第101話 リベンジ


 月曜日。

 朝礼の時間を使い、文化祭の合唱練習をした一年一組の生徒達。


 練習を終え、波多野先生が職員室に向かうと、「し~ろ~!」と、中村紫郎を呼ぶ朝倉美紅の声が教室に響いた。


「この間買った新しいトーンが見当たらないんだけど、紫郎間違って持って帰ってない?家にも無いし、机の中にもロッカーにも無いんだよ~!」

 紫郎を疑う美紅は、やや不機嫌そうに腕を組む。


「君が散らかしてたから、二組の村上さんがまとめて部室の机に置いてくれたぞ」

 紫郎は呆れ顔で眉を曲げると、「美紅はもう少し、片付ける癖をつけた方がいいよ」と付け加えた。


「(二組……)」

 二人の会話が聞こえた亜梨明は、土曜日の楓の言葉を思い出し、暗く俯いた。


「一番大好きで、大切な人を目の前で失った私の気持ちっ――!あんたなんかに、わかるわけないじゃないっ!!」

 激昂し、金切り声を上げて叫ぶ楓の声が、亜梨明の心の中でこだまする――。


「亜梨明~……ちょっと、ねぇ聞いてる~?」

「あ、聞いてない……」

 ぼんやりした様子の双子の姉の返答に、奏音は「いや、はっきり言うなよ……」と、軽く頭にチョップした。


 今は、いつもの六人で集まり、何気ない雑談を繰り広げていたのだが、星華が話を振ってもぽーっと固まったままだった亜梨明に、一同は心配した様子で彼女を凝視している。


「もしかして、光月さんのこと考えてた?」

 緑依風に気付かれた亜梨明は、動揺して目を泳がせる……。


 *


 昼休み。

 昼食を食べ終えた後、亜梨明は人気ひとけのない場所に五人を集め、土曜日の出来事を語った。


 楓の祖母と出会ったことや、彼女の両親のこと……。

 そして、楓が道路に飛び出したことも――。


 しかし、楓に言ってしまった言葉や、楓を怒らせてしまったことを説明する勇気はなく、一番の悩みの理由は自分の中に封じ込めた。


 話を聞いた五人は、それぞれ複雑な表情をして、彼女の行動について思いを口にし始める。


「親が目の前で死んじゃうって……。そりゃ、なかなかキツいなぁ~……」

 星華が軽く頭を押さえながら言った。


「そんでリスカと自殺未遂?……死んで、親に会いに行くつもりなのかな」

「バカじゃねぇの……んなことしたって、必ず会えるかなんてわからねぇのにさぁ~!」

「ちょっと、言い方……!」

 奏音の考えに対して、そう発言した風麻に注意するように、緑依風は彼の脇腹を肘で小突いた。


「――って、悪かったよ!……でもさ、目の前で親が死んでショックだったんなら、同じことされた相楽姉がどう思うかって、考えられないのかよって思うじゃん?」

「もう、他人を考える余裕なんてないと思うよ。今の光月さんにはさ……。冷静でいられるなら、自分から命を絶とうなんて……普通は思わない」

 爽太は、グッと拳を握り締めながら下を向いた。


「死後の世界、かぁ~……」

 星華がそう言って窓の外の空を見ると、他の五人もそれにつられて空を見上げる。


 ――夏よりも少し高い、秋空。

 皆、白い雲よりも遥か遠い彼方へと思いを馳せた。


「昔、ひいおばあちゃんが死んだとき、ママやおばあちゃんが、棺に入ったひいおばあちゃんに言ってたなぁ~。「天国でひいおじいちゃんと仲良くね」って」

「もし、本当に天国や地獄があるとして、死んで死者に会えるなら、そりゃ死ぬことなんて怖くないかもしれないけど……」

 緑依風は後ろ手になりながら、死生観について考える。


「でもだからと言って、自殺や自傷行為がいいなんて言えないよ。――ま、知ったところで、聞く耳持たなさそうな光月さん相手に、他人の私達が何言っても無駄だろうけどさ……」

