第85話 葉っぱのイヤリング


 青々とした桜の葉が、木陰を作る――。

 木の下にあるベンチに座っていた緑依風は、サヤサヤと風に揺れて奏でられる葉音を聴きながら、暑さに負けず、楽しそうにブランコを漕ぐ末の妹の笑顔を、愛おしく思いながら見ていた。


「おねえちゃんもいっしょにやろー!」

「えっ、お姉ちゃんはもう大きいし、恥ずかしいから……」

「やろうよ!ぜったいたのしいよ!!」

 最初は気恥ずかしくて拒んでいた緑依風だが、何度も呼ぶ優菜の誘いに折れて、小学生以来、久しぶりにブランコを漕いだ。


「わぁっ……!」

 ゆらり、ゆらりと前後に揺れるブランコが、どんどん勢いを増していった。

 木葉や、お日さまの匂いをまとうたくさんの風が、緑依風の髪や肌を撫でて、彼女を開放的な気分にさせていく――。

 

「よぉし……!!」

 最初は座って漕いでいた緑依風だが、楽しさに気持ちが大きくなり、立ち漕ぎに変えて、力いっぱいブランコを揺らした。


「おねえちゃんすごーい!!」

 優菜も緑依風の真似をして、立ち漕ぎになる。


「あっはは、優菜もすごいすごーい!!」

 視界が高くなれば、空も木々も距離が近くなり、まるでこのまま飛んでいけそうだなんて思いながら、緑依風は無邪気に笑った。


 *


「――さてと、暑くて倒れちゃう前に、おうちに帰ろうか」

 楽しいブランコの時間だったが、猛暑の中、長時間外にいるのは危険なので、遊びを短めに切り上げて、帰ることにした。


 優菜はまだ遊び足りないようだが、緑依風の言うことを素直に聞いて、汗に濡れたおでこや首周りを、小さなハンカチで拭き始めた。


 緑依風は、大切な妹が熱中症にならないよう、木陰のベンチに優菜を誘うと、二人並んで一緒に麦茶を飲み、少しだけ休憩してから家路につくことにした。


 *


「おねえちゃん、ブランコたのしかったね!」

「うん、すっごく!」

「またやろうね!こんどはとうまくんと、ふうまくんもいっしょに!」

「え、えぇ~っ……風麻が一緒は恥ずかしいな」

 今回は、優菜と自分以外誰もいない公園だったから遊べたが、冬麻だけならまだしも、同じ中学生の風麻が一緒だとさすがに恥ずかしくて、それは遠慮したいと緑依風は困った反応をする。


