第55話 バレー部の内緒話


 月曜日。

 爽太が登校すると、教室にはすでに緑依風と風麻、相楽姉妹と星華が、緑依風の机の周りに集まりながら、楽しげに談話していた。


「あ、おはよう爽ちゃん!」

 爽太に気付いた亜梨明が、夏の日差しに負けないくらいの、明るい笑顔で手を振った。


「おはよう」

「爽ちゃん聞いたよ~。土曜日、練習中に足つったって……」

「えっ?」

 爽太がやや驚いて首を傾げると、風麻が「だよなっ!?」と、慌てた様子で爽太の顔を見た。


 爽太は、自分が風麻に倒れたことを内緒にして欲しいと、話したことを思い出すと、必死な形相で訴えかける風麻に合わせて「うん」と、頷いた。


「バザーの帰りに坂下くんに運ばれてるの見て、すっごく焦ったんだけど、大したことじゃないって聞いてホッとしたよ~」

「あぁ……そうなんだ。かっこ悪い所見せちゃったね」

 爽太は困ったような笑顔で、亜梨明に言った。


「――そうだ風麻、あと相楽さんも……バレー部のことで少し話があるから、ちょっと廊下にいいかな?」

「えっ?あ、あぁ~……そうだな!部のことは部員にしかわからねぇもんな!」

 爽太の誘いに風麻はぎこちない返事をしながら、奏音と共に爽太について行った。


 *


「悪ぃ!誤魔化しの内容伝えんの忘れてたーっ!!」

 風麻は爽太に両手を合わせて謝罪した。


「まったく、足つったなんて初耳だったよ……。内緒にってしか聞いてないもん」

 奏音はジトっとした目で風麻に言った。


「相楽姉と緑依風に見られてたなんて思わなかったし、咄嗟の嘘だったから、俺もそこまで頭が回らなくて……」

「えっと……それはびっくりしたけどもういいんだ。ただ、この間のこともう一回謝りたくて……青木さんにも」

「立花には私から伝えておく。……それより、もう大丈夫?」

 奏音が聞くと、爽太は「おかげさまで」と答えた。


「あれからしっかり休んだし、今日も部活出るよ」

「今度はちゃーんと、水分補給しなよね!自主練も次からはこまめに休憩するように!」

 奏音は、爽太に詰め寄りながら、語尾を強めて釘を刺した。


「はい、肝に銘じます」

 爽太がわざとらしくペコリとお辞儀をすると、窓の向こうで亜梨明が何やらソワソワしながら、こちらを見ていた。


「あ~、話の内容気になってる」

 奏音は双子の姉の様子に気付くと、クスクス笑って一足先に教室に戻っていった。


 ドアが開いた瞬間、教室のひんやりした冷気が、爽太の半袖シャツから露出した腕に触れる。


「僕達も戻ろうか――?」

 爽太は、背後から風麻に手首を掴まれ、彼の方向へと振り返る。


「……なぁ、しつこいようだけどさ」

「何が?」

「本当に……本当に、大丈夫なんだよな?」

「…………」

 風麻は、爽太の手首を握る手に力を込めると、ゆっくりと彼の顔を見上げた。


 わかっている。心の底から心配してくれているのだと。

 それでも何故か、胸がチクチクと痛んで、悲しくなる。

 強い人になりたい爽太には、その優しさが弱点を攻撃する棘や針のように感じてしまう――。


「ありがとう……」

 爽太は静かな声で言った。


「でも、本当に大丈夫!治ってるし、この間のはたまたまだよ。嘘じゃない!」

 本心では「やめてよ」と、思っていても、笑顔を作ってやり過ごす――。

 何度も使ってきた技だ。


「……そっか、ならいいんだ!悪かったな」

 風麻はそう言うと、爽太の後をついて、共に教室に入った。


「――あ、おかえりなさい!二人だけ遅かったね!」

 亜梨明は、爽太と風麻の顔を交互に見ながら、にこやかな表情で迎えた。


「部活の話をわざわざ廊下でやる意味あったのぉ~?」

 星華が疑うように聞くと、「他の部にはナイショなのっ!」と、奏音がキッパリ言った。


「え~っ、いいなバレー部!なんかかっこいい!」

 亜梨明は、奏音の話を信じて、羨ましそうに笑っている。

 爽太のチクチクと痛む心が、亜梨明の純粋無垢な笑顔にふわりと癒された。


 *


 ――夕方、五時三十分。

 明日から期末テスト一週間前になるので、今日の部活動を区切りに、全ての部活はテストが終わるまで休みとなる。


 練習メニューは、そのことも踏まえてか、普段よりも厳しいメニューとなっており、爽太の疲労もいつもより増していた。


 試合形式の練習は、夏の大会を控える二、三年生中心のもので、一年生はボール拾いがメインだったが、体力作りのトレーニングや、レシーブ強化などの練習は、一年生であろうと、先輩達と同じものだった。


「一年生でも、勝つために必要だと思えば、試合に出れるチャンスはある!」

 竹田先生はそう鼓舞しながら、一年生のやる気を引き出していたが、今年の一年生には、小学校からバレー経験のある部員はなく、公式試合で通用する技術のある者はいないため、可能性は低い。


 風麻は、最初こそ「だりぃ~」と小声でぼやいていたものの、竹田先生の話を聴いた途端、スイッチが入ったようにやる気を出し、今日は一年生の中で一番真剣に練習に取り組んでいた。


