第71話 サマーブリーズ(前編)


 別荘にやって来て二日目の朝――。

 新鮮な野菜や、少しぶ厚めのベーコン、ふわとろのスクランブルエッグ、バターの風味豊かなクロワッサンという、優雅な朝食を食べ終えると、各自部屋に戻って、水着に着替え始める。


 今日は、昨日夕食を食べたテラスの目の前にある、沖家のプライベートビーチで海水浴だ。


「あ、緑依風それ、新しい水着⁉」

 鞄から、黄色と白のマーブル柄のフリルがついたキャミソールと、グレーのショートパンツタイプの水着を取り出した緑依風に、星華が尋ねた。


「うん、去年より10センチも伸びちゃったから、サイズが全然合わなくて……。今年は大人用の水着買ってもらったんだ」

「大人用じゃなくて、大人っぽい水着を選んでこないと!」

 晶子が、緑依風の水着を見た途端、不満を露わにする。


「これじゃあ普通のお洋服とあまり変わらないじゃないですか。……だから、私が選びましょうか?って言ったのに……」

 薄いグリーンのワンピースタイプの水着に着替えた晶子は、がっくりと肩を落とした。


「だって、晶子が提案した水着って、どれも派手で露出が多いやつだったんだもん……。そりゃあ、大人と同じくらい背が高いけど、私は子供だし、そういうデザインはまだ早いよ」

 緑依風が服を脱ぎながら顔を赤らめていると、星華が「背だけじゃなくて、こっちも大人と変わんないじゃん」と、緑依風の胸元を指差した。


「~~~~っ!」

 指摘された緑依風は、ますます恥ずかしそうな顔になると、晶子と星華に背を向けて、さっさと水着に着替えた。


 星華は、オレンジと白い花柄がプリントされた、ヘソ出しタイプの水着に着替え終えると、斜め前にいる相楽姉妹の方を見た。


「ん、二人も新しい水着なの?」

「うん、私達プールもあんまり行くことなかったからね。家にあるやつじゃもう小さくて、入らなかったから」

 奏音が答えると、星華は「ずるいずるい~!」と駄々をこねるように足を動かす。


「私なんて、去年とあんまり変わらないからって、今年は新しい水着買ってもらえなかったのに~!!」

「でも、水着って高いよね……。うちは双子だから、出費が倍になるし。お母さんに感謝だな」

 亜梨明と奏音は白い生地にブルーのドット柄という点は同じだが、亜梨明はワンピースタイプで、奏音は上下が別々になった、ショートパンツタイプの物となっており、お揃いだがそれぞれが好きな形を選んだようだ。


