第59話 サプライズ(前編)
――ガヤガヤと賑わう、ケーキカフェ『木の葉』。
期末テストが終わり、テスト休みの今日、カフェのオーナーの娘である緑依風は、父の店を継ぐ修行のために、朝から忙しく――でも、楽しく手伝いをして過ごしていた。
「いらっしゃいませ!三名様ですか?――こちらのお席にご案内いたしますね!」
週に一、二回程度の手伝いだが、春に比べると仕事の順序もしっかり覚えた緑依風は、混雑時でもホールの仕事を任されるくらいにまで成長していた。
大人顔負けの接客対応をこなし、お客さんを席まで案内したり、水とおしぼりを運んだり、注文を聞いたりしている。
「――おまたせいたしました。オレンジジュースと、パンケーキ~季節のフルーツソース添え~でございます。伝票は、こちらに失礼しますね!」
緑依風が笑顔で対応すると、パンケーキを注文した客は礼を言い、ナイフとフォークを持って食べ始めた。
「あ~美味しいっ!土日は木の葉いつも人いっぱいだから、有給使って来てよかった~!」
「こっちのピスタチオのムースのケーキも最高~!夏休みシーズン前に来て正解だったね!」
緑依風は少し離れたところから、幸せそうにケーキを頬張る女性客二人を見て、クスっと笑った。
お客さんが、美味しそうにケーキを食べる顔を見ていると、早く自分もこの店を継いで、父のようにケーキやスイーツでいろんな人を笑顔にしたいという気持ちが強くなる。
パティシエールになって厨房に立つことが増えると、こうして客の反応を見れる機会は減るだろう。
だからこそ、今はこうしてホールの手伝いをすることで、このお客さんの反応を目の裏まで焼き付けて、夢への思いを高めたい――。
緑依風はそんなことを思いながら、次に用意されたケーキとドリンクを運び始めた。
*
今日の手伝いはお昼までなので、緑依風は手伝いを終えたら、久しぶりにお菓子作りをしようと計画している。
母の葉子の期待に応えるために、テスト前からテスト期間中は、お菓子作りも手伝いも我慢していた。
その分、終わったら好きなことを楽しもうと、昨日は学校から帰る途中で材料を買いに行き、自宅の調理室の冷蔵庫に入れておいた。
「(上手くできたら、また風麻に食べてもらおうかな?)」
緑依風がそう思っていると、カランカラン――と、店のドアにつけてあるベルが軽やかに鳴り響く。
「いらっしゃいま――……?」
緑依風がドアまでお客さんを出迎えると、真夏だというのに、真っ黒のコートを身に纏い、真っ黒の帽子、サングラス、マスクを着用した人が立っていた。
「…………」
「お、お一人様でしょうか……?」
不気味な雰囲気の客に、緑依風は怖れる気持ちを抑えながら、失礼の無いように笑顔を作る。
「――ぷっ、くくくっ……!あははははっ!」
しばらくだんまりだった怪しい客は、突然お腹を押さえて笑い始める。
緑依風はその声を聞いて、この客の正体を察した。
「あー!桜でしょ!」
「せいかーい!!驚いた〜?」
サングラスと帽子を取って正体を明かしたのは、小学校からの友達、香山桜だった。
「あ〜暑かった!!汗びしょだよ〜……」
「もう〜、変な人かと思ったよ。なんでこの暑い日にそんな格好を……」
「驚かせるために決まってるじゃん?」
桜は「当たり前でしょ」という顔でコートを脱いだ。
「――で、何しに来たの?」
「ケーキ食べに来た!」
桜は汗を拭きながら言った。
「本当に一人で?」
「うん、最後だしね……」
緑依風は桜の言葉が気になったが、桜は椅子に座ってメニューを取り出し、ふんふんと鼻歌を歌っている。
「――三種のベリータルトと、チョコレートオレンジと、チーズケーキと、ショートケーキと……あとアイスティーちょうだい!」
「はいはい……って、そんなに食べれんの?お金あるの!?」
緑依風がメモを取りながら驚くと、「あるある!お金はたくさんもらいましたから!」と、桜はお財布を取り出し、自信満々に言った。
*
