第81話 恋の教科書(前編)


「(なんか、元気ないなぁ……)」

 緑依風は、晶子とお喋りをしながら、隣の座席で窓の外を眺め続ける風麻を心配していた。


 今日だけでなく、風麻はお泊り会の最中も、楽しそうに笑っていたかと思えば、時折表情が曇り、苛立つような口調の時もあった。


 彼が亜梨明と大ゲンカをした時は、自分達が遊びに夢中になっていたことに怒っていたと知ることになったが、その後も度々、いつも元気いっぱいの風麻がおとなしくなっていることに、緑依風は違和感を抱いた。


 *


 バスは多少渋滞に遭遇したものの、午後三時半頃には、無事沖邸に到着し、その場で解散となった。


 緑依風は、相楽姉妹と爽太と分かれ道で手を振った後、風麻と並んで家に向かって歩き始めた。


 風麻はバスから降りた後も、普段の半分くらい口数が少なく、何かを考えているようだった。

 二人きりになったため、緑依風はその理由を聞いてみようとしたが、緑依風が口を開くより先に、風麻が半歩後ろから彼女を呼び止めた。


「なぁ、緑依風……」

「ん?」

 風麻は少し躊躇ためらうように視線を泳がせた後、再び口を開いた。


「お前って……さ、好きな人……いるん、だよ……な?」

「なっ――⁉」

 一瞬、緑依風の呼吸と心臓が止まるような感覚になる。


 風麻に喋ったのはどこの誰だと、慌てふためく緑依風だが、風麻はそんな様子の緑依風に構わず、言葉を続けた。


「……女子の気持ちを知るために、ちょーっと、お前に聞きたいことがあるんだけどさ」

「はっ?女子の気持ち……??」

 ようやく冷静さを取り戻した緑依風は、首をかしげて聞き返した。


「……空上がいつも言うだろ。『坂下は乙女心がわかってない』ってさ」

「確かに……――って、もしかして、さっきからなんか考えてる顔してたのって、それ⁉」

「まぁ……な」

 風麻の返答に、緑依風は「はぁ~」と、長いため息をついた。


「なぁんだ、もっと真剣なこと考えてるのかと思った!」

「し、真剣だろっ!」

 風麻の本当の悩みを知らない緑依風は、大したことなさそうな顔で、鞄を持ち直した。


「――で、聞きたいことって何?」

 緑依風が話の本題に入ろうとすると、風麻は少し緑依風を上目で見つめて質問を始める。


「もし、好きな人がいたとして、その好きなやつにも好きな人がいるけど、そいつも片想いだとしたら、お前は……どうする?」

「えっ、えぇ~っ……難しい質問だな」

 不可思議な質問内容に、緑依風は何故、風麻がこんな質問をするのか疑問に思うが、真面目な顔した風麻のために、早くいい答えを出さなければと、使命感に駆られた。


「えと、好きな人も片思いなら……こっちに振り向いてもらえるように頑張るか……な?」

 緑依風は悩みながら、途切れ途切れに答えた。


「諦めないのか?」

「う〜ん……もし、好きな人が他の人と両思いになったら諦めるけど……。でも、チャンスがあるなら努力を続けたいな」

「努力って?」

「好きになってもらえるように相手に優しくするとか、その人の好きな物調べて話してみたり、プレゼントしてみたり……。とにかく色々やってみたいかも。ま、実際そうなったらどう行動するかわからないけど」


「へぇ〜……。女って、そんなことまで考えて生きてるのか」

「あくまで私の場合だけどね」

「ふむふむ……」

 感心する風麻の横で、緑依風は自分で言った言葉に、渋い気持ちになった。

 実際には、“そうなったら”の努力は、もうすでに行動済みだからだ。


 風麻の好きなものは甘いお菓子で、特にケーキやプリンなどの柔らかい洋菓子が好きだと知っているし、そんな彼のために練習して上手くできたお菓子は、しょっちゅう『おすそ分け』としてプレゼントしている。


