第74話 気付かぬ変化
別荘から約三十分程バスで走ると、毎年沖家が貸し切り予約をしている、屋内プール施設に到着した。
今日は表向きは点検日ということになっているが、晶がプールの従業員に電話すると、責任者らしき男性が自動ドアを開いて、中へと案内してくれた。
晶を先頭に、プールエリアを目指して歩いていると、施設内はとても広くて、照明もBGMもしっかり付いているのに、一般客の姿は見えず、すれ違うスタッフの数も、この施設の大きさに不釣り合いでとても少ない。
「誰もいなーい……。本当に貸し切りなんだね」
亜梨明が奏音と共にキョロキョロと辺りを見回す。
「売店とかはおやすみだけど、その分プールは好きなだけ遊べるからね!お風呂も水着のまま入れるし、プール終わったらそっちも行こうか」
晶は、初めて来た亜梨明達に振り返りながら説明をした。
*
水着に着替えて、プールサイドに出ると、ヤシの木や白い砂浜、ハワイアンテイストの音楽が流れる光景に全員歓声を上げた。
「すごーい!!南国に来たみたい!!海もあるよ⁉」
亜梨明が大興奮して叫んだ。
「海じゃなくて、波の出るプールだよ。まっ、海をイメージしてるからあながち間違いじゃないかも」
緑依風が後ろから説明をした。
「波が出るプールなんてあるんだー……」
「あまり奥に行くと、高い波が出た時に水深が深くなるから気をつけてね」
「うん!」
頷く亜梨明の後ろでは、奏音が「私はスライダーに行きたいな!ここ、いろんなやつがある!」と言った。
「奏音、一緒に浮き輪のスライダーやろうよ!」
奏音と星華は岩肌を模したコースのスライダーに向かった。
「私達は波の出るプールで遊びましょう!」
晶子に誘われて、緑依風は亜梨明達と砂浜の方へと歩きだすと、「相楽姉っ!」と、風麻がやや大きめの声で引き留めた。
「どうしたの?」
亜梨明が目を丸くして聞いた。
「あのさ、具合……悪くないか?」
「えっ?うん……今はなんともないけど?」
いきなり体調について聞かれた亜梨明は、ちょっぴり不思議そうな顔で首を傾げる。
「風麻ね、さっき亜梨明ちゃんが眠そうにしてたのは、しんどいからじゃないかなって、心配だったんだって」
緑依風が風麻をフォローするように一言付け加えると、風麻は亜梨明の反応を緊張した面持ちで待っていた。
「そうだったんだ。ありがとう!……でも、本当に眠かっただけなんだ!」
亜梨明がにぱっと笑って、お礼を言う。
「最近、顔色とてもいいですもんね」
「うん!楽しいと病気のこと忘れちゃうからね!晶子ちゃんの別荘に来てから、ずっと楽しいもん!」
亜梨明が「ふふっ」と声を漏らして言うと、風麻は安心したように「そっか」と言った。
「風麻ー!早くしないと置いてくぞ!」
爽太と共に、巨大な樽から大量の水が降ってくるコースへ向かおうとする利久が、風麻に声を掛ける。
「おぉーっ、すぐ行く!……緑依風、相楽達スライダー行ってるし、具合悪くなったり溺れたりしないように見ててくれるか?」
「うん、任せて!危ないことにならないようにちゃんと見てるよ!」
緑依風がグッと親指を立てて宣言すると、風麻は安堵したような表情になり、爽太や利久が待つ方へと走っていった。
「坂下くーん!ありがとう~!!」
後ろから亜梨明が大きな声で、手を振りながらもう一度お礼を言うと、風麻は嬉しさに緩む顔を爽太達に見られぬよう、下を向く。
幸せな気持ちが、ビリっと電気が流れるように、全身を駆け巡る。
「(言ってよかった……!緑依風、ありがとな!)」
バスの中で背中を押してくれた緑依風に感謝をしながら、風麻は男友達と一緒に、目的の場所へと向かった。
*
「坂下くんって、すごく気配り上手だよね!」