 技術は未熟でも、元々身体能力が高いせいだろう。

 レシーブの練習では、取るのが難しいボールにも、ギリギリまで食いついて追いかけ、ボールに触れていた。


「はぁ~……今日もあちかった。アイスでも買いにコンビニ寄らねぇ?」

 着替え終え、校門を出たところで、風麻が言った。


「晩御飯前だし、僕はいいや」

 爽太が断ると、後ろから「おーい!」と、誰かが二人を呼び止めた。


「よっ!バレー部も今帰り?」

 真夏の太陽で肌がこんがりと焼けた直希が、ニカニカと弾ける笑顔をたたえて、爽太と風麻に声を掛けた。


「おう、野球部も終わったんだな」

「今日はテスト前の部活だからって、監督が気合入っちゃってさ~」

「うちもだ。おかげで腹ペコ」

 風麻がお腹をさすりながら言うと、「コンビニ行くけど、一緒に行くか?」と、直希が誘った。


「あ……じゃあ、僕は先に帰るよ。風麻はコンビニに行きたかったんだって」

「ふ~ん……じゃあ、風麻一緒に行こうぜ!」

「よっし!……――あ、ちょっと待って」

 風麻は鞄から財布を取り出し、その中身を覗き込むと、途端にウキウキした表情から一変して、渋い顔になった。


「……直希、割り勘でポピコ半分しねぇ?」

「お前、また金欠かよ~!」

 直希はケラケラと笑って、風麻の腕を肘で突いた。


 *


 爽太が家に到着すると、台所から晩御飯の良い匂いが、玄関まで漂っていた。


「ただいま」

「お兄ちゃん、おかえりー!もうご飯できるって!」

 出迎えたひなたにそう伝えられると、爽太は着替えのために、一度部屋に向かう。


 ――ガチャっと、ドアを開けた爽太は、鞄を床に置くと、制服のネクタイを緩めながら、ベッドに座り込んだ。


「ご飯より、寝てたい……」

 そう呟きながら、ぽすっとそのままベッドに倒れ込む。


 柔らかな羽毛の掛布団に沈み込み、軽く埋もれるようになると、もう起き上がる力は出ない。

 クタクタに疲れ切った爽太の体は、ベッドに吸い寄せられるようにくっつき、脱力していく――。


 そして、意識はすぅーっと遠くへ、遠くへと引っ張られていった。


 *


 ゆらり、ゆらりと揺れる景色。

 霧に包まれたようにぼやけた世界だが、爽太は見覚えのある光景に、ここはどこなのかと考える。


 ふと、横に気配を感じて振り向くと、直希が自分と一緒に階段を上っている。

 隣にいる直希の姿は、先程部活の帰りに会った時よりも幼いが、自分の目線よりも大きく見える。


 よく目を凝らすと、ここは爽太の母校、冬丘小学校だ。


 爽太は、これは小学生の時の夢なのだとようやく理解した。

 懐かしい友の姿に、嬉しい気持ちになりつつも、爽太は夢の始まりからずっと違和感のある体を、不快に思っていた。


 気持ち悪い――それに、なんだか息が上がる……。


 爽太が、そう思いながら階段を上っていた時だった――。

 ドクンッ――!と、突然、心臓が大きく動き始め、胸の奥に鈍い痛みを感じた。


「うっ……ぐぅっ!」

 心臓が破裂してしまうのではないかと思うくらいの鋭い痛みに、爽太はその場に倒れ込む。


「ぁっ……そ、爽太っ、爽太……っ!!誰かっ――!誰か先生呼んでくれ!!はやくっ――!!」

 直希が爽太を揺さぶりながら、泣くような声で何度も呼ぶが、爽太は返事すらできない。


 発作の苦しみに耐えきれず、目を閉じると、爽太の視界は暗転し、直希の必死の呼びかけも聞き取れなくなってくる。


 ――……ゃん、おに……ちゃん!

 直希の声が完全に聞こえなくなると、今度は小さな女の子の声が、暗い空から降り注ぐ――。


「お兄ちゃんっ!」

「――――!」

 ハッと爽太が目を覚ますと、ふくれっ面をしたひなたが、爽太の顔を覗いていた。


「ひ、な……?」

「ご飯もうすぐできるって言ったのに、全然下りて来ないから呼びに来たら寝てるし!」

 ひなたはプンスコと怒りながら、爽太の頬をペチペチと叩いた。


「も~、お腹すいたよぉ~!今日はお母さんに、おやつちょっとしか食べさせてもらってないんだもん!」

 ひなたは、空腹のせいで余計に気が立っていたようで、「今度寝てたら、お兄ちゃんのご飯もらっちゃうからね!」と言って、爽太の部屋を出て行った。


「…………」

 爽太は、当時の発作の痛みを忠実に再現したような感覚の余韻に、そっと右手を胸に添えて、心臓の動きを確かめた。


「(あれは夢だ――。昔の……もう、今の僕には関係ない夢……)」

 ――のはずなのに、まるで芯が残るように、真ん中の奥底が痛い。


「………っ!」

 グシャリと、その痛みを潰す気持ちで、爽太はシャツを強く握る。


「(夢如きでぐらつくのは、まだ弱い証拠だ!――直希や先生みたいになるためには、こんなことくらいで崩れちゃいけない!)」

 爽太は自分を奮い立たせると、制服から部屋着へと着替えはじめた。


 強くなきゃ、強くならなきゃ――!

 弱い自分と決別するために……なりたい自分になるために!

 今はまだ彼らの真似事しかできないけど、でもきっといつか――僕だって、二人みたいな人になってみせる……!

 

「お兄ちゃーん!ま~だ~?」

「ごめん、もう行くよ!」

 着替えが終わった爽太は、ひなたの声に返事をしながら、家族の待つ食卓へと急いだ。


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