第72話 サマーブリーズ(後編)


 正午前になると、皆一度テラスに戻り、雅子や老婦人が作ったカレーを昼食に食べた。


 昼食を食べ終えた後は、晶が丸々と大きなスイカを持ってきて、「スイカ割りやろう!」と、食休みする一同に声を掛けた。


 スイカ割り一番手は、星華だった。

 ビニールシートの上にスイカを置き、星華が目隠しをして回った後、みんなの指示を受けて棒を振り降ろすが、端の方をかすってしまい、割れなかった。


 続いて利久がチャレンジすると、半分程ヒビが入り、最後にシーザーが割ったところで、晶が切り分けて、晶子がお皿にスイカを乗せてくれた。


 スイカを食べ終わると、今度は「ビーチバレーやらないか?」と、シーザーが提案する。


 ネットはないのでパスだけになるが、バレー部の風麻、奏音、爽太はやる気満々だ。

 ギラギラとした砂浜の上で円陣を作ると、名前を呼びあいながら、ビーチボールのパスをする。


 亜梨明は、その輪の外でみんながワイワイ言いながらバレーをする光景を眺めながら、「そっちそっち~!」「頑張って~!」と応援していた。


 直接みんなと遊べないものの、ボールがあちこちに飛んで、笑ったり焦ったりするみんなの様子を、亜梨明は一緒に参加してるような気持ちで楽しく見ていた。


「わ~!シーザーくん、すご~い!――……?」

 ファインプレーを見せたシーザーに感動していると、亜梨明の頭にふわりと何かが被せられた。


「熱中症対策よ。今日は日差しがとても強いから……」

 どうやら、亜梨明の熱中症を心配した雅子が、頭に大きな麦わら帽子をかぶせてくれたらしい。


「あ、ありがとうございます!」

 亜梨明がお礼を伝えると、雅子は少し離れたところに立てた、パラソルの下に行くよう促した。


 亜梨明は雅子の後ろについて行き、日よけのパラソルの下でビーチバレーの観戦をすることにした。


 *


 亜梨明が円陣から離れたことに真っ先に気付いた風麻は、一人ぽつんとビニールシートの上に座る、彼女が気になった。


 遊びに夢中になってしまったが、みんなで遊びに来たのに、亜梨明が参加できない遊びでは、彼女は退屈で、寂しいのではないだろうか……?