「まぁ、あの子なら無邪気にブランコで遊ぶんだろうけど……。私みたいなデカイのが本気でブランコで遊んでるのは、周りの視線が……――」

「あれ……?」

「ん?どうしたの優菜?」

 独り言をブツブツ呟く緑依風を見た優菜が、ピタリと歩みを止める。


「おねえちゃん、おみみ……」

「耳……?」

 そう言って、緑依風が優菜の指差す右耳に触れると、そこにあるはずの物が指先に当たらない。


「あっ……!」

「イヤリング、いっこしかついてないよ」

 イヤリングが無い。

 そのことに気付いた途端、緑依風の顔は一気に青ざめ、焦りで背筋がヒヤリと凍る……。


「うそ……っ、どうしよう……!!」

 緑依風はその時、出かける前に付け直したイヤリングの金具部分が、いつもより不安定に感じたことを思い出した。


「おねえちゃん……?」

 優菜は、カタカタと体を震わせる姉の様子を、心配そうに見ている。


「だいじょうぶだよ!わたし、いっしょにさがしてあげるから!」

 優菜は緑依風を元気付けようと、イヤリング探しに協力を申し出るが、彼女の声にハッと我に返った緑依風は、「ううん……」と、首を横に振った。


「とりあえず、一回おうちに帰ろう……。もしかしたら、帰り道で落ちてるかもしれないし……ねっ?」

 この暑すぎる空間で、自分の不注意によって、優菜の体調を崩させる訳にはいかないと危惧した緑依風は、一度自宅に優菜を連れ帰ってから、探索に出ることにした。


 *


 一方その頃――。

 冬丘のショッピングモールでは、プレゼント選びに苦戦する風麻が、三回目のお店巡りをしていた。


 何度も来店し、商品を全てチェックしては何も買わずに退店する風麻。

 最初はニコニコしていた店員達だが、だんだん彼を怪しむような目つきに変わり、風麻も心苦しくなって、その場に居れなくなる……。


 赤、白、黄色、緑。

 犬、猫、鳥、パンダ……。

 どれを見ても、緑依風が好みそうなものがわからない。


 元々、緑依風は何が好きで、何が嫌いかなんて、大きな声で主張するタイプではない。

 周囲が求める『いい子』であり続ける緑依風は、誰かを困らしてしまうならばと、自分の本心を封じ込めてしまう。


 「何が食べたい?」の問いかけには「何でも食べます」と、答えていたし、別荘で友人に「プレゼント何が欲しい?」と聞かれた時も、「一生懸命選んでくれたら、何でも嬉しい」と答えていた。


