第87話 これがいい!
風麻が緑依風の名前の意味を聞いてから、数日後――。
幼稚園では、夏休み中も何日かプールを開放しており、園児達は親に連れられて、友人と共に遊泳していた。
希望者のみの参加なので全員ではないが、風麻も緑依風もその日は参加し、自由時間は晶子や利久と一緒に、水の中に潜ったり、走り回ったりして仲良く遊んだ。
一学期最後の日は、やや元気の無い緑依風だったが、久しぶりに会った晶子が、少し早い誕生日プレゼントを渡したことで、朝から上機嫌だった。
――けれども、その笑顔は長く続かなかった。
*
プール遊びが終わって、制服に着替えていると、「はっぱがなんでふくきるんだよ」と、男の子の声が聞こえた。
風麻が声の方へ振り向くと、いじめっ子の一人が、緑依風の靴下を奪い取った。
担任の先生が「やめなさい」と注意すると、いじめっ子はその時だけ素直に聞き、緑依風に靴下を返した。
しかし、風麻も緑依風も、これで終わるわけがないと予感していた。
夏休み前も、三人組は何度も先生に叱られていたが、懲りずに毎日、彼女に中傷的な言葉を浴びせ続けていた。
さよならの挨拶を終え、お迎えを待っていると、先に親が迎えに来た晶子や利久はいなくなり、幼稚園に残ったのは風麻と緑依風、いじめっ子三人組と、その他数名の園児達だった。
先生は他の園児の保護者と話をしており、それをチャンスだと思ったいじめっ子達は、また緑依風のそばへ行き、彼女をからかいはじめる。
いつも守ってくれる晶子がいない緑依風は、きっととても心細かっただろう。
風麻は、別の友達と話をしていたが、緑依風のことが気がかりで、集中できない。
「おい、ヘンテコはっぱ。むしすんなよ!」
「こいつはっぱだから、なにしたっていいんだぞー!」
三人組は、まるで休み中の分とでもいうように、いつも以上にしつこく緑依風のことをからかい続ける。
名前のことを笑うだけでなく、髪を引っ張ったり、耳を塞ぐ緑依風を囲んで、手を叩きながら酷い言葉を次々に与える。
「ふっ……っく、っぅ……」
無視を続け、ひたすら耐えていた緑依風だったが、とうとうその場にうずくまるように座り込み、静かに泣き始めた。
「あっ……!」
その姿を見た瞬間、風麻の全身の血がカッと熱くなった。
緑依風が泣いても、いじめっ子達は更に面白がり、彼女が消え入りそうな声で「やめて……」と言っても、やめてくれない。
以前、緑依風や他の女子に味方をして、三人組に冷やかされた経験から、厄介ごとに自ら首を突っ込むのはやめようと学んだ風麻だったが、もうこの時はそんな冷静さは吹っ飛んでおり、体が勝手に動いていた。
固く握りしめた小さな拳で、風麻はガキ大将に飛び掛かり、その子の頬を思い切り殴った。
「うわぁっ!」
ドカッと、鈍い音と共に巨体が砂地に転がる。
緑依風も、取り巻き達も驚いた顔で風麻を見た。
「りいふちゃんを、いじめるなっ!!」
興奮で荒い息を吐きながら、風麻は募りに募った言葉を、ガキ大将に向けて放った。
「……っ、なにすんだよぉっ!!」
逆上したガキ大将は、起き上がると風麻を殴り返し、風麻はズササーッと滑るように、横向き状態になって倒れる。
痛い。
殴られた頬と、倒れた時に擦りむいた反対側の頬。
そう思ったのはほんの一瞬で、それよりもこの三人を成敗しなければと、風麻は正義感に駆られるまま、再びガキ大将の服を掴んで押し倒し、馬乗りになる。
一対三で、相手はみんな風麻より大きい子だ。
それでも、今の風麻はこの三人が許せなくて、何度引き剥がされてやり返されても、強い相手に向かっていった。
彼女の名前の意味も知らず、面白おかしく悪く言う三人に、風麻は「あやまれっ!りいふちゃんにあやまれっ!!」と、叫んだ。
「何してるの、あなた達っ――!!」
他の園児に呼び出されて気付いた先生が、甲高い声を出しながら、四人のケンカを仲裁した。
園庭は騒然となり、他の園児もその保護者達も、目を丸くして風麻と三人組を見ていた。
*
しばらくすると、風麻と緑依風の母親、いじめっ子三人の母親と先生は、教室で話し合いをすることになった。
全員強制的に仲直りさせられ、「みんな仲良くしましょう」と、大人達に言われた。
「本当に、申し訳ありませんでした……」
仲裁に入った担任の先生、伊織、いじめっ子の母親達は、何度も同じ言葉を述べては、頭を下げて謝った。
風麻は、両手、両膝、顔を擦りむいて怪我をしたが、相手も鼻血を出したり、擦り傷が出来ていたりで、どちらも痛々しい姿となった。
帰り道。
話し合いを終え、風麻と伊織、緑依風と葉子は、並んで家まで歩いていた。