――しばらくして、緑依風が後ろを振り返ると、桜は運ばれてきたケーキを、モグモグと頬を押さえながら食べていた。
「美味しそうに食べてくれるね」
緑依風が、お冷やを継ぎ足しながら声をかけた。
「だ~って美味しいもん、木の葉のケーキ!宇宙一!!」
三個目のケーキにフォークを刺しながら桜は言った。
「はぁ……。こんなにおいしいケーキを、もうすぐ食べれなくなるなんてね〜……」
「え?」
緑依風は、小さくため息をついて言う桜の顔を見た。
「……あのね、私引っ越すんだ」
桜が緑依風の顔を見上げながら言った。
「引っ越す……?どこに?」
「香川。お父さんの実家にね。関東からは遠いから、なかなか遊びにこれないし」
「それで……来てくれたの?」
「そう!こっちにいる間に行きたいところ行っておいでって、お小遣いたくさんもらったの!それで、木の葉のケーキ食べ収めにきたんだ!」
桜は一度止まっていたフォークを再び動かし、パクリとケーキを頬張った。
「残念だなー……。緑依風を驚かして遊ぶのもできなくなるし~!」
「驚かすのはいいって。……でも、桜がいなくなるの寂しいな」
突然告げられた、別れの
しかも、引っ越し先は遠い地方……。
桜の言う通り、簡単に会える距離ではない。
緑依風は、お冷の入った透明なポットをキュッと握った。
「あはっ!寂しがってくれて嬉しいや!!小学校からの友達だもんね!」
「星華にも話したの?」
緑依風が、桜が一番仲の良い友達――星華の名前を出すと、桜はフォークを握ったまま固まった。
「…………」
「……話してないの?」
「……さっき、ケンカした!」
「ケンカ〜?」
緑依風が怪訝な顔で聞くと、桜は「そ!」と短く返事をした。
「私がいなくても星華には新しい友達いるし、全然大丈夫でしょー!って言ったら、「さっさとどっかいけば!」……だって」
「どういう流れでそうなったかはわからないけど、そりゃその言い方じゃ星華怒るよ」
緑依風が呆れながら腰に手を当てると、「でも、本当だし?」と、笑い混じりに桜は言った。
「……星華のこと、頼むね緑依風」
サラッと軽い口調で言う桜だが、その目は涙を堪えている。
「――さて、食べ終わったし、お会計して今度は、春ヶ崎に限定版CDでも買いに行くかな?向こうじゃCD屋さん近くに無いから、今のうちに」
桜が伝票を持って椅子から立ち上がり、レジに向かおうとすると、「桜っ!」と、緑依風は彼女を呼び止めた。
「――あのさっ!私、もうすぐ手伝い終わるの。家帰ったらケーキ作るんだけど、桜も一緒に作らない……?」
「……爆発するケーキ?」
桜がニヤ〜っと笑って聞いた。
「爆発はさせないからね」
緑依風は少し引き攣った顔で否定した。
*
――場所は変わって、松山邸。
この家には、家族の食事を作るキッチンとは別に、緑依風の父、北斗が新しいケーキを試作するために作った、調理室がある。
オーブン、コンロ、冷蔵庫なども全てプロが使うものなので、北斗は自分の仕事が休みでも、店と同じ調理機材を使って、日々美味しいスイーツの研究をしている。
緑依風と桜は、それぞれエプロンを身に着け、手を洗った。
「――ところで緑依風、何作るの?レモンあるけど、まさかレモンのはちみつ漬けでも作って、坂下に持って行く気?」
「そんな、ひと昔前の漫画のマネージャーみたいなことしないし……」
「坂下に持って行くことは否定しないんだ?」
「うっ……」
図星を突かれた緑依風は、少し頬を染めながら使う器材を取り出した。
「――えっと……レモンタルトを作るよ!」
「おおっ!レモンタルト?おいしそ〜う〜!」
桜が両頬を抑えて言った。
材料の計量を終えると、二人はお菓子作りを開始する。
緑依風は、オレンジジュースとレモン果汁を使ってゼリーを作る工程を桜に教えると、一晩寝かせたタルト生地を冷蔵庫から取り出して、薄く大きく伸ばし始めた。
「ゼラチンって、もう入れて大丈夫?」
「うん、入れて混ぜてくれる。……ねぇ、いつ引っ越すの?」