 奏音はどうしようもないといった様子で、鼻から息を漏らした。


「そもそも、光月が親と同じ場所に行けるかすらもわからねぇじゃん。自分から死のうとして人に迷惑かけるんなら、それは罪じゃねぇの?」

「えーっ、それじゃあ光月さん地獄ってこと!?親に会えないじゃん!!」

「――その話、もうやめない?」

 大げさな反応で言う星華と風麻を見た爽太の声が、ピタリと静寂を作る。


 爽太がそっと亜梨明に視線を移すと、風麻と星華は「あっ……」と、顔を引きつらせた。


「…………」

 亜梨明はお腹の辺りで手を組み合わせ、悲しみを帯びた目を伏せている。


「すまん、相楽姉……」

「私も別に、ふざけるつもりでは……」

 二人が亜梨明に謝ると、亜梨明は「ううん……」と、首を横に振った。


「亜梨明ちゃん、話してくれてありがとう。……さ、この話は終わりっていうことで、教室帰ろっか」

 緑依風が空気を和ませるように言うと、「そうだね、廊下暑いし帰ろ」と、奏音も賛同して、亜梨明の背中をポンっと軽く叩いた。


 *


 六時間目の授業は美術だった。


 授業終了まで十五分前となったので、絵筆やパレットを洗おうとした亜梨明だったが、美術室内の水道はすでに混雑していたので、廊下にある水道に移動した。


「(話さない方がよかったかな……)」

 亜梨明は水道の蛇口をひねりながら、昼休みのやり取りを思い出す。


 昼休みに黙ってしまったのは、風麻と星華の会話に傷付いたわけでもなく、怒ったわけでもない。


 自分の酷い発言を隠しておきながら、楓ばかりが悪く言われることに、罪悪感が芽生えたからだ。


 卑怯で、恥ずかしい……。

 でも、あの場で説明する勇気もなく、二人の会話を止めた爽太の気遣いを無駄にも出来ず、後悔の念がどんどん募って、息が詰まりそうになる。


「――横、いいかな?」

 バシャバシャと水音を立て、もう絵の具を完全に洗い流していることに気付いていない亜梨明の隣に、爽太がやってきた。


「光月さんのこと、まだ悩んでる?」

 爽太に問われて、亜梨明は黙って頷く。


「爽ちゃん、あのね……。私――さっき、言えなかったことがあるの……」

 これ以上苦しくなりたくなくて、亜梨明は懺悔するように口を開いた。


「私ね……楓ちゃんに、すごく酷いこと言って……怒られちゃったの……」

「酷いこと?」

「“死にたい”って願う楓ちゃんに……“生きてればいいことある”って……」

「…………」

 爽太は絵筆を洗う手を止め、亜梨明の話に耳を傾ける。


「私、病院で何回か話しただけの、おばあさんやおじいさん……。同じ病室の友達の時やお姉さんでも、死んじゃったって聞いた時は、自分のことみたいに悲しくて、怖かった……。楓ちゃんは、もっと近くて大切な人を亡くしたのに――そんな楓ちゃんに、“気持ちわかる”って言っちゃって……」

「……それは、確かに怒るかも」

 爽太に静かに言われると、亜梨明は「だよね……」と、改めて反省した。


「楓ちゃんには、「一番大切な人を失った気持ちはわからない」ってすごく怒られた。そりゃそうだよね……きっと私だって、家族が目の前で死んじゃったら、今まで以上に悲しい気持ちでいっぱいになる。楓ちゃん側の立場になって冷静に考えたら、私の悲しみとは比べ物にならないって……そう言ったこと、すごく後悔した……」

 爽太に全てを打ち明けた亜梨明は、大きなため息をついて俯く。


 緑依風の言う通り、そっとしてあげればよかったのに……。

 他人に計り知れない傷を抱えた楓の心を、更に深く傷付けてしまった。


 もうきっと、楓は会っても話してくれないかもしれない。

 それどころか、目も合わせてくれないかもしれない。


 ――なのに、亜梨明はまだ、彼女を救いたいという気持ちが強すぎて、諦められなかった。


「私、どうしたらいいんだろう……」

 亜梨明は流し台のフチを握り締め、絞り出すような声で言った。


「私には家族も、爽ちゃんや緑依風ちゃん……友達もいる。みんながいるから毎日楽しくて、生きててよかったって心から思える。……楓ちゃんにも、そうなって欲しい……!私……楓ちゃんにとっての、みんなみたいな存在になりたかったっ……!」