「最初に悪いのは向こうだけど、怪我はさせちゃダメよ」
伊織は、風麻の絆創膏を付けた手を、軽く握りながら言った。
「ふーんだ!ぼく、わるくないもーん!」
そもそも、向こうが緑依風の名前を悪く言った結果がこうなのだと思っていた風麻は、いじめっ子達に「ごめんなさい」と言わされたことが不満で、伊織にそっぽを向いた。
「ぼく、わるものやっつけただけだし!」
「まぁっ!」
緑依風の手を引いて、一緒に隣を歩く葉子は、困ったようにクスクス笑い、伊織は「帰ったらもう少しお話ね……」と、呆れていた。
「ねっ、りいふちゃんもそうおもうでしょ?」
風麻は、例え伊織が何と言おうとも、自分は悪者を懲らしめたのだから悪くないと思っており、自分に殴られて泣きべそをかいていた三人組に対して、清々した気持ちになっていた。
きっと緑依風も、成敗されたあいつらの姿を見て、喜んでくれているのではと思っていたのだが、彼女は目を赤くしたまま、母親の手を強く握って、悲しそうな表情をしている。
「…………」
緑依風は結局、その後も黙ったままで、家の前に到着して風麻が「バイバイ」と手を振っても、無言のまま弱々しく手を振って、家の中に入っていった。
*
――月が替わって、八月になった。
「りいふちゃーん!あーそーぼー!!」
風麻が松山家のドアの前に立ち、大きな声で緑依風を呼ぶ。
「……ごめんね、風麻くん。緑依風、今日も遊べないみたい……」
緑依風の代わりに出てきた葉子が、申し訳なさそうな様子で、風麻に謝った。
あの騒動の後、緑依風は家に籠ったままになり、風麻が遊びに誘っても、決して出てこようとしなかった。
風麻にとって、毎日のように遊んでいた緑依風と遊べないことは、とても退屈だった。
「つまんなーい……」
風麻がソファーに寝転がり、不貞腐れていると、見兼ねた伊織が「じゃあ、お買い物に行こうか」と、声を掛けた。
「緑依風ちゃんのお誕生日プレゼント買いに行こう!」
「プレゼント!!」
伊織は、風麻と秋麻を連れて、冬丘のショッピングモールへと連れ出した。
*
「おもちゃ、おかし!」
「おかし!」
「こーら、緑依風ちゃんのプレゼント買いに来たんでしょ!」
走り回ろうとする息子達に、伊織は注意した。
「うーん……でも、おもちゃもいいかも。緑依風ちゃんの好きなキャラクターは、何色の子だったかしら……?」
伊織はそう言うと、おもちゃ売り場に行くと告げ、風麻も秋麻達と一緒に、伊織の後ろを歩いていった。
「あ、なんだこれ~!」
「あっ、コラっ!また勝手にどっか行く!」
風麻が興味を惹かれたのは、ハンドメイドのアクセサリー用品が売られた店だった。
「おぉ~!きれ~い!」
風麻は、四角いカゴの中に入った、キラキラしたアクセサリーパーツを一個一個、手に取って見ていた。
「ほうせきみたいだ~……あっ!」
その時、風麻の目に半透明の緑色のビーズが映った。
そのビーズは、まるで葉っぱのような形をしており、照明の光に透かすと、更に輝きを増して、とても綺麗だった。
「…………」
風麻はそのビーズを見て、ふと、緑依風のことが頭に浮かんだ。
「もぉ~!迷子になっちゃうでしょ……」
伊織は、秋麻を連れて風麻に追いつくと、やんわりと後ろから注意した。
「おかあさん!これ、りいふちゃんにプレゼントしたい!」
風麻は振り返り、指でつまみ上げた物を伊織に差し出す。
「えっ、これ……?でも、これビーズだよ?もっと使ってもらえるやつにしようよ」
伊織は、他の店舗を指差しながら言った。
「これがいい!これ、りいふちゃんにあげたい!」
風麻が頑なに「これがいい」と言い張ると、伊織はしばらく考えた後、何かを思い付いたようで、「いいよ」と言った。
「じゃあ、これと一緒に部品も買おうか。お母さんが、そのビーズでイヤリングを作ってあげる!」
「イヤリング⁉」
「うん!可愛いイヤリング作って、緑依風ちゃんにプレゼントしましょ!」
伊織は葉っぱのパーツを二つ、イヤリング用の部品、ラッピングの紙袋なども購入すると、家に帰ってイヤリングを作り始めた。
ラッピングは、風麻も伊織に教えてもらいながら手伝い、親子二人で緑依風のプレゼントを用意した。
*
「(今思えば、なんで俺ビーズなんか選んだんだろうな……)」
風麻は幼少期の自分のセンスを不思議に思い、ふっと鼻から息を漏らす。
それでも、あの時の風麻はどうしても、それ以外の物を彼女に贈る気にはなれなかった。
理由は無く、直感だったが、きっとこれならまた、緑依風が笑ってくれる気がしたのだった。
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