第96話 風変わりな転校生(前編)


 二日後。

 二学期最初の授業は欠席してしまった亜梨明だったが、前日にゆっくり休んだおかげで、この日は朝からとても元気だった。


 学校に登校すると、親友となった緑依風や星華、爽太や風麻だけでなく、クラスメイトみんなが「おはよう」と挨拶をくれたり、「もう大丈夫?」と気遣ってくれた。


 以前は、病気のことを知られたら、きっと仲良くなった人にも面倒くさがられ、嫌われてしまうと怖れていた亜梨明。


 過去の悲しい出来事が、彼女にそう思わせていた。


 だが、この夏城中学校一年一組のクラスメイトは、そんな亜梨明の考えを杞憂に終わらせた。


 亜梨明の病気を知っても、クラスメイトはこれまで通り――いや、これまで以上に親し気に接してくれた。


 普段は双子の妹の奏音と、緑依風、星華、爽太、風麻の六人で行動することが多い亜梨明だが、野外活動で仲良くなった朝倉美紅や、清原まりあなど、一緒にいることが少ないクラスメイトとも、たまにお喋りをして、新しいことを知ったり、絆を深めあったりしている。


 学校が楽しい。生きていることが嬉しい。

 亜梨明は、自分にそう思わせてくれた爽太や緑依風達に、心から感謝をしていた。


「今朝からずーっとニコニコしてるね」

 ショートホームルームを終えて、奏音が亜梨明の席にやって来た。


「うん!だって昨日休んじゃったから、その分学校に来るの楽しみだったんだもん!」

「え~っ、通常授業になってもう早速めんどくさいし、夏休みカムバーック!!って気持ちだよ……」

 後からやって来た星華は、亜梨明の言葉を聞いて、信じられないと言った様子だ。


「私は、お盆開けてからずーっと、夏休み早く終わらないかなって思ってたよ?」

「まぁじぃ!?」

 星華がそう言いながら、亜梨明の隣の席の椅子に座ると、「おい……」と、トイレから帰ってきた風麻が言った。


「そこ、俺の席だぞ。返せ」

「あっ、そうだ!昨日席替えしたから、坂下くんが今お隣さんなんだった!」

 亜梨明は風麻を見上げながら、奏音から席替えをしたと、前日に聞いたことを思い出した。


 二学期初日までの座席は、爽太の席が近かったのだが、今回の席替えでは離れてしまい、彼の隣には緑依風が。


 教卓のすぐ目の前に星華。

 奏音は亜梨明の斜め後ろで、風麻が右隣にいる。


 爽太のお隣が、もし彼に気のある女子生徒ならば、少し危機感を持っていた亜梨明だが、幸いにも彼の隣にいる緑依風は、爽太ではなく風麻に好意を持っているので、亜梨明はよかったと、安心していた。


「(大丈夫だよ緑依風ちゃん!私も坂下くんを、他の女の子から守るからね!)」

 亜梨明が、他の男子生徒に頼まれて消しゴムを貸している最中の緑依風に、そう思いながら視線を送ると、じっと見られていることに気付いた緑依風は、小首を傾げて、何かを伝えようとする亜梨明を不思議に思っていた。