「(……ったく、いい子過ぎて逆に困るっつーの!)」

 風麻は、プレゼント選びをついに諦めて、駅方面の出入り口へと向かっていった。


 *


「……無い」

 ――無い、ない、ない、ない……。


 優菜を家に連れ帰った後、緑依風は一人で公園に戻って、葉っぱのイヤリングを探していた。


 最初にいた木陰のベンチ、遊びまくったブランコや、その周囲――今回近寄らなかった、滑り台やジャングルジムの辺りも探したが、半透明の緑色のイヤリングは、そこに無い。


「落としたのなら、ブランコだと思ったのに……」

 立ち漕ぎで勢いを増した際に、耳から外れて遠くに飛んでいったかもしれない。

 そう予測したのだが、公園中探しても、探し物は見つからない……。


「どうしよう、大切な物なのに……。風麻がくれた物なのに……。もしかして、帰り道で落としたのかな……」

 緑依風は、地面にしゃがみながら、道の端、溝の中、電信柱の後ろまで、隅々チェックした。


 ぽたり、ぽたりと、黒いアスファルトに、緑依風の汗がしずくとなって落ちる。

 ギラつく太陽の熱で、全身が焼かれるようだ。


 ジワジワと鳴き続けるセミの声が、いつもは夏らしくて良いと思うのに、今は集中力を散らす騒音に感じる……。


「(どこ……どこにあるの?あれが無いと――あれだけは!絶対なくしたくないのに!!)」

 風麻にもらった誕生日プレゼントは、イヤリングだけではない。

 しかし、あのイヤリングは、大切な思い出と彼への想いが詰まった、特別なものなのだ。


 もしかしたら、車に轢かれて粉々になっているかもしれない。

 カラスが咥えて、どこか遠くに運んでしまったかもしれない。

 不安な気持ちが芽生えると、汗だけでなく、目に涙も滲み出す――。


 緑依風は、暑さに頭が少しクラクラとしてきても、それすら忘れてしまうくらい目を凝らして、頬を伝う汗を手で拭いながら、イヤリングを探していた。


 *


「けーっきょく、電車代だけ無くなって終わったなぁ~……」

 無駄足を踏んだだけで終わったことに、げんなりした顔の風麻。

 大きな店ならすぐいい物も見つかると思っていただけに、余計に気持ちは萎える。


「――ま、明日は春ヶ崎の店に行ってみるか。意外と緑依風が気に入りそうなやつ見つかるかもしれな……――ん?」

 風麻が夏城駅の改札を出て、そう考えながら自宅に向かって歩いていると、前方で、道の中央に座り込む人の姿が見えた。


「あ?りい、ふ……だよな?」

 その人が緑依風だと気付く風麻だが、彼女の動きを不審に思った。


 地面に手足をついて、キョロキョロとしたと思ったら、今度は立ち上がって、道の端っこにしゃがみ込み、辺りを見回している――。


「よっ!何やってんだ?」

「あ………」

 風麻は、いつも通りのトーンで緑依風に声を掛けたつもりだった。

 しかし、振り返った緑依風は涙を流しており、風麻を見ると同時に怯えるように、口を戦慄わななかせる。


「えっ、どうしたんだよ?俺、なんもしてないぞ??」

 緑依風の涙の理由がわからず、困惑する風麻。


「――――っ!!」

 緑依風は、風麻から二、三歩後ずさると、そのまま走って逃げてしまった。


「えっ⁉――おいっ、どうしたんだよ⁉」

 気後れしてしまった風麻だが、走り去る緑依風を追いかけ、彼女の手を掴む。

 風麻に掴まった緑依風は、途端にその場に崩れ、声を漏らしながら泣き出した。


「なんだよ……なんで逃げたんだよ」

「っく……っうう……!」

 風麻もしゃがんで、緑依風の顔を覗き込んだ。


 両手で顔を覆いながら、何も言わずに泣き続ける緑依風を見つめていると、いつもつけているイヤリングが左耳にしか付いていない。


「あれ?イヤリング一個無いぞ?」

「――――っ!!」

 風麻がそう指摘すると、緑依風は肩をビクッとさせ、更に声を上げて泣き続ける。


「ごっ、ごめん……!!落としてっ、なくしちゃって……!探してるんだけど……み……見つからないのっ……!」

 緑依風は涙に言葉を詰まらせながら、風麻に泣いている理由を途切れ途切れに告げた。


「はぁ~~~?」

 緑依風が泣いている原因が、イヤリングをなくしたことだと知った風麻は、間延びした声を出して、ため息をついた。


「な~んだ、そんなことかよ……」

「…………!!」

 安堵する風麻とは反対に、心を凍らせる緑依風。

 彼の言葉に涙は止まり、一瞬冷たくなった胸の真ん中からは、だんだん熱くて痛い感情が湧きだし始める……。


「あんな古いやつもういいじゃん。気にすんなって!」

 風麻は、緑依風の肩をポンポンと叩き、励ますような口調でそう言った。


「……“そんなこと”って、なに?」

「えっ……?」

 緑依風が低い声で言うと、予想外の彼女の反応に、風麻はポカンと口を開ける。


 緑依風はゆらりと立ち上がると、しゃがんだままの風麻を見下ろした。


「私が……あのイヤリングを、どれだけ大切にしてたと思ってんの……?」

「えっ……だって、あれあげたのって随分昔じゃん……!もう充分使ってくれたし、別になくそうが壊れようが、俺は別に怒りも気にもしないから、お前も気にすることないってつもりで――!」

 風麻は、何故緑依風が怒りだしたかわからず、狼狽えながら弁解しようとするが、緑依風の顔は、まるで鬼のように赤く染まっていく。


「風麻は……!!あれをくれた時のこと……忘れちゃったの!?」

「くれた時のこと……?」

 沈黙の間に、風麻はイヤリングを渡した時のことを思い出そうとする。

 ――が、遠い記憶はもうぼやけてしまって、彼の脳裏に鮮明に映らない。


「な、なんだっけ……?」

「…………!!」

 とぼけた顔で笑い混じりに聞く風麻。

 緑依風はショックを受けたように短く息を吸うと、再び涙をボロボロと零して、歯を食いしばり、ぐぅっと喉を鳴らした。


「――……バカっ!風麻のバカっ!!」

 緑依風はそう叫ぶと、呆然としたままの風麻を置いて、走って立ち去った。


 誰もいない静かな住宅街に、緑依風の悲痛な叫びの余韻が残る――。

 彼女が何故、あんなに泣いて怒っているのかわからない風麻は、混乱したまましばらくその場から動けなかった。


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