第92話 おじいちゃんとおばあちゃんへ(前編)


 八月十五日。

 緑依風達が母方の実家、白崎家から夏城町へ帰る日だ。


 良治は寂しさに目を潤ませながら、車に乗り込む孫達を見送り、美枝子はそんな夫に呆れつつ、やはりしんみりとした表情をしていた。


 滞在中は、良治の育てた畑で、トウモロコシやトマトなどの夏野菜を採ったり、祖父母宅から少し離れた、あぜ道の水路までザリガニ釣りにでかけたりと、従姉妹揃って夏城ではできない体験を目一杯楽しんだ。


 帰り道。

 松山家の車の中で、優菜がこんなことを言った。


「こんどは、おとうさんのおじいちゃんとおばあちゃんにあいたいな!」

 その言葉を聞いて、北斗はハンドルを握ったまま、すぐに返事が出来なかった。


「……会えたらいいね」

「うん!」

 少しの間を開けて、優菜にいつも通りの口調で返事をする北斗。


 緑依風がバックミラーに映る父の顔を見ると、その瞳はとても辛く、悲しそうだった。


 *


 自宅に到着し、緑依風が葉子や妹達と滞在中の荷物や、良治や美枝子が持たせてくれた野菜などを家の中に運び終えると、北斗の姿だけがリビングに見えなかった。


 心配した緑依風が家の外に出ると、北斗は車に背を預けたまま一人佇んでいた。


 顔全体が見えるせいなのか、バックミラーに映った時よりも、物悲しさが余計に伝わってきて、緑依風も苦しい気持ちになる。


「お父さん……」

 緑依風が声をかけると、北斗は心配かけまいと笑ったが、その笑顔は弱々しい。


「優菜は、まだ知らないからね。もう少し大きくなったら、教えてあげないと……」

「そうだね……」

 緑依風は返事をしながら、初めて父方の祖父母の話を聞いた時のことを思い出していた。


 幼い頃、風麻が和麻の実家に里帰りした後、「おとうさんのほうのおじいちゃんがね~」と、父方の祖父の話をした。


 これまで、祖父母というのは一人ずつしかいないと思っていた緑依風は、その話に驚き、自分にももう一人ずつおじいちゃんとおばちゃんがいるのではと、北斗に聞いたのだ。


 その時も、北斗は口を小さく開いたまま数秒固まり、眉を下げて「すまないな……」と謝った。


「緑依風にも、おじいちゃんとおばあちゃん……本当は二人いるんだけど、お父さんのせいで会わせてやれない……」

「なんで?しんじゃった?」

「ううん、生きてるよ。――でも、ごめん。ケンカしちゃって、会えない。仲直りも……できないんだ」

 詳細を聞いたのは、それから数年後――。


 洋菓子職人の職業に惹かれ、夢を追うために故郷と家族を捨てた北斗。


 それでも親子だからと、結婚式には招待したが、顔を合わせても会話は一切無かったという。


 北斗は毎年、年賀状だけは実家に送るようにしている。

 せめて、娘達――両親にとっての孫達の様子だけは知って欲しいと思い、文章を綴っている様だが、それに対しての返信も、やはり送られてくることは無い。


「――緑依風も、おじいちゃんとおばあちゃんに会いたいか……?」

 北斗は俯いたまま、力無い声で聞いた。


「会いたいけど……でも、今すぐじゃなくていいよ。いつか会えるよ」

「うん……そう思ってくれるだけで嬉しいよ」

 北斗は「ふぅ」と軽く息を吐くと、ゆっくりとした足取りで家へと歩き出し、緑依風もその後ろを付いて、家の中へと入った。


 ――本当は、今すぐにでも会ってみたい。


 職業偏見を持つ祖父母は、「菓子を作るなど、くだらない仕事だ」と言って反対し、それでも夢を叶えたかった北斗は、「それなら勘当してくれて構わない」と言って、自分の才能を見出してくれた恩師の下で修業し、天才パティシエと呼ばれるようになった。