「あと、これも……」

 亜梨明は水着の上に白くて薄手のパーカーも羽織った。


「う~ん……」

 亜梨明は大きな鏡の前に移動すると、モジモジと落ち着かない様子で、何度も自分の姿を確認する。


「傷口なら見えないよ?」

 亜梨明の水着はハイネックタイプとなっており、彼女が人の目を気にする手術痕は全く見えない。


「じゃなくて~……」

 亜梨明は背後にいる妹に振り向くと、照れるようにしてパーカーの裾を握り締める。


「変じゃない?似合ってるかな……?」

 不慣れな水着で、真っ白な肌をほんのりピンク色に染めた亜梨明は、自信なさげに友達に聞く。


「もちろん、似合ってますよ!」

「そうそう、これで日下もイチコロ!」

「うん、すっごく可愛い!」

 晶子、星華、緑依風が褒めると、亜梨明は嬉しそうににっこり笑った。


「――あ、でも……髪の毛そのままで行くんですか?」

 亜梨明は、普段学校で過ごす時と同じように、長い髪をおろしたままにしている。


「ううん、ポニーテールにする!」

「私結んであげますね!」

「ありがとー!」

 晶子は亜梨明をドレッサーに座らせると、彼女の柔らかな髪を結い始めた。


 緑依風は編み込みの三つ編みを作り、普段よりスッキリした雰囲気になった。

 星華も二つのお団子ヘアーを作った。


「緑依風ちゃん、髪伸びましたよね?いつもならこのくらいになるとカットしに行くのに、伸ばしてるんですか?」

 晶子が聞くと、緑依風は「うん……。たまには長いのもいいかなって思って……」と、ぎこちなく返事をした。


「奏音は結ばないの?」

 緑依風が聞くと「だって私、短いしー……」と、奏音が髪を触りながら言った。


「前髪上げたら?私やったげる!」

 星華はそう言うと、奏音の前に立ち、彼女の前髪を持ち上げて、ヘアピンで留めた。


 *


 女の子達が一階のテラスにやってくると、既に水着に着替え終えた男の子達が、雑談をしながら待っていた。


「おっ、来たな!」

 晶がニイッと笑って言うと、それに気付いた他の男性陣も、一斉に振り向く。


 屋根付きのテラスから砂浜に下りると、太陽の強い日差しに照らされた青い海が、きらめきを放っており、初めて別荘にやってきた亜梨明と奏音は、「わぁっ!」と、感動の声を上げた。


 毎年来ている風麻や星華は、早く泳ぎたくてたまらない気持ちが最高潮となっており、ブルっと体を震わせる。


「今年も泳ぐぞー!!」

 晶が海に向かって叫ぶと同時に、拳を夏の空に突き上げる。

 他のみんなも、彼に合わせるようにして、空に手を伸ばした。


 晶とシーザーが真っ先に海に向かって走って行くと、その後ろから、「俺らも行くぜー!!」と、風麻が爽太と利久に声を掛けた。


「私達も行きましょう!」

 晶子が言うと、緑依風達も小走りで海に向かった。


 星華と晶子は、そのままスピードを上げて、一気に海に飛び込んで行く――。

 初めて海に入る亜梨明は、緑依風と奏音に見守られながら、少し恐る恐るな様子でつま先を水の中に入れた。


「あ、思ったよりあったかい……」

 水温が低ければ、体が冷えて具合が悪くなるため、亜梨明はそのことを心配していたのだが、この日は30℃を超える猛暑日のため、海水も温かく、安心したように表情を和らげた。


「大丈夫そう?」

 緑依風が聞くと「うん!」と、元気良く返事をした亜梨明は、ゆっくり、ゆっくりと海の中へと進んでいった。


 *


「――あ、亜梨明達も海に入ってきたね」

 シュノーケルを付けて水中に潜っていた風麻は、爽太の声を聞いて、彼と同じ方向へ顔を向けた。


 亜梨明は、緑依風や奏音達と一緒に水を掛け合って遊んでおり、長いポニーテールを揺らして、楽しそうにはしゃいでいる。


「(可愛い……)」

 そう思っても、声に出すことは無い。


 せめて、そばに行って話すことはできないかと風麻が思っていると、利久が「僕達も向こうで遊ぼうか」と言って、爽太と一緒に海の中を歩きながら、女の子達のいる方へ進んでいった。