波の出るプールの浅瀬で遊びながら、亜梨明が言った。
「うん、普段はふざけたりしてあんな感じだけどね」
緑依風が、離れた場所にいる風麻に視線をやると、風麻は上から勢いよく落ちてきた水に「ぎゃははっ!」と、大はしゃぎしながら、顔に張り付いた髪の毛や水を手で払っている。
「でも、緑依風ちゃんは、ふざけて遊んでる坂下くんも好きなんだよね?」
「えっ……!」
緑依風は肩をビクッと上下させ、「あ、えっと……」と頬に手を当てて、恥ずかしそうに顔を斜め下にする。
「全部……好きだよ。無邪気に遊んでる風麻も、優しいとこも、かっこいいとこも……全部、好き」
緑依風はひとつひとつ言葉を発しながら、ゆっくりと目を閉じた。
「それならここで遊んでないで、もっと風麻くんと距離詰めないと~!」
晶子がじれったそうにヤキモキした様子で、むすっとした顔を作っていると、ザザ~ッと、少し大きな波がプールの奥の方から作られる。
深い場所で、波を待っていた晶とシーザーは、ボディーボードに掴まって、「いぇ~い!」と声を上げながら、緑依風や晶子がいる場所まで流れてきた。
「――さて、緑依風の恋の行方はどうなの?」
顔の水飛沫を拭いながら、晶が緑依風に聞いた。
「も~っ、晶くんまで……。ほっといてよ、見ての通りまだ私の片思いだから」
兄妹二人に急かされて、緑依風はプイっと晶から顔を背ける。
「だって、緑依風がこんな小さい頃から知ってる兄貴分としては、可愛い妹分や弟分の行く末が気になるだろう?――まぁ、風麻はまだそういうのあまり興味ないのかもしれないけど」
「あれ?風麻くんって……――」
シーザーが前髪を掻き分けていた手を止め、何かを言いかける……。
「シーザー、どうした?」
晶だけでなく、緑依風や晶子、亜梨明も、彼の言葉の続きを気にするように、シーザーを見る。
「……忘れた!」
「なんだよ~!」
ド忘れするシーザーに、晶は彼の腕を肘で小突く。
「よし!お兄さんもこの夏、緑依風がハッピーな思い出を作れるよう協力してあげよう!」
「えっ⁉」
嫌そうな顔をする緑依風の隣では、晶子が「兄さんさすがです!」と、期待するように目を輝かせる。
「風麻くんのことは、兄さんにお任せします!」
「任せろ妹!行くぞ、シーザー!」
「あ、ちょっと……!いいってば、晶くーん!!」
緑依風が止めても、晶とシーザーはそのまま振り返ることなく、ウキウキした様子で風麻達が遊ぶプールに向かっていった。
*
別のエリアで遊んでいる風麻、爽太、利久の元に、ご機嫌な笑顔の晶とシーザーがやってくる。
水中に潜っていた風麻は、まるで犬のようにブルブルと頭を振り回し、濡れた髪の水気を周囲に飛ばしまくって、利久に「やめろよ!」と、怒られていたところだった。
「風麻は波のプールで遊ばないの?緑依風達あっちで遊んでるよ」
晶は、風麻を緑依風がいる場所に誘おうとするが、風麻は「俺、今こっちが楽しい!」と言った。
「男同士で遊ぶのもいいけどさぁ~、夏だぜ?女の子と遊ばないのかい?」
シーザーが聞いても、風麻は「別にいい」と答えたため、晶とシーザーは顔を見合わせ、つまらなさそうにする。
風麻が鈍いと判断した晶は、直球勝負に出ることにした。
「……なぁ、風麻。緑依風、綺麗になったよなぁ?」
「は?」
晶が突然変なことを言うので、風麻はいきなりなんだ?という顔で彼を見た。
「俺が見る限り、あと二、三年したら緑依風はめちゃモテるぞ!な、シーザー?」
「そうだなぁ……。中学生にしてはスタイルも良いし、あの母性のある性格は、男心をくすぐるね」
「なんだよ急に……。緑依風なんて、殆ど毎日見てるから綺麗になったかどうかわかんねーし、モテる日が来たとしても、俺には関係ないね!」