 緑依風は祖父母に会って、この仕事はくだらなくない。

 父の仕事も父自身も、とても素晴らしいと伝えたい――わかってもらいたいと、願っている。


 *


 八月二十日。

 この日、木の葉にはテレビ局が取材に訪れていた。


「今日は、こちらの洋菓子専門店、『木の葉』にお邪魔させていただいておりまーす!」

 女子アナウンサーが、お店の前で元気よく紹介を始めた。


「こちらのお店、ご覧ください!お店の外は、木の葉のスイーツを食べようと並ぶお客さんで、長蛇の列ができております!」

 女子アナはマイクを運びながら、並んで待っているお客さんに、どこから来たのかと質問している。


 近頃名前が売れている、人気女子アナ。

 窓の外では、彼女の存在に気付いた通行人が足を止め、店の中でも、外の様子が気になるお客さんが、ケーキを食べる手を止めながら、チラチラと窓を見ていた。


「全国放送だもんね。知名度も上がるだろうし、これでまたお店も忙しくなるなぁ~……」

 コップの中の水を継ぎ足しに回る緑依風は、独り言をぼやきながら、他にも水が少なくなっているコップが無いか、周囲を見渡す。


「すみませーん!」

 奥の席にいるお客さんが、声をかけた。


「はい、ただいま!」

 緑依風がお客さんの元へ向かうと、追加のオーダーだった。


 厨房にオーダーをコールしに行くと、北斗が店内限定のスイーツを作っていた。


「わぁ〜おいしそう〜!これ、この間試食したやつだよね!」

「そうそう……よし、できた!」

 ふわふわのスフレパンケーキに、熱々の梨のコンポートと冷たいアイスを乗せた、木の葉の新メニュー。

 今日は、この商品をテレビで初披露するのだ。


 *


 外での取材を終えたテレビ局のスタッフ達は、予めキープしておいた広めの座席で、店内での撮影の準備をしている。


「では、シェフ。お願いします!」

 若いディレクターの声に、北斗が出来上がったばかりのスイーツを手にして、テーブルまでやって来る。


 女子アナがメイク直しなどをしている間に、まずは新商品のみを、カメラで撮影するようだ。

 

 その様子を離れた所で緑依風が見ていると、別のディレクターの男性が、緑依風に声をかけた。


「君もアルバイトの人?」

「あ、いえ……私はシェフの娘です」

 緑依風がそう答えると、「娘さんでしたか!」とディレクターは言った。


 ベテランの風格を見せる男性ディレクターは、興味津々な様子で緑依風に質問を続ける。


「高校生?」

「中学一年生です」

「中学生……お父さんのお店の手伝いしてるのかな?」

「はい!お店の勉強したくて、たまに手伝わせてもらってます」

 緑依風が答えると「なるほどなるほど……」と、ディレクターは顎を指で撫でながら、何かを考え始めたようだ。


「緑依風ちゃんは、うちの看板娘ですよ!ね?」

 大学生アルバイトの男の子が、緑依風の肩を抱きながら言った。


「看板娘……。まぁ、最近常連のお客さんにも覚えられてきたし、間違いではないかな……」

 一昨年北斗に弟子入りしたパティシエのスタッフも、それを認めるように頷く。


「ちょっとやめてよ〜……。目立ちたいわけじゃないんだから〜……」

 三人でじゃれあってると、ディレクターは北斗を呼び出し、ひそひそと相談を始めた。


 *


「緑依風、ちょっといいか……?」

 ベテランディレクターと話を終えた北斗が、緑依風を呼んだ。


「――ディレクターさんが、緑依風に少しインタビューしたいって言ってるんだけど……」

「ええ~っ?」

 緑依風は嫌そうな態度を隠さずに、顔をしかめた。


「やだよ……。これ全国ネットでしょ?日本中に顔見られるじゃん……」

「そこをなんとかっ!!」

 緑依風の様子を見ていたディレクターは、パンっと手を合わせながら割り込んできた。


「この、人気有名店を家族で支えてるって放送したら、番組的にも花があるし、お店も更に人気出ると思いますよ〜!」

「う……。でも、私……恥ずかしくて、こういうの苦手で……!」

 緑依風は顔を横に振りながら、その申し出を断ろうとする。


「え~っ、恥ずかしがらなくても~!せっかくだし、オンエアの日を友達や親戚に教えて、みんなに観てもらおうよ?夏休みの思い出の一つと思って!ねっ!?」

「ともだち……しんせ、き……!」

 緑依風はそのワードに反応し、ハッと息を呑む。

 ――そして、ある名案が思い浮かんだ。


「(……全国放送なら、どの地域でも観れるよね。それなら、きっと――!)」

 きっと、北斗の両親……緑依風にとっての祖父母も、観てくれるかもしれない。


「……わかりました。私、やります!」

 緑依風がインタビューを承諾すると、「そうこなくっちゃ~!」と、ディレクターは嬉しそうに指を鳴らし、他のスタッフへ取材内容の変更を伝えた。



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