第51話 自主練習


 十二時になると、男子バレー部、女子バレー部共に本日の部活動が終了した。


「風麻、この後時間ある?」

 他の部員達と一緒に更衣室に向かおうとする風麻に、爽太が声を掛けた。


「予定も無いし、あるっちゃあるけど?」

「クイックとブロード……もう少し練習したくてさ、付き合ってくれない?」

「おうっ!俺も、トスの高さ安定させたいからちょうどいいや!やろうぜ!」

 風麻は快く承諾し、爽太と共に自主練をすることにした。


 *


 竹田先生に体育館の鍵を借りた爽太と風麻は、一度片付けたボールを再び取り出し、二人だけの練習を始める。


 ――キュッキュッと、バレーシューズがフローリングを擦る音と、ボールが床を叩く音が鳴る。


「あれ、二人とも自主練?」

 帰り支度をして更衣室から出てきた奏音が、立花と共にやってきた。


「うん、さっき負けて悔しくてさ」

 爽太がボールをバウンドさせながら言った。


「手伝おうか?」

「いいのか?」

 風麻が聞くと、奏音は「もちろん!」と頷いて鞄を床に置き、頬に当たる横髪を耳にかけた。


「私ボール投げやる。立花ボール拾いしてくれる?」

「任せてー!」

 奏音に頼まれた立花も、床に鞄を置くと、下の方で結わえているツインテールを結び直し、やる気を出して彼らの練習に参加する。


「――じゃ、行くよ~!」

「よしっ、頼む!」

 奏音がボールを投げると、風麻が素早いトスを上げる――。


「爽太っ!」

「…………っ!」

 助走をつけた爽太が、風麻が上げたボールを反対側のコートめがけて打ち落とす。


 ――トンッ……。


 一瞬上手くいったような気がしたが、ボールは大きな曲線を描き、コートの外側に軽い音を立てて落ちた。

 これが試合ならば、相手側の得点になってしまう。


 威力も乏しい。

 爽太と同じポジションの先輩が打つボールの音とは、似ても似つかぬ弱いボールだ。


 爽太も風麻も原因はすぐわかった。

 タイミングが合っていない。


「低かったな……悪い」

「いや……僕ももう少し早く踏み込むよ」


 二回目は成功。

 三回目は、風麻がトスを飛ばしすぎて、ボールは爽太の上を通過していった。

 四回目と五回目は爽太がミスをして失敗に終わった。


 もう一回、もう一回――!と、爽太は風麻と奏音に次のボールを求める。

 飛ぶたびに、足や腰が重くなる――息が上がる。

 汗が流れて目に染みるし、体もどんどん火照っていく……。


 それでも、下手なままでは嫌だ――上手くなりたい。

 そう思うのは爽太だけでなく、風麻も同じだった。


 *


 ――自主練を始めて四十分経過した。

 正午を過ぎて、気温はますます上昇し、若くて元気いっぱいの中学生といえど、さすがに堪える……。

 ましてや、この蒸し暑い環境で長時間運動を続けているのだから、なおのことだ。


「……ちょっと休憩しない?」

 立花が拾ったボールをカゴに入れながら聞いた。


 爽太は、額から落ちる汗をシャツの袖で拭き、奏音もシャツの襟元を伸ばし、「あつい……」と言いながら顔を拭く。

 

