第49話 水晶


 土曜日――。

 夏城町と春ヶ崎町の間の区域にある、石造りの教会では、チャリティーバザーマーケットが開かれていた。


 重厚かつ美しいこの教会は、一歩足を踏み入れると、まるで中世に建てられたヨーロッパの教会を訪れたような錯覚を覚える。


 晶子に招かれた亜梨明と緑依風は、教会の入り口にたどり着くと、様々な人々に賑わう広場をくるっと見渡した。


「なんかいい匂いする~!」

 じゅうじゅうと何かが焼ける音と共に、香ばしい香りが亜梨明の鼻を掠める。


「うん、お腹すいちゃうね!」

 時刻は午後十一時半。

 緑依風も軽くおへその辺りを撫でながら、匂いのする方向に自然と足が進んだ。


 テントが張られた屋台では、焼きそば、たこ焼き、クレープなど、様々な食べ物屋さんが並んでいた。


「どれから食べる?」

 緑依風に聞かれると、亜梨明は「迷っちゃう~!」と遠くに見える屋台を眺めて悩んでいる。


「お嬢ちゃん達。食べ物の前に、こっちもどう?」

 少しふっくらした体型のおばさんが、シートの上にいろんな雑貨や洋服を並べて、亜梨明と緑依風に声を掛けた。


「どれも安いよ~!」

「わっ、ホントだ~!このブローチ七十円だって!」

 亜梨明は小鳥の形をしたブローチを手に取ると、後ろに立つ緑依風に見せた。


「ハンカチも八十円だし、こっちのシャツも七百円だ~!」

「亜梨明ちゃんって、バザー初めて?」

「うん!バザーってこんなに安いの!?」

 亜梨明が興奮したように尋ねると、おばさんは「ほっほっほ」と、微笑ましそうに笑った。


「これは、使わなくなったものや、手作りだから安いのよ。今日、この教会で売られている小物や服はみーんな安いよ。お嬢ちゃんのお小遣いでも、たくさんお買い物ができるわ」

 おばさんに説明されると、亜梨明は他の商品も眺めて、どれを買おうか選んでいる。


「――あっ、これ綺麗!宝石?でも百円?」

「それはね、水晶だよ」

「水晶!?」

 亜梨明が手に取った水晶は、長さ四センチ程の小さな物だが、無色透明のその美しさに、亜梨明は「わぁ~」と声を上げながら、空に透かしている。


「亜梨明ちゃん、それ買うの?」

「うん、これくださいっ!」

「はい、ありがとう~!」

 おばさんは亜梨明からお金をもらうと、小さな水晶を亜梨明の手のひらに乗せた。


 *


「次はどこに行こうかな~……あ、晶子発見!」

 亜梨明と緑依風は、焼き菓子や飲み物を販売している屋台に近付いた。


「あ、二人ともいらっしゃいませ!」

 大人に混ざって焼き菓子の販売を行う晶子は、二人に「どれも手作りですよ~!」と言った。


「晶子ちゃん、歌だけじゃなくてお店もやってるの?」

「はい、コンサートまでは時間がありますから。良かったらいかがですか?お持ち帰りできますし、日持ちもしますよ」

かごの中にはクッキーや、パウンドケーキ、カップケーキが入っており、どれも可愛くて美味しそうだった。


「可愛いね〜!私にんじんのパウンドケーキにしよう」

 緑依風がひとつ八十円のパウンドケーキを買った。


「私は紅茶のクッキーにする!」

 亜梨明が注文すると、晶子は「百円です」と言った。


「バザーって雑貨だけじゃなくて、お菓子も飲み物もすっごく安いね!」

 一杯五十円のオレンジジュースも頼んだ亜梨明は、晶子からジュースの入った紙コップを受け取ると、他の屋台のメニュー表に表記された価格を見て、驚くように言った。


「このバザーで集まったお金は殆ど、児童施設の寄付金になるんです。だから、他にもたくさんお買い物をして、楽しんでくださいね!」

 晶子は二人にそう言うと、屋台の前を通る人達に「焼き菓子いかがですか~!」と、大きな声で呼び込みを始めた。


 *


 二人は、焼き菓子の屋台の隣にある焼きそばを購入すると、人が少ない木陰に移動して、そこで昼食をとることにした。


「晶子ちゃんってお嬢様なのに、公立の学校に通ったり、ボランティア活動してるけど、どうしてなんだろう?」

 晶子と知り合って間もない亜梨明は、緑依風や風麻から聞いた、財閥の令嬢というイメージとは大きく違うことばかりの彼女を疑問に思った。


「晶子の家は、『トップに立つものこそ、平均的な環境で人を学ぶべし』って考えがあるらしくて、中学校まではずっと公立しか行かせないとか、ボランティア活動をさせるとかっていう、決まりがあるらしいよ」

