第50話 過信


 亜梨明と緑依風が教会に向かう約二時間程前――。


 夏城中学校では、男子バレー部と女子バレー部が、蒸し暑い体育館を半分に分けて、練習に励んでいた。


 ポールを立て、ネットを張り終えた男子部員は、顧問の竹田先生の前に整列し、朝の挨拶をする。


「じゃあ、まずはランニング!今日はコート半分にしてるから、十周するぞ!」

「はいっ!」

 部員達の低くて張りのある声が、体育館に響く。


「……たまには、俺も走るかな。娘のために、いつまでも若いパパでいたいからなぁ~!……あっ、そういえば昨日――」

 竹田先生には、今年三歳になる娘がいる。

 部活中は厳しい言葉や、練習メニューを部員に与えることもある先生だが、練習が終わればユニークな冗談や、雑談などもしてくれる、面白い先生だ。


 唯一の欠点は、愛娘を溺愛しすぎており、その話が始まると、なかなか練習が進まないことだ。


 三年の先輩達は、そのことをわかりきっているので、先生が話を始める前に「はい、ランニング開始ーっ!」と、キャプテンが手をパンっと叩いて、後輩達を先導して走り始めた。


 男子バレー部がランニングを始めると、隣の女子バレー部もランニングが始まったようで、体育館の中にたくさんの足音が響く。


 女子バレー部顧問の波多野先生は、体力作りも楽しく行えるようにと、ランニング中も、ストレッチやトレーニングを行う時も、軽快な音楽を流すのが自分流のようで、今日の体育館はいつもより、やや賑やかだ。