 それなのに、彼は緑依風の恋心に気付くどころか、「次はチョコ系が食べたい」や「美味かった!また作ったらくれ!」と、もはやもらえるのを当たり前のように催促する。


「(優しく……の部分は、私に一番足りてないところかな)」

 本当はもっと、風麻に優しく接したい。


 言葉一つ、態度一つ、あともう少し素直になれれば、風麻の自分に対する想いが、『幼馴染』というものから、『好きな人』に変わるかもしれないのにと、緑依風は思う。


 彼の好きなケーキを作っても、どんなに一緒にいる時間が長くても、天邪鬼な振舞いを直さない限り、それは難しいだろう。


「(この関係が崩れるよりはって、同じことで何年も悩んで、落ち込んで――……)」

 緑依風は、耳に付けている葉っぱのイヤリングに指先で触れながら、自分の弱さを情けなく思った。


「――……なぁ、そういうのって女子はどうやって知るんだ?」

「えっ?」

 風麻が聞いてきて、緑依風は我に帰った。


「あ、えっと……ドラマとか、漫画とか?」

「漫画?」

「漫画っていっても、少女漫画だよ。女の子の読む漫画って、恋愛ものが多いからね」

「ふーん……。どんなこと描いてんの?」

 風麻が興味ありげに聞く。


「どんなって……。作品によりけりだけど、大体主人公は女の子……中学生だったり、高校生だったり……。あ、小学生の場合もあるけど、そういったヒロインの子が、男の子と出会って、恋に落ちて、一生懸命頑張って……ライバルが現れたり、傷付いたりもするけど……――って、口で説明するの、なんか恥ずかしいな!」

 緑依風は、語りながら一番お気に入りの少女漫画を思い出し、それを好きな人に語っていることが恥ずかしくて、顔を赤くした。


「と、とにかくそういうの!――さっ、暑いし早くうち帰ろっ!」

 無理矢理話を終わらせた緑依風は、やや速足で歩き始めた。 


 *


 その後、しばらくは他の話をしながら帰っていた緑依風と風麻だが、家の前まで到着すると、風麻は「な、頼みがあるんだけど……」と、緑依風に言った。


「さっきの少女漫画さ、オススメのやつがあったら貸してくれよ」

「は……?」

 これまで少年向け漫画しか読まなかった風麻の驚きの発言に、緑依風はポカンと口を開けた。


「いいけどさ……読むの?少女漫画……」

「……読む。できれば今すぐ貸して欲しい」

 風麻の目は、先程と同じく真剣な表情だった。


 とりあえず、三泊四日分の荷物が入った鞄を、家に置いてくるように伝えた緑依風は、風麻が家に来るまでに、どの本を貸すか選ぶことにした。


「読んだら理解してくれるのかなぁ~……。私の気持ちも……知ってくれるのかな」

 緑依風は一番好きな本を手に取り、壁に掛けてあるカレンダーを見つめた。


 今日は八月四日。

 四日後の八日は、緑依風の十三歳の誕生日だ。


「おっじゃましまーす!」

 大きな声と共に、風麻が階段を駆け上がってくる音が聞こえる。


 ――ガチャッ!と、部屋のドアをノックもせずに開ける風麻に、緑依風は「ちょっと!」と、叫ぶように言った。


「何度も言わせないでよ!部屋に入る時はノックしてって!」

「こっちも何度も言うけど、今更じゃね?よそよそしいこと言うなよ……」

 緑依風も小さい頃は、風麻が元気よくドアを開けて、部屋に遊びに来てくれるのが待ち遠しかった。


 だがしかし、今はそんな小さな子供ではない。

 思春期の男女だ。


「『親しき中にも礼儀あり』って言葉があるでしょ。私も風麻も、“きょうだい”みたいなってだけで、血の繋がりも無い他人なんだから……」

「他人……か」

「…………」

 風麻がボソッと寂しげな声で言うと、緑依風はそう言ってしまったことにちょっとだけ後悔した。


 風麻が気を遣わないくらい、自分に心を許してくれているのは嬉しいが、あまりに気を遣わなさすぎるのは、この友達以上、恋人未満の関係から抜け出せないと思った。


 しかし、叱られた子犬のような顔をされてしまっては、謝ることはできないけど、申し訳ない気持ちになる。


「……私だって、タイミングが悪い時があるってだけ。風麻にだって、突然部屋に来られちゃまずい時って、あるでしょ……」

 緑依風が言うと、風麻も納得したようで「そうだな……」と、頷いた。


「…………」

 ドアの前に立ったままだった風麻は、緑依風の横を通過し、彼女のベッドに座る。

 緑依風は本棚を探りながら、窓の外で鳴くセミの声に耳を傾けていた。


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