第90話 しらゆりの記憶(前編)


 八月十二日――。

 この日、松山家と青木家の人々は、揃って葉子と葉子の姉で、海生と立花の母親である、はなの実家に里帰りをしていた。


 両家共に飲食店を営んでいるので、家族総出で遠出できるのは、毎年このお盆休みと、正月の時期のみだ。


 店は、両店共に八月十五日までお休みとなっている。

 青木家は、正月に父方の実家に帰るが、松山家の正月はどこにも行かず、ほぼ寝正月となるので、緑依風達にとっては、これが年に一度の家族旅行のようなものだった。


 *


 車に乗って、約三時間の田舎町に到着すると、畑の付近で、大きな麦わら帽子が見えた。


「じーちゃーん!!」

 立花が父、春生はるおの運転する車から降りて、大声で呼ぶと、立ち上がった緑依風達の祖父、白崎良治しらさきよしはるは、嬉しそうな顔で大きく手を振った。


「よく来たな!待ってたぞ〜!」

 土まみれの祖父に思い切り抱きつく立花は、「久しぶりー!」と言った。


「こらこら、じぃちゃん今土ついてっから、服汚れちまうぞ〜!」

 良治は笑いながら立花に言うが、立花は構わないという感じで、一年ぶりの再会を喜んでいた。


「じぃちゃん久しぶり!」

 緑依風と海生も声をかけた。


「おぉ……また大きくなったな二人とも」

「じぃちゃんの遺伝だよ」

 緑依風が言うと「将来はモデルさんだな〜」と良治は呑気なことを言った。


「やだよ!もうこれ以上伸びて欲しくないんだから〜」

「私はじぃちゃんのこと、追い抜いちゃうかもしれないわよ〜?」

 海生が言うと良治は、「あっはっは〜!それはちょいと悔しいなぁ〜」と言いながら麦わら帽子を外し、家の中に入るように言った。


 家に入ると祖母の美枝子みえこが、先に入っていた両親達の荷物を奥に運びながら「いらっしゃい!さ、あんた達も手伝いな!」と言った。


 緑依風と海生は靴を脱いで上がると、まだ玄関前に置きっぱなしにしていたお土産と、自分達の鞄を寝泊まりする部屋に運んだ。


「賑やかになるなぁ〜」と、良治が開けっ放しのドアから入ると、美枝子は「コラッ!じぃさん何度言わせるんだい!」と、美枝子が怒った。


「その泥落としてから家の中に入りなって、いつも言ってるだろ!」

「やれやれ……せっかく孫が来たってのに、ばぁさんは厳しいなぁ〜」

 良治は再び玄関を出ると、庭で服に付いた土や、長靴についた泥を落とした。


 *


 荷運びが終わると、優菜は広い和室の部屋が珍しくて走り回る。

 千草と立花も、ゴロゴロ寝転がりながら遊んでいた。


「運転疲れたでしょう。長旅お疲れ様」

 美枝子が、北斗と春生に冷たいお茶を出した。


「でも、帰省ラッシュは十日だったようなので、今日は思ったより楽に来れました」

 北斗は、用意してもらったお茶を手に取りながら言った。


「あれ、緑依風ちゃんと海生は?」

 春生が、先程までそばにいた二人がいないことに気付いた。


「二人なら、仏壇にお線香あげに行ったわよ」

 花は、お土産に持って来た木の葉の焼き菓子を、器に乗せながら言った。


 和室の隅の方にある仏壇前では、緑依風と海生がろうそくを立て、火を点け、緑色の線香にその火を移していた。


「ふしぎなにおいがする」

 線香の香りに気付いた優菜は、緑依風達の元に来た。


「お線香だよ」

「おせんこ?」

 緑依風が説明すると、優菜はあまりわかってそうな顔で言った。


「ひいおばあちゃんとひいおじいちゃんにご挨拶だよ」

「どこにいるの?」

 優菜は二人を探すように、左右をキョロキョロと見る。


「今はもう天国にいるわ。でも、ここでおててを合わせて『こんにちは』って言うと、ひいおばあちゃん達に聞こえるのよ」

 海生が説明すると、優菜も手を合わせて「こんにちは!」と元気よく言った。


「心の中でご挨拶するんだよ」

「それってきこえるの?」

「聞こえるよ」

 緑依風が教えると、優菜は今度は黙って手を合わせた。


「そういえば、ひいおばあちゃんとひいおじいちゃんって、どんな顔だったんだろう……」

 緑依風が言うと、「ここ遺影も飾ってないからね……」と海生が仏壇の上を見た。


「海生って、ひいおばあちゃんとそっくりって言われてるけど、本当にそうだったのかな?」

「さぁ~?」

 緑依風と海生は顔を見合わせた。


 涼やかな顔立ちで、美しい容姿を持つ海生。

 その顔は、母の花でも、父の春生でもなく、親族からは母方の曾祖母に似ていると、幼い頃から言われ続けてきた。


 もちろん、血の繋がりはあるため、両親に全く似ていないわけでもないが、彼女に色濃く受け継がれた要素は、妹の立花とは違った。


 立花は、両親の姿を半々といった形で生まれた。


 彼女も、決して悪い見た目はしておらず、丸い目と愛嬌のある笑顔が可愛らしい顔立ちをしているのに、異なる外見を持つ海生と比べられることが多く、それ故立花は、小さな頃から自分の容姿に自信が持てなくなってしまった。


 奏音と初めて会った時、立花が海生に先に会った彼女に対して顔を見せたがらなかったのは、そのためだった。


 *


 冷たいお茶と甘いお菓子で休憩を取っていた北斗と春生は、着替えなどが入った大きなキャリーケースを開けて、荷解きをしている。


 葉子と花は、一年ぶりに再会した母親と世間話や子供達の話をしながら、夕食の準備を始めた。


 立花と千草は、畳に寝転がったまま立花の携帯電話で動画を見ており、姉達に混ざりたい優菜が、その二人の間に挟まるように、寝転がっている。


「ふぃ~!さっぱりした~!」

「――じぃちゃん、お願いがあるんだけど~」

 海生が、シャワーを浴び終えた良治に言った。


「あのね、もしあったらで良いんだけど、ひいおばあちゃんの写真見たいの。若い時のやつ」

「ひいばぁちゃんの?いいぞ!ちょっと待ってな」

 そう言うと、良治は蔵へと移動した。


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