第47話 プール(後編)
キーンコーンカーンコーン――。
夏城中学校に、チャイムの音が鳴り響く。
今日の体育は、二クラス同時ではなく、一組だけの授業の日なので、プールサイドは男女左右に分かれて使用する。
飛び込み台を手前に見て、女子は右側、男子は左側だ。
普段は一クラスだけで行う授業も、男女に分かれて別々のことを学ぶのだが、今日は中央で境界線こそ作っているものの、説明や指示は男女共に受けることとなっている。
「――なので、悪ふざけしたり、勝手に飛び込んだり泳いだりは絶対にしないように」
男子体育担当の森口先生が、拡声器を使って注意しているが、今年初めてのプール実習にテンションが上がった者達は、先生の話など半分も聞いていない。
「あ~あ、こう自分が入れないとなると、突然大雨とかにならないかな~なんて思っちゃう」
亜梨明と共にベンチに座っている星華は、足をプラプラと揺らしながら恨めしそうにクラスメイトを眺めている。
「…………」
亜梨明は、横に座る級友と雑談することもなく、真面目に先生の話を聞いている爽太を、ぼんやりとした表情で見つめていた。
――きれい。
日焼けこそしているが、部活がバレーボールという屋内競技で、元々色白の爽太の肌が、水面に反射した光に照らされて、より一層白く見える。
しかも、亜梨明から見て、爽太の右側に座る男子生徒はサッカー部なので、とても黒く日焼けしており、それが余計に爽太の白さを際立たせていた。
「(かっこよくて、きれいで、優しくてあったかい――それに強い……)」
亜梨明から見た爽太という人物は、そういう風に見えている。
彼は、入学してから
幼くして、辛く過酷な道を乗り越えたが故だろうか――?
華奢な体に、儚げな雰囲気も持ち合わせながら、心の芯はとても強くて、事あるごとに悩める亜梨明に助言をしてくれる。
「爽ちゃんって、いつも完璧だよね」
日陰にいるとはいえ、気温の高さにうんざりしている星華は、「んぁ?」と、気のない声を上げた。
「そうだねぇ~……完璧すぎてロボットみたい」
「そんなことないよ!……でも、完璧なのをずっと見てると、すごいなって尊敬するけど……それになのに私は……って比べちゃうし。たまには、私が爽ちゃんの役に立ちたいなぁ~って思っちゃうんだよね」
常日頃、爽太に助けてもらうことは多いが、自分が爽太の役に立てたと自信を持って言えることが無い亜梨明。
買い物の手伝い程度ではなく、爽太がもっと喜ぶことをしてみたい。
「そもそもアレは、坂下みたいにケーキやお菓子で大喜びなんて性格じゃないからねぇ~」
「そうだよね~……んっ?」
亜梨明と星華が話をしていると、爽太のことを話している声が聞こえた。
二十五メートルをクロールで泳ぎ切り、到着した者達で固まりながら、きゃっきゃと話を盛り上げているのは、先程爽太の手術痕に触れていた、女子グループの一部だった。
「日下ヤバイよね~!やっぱ好きだわ」
「まぁ、ハードル高すぎて告るとかまだ無理だけど!」
「えっ、まだってことは、久美いつか告るつもり~?抜け駆け~?」
「まぁ、いずれは~?少しずつ距離詰めてから〜なんてっ!」
三人はひそひそと話しながら、亜梨明と星華の前を横切っていった。
「……ねぇ、星華ちゃん。爽ちゃんのこと好きなのって、もしかして私だけじゃない?」
「そりゃあ、見た目あんなだもの……。うちの学年で一番イケメンだし、性格も良いし。……っていうか、あの子達だけじゃなくて、他のクラスにも、日下のこと好きな人いると思うよ」
「えっ!?」
