第84話 薄情者


 正午を過ぎ、厳しい日差しが更に強まる時間帯――。

 昼食を終えた風麻は、ストンと真っ直ぐな髪の毛を、ワックスを使って軽く跳ねさせ、緑依風のプレゼントを買うために、冬丘街に出かける準備をしている。


「はぁ~~ぁ……」

 腹の底から憂鬱そうなため息をつく風麻。

 ため息の理由は、せっかくの休みなのに面倒くさい、この地獄のような暑さの外に出たくないという気持ちもあるが、彼が今一番悩んでいるのは、緑依風へのプレゼントだった。


「コップとかも昔あげたし、緑依風んち食器類は充実してたし……タオル?ハンカチ?これもあげたよな……」

 頭の中に浮かぶ、今まで緑依風にあげたプレゼントは、全て風麻ではなく伊織が選んだもので、そのプレゼントがどんなデザインで、どんな色だったかまでは、もうあまり覚えていない。


 それでも、緑依風は毎年風麻がプレゼントを渡すと、「ありがと!嬉しい!!」と、喜んで受け取っていた。


「……あとは、イヤリングだな」

 風麻は、緑依風が学校以外では必ずと言っていい程、肌身離さず身につけている、葉っぱの形をしたパーツのイヤリングを思い浮かべていた。


 遠い昔にあげたイヤリング。

 彼女が自分に向ける恋心を知らない風麻は、「あいつ、アレしかアクセ持ってねーのか?」と、独り言を言う。


 それならばと、今年はアクセサリーを見てみるかと考えたところで、風麻は女性向けの店に一人で入ることを想像し、ピタッと動きを止める。


「女だらけの店に……俺、ひとりで……っ!」

 女の人に耐性の薄い風麻にとって、それはとてもハードルが高いことだ。


 相楽姉妹の誕生日にプレゼントした、ヘアピンを買う時ですら、店内にいる他の女性客の視線に恥ずかしい気持ちにいっぱいいっぱいだった。


 せめて、誰か付き添いに――と、思っていたところで、風麻はあることをひらめいた。


「そうだ!相楽姉に相談してみるか!!」

 風麻は以前、爽太が妹の誕生日プレゼントを選ぶ際、亜梨明にプレゼント選びを手伝って欲しいと、頼んでいたことを思い出した。


 これならば、緑依風の誕生日プレゼントを選びながら、亜梨明と距離を縮めることもできるかもしれない。


 お泊り会が終わってから二学期が始まるまで、再び亜梨明と会えるかわからない状況――。


 少女漫画を読んで、自分から積極的に動かなければ、いつまで経っても何も変わらないということも学んだ。


「――うしっ、誘ってみるか……!」

 風麻は両手で頬をパチンと叩いて、自分を奮い立たせる。


 *


 薄いラグの上で、風麻は正座をしながら震える手を動かし、緑色の無料通話・メールアプリを開く。


 連絡先を交換してから一度も使ったことのない、亜梨明のアカウントをタップし、通話を押した。


「…………っ!!」

 緊張しすぎて呼吸すら忘れる風麻。

 耳元に携帯電話をあてがい、呼び出し音よりも大きく聞こえる、鼓動の音を抑えるように、胸元のシャツを握り締めている。


「――はい、相楽ですけど……」

 三回目の呼び出し音が止み、風麻の耳に亜梨明の声が聞こえた。


「――っぁ、あのっ!!」

 双子の妹よりもやや高めの、甘くコロンとした可愛らしい声が、「坂下くん?」と、尋ねる。


「あ、えっと!!……うん、坂下……だけど」

 亜梨明と初めての電話にドキドキが止まらない風麻は、額に滲み出る汗を手の甲で拭いながら、やっとの思いで答えた。


「こんにちは。どうしたの?」

「あのっ……えと……」

 言葉がスムーズに出てこなくて、自分自身を落ち着かせようと、ドンドンと胸の中心を叩く風麻。

 電話の向こうにいる亜梨明は、そんな彼を不思議に思いながらも、急かすことなく用件を待っている。


「あのさ……、緑依風の誕生日プレゼントを選びたいんだけど……俺、何選んだらいいのかわからなくて……」

「緑依風ちゃんの誕生日プレゼント?」

「うん、それでさ……今日、もしよかったら買い物……一緒に付き合って欲しくて……」

 必死の思いで亜梨明を誘った風麻は、固唾を飲んで、彼女の返事を待っている。


 一秒、二秒――この短い時間が、今はとても長く感じて、亜梨明の声がすぐに聞こえてこないことに、緊張が更に高まっていった。


「……あ、ごめんなさい」

 申し訳なさそうな亜梨明の声。

 風麻は、小さく目を見開き、誘いを断られたことを残念に思った。


「私、今日はお出かけ出来そうになくて……」

「そっか……気にしないでくれ。……もしかして、具合悪いのか?」

 先程から亜梨明の声が、昨日までのような張りのある声ではなく、どこかぼんやりとして、気怠げに聞こえていた風麻は、彼女が出かけられない理由を聞いた。


「ちょっとだけね。大したことは無いし、おうちで過ごす分には問題ないんだけど、落ち着くまでお出かけは控えようと思って……」