「なるほど……」

 緑依風の説明を聞いた亜梨明は、ちゅるちゅると、細い焼きそばをすすった。


「じゃあ、晶子ちゃんのお父さんとお母さんって、もしかしてけっこう厳しい人だったりする?今の話聞いちゃったら、私失礼なことしちゃわないか、心配だよ……」

 上流階級のルールや作法など全く知らない亜梨明は、煌びやかなドレスを身に纏った晶子の母親や、立派な髭を生やし、威風堂々とした雰囲気の晶子の父親を想像し、無礼な態度をして怒られないかと不安に思った。


「あはは、大丈夫だよ~!晶子の家族って、すっごくフレンドリーで面白いんだ!」

「そっか、よかった~……」

 亜梨明はホッと胸を撫で下ろすと、食べ終えた焼きそばの入ったパックを閉じた。


 *


 お昼ご飯を食べ終えた後は、デザートにクレープを買いに行った。

 緑依風はチョコとバナナと生クリームの入ったクレープを買い、亜梨明はいちごと生クリームのクレープだ。


 雑貨や小物類も、もう一度ゆっくり見に行くと、緑依風はエプロンと手作りの髪留めを。

 亜梨明はさっきとは違うお店で、アロマキャンドルを二つ購入した。


 楽しいショッピングタイムを過ごしているうちに、合唱団のコンサートの時刻が迫って来ていた。

 亜梨明と緑依風は座席が埋まってしまう前にと、早めに演奏が行われる礼拝堂の中へと向かった。


「あ、利久」

 一番前の席に行くと、晶子と同じく幼稚園時代からの緑依風の友達、幸田利久がいた。


「利久も来てたんだね」

「うん。晶子の歌が聴きたかったからね」

 銀ブチ眼鏡を掛けた利久は、ソワソワとした様子で腕時計を見た。


 緑依風と風麻が仲が良いのと同じぐらい、晶子と利久の関係もとても良好だった。

 晶子の近所に住んでいる利久も、彼女程ではないが、大きな家に母と二人で住んでいる。


 利久の父は貿易関係の仕事に就いており、ほとんど海外に行ってしまうため、家族と会うのは年に数回程度だ。

 仕事熱心な父親と、すれ違いから関係が良くない利久は、周りから見ると少し母親に依存している発言などが目立つ。


 そんな利久を笑わず、そばで優しく接する晶子のことを、利久は一番信頼できる友達だと思っていた。


「今日は晶子がソロで歌うって聞いたから、お母さんに頼んで塾を休ませてもらったんだ。亜梨明さんは、晶子の歌を聴くのは初めてかい?」

「うん。上手っていうのは聞いたけど、歌声を聴いたことは無いから、すごく楽しみなんだ」

 亜梨明が、礼拝堂の前でもらったパンフレットを開きながら、プログラムを確認すると、利久は「それじゃあ、絶対聴いてもらわないと!」と、力強く言った。


 *


 開始五分前になると、観客席もほぼ満員となっていた。


 コンサートは、晶子が普段所属している合唱団の歌や、ハンドベルの演奏なども行われる。

 パンフレットの演目を見ると、晶子はどうやら一番最後に歌うらしい。


「へぇ~、晶子ちゃんトリを飾るんだね!」

「うん、ソリストは毎年最後なんだ」

「頑張れ……晶子!」

 利久は、まだコンサートが始まる前だというのに、パンフレットを握り締めたまま、祭壇の前を見つめている。


 *


 ――コンサートが始まると、小学校の部、中学生と高校生の部の合唱団が順に歌い、合唱の次は、ハンドベルの演奏が行われた。


 緑依風や利久は、ほぼ毎年聴いているが、亜梨明は生の合唱を聴くのは初めてで、心地よいハーモニーを目を閉じて聴き入った。


 晶子の歌が待ち遠しいと思っていた亜梨明だったが、素敵な音楽の時間は意外とあっという間で、気が付いた時には晶子の出番となっていた。


 ――礼拝堂の奥の扉が開くと、襟元にレースが施された、白いワンピースを身に纏った晶子が、その向こう側から姿を現した。


 利久は、初めてソロで歌う晶子を心配していたようだが、晶子はとてもリラックスしたように、穏やかな表情で祭壇の前に立った。


 ピアノの伴奏が始まると、晶子は静かに大きく息を吸い始める――。


