第97話 風変わりな転校生(後編)


 みんなから少し遅れて椅子に座った亜梨明。

 奏音と色違いでお揃いの弁当箱の蓋を開けると、同じおかずやご飯が可愛く詰め込まれている。


「授業中寝てたの?」

 亜梨明が箸を取り出すと、奏音が聞いた。


「寝てないよ〜……考え事してただけ」

「考え事してて授業聞いてなかったら同じでしょ〜」

「はぁい、気を付けます」

 ほっぺを膨らませる亜梨明を見て、緑依風は「まぁまぁ」と二人をなだめた。


「何か、気になることでもあったの?」

 緑依風が、小さなハンバーグを箸でつまみ上げながら聞くと、亜梨明は休み時間の出来事を話し始めた。


「トイレに行った時、転校生の子に会ったから、挨拶をしてみたの。……でも、「私に関わらない方がいいよ」って言われて、どういう意味かなって」

 亜梨明が語り終えると、奏音が「あ〜」と言いながら、飲んでたお茶を机に置いた。


「立花から聞いたけど……あの子、少し変わってるらしいよ」

「変わってる?」

 緑依風が聞いた。


「誰とも関わろうとしないんだって。話しかけても無視するし、目も合わさないって」

「そういえば、私が話しかけた時もそんな感じだったかも」

「一人が好きなんじゃん?そういう子なら、そっとしておくのも優しさだよ」

 星華がチョコクロワッサンにかぶりついた。


「うーん……」

 星華の言うことも一理あるが、一度声を掛けてしまったせいもあって、亜梨明は楓の現状を、放っておけない気持ちが強かった。


 そう考えていると、突然教室のドアが開け放たれ、波多野先生が入ってきた。


「委員長達ごめん!放課後、文化祭の会議が上の多目的室であるって伝えるの忘れてたー!」

「わかりましたー!」

 緑依風が返事をすると、波多野先生は「ホントごめん!」と、片手を顔の前に上げて、職員室に帰って行った。


「今日は一人か……」

「そういえば亜梨明ちゃん。奏音から聞いたけど、奏音が部活の時は、日下が家まで送ってくれるんだって?」

 手に付いたパンカスを払いながら、星華が聞いた。


「うん。……でも、今日は元々爽ちゃん部活だし、緑依風ちゃんも委員会なら、一人で帰るしか無いね」

「委員会っていっても、一時間も話し合うことは無いだろうし、待っててくれるなら、一緒に帰る?」

 緑依風が聞くと、「ホント?じゃあ、待つ~!」と、亜梨明は緑依風の委員会が終わるまで待つことを決めた。


 *


 ――その頃。

 亜梨明が緑依風を待つことを知らない爽太は、彼女がいる方を気にしながら、小さなため息をついていた。


「今日は一人で帰らせちゃうな……」

 ぽつりと呟くと、その声に風麻がピクっと反応した。


「一人で?」

「ああ、亜梨明のこと。今日は僕、委員会が無くとも部活で、亜梨明を家まで送り届けられないけど、途中まで松山さんもいないってなると、ちょっと心配かな……」

「ん?話が読めねぇんだけど、どういうことだ?」

 女子メンバーとは違い、爽太が亜梨明と交わした約束を知らない風麻は、怪訝そうな表情で、爽太に問いただす。


「二学期から、相楽さんがいなくて一緒に帰れる日限定で、僕が亜梨明を家まで送るって話になったんだ」

「はぁ!?」

 風麻がやや高い声を上げたため、爽太は少し驚いたような顔になる。


「何、その反応……」

「いや、何って……こっちのセリフだっつーの」

 風麻は不機嫌そうに息を吐くと、爽太の顔をじっと見つめた。


「お前は相楽姉の彼氏か?いくらなんでも、友達のやる範囲超えてるだろ……」

「そうかな?……だって、この間みたいに突然体調が悪くなることが無いとは言えないし、それに学校では話足りないことも、一緒に帰る距離が長くなれば、会話の数も増えるだろ?友達と話をするために遠回りなんて、別におかしいことじゃない。昔は僕も、直希にそうしてもらったことがあって、嬉しかったし」

「それは――……」

 風麻が言葉を詰まらす。


「男女で仲良いイコール彼氏彼女って話なら、風麻と松山さんだってどう?僕らが会話するよりも、もっとたくさん話をしてるだろうし、一緒にいる時間も長い。それがたまたま、家がすぐ近いか遠いかってことでしょ?違う?」

「…………」

「僕は、友達の手助けをしたい。友達ともっと話がしたい。それだけだよ……」

「そう言われたら、まぁ……。もう、何にも言わねぇよ」

 自分と緑依風の関係を例に出されては、風麻は反論できなかった。


 風麻だって、緑依風の恋人ではないが、彼女を大事な親友と思っているし、爽太も自分が緑依風に対する想いと同じでいるならば、ここで外野がうるさくいうのは不快だという気持ちもわかる。