「とりあえず、お盆辺りには香川かなー。おじいちゃんが寝たきりになっちゃって、お父さんが実家を継ぐんだってさ。まぁ、元々継ぐ予定ではあったけど、思ったよりだいぶ早くなったって言ってた」
「そうなんだ……」
桜はゼラチンと混ぜたオレンジジュースをパットに移すと、今度はレモンゼリーを作り始めた。
「実家か……」
生地を伸ばし終えた緑依風は、ため息交じりに言った。
「どうしたの?」
「……うちのお父さんはさ、親の反対を押し切って菓子職人の道を目指したんだ」
「え、そうだったんだ!?」
「だから私、お父さんの方のおじいちゃん、おばあちゃんとは、会ったことないんだよね……」
緑依風はそう言って、小さなタルトの型に生地をはめた。
「つまり――絶縁ってこと?」
「まぁ、ほぼね。最後に会ったのは結婚式だって言ってたし、私が生まれた時は一応連絡はしたらしいけど、会いに来ることは無かったってさ」
「意外と複雑な家庭なんだね〜」
緑依風は、写真でしか父方の祖父母の顔を見たことが無い。
父から話を聞いたところ、とても厳しく頑固なイメージだが、それでも緑依風はいつか父と祖父母が和解して欲しいと願っている。
「ところでさ……なんでタルト作るのにゼリーも作るの?」
レモンゼリーの材料も混ぜ終えた桜が、緑依風に聞いた。
「冷やして固めたら飾りに使うんだよ!……ほら、これで後で型抜き。そっち冷蔵庫に入れたら、切れ端のタルト生地も集めて伸ばして、星型のクッキー作るよ」
「星型?」
桜は、お星様の形をした型抜きを手にしながら首を傾げる。
「星華と仲直りするよ。このままじゃ、二人とも後悔するでしょ?」
「なるほどね〜。それで呼んだのか」
「仲直りしたくないの?」
生地をもう一度冷やすため、タルト型を冷蔵庫に入れながら緑依風が聞いた。
桜は、少しだけ口を小さくすぼめると、むぅ……と顔をしかめる。
「……する。するよ、仲直り」
「でしょ?」
余った生地を集めてこね直し、平らに伸ばすと、緑依風と桜は型抜きを始めた。
「――ねぇ、緑依風。なんで私が、星華にあんなこと言ったか、聞いてくれない?」
桜は型抜きをしながら、緑依風の顔を見ずに言った。
「うん、いいよ」
「私さ、中学に入ってからヤキモチ妬いてたんだよ。緑依風と、二人の新しい友達に……」
緑依風は型抜きのスピードを少し落として、桜の話を聞き入った。
「――中学生になって、星華とクラス分かれて……。星華にも新しい友達できたし、私も新しい友達できたけど……。――でもやっぱり、星華が一番大事な友達って思ってたから……」
「寂しかったの?」
「すこーし!少しだけね!」
桜が指と指の隙間をちょびっとだけ空けて表現した。
「前は同じクラスで毎日話してたのに……。今じゃ、部活と休みの日しかまともに話せなくて……。小学校に戻りたいって……何度も思ったなぁ……っ!」
平然を装おうとしているよう桜だが、その声は震えている。
「――これ以上寂しくなるの嫌でさっ……!でも、星華に『寂しい』なんて話したら、余計に寂しくなりそうで、あんなこと……言っちゃったよ。あーあ……」
桜は「はぁっ…」と息を吐くと、少し上を向いて鼻をすすった。
緑依風は、腕で目を軽く擦る桜に「はい」と言って、そばにあったキッチンペーパーを渡した。
「あぁ~!もう困ったな!星華にあげるんだったら、鼻水も隠し味として入れちゃおうかな!」
まつ毛を濡らしながら笑顔を作る桜は、キッチンペーパーで鼻をかんだ。
「ちょっと〜……。風麻にもあげるんだか――……あっ!」
うっかりした緑依風が自分の発言に気付くと、桜は鼻を押さえたまま、目で笑っている。
「あはははは!わ〜かってる、入れない入れない!手洗おう!」
「も〜!泣くんだか笑うんだかどっちかにしなよね!」
緑依風はそう呆れつつも、少し元気を取り戻した桜に安心し、微笑んでいた。
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