第5章 晴れのち曇り、そして雨。でもまたきっと…

第48話 透明な歌声


 七月になった。

 梅雨明けはまだのようだが、夏らしく強い日差しが照りつく日が増え、夏城中学校では、快適に授業を受けれるよう、エアコンが解禁された。


 放課後――。

 涼しい教室から、蒸し暑い廊下に緑依風と亜梨明が出ると、「緑依風ちゃん、亜梨明ちゃん!」と、二人を呼ぶ声が聞こえる。


 声の主は、緑依風の幼稚園時代からの親友の一人、沖晶子だった。


「一緒に途中まで帰りましょう!」

「うん、いいよ~!」

 晶子の誘いに、亜梨明はにこやかな笑顔で頷いた。


 緑依風を通じて友達になった、亜梨明と晶子。

 歌が好きな晶子は、合唱部に入部したのだが、そこでの練習はJ-POPが中心で、それよりも賛美歌や洋楽が好きな晶子には合わず、ひと月程で退部したのだ。


 以来、帰宅部となった彼女は、時々緑依風と亜梨明と一緒に帰ることが増え、それをきっかけに、亜梨明と晶子の仲は縮まっていった。


 晶子は小学生の頃から、夏城町と春ヶ崎町の間にある、教会を練習場所とした、合唱団に所属している。

 部活を辞めてからは、そちらにより一層力を入れて練習しているようだ。


「――そうだ、亜梨明ちゃん。少し早いですが、八月一日から四日まで、予定空けておいてください。奏音ちゃんも一緒に」

「えっ、なんで?」

「あっ、もしかして……別荘に行くやつ?」

「別荘?」

 亜梨明が首を傾けると、晶子は「正解です!」と言って、人差し指を立てた。


「あのね、毎年夏休みになると、晶子が仲の良い友達を呼んで、別荘に連れていってくれるの!」

「べ、別荘……!晶子ちゃんち、別荘あるの!?」

 高級住宅街に住む亜梨明だが、晶子の家は、その区域よりも更にお金持ちばかりが住む、超高級住宅街にある。


 財閥の令嬢である晶子は、その中でも一番大きい家に住んでいた。


「はい。それで今年は、緑依風ちゃん、亜梨明ちゃん、奏音ちゃん、星華ちゃん……風麻くんと利久くんと一緒に行こうかな~と、思っていたんです」

「べっそう……」

 亜梨明は、自分の家ではありえないそのワードに、まだ頭を打たれたような衝撃の余韻を残している。


「あとは~……」

「おっ、晶子じゃん!」

「あっ、風麻くん!……そして、日下くんもいい所に!」

 晶子はニコーっと、何かを企むような笑みを浮かべると、風麻と爽太の元へと近寄った。


「風麻くん、今年も別荘行けますよね?」

「おっ!今年も行っていいの?」

「はい、もちろん!――日下くん、八月一日から四日まで予定は決まってますか?」

「えっ……?ない……と、思うけど?」

「宜しければ、うちの別荘に来てくれませんか?」

「えっ!?」

 風麻とは旧知の仲の晶子だが、爽太とはあまり接点がないため、挨拶程度にしか会話をしたことが無い。


 そんな晶子からの突然のお泊り――それも、別荘に誘われた爽太は、何故自分が誘われたのか、わからない顔をしている。


「あの、誘ってくれるのは嬉しいけど……僕と沖さんって、まともに話したことすら無いよね?なんで僕も?」

 爽太は困った様子で、晶子に問いかける。


「まともに話したことはありませんが、少しなら話したことありますよね?――それなら、もう私と日下くんはお友達です!お友達を家に呼ぶのはおかしいですか?」

 ずいっと、自分との距離を縮める晶子に、爽太は「えっと……」と、言いながら、風麻の顔を見た。


「晶子がいいなら一緒に行こうぜ!別荘広くて面白いし、プライベートビーチとか、貸し切りのプールで泳ぐの超楽しいんだ!」

 風麻の説明を聞いて、亜梨明が「プライベートビーチ!?貸し切りっ!?」と、驚きで声を上げる。


「う~ん……じゃあ、お言葉に甘えてお呼ばれしようかな?亜梨明も行くの?」

「えっ!?う、うん!誘ってもらったよ!」

 爽太に聞かれた亜梨明は、コクコクと頷いて答えた。


「よし、それなら行く!」

 爽太が参加を決めると、亜梨明はパアッと、笑顔を輝かせ――風麻は、亜梨明のその笑顔を見た瞬間、ピクっと片目を細めた。


「そうこなくっちゃです!詳しいお話はまた後日ということで!お二人とも部活頑張ってくださいね!ではっ、二人とも帰りましょう!」

 晶子は、緑依風と亜梨明の肩に手を添えると、楽しそうにクスクス笑いながら、風麻と爽太の前から二人を連れて遠ざかっていった。


「……沖さんって、すごいお嬢様って聞いたけど、誘い方もすごい強引だね」

「あいつがおしとやかなのは、喋り方とオーラだけで、昔からゴリ押しタイプだぜ」