 問題は、亜梨明が爽太に親友という気持ちで接しているのではなく、彼に恋い焦がれていることだ。


 そして、それを知っているからこそ、風麻はそういったことになってしまった、爽太と亜梨明の関係に、危機感を覚える。


 これ以上、二人の一緒にいる時間が長くなることで、もし爽太が亜梨明の想いに気付いて、彼女と同じ気持ちになってしまえば、風麻の恋は終わってしまうのだから。


 そんな風麻の心配にすら、全く気付かない爽太は、のんきな様子で弁当箱を閉じ、「ごちそうさま」と、両手を合わせていた。


 *


 放課後――。

 亜梨明は教室で本を読みながら、緑依風の委員会が終わるのを待っていた。


 委員会の内容は、文化祭で歌う曲目が他のクラスと重ならないようにするためのものらしいが、二十分経っても緑依風は教室に戻って来ない。


「揉めちゃってるのかなぁ~」

 文化祭では、一年生は合唱。

 二年生は教室での展示。

 三年生は演劇を行うのが、夏城中学校の伝統だ。


 文化部は、作品を展示したり、研究成果を発表するようで、科学部の星華も二学期が始まってからずっと、実験のレポートを他の部員とまとめたりすることが忙しいと、ぼやいていた。


 待ち続けていると、トイレに行きたくなった亜梨明。

 用を済ませると、自分以外誰もいないはずの三階の校舎に、ガタンと音が響いた。


「――ん?二組からかな?」

 物音が聞こえた一年二組の教室を、亜梨明はそーっと覗き込む。


 教室には、転校生の光月楓が一人で佇んでおり、カーディガンの袖を軽く捲って、自分の手首をじっと見ている。


「(どうしたのかな……?)」

 亜梨明が楓の様子を伺っていると、カチカチカチと何かの音がした。


 そして―――。


「――――ッ!」

 ギラリと銀色の刃が光る。

 楓は、右手に握られたカッターナイフで、己の左手首を切りつけた。


「なっ、何してるのっ!!」

 亜梨明の声に気付いた楓は、慌てる様子もなく、ゆらりと亜梨明の方へ振り向いた。


 亜梨明は楓のそばに駆け寄り、つぅっと赤い血が流れる彼女の手首を持ち上げた。


「大変っ、結構深そう……!――とりあえず保健室行かなきゃ!」

 そう言って亜梨明は楓の腕を引っ張り、保健室に連れて行こうとしたが、楓はその手を振り払い、ポケットから取り出したハンカチで傷口を押さえた。


「……大げさ」

 楓は低い声で呟き、カーディガンの袖を再び下ろすと、通学鞄を持ち、亜梨明を残して教室を出て行った。


 ハッと我に返った亜梨明は、階段を下りていく楓を追いかけた。


「――待って、待って楓ちゃんっ!!」

 亜梨明が呼び止めても、楓はスタスタと階段を下り続け、下駄箱で上靴を脱ぎ始めた。


「楓ちゃんっ!何で……どうして、こんなことしたのっ!?」

 亜梨明が息を切らしながら問いかけるが、楓は構わず靴を履き替える。


「保健室行こうっ!?早く手当しなきゃ……楓ちゃんが……っ!」

 亜梨明は楓の腕を引っ張って、手当てをするように懇願する。

 しかし、楓はまたその亜梨明を払うように、腕を強く振り、彼女を拒んだ。


「“死ぬ”と思う?こんなことで……」

 楓は、パタンと下駄箱の扉を閉めると、血相を変えたままの亜梨明を見た。


「こんなくらいで死ぬわけないし、騒ぎすぎてバカみたい……」

「…………!」

 目を丸くした亜梨明に「ハッ」と冷やかな笑いを向けた楓は、そのまま彼女を置いて帰っていった。


「…………」

 亜梨明がそのまま立ち尽くしていると、バタバタと背後から二人分の足音が聞こえた。


「あ、亜梨明ちゃんいた!」

 足音の正体は緑依風と爽太で、教室に荷物を置いたままいなくなった亜梨明を心配していたようだ。


「無事でよかった、探したよ……」

 爽太が安堵したようにホッと息を吐く。


「委員会長くなっちゃって……待たせてごめんね」

 緑依風の手がポンっと亜梨明の肩に触れた。


 それに合わせて振り向いた途端、亜梨明の目から突然、涙がポロポロと零れ落ちた。


「亜梨明……?」

「ど、どうしたの……!?」

「……っ……ぅっ、う……!り、りいふちゃ……そう、ちゃんっ……!!」

 緑依風は亜梨明をそっと抱き締め、彼女の涙に戸惑いながら、爽太と顔を見合わせた。


 亜梨明自身も、何故涙が止まらないのかわからない……。

 でも今は、嗚咽が止まらず、困惑する二人に状況を説明することも不可能で、溢れる涙を抑えるために、ただ両手で顔を覆うことしかできなかった――。


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