 前奏の後、晶子の透き通った高い声が、礼拝堂に大きく響いて広がった。


 高く――どこまでも高く……その声は天井のステンドグラスを突き抜けて、空まで届きそうな程に、澄んだ声だった。


「(水晶……)」

 亜梨明はそう思いながら、スカートのポケットに入れた水晶に触れた。

 もし、彼女の声を宝石に例えるなら、きっと水晶だ。


 透明で、穢れのない、清らかな声――。


 亜梨明は水晶をポケットから取り出すと、それを握り締めながら、晶子の歌に耳を傾けた。


 時折天井を見上げ、深い愛を込めるように歌う晶子が、何を想いながら歌っているのかは、誰にも分らない。

 ただ、その何かを慈しむような表情と歌声に、亜梨明の目からは自然に涙が溢れていった。


 *


 晶子が歌い終えると、観客席から彼女を称える大きな拍手が鳴り響いた。

 晶子が退場し、スポットライトも消灯されると、礼拝堂の窓のカーテンが一斉に開け放たれる。


「どうだった、晶子の歌?……って、亜梨明ちゃん!?」

「……っ、ぐずっ、うぅ~っ……!」

 緑依風が横を見ると、ボタボタと大粒の涙を流し、鼻をすする亜梨明の顔がそこにあった。


「よかったよぉぉ~……もう、すっごくよかったよぉぉ~!」

 グシュグシュと、ハンカチで目と鼻を拭く亜梨明。

 ――そして、緑依風の右隣では、亜梨明と同じくらいボロ泣きしている利久が、眼鏡を外して顔を拭いていた。


「ちょっ……二人ともなんで泣いてるの?」

「これで泣けないなんて、君は心が無いのかっ……!?やっぱり、晶子の歌は最高だった!」

「わ、わたしも……っ、もう途中から涙止まらなくってっ、なんか、今までした悪いこと全部許されちゃったみたいな気持ちに……っ!」

「二人とも、顔がすごいことになってるから、とりあえず泣き止んで……」

 晶子の歌に感極まった二人は、顔を拭くのに忙しくて、しばらくその場を動けないようだった。


 *


 ――利久と別れて礼拝堂を出ると、屋台の手伝いに戻る晶子に会った。

 晶子はまた焼き菓子を販売して、夕方に行われる、大人と子供の合同コンサートにも参加するようだ。


「晶子ちゃん、すっごく綺麗な歌だったよ~っ!また聴かせてね!」

 亜梨明は晶子の歌声を思い出したのか、せっかく乾いた目元をまた潤ませながら、彼女の両手を握って感想を伝えた。


「はい、また是非!……でも今度は、亜梨明ちゃんのピアノも聴いてみたいです!」

「私の……?」

 亜梨明が瞬きして、濡れたまつ毛から水滴を弾けさせると、晶子はクスッと笑った。


「別荘には、ピアノもあるんです。せっかくだから、聴くだけじゃなくて、亜梨明ちゃんの伴奏で歌ってみたい……だから絶対、別荘一緒に行きましょうね!」

「うん!」

 亜梨明と晶子――。

 出会って日は浅いが、彼女達もきっと、『音楽』を通じて友情を深めあうだろう。

 二人のやりとりを見ていた緑依風は、そう思いながら夏の風になびく横髪を押えた。


 *


「楽しかった~!」

「うん、お買い物もいろいろできたし、このケーキ後でおやつに食べようかな」

「食べ物もお洋服もすごく安いし、他の人の歌も、ハンドベルの演奏もすごく素敵だったし、毎日バザーしてくれたらいいのになぁ~!」

 亜梨明が手さげ袋を揺らしながら言うと、緑依風は「毎日だと売るものがなくなっちゃうよ」と、苦笑いした。


「……あれ?」

 中学校の校門の横の道まで出ると、亜梨明と緑依風は、爽太と風麻の姿を見つけた。

 風麻は、爽太の腕を肩に回しながら、門の前に止まる車の前まで引きずるようにして、自分より大きな彼を運んでいる。


「あ、爽ちゃんのお母さんだ……」

 爽太の母親の唯は、風麻から爽太の身を預かると、爽太の鞄も一緒に受け取り、運転席に乗った。


「どうしたんだろう?」

 亜梨明と緑依風は目を見合わせながら、走り去る車を眺めた。

 

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