 それでも、半分に仕切られた体育館を周って走る時は、狭い分走る回数が増え、しかも同じ景色を何度も見るので、走る距離はほぼ同じでも、体育館全体を走るより辛くなる。


 半周を過ぎると、部員達の表情が徐々に曇り始めてきた。


 *


「はぁっ、はぁっ……止まるな~!歩きながら息整えろよ~!」

 十周走り終えたキャプテンは、立ち止まりそうになる一年部員達に声を掛けながら、軽く腕を回して歩き続ける。


「……っふ、はぁっ、はぁっ……はっ……」

 その一年生の中では、爽太が他の部員よりも険しい顔をして、息を切らしていた。


 ――しんどい。

 肩を大きく上下させながら、呼吸を整える爽太の胸の中に、弱気な言葉が浮かびあがる。


 病気は治ってはいるものの、他の同い年の生徒に比べて運動経験が浅く、体力も少ない爽太は、長距離を走った後や、練習メニューが厳しい時は疲れやすい。


 それでも爽太は、「治ったのだから今までのように甘えるわけにはいかない」と、心に言い聞かせ、踏ん張りながら練習についていった。


 ――汗を拭き、脱水症状を防ぐために水分補給をする。

 竹田先生も、若者に負けないくらいの汗をかいたようで、眼鏡を外してゴシゴシと顔をこすっている。


「爽太、ストレッチやるぞ」

「……うん」

 ハンドタオルで流れる汗を拭いた爽太は、風麻と共に部員達が集まる円陣に入っていった。


 *


 暑い……。暑すぎる。

 梅雨特有の湿度の高さと、今日は風が少ないこともあって、まだ昼前なのに体育館の中はサウナ状態だ。


 腕を伸ばす動き、脚を伸ばす動きなどを繰り返し、ストレッチが終わると、次はサーブ練習だった。


 風麻も爽太も安全サーブはとっくに卒業し、上から打つフローターサーブ練習をしている。

 最初は、硬いバレーボールがなかなかコートの向こうまで飛ばず、苦戦していたが、今では飛びすぎてコースアウトするくらい上達した。


 一年生達はまだ技術が拙いが、サーブは得点につながる大事なものなので、精度を上げたいと皆思っていた。


 三年の先輩の中にはボールに回転を効かせたジャンプサーブをする者もいる。

 ボールを天高く放り投げ、助走を付けて飛ぶ――。


 ズダンッ!!――と、ボールが床を叩きつける音が鳴り響く。


「ジャンプサーブかっこいいよなー!俺もやりてー!」

 風麻が尊敬の眼差しで先輩を見ていた。

 反対側のコートにいる一年部員は、その威力の高さに恐れおののいている。


 羨ましそうな顔で、練習を続ける風麻の横で、爽太はその様子をにっこり微笑みながら見ていた。


 *


「さーかしたっ!」

 サーブ練習が終わり、休憩時間が入ると、男子より早めに休憩になった女子バレー部のコートから、奏音と立花が風麻を呼んだ。


「よっ、お疲れさん!」

「サーブ上手くなったね坂下」

 奏音が言うと「サンキュー!」と、風麻はタオルで首元を拭きながら言った。


「今日、緑依風と相楽姉は教会に行ったんだよな?」

「そうそう、晶子の歌聴きに行くんだって!」

「いいなぁ〜……。こんな暑い日に練習するのはしんどいよー……」

 暑いのが大の苦手な立花は、濡れた前髪を払いながら緑依風達を羨ましく思った。


「あれっ、日下は?」

 奏音が辺りを見回すと、爽太は他の部員から離れた場所で、スポーツドリンクを飲んでいた。


「爽太ー!」

 呼ばれた爽太はタオルだけ持って、風麻の元へとやって来た。


「何?」

「いや、特に用はないけどみんなで話しててさ。……お前、なんか顔色悪いぞ?」

「え?」

 風麻が指摘した通り、爽太の顔が少し青ざめている。


「ホントだ、大丈夫?」

 立花も心配して爽太に聞いた。


「うん……ちょっと暑くてバテてるかな」

 爽太がへらりと笑うと、「確かに……」と、一同は頷いた。


「水分は摂ってるから大丈夫だと思うけど、暑くてぼんやりして……」

「あまり体調優れないなら、早退した方がいいんじゃない?」

 奏音が自身のこめかみを伝う汗を、袖で拭いながら言う。


「ありがとう。でも、本当に暑いだけだから大丈夫だよ」

 爽太が礼を述べると、ピーッ!と、波多野先生のホイッスルが鳴る。


「練習再開するよー!」

「あ、戻らなきゃ!じゃね!」

 立花と奏音は、小走りしながら波多野先生の元へ向かった。


「しっかし……本当にあちぃな今日は……」

「外の方が涼しいよね……」

 爽太と風麻は、二人で小窓の下に座り込むと、パタパタとシャツの襟元を開けて空気を入れた――が、ぬるくて重い空気を服の下に入れても、あまり変わらない気がしてうなだれた。


 *


 休憩が終わると、今日は複数のチームに分かれて、ゲーム形式の練習をすると竹田先生が言った。


 爽太と風麻は二年生の第二チームの先輩と混ざったチームで、相手は一年のみで構成されたチームだ。


 結果は、風麻達のチームが勝利した。

 もちろん、得点への貢献は殆ど二年の先輩のおかげだった。


「坂下、バックトスだいぶ上手くなったな!」

 先輩が風麻を褒めた。


「ありがとうございます!」

「あと、高さもう少し安定すると打ちやすいかな」

「はい!」

 先輩に褒めてもらった風麻は、無邪気な子犬のように、嬉しそうな笑顔で返事をした。


「日下もまだクイック焦り気味な気はするけど、ブロックの安定感出たよ。腕にもう少し力入れると、もっといいと思う」

「はい。次から意識します!」

 爽太は小さくお辞儀をしながら、先輩のアドバイスに感謝した。


「へへっ、褒められちゃったな!」

「うん!」

 練習の成果が少しずつ出ていることに嬉しくなった二人は、目を合わせて笑った。


 *


 第三試合が始まると気温はさらに上昇した。

 この後、爽太と風麻は一年だけのチームに入り、先程まで同じチームだった二年生の先輩と戦う。


 気の知れた一年だけのチームは、戦力的には弱くとも、一番やりやすいメンバーだ。


「先輩に勝つつもりでやるぞ!」

 円陣を組んで風麻は声をあげた。


 第一セットは取れた。

 しかし、第二セットはあっさり奪われ、第三セットは相手のミスの連発で追い詰めたもののデュースの末、敗北する。


 やっぱり第二チームとはいえ、こなして来た練習の量が違う先輩に、そう簡単には勝てなかった。


「だーっ!くそっ、勝てるかもって思ったのにっ!」

「…………」

 爽太も勝てると予感していたが故に、自分のミスを悔いていた。

 助走が足りず、思うように飛べなかったり、せっかく風麻がいいトスをくれたのに、反応に遅れて台無しにしてしまった。


「負けたけどいい試合だったよ」

 髪をクシャクシャにしながら悔しがる風麻に、竹田先生が近付いて来た。


「でも、後半余裕が無くなって、トスが低くなってるの気付いたかな?」

「あ……気付きませんでした」

 風麻がハッとした顔で言った。


「周りを冷静に見れるようになると、また少し違う流れになるかもね」

「はい」

「日下は、自分の反省部分はわかってるかな?」

「はい……」

「次に生かせばいい」

「……はい、すみません」

 竹田先生は、二人の頭を大きな手でワシャっとひと撫ですると、「次の試合やるぞ!」と言って、メンバーを入れ替えを告げた。


「調子に乗ったかな」

 風麻が呟いた。


「僕も……」

 爽太も小声でそう言うと、風麻は爽太の背中を軽くポンっと叩き、「頑張ろうぜ!」と白い歯を見せた。


「うん、次は負けない!」

 爽太は風麻のその笑い方に、どこか直希の面影を重ねるのだった。


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