 浜辺から少し遠い場所にいる彼女が放っておけず、よそ見していた風麻は、自分に飛んできたボールを受け止めず、砂地に落とした。


「――なぁ、俺少し休憩していいか?」

 風麻はそう言って、拾ったボールを利久に渡すと、ポニーテールで少し浮いてしまう帽子を押さえている亜梨明の元に向かった。


「……あれ?みんなと遊ばないの?」

 亜梨明が目の前にやって来た風麻に聞く。


「ちょっと休憩……」

 風麻は少し緊張しながら、亜梨明の隣に座った。


「ごめんな、俺らだけで遊んで。……つまらないだろ」

 風麻が胡坐あぐらをかきながら、亜梨明に謝ると、彼女は「えっ?」と、小首を傾げる。


「……もしかして気にしてくれた?私は見てるだけで楽しいから平気だよ?」

「そんなこと言うなよ、せっかくみんなで遊びに来たんだからさ。海に入ってる方が遊べたな……」

「気にしないで。後でまたみんなで海に入ろう!」

 亜梨明が風麻の心遣いに、にっこり笑いかける。


「そうだな……」

「うん!」

 ザザーン……と、波が音を立てる。

 大きなパラソルの日陰の中、風麻と亜梨明が遊ぶみんなを眺めていると、潮風がふわっと、亜梨明の麦わら帽子を宙に浮かせる。


「あ、飛んじゃう……!」

 亜梨明は、風で帽子が飛ばないよう、つばの部分を軽く押さえた。


「でも、暑いから風がすごく気持ちいいね」

 心地よさそうに、目を細めて潮風を感じる亜梨明の姿に、風麻は鼓動が速くなるのを感じた。


 今なら言える。

 思った気持ちを、爽太のように――。

 風麻はゴクリと喉を上下させると、ゆっくり口を開いた。


「……帽子、似合うよ」

 緊張で少し震える声。


 震えるのは声だけでなく、足の間に置いてる手もだったが、それを亜梨明にバレぬよう、風麻は右手で左手首を強く握り、治めようとする。


「……ありがとう。晶子ちゃんのお母さんが貸してくれたの」

 亜梨明は一瞬、意外そうな顔をしたが、ほわっと柔らかく微笑んだ。


「そっか。体は平気か?」

「うん、元気」

「そっか……」

 短い会話だが、風麻の心はようやく本音を伝えられたことに、達成感で満ちていた。

 パラソルの下、好きな女の子と眺める、青い海――。

 毎年来ているこの場所が、なんだか別の世界にいるような、特別な気持ちになる。


 会話は途切れたままだが、風麻はこの穏やかな時間をしばらく続けたくて、何も言わずにビーチバレーで遊ぶ友人を眺め続けた。


 *


「……あっ、ととっ……!……はぁ、また取れなかった」

 風麻と亜梨明が何を話しているのか気になる緑依風は、上手くボールをパスすることが出来ず、先程から何度も飛んでいったボールを拾いに行っていた。


 それを察した晶子は、「緑依風ちゃん、風麻くんを連れ戻してください」と言った。


「えっ、でも……」

「日下くん。休憩ついでに、亜梨明ちゃんのお話のお相手してくれませんか?」

 爽太は、晶子が自分と亜梨明が二人きりになれるように企んでいるなど、全く気付いていないようで、「いいよ!」と快く話し相手を引き受けた。


「行こう松山さん!」

 爽太は緑依風を誘って、パラソルに向かって走った。


「あからさまじゃない今のは?」

 奏音が晶子に言うと、「ああでもしないと、日下くん動きそうにないですし、日下くんは想像以上に鈍いと見たので、今ので勘付いたりはしませんよ」と、晶子はクスクス笑った。


「――あ、緑依風ちゃんと爽ちゃんだ!」

 緑依風と爽太が近付いてくると、亜梨明はひらひらと手を振って二人を見上げる。


「爽ちゃん達も休憩?」

「うん、僕だけね。風麻はまた、みんなとバレーしてきなよ。亜梨明は僕が見てるし」

 バレーをしたい気持ちよりも、亜梨明ともう少し一緒にいたかった風麻は、「でも、俺は……」と、亜梨明に振り向く。


「風麻、一緒にやろうよ!」

 緑依風は、晶子がくれたチャンスを無駄にしないと、勇気を振り絞って、風麻の手を引っ張った。


「坂下くん、ありがとう!緑依風ちゃんとバレー楽しんできて!」

「…………」

 亜梨明の表情が、二人きりでいた時よりも明るくなっている――。

 そんなものを見てしまった風麻は、もう「ここにいたい」なんて言えなかった。


「ほら、行こう!」

 緑依風がもう一度、さっきより強めに腕を引っ張る。


「……おう、もっかい行ってくるわ!」

 風麻は重い腰をゆっくり上げると、ニッと歯を見せて笑った。


「緑依風ちゃん、楽しんでね!」

 亜梨明が目と手で緑依風にエールを送り、緑依風も「頑張れと」仕草でサインを送った。


 緑依風の一歩後ろで、風麻は振り返って亜梨明と爽太を見た。


「…………」

 亜梨明は、先程まで風麻に見せなかった表情で、爽太と楽しそうに会話をしている。

 二人の仲睦まじい姿を見ていると、ついさっき満たされたばかりの心が、ささくれてトゲトゲしてしまう。


 気付きたくない……。

 まだ、決まったわけじゃない……。

 風麻は、後ろにいる亜梨明の感情を知りたくなくて、二人から目を逸らした。


 *


 日が傾いて、空がオレンジ色に染まっていく――。


 先程まで砂に埋もれていた星華と利久は、手足を出して砂を落としに海に向かう。

 亜梨明と爽太はあれから一緒に海に入ったり、ボールを投げる程度の遊びならできるからと、もう一つのボールで遊んでいた。


 緑依風は、風麻の様子がどこかおかしいことが気になっていた。

 スポーツが大好きなはずの風麻が、ビーチバレーをしている時も、海に入って泳いでいる時も、無理に笑っているような、不機嫌なような、そんな顔つきをしていたからだ。


「風麻」

 緑依風は、岩に座ってぼんやりとしている風麻に声を掛けた。


「なんだ?」

 返事をする風麻の声が、ややぶっきらぼうに聞こえる。


「えっと、なんか……怒ってる?」

 緑依風が風麻に恐る恐る聞いた。


「もしかして、疲れてたのに無理やり誘ったから?……ごめん」

 緑依風が謝ると、風麻は深く息を吐き、「そうじゃないんだけどさ……」と言って、ふざけあって波打ち際を走り回る他のメンバーの方へ、顔を向ける――。


「……上手くいかないなぁって」

「ん?」

 風麻がとても小さな声で言った言葉は、波の音や星華達のはしゃぐ声に掻き消されて緑依風はよく聞き取れなかった。


 ひゅうっ――と、昼間よりもひんやりとした潮風が、二人の髪を乱す。


「少し冷えてきたな……。お前寒くないか?」

「私は平気」

 緑依風が、風に揺られて頬に当たる三つ編みの毛先を避けながら答えると、風麻は「そっか」と短く言って、岩から立ち上がり、ぐーんと両手を伸ばした。


「……あ~あ、お前といる時は、なーんにも考えなくてラクなのにな!」

「それ、どういう意味――?」

 緑依風が理由を聞こうとすると、「そろそろ戻りますよ〜!シャワーを浴びたらお夕飯です〜!」と、晶子が呼ぶ声が聞こえた。


「おっ、晶子が呼んでる。……行こうぜ!」

「うん……」

 緑依風と風麻は、ざらざらとした砂を蹴りながら、手招きする晶子の元へと駆けていく。


「(ラクっていうのは……どう捉えたらいいんだろう?)」

 風麻の後ろを走りながら、緑依風は彼の言葉の真意について考えていた。

 

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