「……いや、もう少しやってからにするよ。風麻、まだいける?」

「いけるけど、お前ずっと飛びっぱなしじゃん……一回水分補給しようぜ」

「……僕は平気。あと少しで感覚が掴めそうなんだ……お願い!」

 今練習をやめたら、掴みかけた感覚を全て逃しそうな気がした爽太は、手を合わせて三人に頼んだ。


「……じゃあ、あと五分!練習続けるにしても、一回休憩挟むよ!」

 奏音が手のひらを前に出して爽太に言った。


「みんな、無理言ってごめん。ありがとう……」

 爽太は三人にお礼を言った。


「いいって!相手が二年でも負けるのは悔しいもんな!」

「うん、次は勝つ!」

 爽太が少し強気な表情で宣言すると、奏音と立花は「やれやれ」と思いながらも、向上心の強い男子二人にクスッと笑った。


「(やるからには、何事も――勝つつもりでやるんだ!)」

 爽太はそう心の中で呟くと、奏音が風麻にボールを投げるのを待った。


 元々爽太は、負けず嫌いな性格だった。

 バレーボールや体育のバスケットはもちろん、成績やほんのちょっとしたことも。


 言葉にしたことは無いが、中間テストでは緑依風に僅差で学年一位を譲ってしまって以来、彼女にはひそかにライバル心を燃やしている。


 負けること以外にも、弱い者扱いされることも嫌いだ。


 爽太の過去を知った人の中には、いくら治ったと説明しても、彼を過剰に心配して気遣う者もいれば、哀れむような目で見てくる人もいる。

 いつまで経っても可哀相な子として扱われる――。


 だから爽太は、自分の病歴についても、隠すことはしていないし、聞かれれば答えるが、自分から他人に語ることは滅多に無い。


 病院という、大人に囲まれる環境にいることが多かったせいもあり、笑って上手く交わす術を覚えたが、それでも内心は悔しくて屈辱的な気持ちだった。


 強くなりたい、強くなりたい――。

 体も、心も、何もかも。


 そう願う爽太は、なりたい自分になるために常に努力を怠らず、自分を追い込み、己に厳しい少年へとなってしまった。


 その厳しさは、自分の体が悲鳴を上げ始めていることにも気付かない。


 *


 仕切り直しをして一回目は、爽太が踏み込みを失敗してネットにぶつかりそうになる。

 二回目と三回目は風麻のトスが乱れた。


「風麻っ、もう一回!」

「おう、次はちゃんと上げる!」


 四回目――二人はバチっと目を合わせ、これまで以上に集中力を上げて、互いの呼吸を合わせるように意識した。


 奏音がボールをふわりと投げると、そのボールの速度に合わせて爽太が助走を始める。


「爽太、行けっ!」

「っ!」

 床を踏み込み、ジャンプした爽太の右手を狙って、風麻が素早くトスを上げた。


 ダンッ――!!


 これまでの中で一番いいクイックが決まる。

 ボールの威力も、落ちる場所も、今までで一番の出来だった。


「やった!」

「よっしゃー!決まった~っ!!」

 爽太と風麻は、グッと拳を握ってガッツポーズした。


 奏音と立花も「おぉ~っ!」と、歓声を上げて喜んでいる。


 残り時間は一分弱。

 爽太の何度目かわからない「もう一回」の声に、奏音と風麻はコクリと頷く。


 ――五回目、再び成功する。


「はい、休憩~!!」

 時計を見た奏音が、パンパンと手を叩いた。


「あーつーいー……ボール拾うのも疲れたー!!」

 立花は終了を告げられたと同時に、だらりと床に寝転がった。


「みんなありがとう。付き合わせてごめんね」

 爽太は、べったりとした汗が流れる額を、手の甲で拭いながらお礼を言った。


「いいよいいよ。でもそろそろ帰らないと、親がお昼ご飯作って待ってるかも」

 奏音はもう一度時計を見ると、鞄からハンドタオルと麦茶の入った水筒を取り出した。


「悪かったな……あとは二人で練習やるから」

「うん、そうだね――……っ?」

 一瞬、爽太は視界の揺らぎに体をよろめかせた。


 風麻は喉がカラカラだったようで、スクイズボトルに入れてあるスポーツドリンクをガブガブと飲んでいる。


 立花も、「動きたくない~……」とひんやりしたフローリングに肌をくっつけていたが、奏音に起こされて汗を拭いている。


「おい爽太!」

 爽太が軽いめまいに目元を押さえていると、後ろから風麻が彼の名を呼んだ。


「ほら水分!練習再開する前にちゃんと補給しろよ!」

「うん、ありがとう!」

 風麻が、爽太のカバンの中にあったスクイズボトルをふわりと投げると、爽太はそれを上手くキャッチした。


 練習にすっかり夢中になり忘れていたが、爽太の喉もすっかり乾ききっていた。

 蓋を開けて、ぬるくなったスポーツドリンクを飲もうとした瞬間だった――。


 ゴトッ――と、床が鈍い音を立てた。


「爽太……?」

「え……?」

 音の鳴る方へ三人が振り向くと、床にボトルを落とした爽太が、手の形をそのままにして固まっている姿が見えた。


 爽太はそのまま口元を押さえ込むと、唖然としている三人に何も言わずに、水道へと走っていった。


 *


「うっ……!げほっ、げほげほっ……!」

「――爽太っ!!」

 風麻が爽太を追いかけると、彼は水道の蛇口を捻った直後、空っぽの胃の中から僅かな胃液を吐いた。


「大丈夫かっ!?」

 風麻に背中をさすられながら、爽太は返事もできずに荒い呼吸を繰り返していた。


「……っぁ!」

 吐き気が治まれば、今度は動悸の症状が現れ、爽太は胸を押さえてその場にうずくまる。


 風麻は、心臓のある場所を押さえる、真っ白な顔の爽太を見て背筋を凍らせた。

 爽太は目をギュッと閉じたまま、「はっ、はぁっ……」と短く浅い息遣いのまま、立ち上がらない。


 奏音と共に追い付いて、爽太の様子を見た立花は、ただならぬその光景に血相を変えて「私っ、竹田先生呼んでくるっ!!」と、急いで職員室へと向かった。


 爽太はまだ苦しそうにしたまま、コンクリートの床に膝をついている。


「お、お前っ……治ったんじゃなかったのかよっ……!?」

 風麻は、爽太の細い体を掴みながら、声を裏返して問いかけた。


「やっぱり、本当は――……」

 風麻が声を震わせながら言いかけると、「なおってる……」と、ようやく爽太は声を発した。


「ひん、けつ……だと、おもう……っ」

 爽太は、弱い声で途切れ途切れにそう答えると、再び呼吸の音だけを出して黙ってしまった。


「脱水のせいもあるかも……。やっぱり、もっと早くに休憩させればよかった……」

 奏音は心配した顔で、水で濡らした爽太のハンドタオルを使い、彼の冷や汗を優しく拭きとった。


「――先生っ、こっち!」

「日下っ!」

 爽太は、立花に連れられてやって来た竹田先生に横抱きにして抱えられると、そのまま保健室へと運ばれていった。



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