緑依風にまるで興味を示さない風麻に、晶は「そうかなぁ?」と、彼の首に腕を回した。
「緑依風に彼氏ができたら、お前もうケーキ作ってもらえないし、勉強だって教えてもらえないぞ?……なにより、ずっと一緒にいた存在が無くなるって、すごく寂しいと思うけど?」
「そんなのわからないだろ。互いに恋人ができても、ずっと一緒にいるかもしれねぇじゃん。俺ら“きょうだい”みたいなもんだし」
まるで、このままずっと緑依風と一緒にいるのが当たり前のように言う風麻。
晶とシーザーは、それを信じて疑わない彼を見て、目をパチパチと瞬きさせる。
「ふーん……そう思ってるんだ」
「子供だね〜」
「なんだよ〜……」
風麻が不機嫌な顔になると、晶は回していた腕を外し、解放した。
「――いつか、緑依風がいなくなっても泣くなよ」
「?」
そう言うと、晶とシーザーはスライダーの方へ小走りして、去っていった。
「なんだよ大人のくせに……どっちが子供だよ」
妙なことばかり聞いて立ち去る兄貴分達に、風麻は苛立つようにぼやく。
「(綺麗になった……か?)」
風麻は、浅瀬で足を伸ばしながら、亜梨明や晶子とお喋りをする緑依風をじっと見てみる――。
緑依風とは、会わなかったことの方が少ないくらい、ほぼ毎日顔を合わせている。
多少体が女性らしくなったとは思えど、顔つきやその他については、変わったかどうかなどわからない。
「さっきの晶くんの話、気にしてんの?」
今は眼鏡を掛けていないのに、まるでズレを直すように、指で自分の鼻筋に触れる利久が聞く。
「松山さんがモテるかどうかって話?」
爽太もその話題に混ざるように、利久の隣で言った。
「……あいつ、綺麗か?」
風麻は腕を組んで、首を曲げながら聞いた。
「そりゃ、ブスではないし、悪くは無い方だとは思うけどさ」
本人に聞こえないとはいえ、失礼な発言をする風麻に、爽太は「美人だと思うよ」と、即答した。
「えっ?」
「目鼻立ちはっきりしてるし、整った顔だと思う。晶さんの言う通り、いずれは青木先輩並に人気が出るかも」
予想外の回答に、何故か風麻の心に焦りが生まれる。
「いやいや、それは無いだろ!いくら従姉妹でもそれは言い過ぎだ!」
風麻は無い無いと手を振ったが、自分と同じく、緑依風を昔からよく知る利久までもが、爽太の意見に同意する。
「まぁ、『青木先輩並みに』とまではいかなくても、モテ期は絶対来るな……」
「…………」
風麻はもう一度緑依風を凝視するが、やっぱり今までと違いがわからない。
「……全く想像できん」
「お前は緑依風と近すぎるからな……」
緑依風の風麻に対する想いを知っている利久は、長年片想いを続ける彼女を憐れむ。
「家が?」
風麻がとぼけた返事をすると、利久はもう呆れ果てて、何も返さなかった。
「僕も女の子の気持ちに理解力が無いって、よく直希に言われてたけど、風麻が松山さんにそう感じないのは、他に理由があるんじゃないの?」
「理由……?」
「……もしかして、お前すでに好きな人がいるとか⁉」
「――――!!」
利久の問いかけに、風麻は静かに動揺する。
――だが、平然を装い、「いるわけねぇじゃん」と、間を開けずに答えた。
「俺は、まだまだ男同士で遊んでるのが楽しいのっ!」
風麻は少し声を張り上げて言った後、「スライダー、俺らも行こうぜ!」と、勢いをつけてプールサイドに上がった。
「(言えるかよ……爽太の目の前で)」
親友といえど、負けたくない相手に、この気持ちを知られるわけにはいかない。
自分から誘っておきながら、風麻はまるで爽太や利久から逃げるように、足早にスライダーのあるエリアへと向かった。
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