 *


 三時間目の授業が終わり、亜梨明はトイレに向かう。

 エアコンの効いた教室とは違い、廊下やトイレは蒸し暑く、開けた廊下の窓からは、『夏が終わった』と知らせる、ツクツクボウシの声が入ってくる。


「あっ……――」

 亜梨明がトイレの個室から出ると、水道で手を洗うサマーカーディガンを羽織った少女の姿があった。


 先日見かけた、一年二組の転校生だ。


 転校生は、艶やかな長い髪をハーフアップにまとめており、前髪がやや長いが、そこから見える切れ長の目は、暗くてどこか物悲しさを放っている。


 もしかしたら、まだ転校したばかりで不安なのかもしれない。

 クラスにお友達もいないかもしれない。


 そう思った亜梨明は、転校生に話しかけてみることにした。


「こんにちは!」

 亜梨明は転校生の隣の水道で、手を洗い始めながら声を掛けた。


「……どうも」

 愛想のない少女は、チラリと横目で亜梨明を見ながら挨拶を返した。


「ねぇねぇ、どこから来たの?あっ、髪綺麗だね!シャンプーどんなのが好き?私、一組の相楽亜梨明っていいます!名前教えて?」

光月こうづき……かえで……」

 いきなり質問攻めの亜梨明に、少女はそう名乗った。


「楓ちゃん!よろしくね!」

 亜梨明は、洗い終わった手をぱぱっとハンカチで拭き、その手を伸ばして握手を求めたが、楓は自分の手を拭き終えると、そのままトイレから出て行ってしまった。


「あ、あれ……?」

 握ってもらえなかった手を降ろし、亜梨明は楓を追いかけた。


「楓ちゃーん!――っぷ!」

 楓が急に立ち止まったので、亜梨明は彼女の背中に顔をぶつけた。


「……相楽さん、あまり私に関わらない方がいいよ」

「?」

 楓は振り返ってそう言うと、そのまま亜梨明を置いて自分の教室に帰ってしまった。

 

 *


 四時間目の授業が始まった。 


「…………」

 今は、先生がランダムに当てた生徒に、教科書の内容を音読させていたのだが、亜梨明は、先程楓に言われた言葉の意味を考えており、授業を全く聞いていなかった。


「(“私に関わらない方が良い”って、どういう意味だろう?)」

 握手を返してもらえなかったときは、ただの恥ずかしがり屋さんなのかと思っていた亜梨明。

 しかし、楓は仲良くなることすら拒むように、亜梨明にそう言ったのだった。


「――では、この続きの文章は、相楽……亜梨明さんの方に読んでもらおうかな?」

「へっ――?」

 ガタンと椅子を鳴らして、立ち上がってみたものの、誰がどこまで読んでいたのかすら聞いていない亜梨明は、慌ててペラペラと教科書を捲る。


「あっ……えっと!」

 パクパクと、口を何度も開閉して亜梨明が困っていると、隣にいた風麻がトントンと、自分の教科書を指で叩いて、亜梨明が読む場所を示した。


「あ……!このような状態は――!」

 亜梨明は風麻が教えてくれた行から読み始め、三行目まで読み終えたところで、次の人にバトンタッチとなった。


「(た、たすかった~ぁ……!)」

 椅子に座った亜梨明は、なんとかその場を凌げたことに、ホッと胸を撫で下ろした。


 隣にいる風麻を見ると、風麻はふっと笑いながら、「お疲れさん」と言うような目をしていた。


 亜梨明も、ちょっぴり照れながらペコっと頭を下げて、風麻に感謝の意を伝えた。


 *


 チャイムが鳴って、昼休み。


 特に先生に注意されることもなく、無事授業を終えた亜梨明は、女友達と緑依風の席に集合する前に、隣で弁当箱を取り出そうとする風麻に話しかけた。


「坂下くん、さっきはありがとう」

「ん?」

 少し掠れた声を喉奥から響かせた風麻は、「気にすんなって!」と軽く笑いながら言った。


 弁当箱を机に置いた風麻は、何か言葉を続けようとしたようだが、上手く声が出ないのか、喉に手を添えて、「んんっ……」と低く唸る。


「あの、これよかったらもらって」

 亜梨明はお礼も兼ねて、ポケットから四角い形のイチゴ味のソフトキャンディーを取り出し、風麻に手渡した。


「あ、サンキュー……」

 風麻がやや恥ずかしそうな仕草で、亜梨明のキャンディーをそっと握る。


「どういたしまして。じゃ、私緑依風ちゃんのとこでご飯食べるね!」

 亜梨明も弁当箱を取り出すと、既に自分以外集合している、緑依風の席に移動した。


「(坂下くん、また声低くなったなぁ~)」

 入れ違いで、風麻の席に弁当を持って移動した爽太との会話を耳にしながら、亜梨明はそう思った。


 一学期の出会った当初は、少しハスキーな女の子のような声だった風麻。

 それが今は、まだ不安定であるものの、爽太よりも鈍さを感じる声へと変化していた。


 毎日会っていた時には気付かなかった変化だ。


 風麻だけではなく、爽太も。

 元々長かった手足が、またスラリと綺麗に伸びており、数週間のうちに一学期よりも逞しく成長したように思える。


 こうした、友の変化すらも、亜梨明はなんだか嬉しくて、心がくすぐったくなった。


「ちょっとぉ~、先食べちゃうよ~!」

 ぼんやりと風麻と爽太を見ていると、しびれを切らした奏音が座ったまま、亜梨明に声を掛けた。


「あ、待って待って~!」

 亜梨明は、奏音や緑依風達が待つ場所に移動すると、緑依風の隣の爽太の椅子を借りて、みんなと共に昼食をとる準備を始めた。


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