 亜梨明は心配かけまいと、明るい声で言うが、最後の方の言葉はやはり少し元気が無い。


「お泊まり会での疲れが出たのかもな……。お大事に、ゆっくり休んでくれ」

 風麻が亜梨明の体をいたわる言葉をかけると、彼女は「ありがとう」と、お礼を言った。


「……でも、緑依風ちゃんのプレゼント選びどうしよう?奏音もこれから立花ちゃんと遊びに行くみたいだし……。――あ、そうだ!星華ちゃんに声かけてみたら?」

 風麻の意図がわからない亜梨明は、他の女の子友達に付き合ってもらうように提案する。


「いや、いいんだ!!」

 確かに星華なら、誘えばプレゼント選びに付き合ってくれるかもしれない。


 しかし、普段の星華の振舞いや性格を考えると、彼女に緑依風が好きだと誤解されてしまいそうだし、何より風麻にとって、星華はどちらかといえば、小学生時代に苦手だった女子に近い存在で、一対一だと話しづらかった。


「まぁ、なんとか……。ははっ、その……自分で適当に選んでみるよ!」

「適当なんてダメっ!!」

 風麻がごまかすように笑いを交えて言うと、亜梨明が声を強めて怒った。


「……ちゃんと、緑依風ちゃんのこと考えて選んであげて」

「わ、わかった……」

 風麻は電話を切ると、肩と首をがっくりと落とした。


「はぁ、やっぱりすぐに上手くいかないよなぁ~~……」

 おまけに最後は怒られてしまった。

 風麻は、正座して痺れた足を崩し、わしゃわしゃと髪を掻き乱した後、「仕方ない……」と観念して、一人緑依風の誕生日プレゼントを買いに出かけた。


 *


 冬丘駅のすぐ目の前にある、大型ショッピングモール。

 月曜日だが、夏休みということもあり、ショッピングモールの中は、小さな子連れや近隣の学生達の姿も多く見られる。


 風麻は、建物の中の涼しい空気にホッと息を吐くと、女の子が好きそうな物が売っている店を外側から覗いて、緑依風のプレゼントを探し始めた。


 店の中まで入ると、ガラスのコップや、トートバッグ、お弁当箱、髪留め、アクセサリー類などを手に取り、どれにしようかと選ぶが、「これだ!」と思う物にはなかなか出会えない……。


「――そもそも、緑依風って何が好きなんだ?」

 風麻はそう呟きながら、彼女の好きな物について考える。


「趣味は料理だろ~……。あとは~~……」

 ――と、ここで風麻はあることに気付いた。

 料理以外に緑依風が好きなことや、好きな物が、何も浮かばない……。


 緑依風の好きな動物、好きな色、好きな食べ物さえも……。

 長い付き合いで、何でも知っていると思っていた幼馴染のことを、何も知らなかったのである。


「俺って、意外と薄情者……?」

 風麻にとって、緑依風は姉のような、妹のような関係の大切な親友。

 親友よりも、家族に近い存在だと思っていたのに、自分が彼女の表面しか知らないことに、風麻は愕然とした。


 風麻は、手に取っていた水色のしずく型のパーツが付いたアクセサリーを元に戻すと、別の店へと移動し、再び緑依風のプレゼント探しを続けた。


 *


 その頃。

 松山家では、公園で遊びたいと言う末っ子の優菜のために、緑依風が冷たい麦茶を水筒に入れたり、日焼け止めを塗ったりして、出かける準備をしていた。


「おねえちゃん、はやくいこーよ!!」

「待って待って、これ塗らないと。優菜もお帽子被ってね」

 緑依風が、早く遊びたくてソワソワする妹に言うと、優菜は「はぁい!」と、いいお返事をして、緑依風のおさがりの麦わら帽子を被った。


 ――カチャン。


 緑依風が首に日焼け止めクリームを塗っていると、床に何かが落ちる音がした。


「あ、イヤリング……」

 急いでいたせいで、塗る時に手が耳に強く当たったのだろうかと思いながら、緑依風はイヤリングを拾う。


「早く付けないと、優菜拗ねちゃうな……」

 緑依風は鏡の前に移動し、イヤリングを付け直した。


 少し留め具部分が緩くなっている気もしたが、ネジを回して耳たぶに固定できたので、気のせいだと思った。


「うん、大丈夫!しっかり留まってる!」

 緑依風は、両耳に揺れる葉っぱのイヤリングを鏡で確認すると、クスっと小さく笑った。


 五歳の誕生日にもらった、風麻からの誕生日プレゼント。

 緑依風の一番の宝物で、イヤリングを見るたびに、緑依風はこれをくれた日に言ってくれた、風麻の言葉が一生忘れられなかった。


「――僕は、緑依風ちゃんの名前好きだよ……」


 緑依風が、窓の外から聞こえるセミの声と共に、その時のことを思い出していると、「おねえちゃーん!!」と、優菜が緑依風を呼んだ。


「ごめん、お待たせ!」

 玄関の前で「はやく、はやくぅ~!」と急かす優菜に謝りながら、緑依風はギラギラとした太陽が照らす外に出た。


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