 風麻も、シュノーケルを付け直すと、泳いで二人の後をついて行った。


 きゃははっと、黄色い声を上げながら遊ぶ亜梨明達は、風麻達が近付いてきたことに気付き、水を掛け合う手を止めた。


「あ、爽ちゃん達!」

「どう、楽しい?」

 爽太が聞くと、亜梨明は「うん、すっごく!」と、笑顔で答えた。


「でも、パーカーが濡れて重くて……ちょっと動きにくい」

 亜梨明は、海に入ってもパーカーを脱がずに遊んでいたため、それが海水を吸収して重くなったことに困っているようだ。


「だから、海に入る前に抜いちゃえばって言ったのに……」

 奏音が言うと、「だって恥ずかしいよ~」と、亜梨明は開けたままの部分をギュッと手で閉じながら言った。


 夏になっても、水着を着る機会が殆どなかった亜梨明にとって、この薄い服のまま人前に出るのは、とても勇気のいることのようだ。


 風麻が、何か彼女の気持ちが楽になる言葉は無いかと悩んでいると、爽太が「なんで恥ずかしがるの?」と、キョトンとした顔で言った。


「その水着、せっかく似合うのに」

「ええっ⁉」

 爽太に褒められて、亜梨明は驚いた声を上げる。


「ポニーテールもいつもと違って新鮮だし、全然恥ずかしがること無いと思うよ?」

「そう、かなぁ……?」

「うん」

 爽太が頷くと、亜梨明は彼の言葉にほだされるように、ゆっくりとパーカーを脱ぎ始めた。


「…………」

「うん、そっちの方がいい!」

 亜梨明は照れるように微笑むと、「ありがとう!」と爽太にお礼を言った。


 皆が二人の会話を微笑ましく思う中、風麻の心は、透き通ったエメラルドグリーンの海とは正反対の、灰色に濁った気持ちになってしまう。


 風麻が燻る感情を堪えていると、その様子を見ていた晶とシーザーが、風麻の背後にやって来た。


「爽太くんって、イタリア人の血筋でも入ってる?うちの爺さんみたい!」

 シーザーがからかうように爽太の肩に手を回す。


 爽太は「まさか!純日本人ですよ!」と、笑って否定するが、風麻はシーザーの発言の方を信じたくなるような思いで、爽太を羨む。


 海に来たから気の利いたセリフをというわけでもなく、常日頃から褒めるのが上手い爽太。

 人の良い所を見つけるのが得意なのか、相手が男でも女でも、素敵だと思うことを素直に言葉にできる彼を、奏音や星華は嫌がるが、亜梨明はいつも嬉しそうにしている。


「(俺も、ああいう風に言えれば、相楽姉は喜んでくれたのかな……)」

 風麻がそう思っていると、「ちょっと坂下!」と星華が呼んだ。


「坂下は、いつもと違う私達に何か言ってくれないの~?」

 風麻が悩んでいる間に、話題は女の子達の髪型のことになっていたようだ。


 晶子と星華は、緑依風を中心に挟みながら、じ~っと返答を待っている。


「どうって……」

 風麻がチラっと亜梨明を見ると、彼女も――そして、奏音や爽太達も、風麻が何と言うか伺っている。


 これをチャンスと捉えて、亜梨明に思っていることを伝えられればいいのだが、星華の言う『』というのは、彼女だけでなく、緑依風や他の女の子のことも含まれている。


 そう聞かれても、亜梨明以外の女の子に対しては、いつもと違うくらいにしか風麻には考えられず、亜梨明だけを褒めるなんてことをすれば、自分が亜梨明に抱く好意を周囲にさらけ出すということだ。


 爽太のような自然の流れと違うこの状況で、その発言はマズい……。


「……女子なんて、その日の気分で髪型なんか変わるだろ!」

 風麻が苦しい心境の中、その言葉を選ぶと、女子勢からは冷やかな視線が――男子勢からも、苦笑が聞こえてくる。


「がっかりです!!」

「ほんっとーに、坂下って乙女心が全くわかってなーい!!」

「そうだよ!例えお世辞だったとしても、『可愛い』とか『似合う』って言わなきゃダメだよ!!」

「あっ、えっと……!」

 晶子、星華、亜梨明の三人に攻め立てられた風麻は、タジタジになりながら背後にいる兄貴分に助けを求めるが、晶とシーザーは面白がるようにわざとらしくそっぽを向いた。


 緑依風は奏音や利久と共に、呆れるようにため息をつき、風麻と女子三人の間に入って「まぁまぁ……」と味方をしてくれたのは、風麻が羨ましく思う爽太のみだった。


「……はぁ、もういいや。坂下はおこちゃまってことで、許してあげる」

「なんだとー!!」

 腑に落ちないが、星華達が去っていったことにより、風麻は三人のお説教から解放された。


「……くそっ」

 風麻が悪態をつきながら、去り行く女の子達の背中を見ていると、爽太が「気にすることないよ」と言って、ポンっと、風麻の背中を軽く叩く。


「僕らも遊びの続きしよう?」

「……そーだな」

 風麻は、潮風に吹かれて乾きかけた髪を掻き上げると、チラリと振り返る緑依風と目が合った。

 その横顔に後ろ髪を引かれつつ、風麻はジャバジャバと水音を立てながら、爽太や利久が待つ場所へと移動した。


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