 *


 下駄箱まで移動した緑依風と亜梨明は、ニコニコと笑顔を絶やさない晶子の心境が、全く読めなかった。


「めちゃくちゃな理由で日下のこと誘ってたね」

「はい、どうしても誘わなきゃいけない理由がありますから!」

 晶子がそう答えると、亜梨明は「えっ……」と、焦るような表情で、晶子の横顔を見た。


「あ、あの……晶子ちゃんって、もしかして爽ちゃんのこと、好き……なの?」

 彼女もライバルの一人なのではと思った亜梨明は、恐る恐る、声を震わせながら聞いた。


「いえ、全然っ!まーったくです!」

 晶子がケロっとした顔で答えると、亜梨明はホッとしたように、小さく息を吐いた。


「心配しなくとも、亜梨明ちゃんから取ったりしませんよ……!」

 晶子はニヤリと笑って、亜梨明に耳打ちした。


「えっ!?しょ、晶子ちゃんっ……!もしかして知ってたのぉ!?」

「わかりますよ。だって、亜梨明ちゃんとお話すると、日下くんの話ばかりなんですもの」

「~~~~っ!」

 晶子に指摘された亜梨明は、顔を真っ赤にして俯いた。


「ちょっと晶子……亜梨明ちゃんで遊ばないでよ」

「遊んでませんよ。というか、今回日下くんと亜梨明ちゃん達を誘ったのは、二人の距離を縮めるために、協力したかったんですよ」

「そうなの……?」

 亜梨明は誘われた理由を聞いて、キョトンとした声で言った。


「あと、緑依風ちゃんもですよ!」

 晶子はそう言うと、緑依風の顔の前にピンっと、人差し指を立てた。


「緑依風ちゃんは、あと何年風麻くんに片想いするつもりですか!?……恥ずかしい、振られるくらいならこのままがいいって気持ちも、わからなくもないですが、そろそろ動いてもらわないと、応援する側も疲れますっ!」

「う、うぅ……っ」

 痛い所を突かれた緑依風に、返す言葉は無かった。


「今年は、緑依風ちゃんと亜梨明ちゃんの恋を応援するために、この企画を立てました!奏音ちゃんと星華ちゃんにも、もちろん協力してもらうつもりです!海ですよ、プールですよ!思い出作りにぴったりです!付き合うまではいかなくとも、か・な・ら・ず!好きな人との距離、縮めてくださいねっ!」

 晶子に力強い声で言われると、亜梨明はやる気に満ち溢れたように頷き、緑依風は自信なさそうに肩を落としていた。


「――あ、でもごめん。……私、必ず行くって約束できないかも」

 亜梨明は何かを思い出したように、ハッとして謝った。


「私……七月末に、検査で入院するの」

「それって、旅行の日に被りますか?」

 晶子も、亜梨明の抱える事情を思い出し、少し心配したように聞いた。


「ううん、検査は七月中に終わるんだけど……結果が悪かったら、お泊りは難しいかもしれなくて。……せっかく楽しいお泊りでも、万全な状態でないと不安だから」

「ご、ごめんなさい……私、一人で浮かれてましたね」

 晶子はしょんぼりとしながら、亜梨明に謝罪した。


「あ、もちろんすっごく行きたい!だから、検査結果がなにも無ければ絶対行くね!晶子ちゃんの別荘楽しみっ!」

 亜梨明がそう言って笑いかけると、晶子は「絶対一緒に行きましょうね!」と、亜梨明の手を握った。


 *


 晶子の家へと続く道は、学校を出てすぐなので、校門を出て数メートル歩いたところで、緑依風と亜梨明は晶子と別れることになる。


「では、また――あ、そうでした!忘れるところでしたねっ!」

 二人に手を振りかけた晶子は、何かを思い出し、通学鞄の中身を探った。


「――はい、これどうぞ!」

 晶子は、亜梨明に一枚のチラシを手渡した。


「バザー?」

「はい。土曜日、合唱団の練習場所となっている教会で、バザーをやるんです!緑依風ちゃんは、毎年来てくれるから知ってますよね?」

「うん、今年も合唱団で歌うの?」

「実は私……今年はソロで歌うんです!」

「えっ、ホント!?」

 緑依風に聞かれると、晶子は嬉しそうに「はい!」と頷いた。


「今、それに向けて練習しているんです。だから――二人に聴きに来て欲しくて……」

「晶子ちゃんの歌っ!聴きたいっ!」

「うん。二人で応援に行くよ!」

「はい、是非っ!」

 晶子の歌を聴きに行く約束を交わした緑依風と亜梨明は、「またね」と手を振り、それぞれの家路を歩いていく――。


 晶子は一人、細い路地を通り、角を曲がり、豪華な家々が並び立つ道路を歩きながら、夏の空を見上げ、息を吸う。


 静かな住宅街に、透明な歌声が響き渡った――。



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