 言葉と共に、亜梨明の瞳から涙がポロポロと溢れ出る。


 また失敗するかもしれないのに。

 どうやって救えるかもわからないのに。

 深い悲しみの底にいる楓を助けたい気持ちだけが、虚しくぶら下がる。


「――ねぇ、亜梨明」

 爽太は半歩踏み出し、亜梨明との距離を縮めて、彼女の目線に合うように背を丸めた。


「“どうしたらいい”って聞くけど、亜梨明はどうしてあげたいの?」

「え……?」

 涙を拭いていた手を下げ、亜梨明も爽太と目を合わす。


「亜梨明は、光月さんにとっての僕らになりたかっただけ?光月さんに生きてて楽しいって思わせたいだけ?」

 爽太の質問に、亜梨明も自分自身の心に問いかける――。


 楓にとっての爽太達のような存在になりたい。これは本当。

 生きてて楽しいと思わせたい。それも本当。


 でも、もっと大事な部分がこの二つには無い――。


「わた、しは……」

 亜梨明は楓と出会った日から、楓を怒らせたことまでを全部思い出そうとする。


 握手を拒否されたことや、カッターで自分の手首を切りつけた楓のこと。

 楓の家で、友江から聞いた事故の話や、楓を傷付けてしまった言葉も……。

 

 楓の支えになる前に……楓に生きてて楽しいと思わせる前に――。


「私、楓ちゃんに……“生き続けて欲しい”」

 亜梨明の小さく開いた口から、スッと答えが出る。


「死んでほしくない……。楓ちゃんのためだけじゃなくて、楓ちゃんのお母さん達や、楓ちゃんのおばあちゃん達のためにも――。まずそれを、楓ちゃんに伝えたい」

「それから?」

「謝りたい!楓ちゃんの気持ちを考えずに言っちゃったこと、ちゃんと謝りたいっ!」

 亜梨明が言葉を強めて宣言すると、爽太は「うん……」と頷いた。


「僕も、そっちの方がいいと思う。光月さんの友達になる前に、楽しいと思わせる前に死なれたら、なんにもできないしね」

「うん、それは後ででいいの……」

「でも亜梨明、これだけは覚悟してね」

 決意を胸にした亜梨明の目を、爽太は真っ直ぐと見据える――。


「亜梨明の言葉が、必ず光月さんの心に響くとは限らない。僕らが良かれと思ったことが、余計に火に油を注ぐことになるかもしれない――それでも、亜梨明は光月さんに謝って、気持ちを伝える覚悟はある?」

「…………」

 いつもより厳しい爽太の言葉に、亜梨明は一瞬顔や体を硬直させる――だが、もう決めてしまった。


 楓にこれ以上嫌われても、伝わらなくても、伝わるかもしれない可能性に賭けたいと、亜梨明はこれまで生きてきて、一番大きな勝負に出ようとしていた。


「あるよ……!」

 亜梨明の真剣な表情に、爽太の顔はようやくいつもの柔らかなものへと戻った。


 その時だった――。

 トン……と、二人の近くで誰かの足音が聞こえた。


「松山さん……」

「あ、あはは……」

 爽太の声で、亜梨明が横に振り向くと、気まずそうな様子でこちらから視線を斜め下に逸らす、緑依風が立っていた。


「ごめん……。こっちの水道使いに来たら……話、聞こえちゃって……」

 緑依風は、亜梨明と爽太の前に出るに出れず、でも気になって戻ることも出来ないまま、ここで二人の会話を聞いてしまったようだ。


「緑依風ちゃん、ごめんなさい……。私、最初に緑依風ちゃんに注意されてたのに……」

 亜梨明が緑依風に謝ると、緑依風は「過ぎちゃったことを責めたりしないよ」と、優しい声で言った。


「光月さんのとこ……日下もついていくの?」

「うん、もちろんそのつもり」

 爽太が頷くと、緑依風が「私もいいかな?」と亜梨明に聞いた。


「亜梨明ちゃんには、そっとしておけって言っておきながら、私自身も――実はずっと光月さんのこと気になってて……。話も聞いちゃったし、亜梨明ちゃんも心配で……このまま知らんぷりって、ちょっと無理かなって……さ」

 緑依風は遠慮がちな様子で、二人の反応を待つ。


「口挟んだり、邪魔したりはしないか――」

「いっしょにいてくれるの……?」

 亜梨明は緑依風に詰め寄り、彼女に問う。


「ねっ、爽ちゃん……いいよね?」

「もちろん。松山さんもいてくれた方が、僕も心強いや!」

 爽太は頼もしい気持ちで、緑依風に視線を向ける。


「二人とも、ありがとう……!」

 緑依風は二人に拒否されなかったことに安心し、ホッと肩の力を抜いた。


「よかったぁ~!緑依風ちゃんも来てくれて嬉しいっ!」

 亜梨明も緑依風の両手をぎゅーっと握り締めて、彼女が共にいてくれることを喜んだ。


「放課後、三人で光月さんの家に行こう!」

「うん!」

 爽太の言葉に、亜梨明と緑依風は、お互いの手を繋いだまま頷いた。


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