でちゃん……」

 亜梨明が楓の姿を発見すると、爽太のズボンの後ろポケットから、ピコンと通知音が鳴った。


「あ、松山さんからだ」

 爽太は携帯電話を取り出し、緑依風からのメッセージを読み始めるが、その間にも楓は、柵に掛けた手に力を入れ、低い段差に片足を乗せ始めていた。


「おばあさん、夏城総合病院にはこば……――」

「楓ちゃんっ……!!」

 衝動に駆られ、亜梨明は歩道橋の階段を一気に駆け上がる。


「亜梨明っ、急に走ったら――!!」

 亜梨明は爽太の声にも振り向かず、楓のいる場所へと走り続けた。


 急がなきゃ、急がなきゃ……!!

 今にも飛び降りてしまいそうな楓の元に、亜梨明は必死に辿り着こうとする。


 後で体が辛くなろうとも、自分を追いかけてきた爽太に叱られてもいい。

 もっとしんどいことよりも、きっとずっといいはずだ――!


「楓ちゃんっ――!!」

 階段を上りきった亜梨明は、胸の中央をグッと押さえながら叫ぶ。


「しつこいっ……!!」

 振り返った楓は、いい加減にしてという表情で亜梨明を睨み付けた。


「もう、私に関わらなっ――」

「おばあさんがっ、かえでちゃんの……おばあさんが、たおれたの……!」

「えっ……?」

 亜梨明が息を切らしながら告げると、苛立ちに赤く染まっていた楓の顔色が、一気に青くなる。


「すぐっ、びょ……いんっ……いって……!」

 締め付けるような胸の苦しさに、亜梨明が顔をしかめて崩れそうになると、追い付いた爽太が、すぐに後ろから彼女の体を力強く支えた。


「夏城総合病院に運ばれたらしい。意識が朦朧としていたし、老人の熱中症は危険だ……早く行ってあげてくれ!」

「おばあ、ちゃん……」

 突然告げられた、祖母の命の危機。


 楓の脳裏に、両親を失った日が蘇る――。


「……おばあちゃんっ、おばあちゃんっ――!!」

 楓は涙を散らし、祖母のいる病院へと走り出した。


「はぁっ、はぁ……」

 柵の隙間から、楓が真っ直ぐ病院に向かっているのを見送った亜梨明は、爽太に体を支えられたまま、へなへなとその場に座り込んだ。


「みつかって、よか……った……!」

 亜梨明が息を切らしたまま笑うように言うと、「良くない」と、爽太の低い声が耳元のすぐ後ろで聞こえる。


「いきなり全力疾走するなんて……!」

 亜梨明の予想通り、爽太は険しい顔で亜梨明を叱った。


「ごめん……。でも、もう……ちょっと落ち着いたから、大丈夫……っ!」

 亜梨明はヘラリとしながら、症状が和らいだことを告げたが、爽太はまだ怒っているようで、むすっとした表情のまま、亜梨明から手を離し、彼女の前へと移動する。


「……乗って」

「えっ?」

 爽太は亜梨明に背を向けてしゃがみこみ、背中に乗るように促す。


「ここで座りっぱなしのままにしておけないし、あそこの公園のベンチまで運ぶよ」

 爽太は目線で、反対側の横断歩道付近にある公園を示すと、「早く」と急かすような口調で言った。


「うーん……なんかやっぱり、お外だと目立つから恥ずかしいな……」

「今更でしょ……ちゃんと掴まってね」

 亜梨明は、ちょっぴり照れるように爽太に掴まると、彼に背負われながら公園へと移動した。


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