亜梨明は、爽太が容姿を褒められているのは知っていた――が、自分と同じ様に、彼に好意を抱く人物が他にもいるとは、今の今まで夢にも思っていなかったようだ。
「そんなぁ〜!」
がっくりと肩を落とした亜梨明は、顔を覆いながら恋のライバルの多さを嘆いた。
*
――飛び込み台の前では、次に順番を控えた爽太と風麻が話をしていた。
「爽太って泳ぎ得意?」
風麻がゴーグルを着け直しながら聞いた。
「いや……。泳げるけど、スイミング行ったことないから遅いよ。風麻は?」
「まあまあ得意!」
「じゃ、僕も頑張らないと!」
爽太と風麻が台の上に乗ると、一部の女子生徒達が爽太に熱い視線を送っている。
「亜梨明ちゃん、日下泳ぐよ!」
「うん……!」
亜梨明も、そのライバル達に負けないくらい、強い眼差しで爽太を見つめた。
「はいっ、次っ――!」
波多野先生のホイッスルの音が鳴ると、飛び込み台で待機していた爽太と風麻は、水の中へと飛び込んだ。
小学校卒業までスイミングスクールに通っていた風麻は、爽太を大きくリードして、前の方を泳いでいる。
「坂下速ぇ~っ!」
「日下も頑張れ~!!」
「どっちも負けんな~!」
男子生徒が二人を応援している。
女子生徒側は、男子のレーンの横で泳ぐ女友達を応援しつつ、爽太を応援する声も混じっている。
奏音と順番を待っている緑依風は、声援は送っていないが、まるで海の生き物のように、軽快な泳ぎを披露する風麻を見て、胸の前で手を組みながら感動していた。
「私達も応援しちゃおう!日下ー!坂下ー!頑張れー!止まるなー!!」
星華がベンチから立ち上がって叫んだ。
「が、頑張れー!!」
亜梨明も立ち上がって応援すると、ゴールまで残り半分の所で、爽太がスピードを上げた。
結果――あと数センチの所まで追いついたが、先にゴールしたのは風麻だった。
「なんだよ、遅くないじゃん」
プールサイドに二人で上がると、帽子とゴーグルを取った風麻が、ニイッと笑った。
「頑張るって言っただろ」
爽太も笑顔で、ゴーグルを頭から外した。
*
自由時間になると、中央で仕切っていたレーンを外し、男子も女子も各々自由に遊び始めた。
「あーあ、やっぱり入りたかったー!」
星華は足を前に突き出しながら言った。
「ちゃんと真面目に見学してる~?」
「あ、奏音!」
亜梨明が奏音の声に気付くと、見学者用ベンチのそばに、緑依風と奏音がやって来ていた。
二人は、暑さに滅入ってる星華と亜梨明の足元に、プールの中から軽く水をかけてくれた。
「日陰でも暑いでしょ?」
緑依風が聞いた。
「暑いよー!!……あ、ぴょんー!足だけ浸かっちゃダメ?こんな猛暑じゃ溶けちゃうよぉ~!」
近くで生徒を見張っていた波多野先生に、星華が懇願した。
「う~ん……しょうがない。いいけど、服濡らさないように気をつけなね」
「やったー!!」
波多野先生の許可が出た途端、星華は急にイキイキとした表情になり、プールサイドに腰かけながら、足を水の中に浸した。
「亜梨明も浸かる?」
波多野先生が亜梨明の元へやってきた。
「私もいいんですか?」
「今日は暑いから、そんなに水温も低くないしね。でも、冷えたらすぐに戻りなよ」
「はい……!」
亜梨明も星華の隣に腰掛けて、つま先をゆっくりと水の中に入れた。
水は思ったより温かいが、汗ばむ体が一気に涼しくなった。
「気持ちいい〜!」
「ね〜!来週は絶対入るー!」
星華と共に、嬉しそうに足をパシャパシャさせる亜梨明を、波多野先生は優しい顔で見守った。
「亜梨明!」
「あれ?爽ちゃん達」
「足浸かっていいって?」
風麻が聞くと、「うん!」と亜梨明が答えた。
「相楽さん、泳ぐの速かったね!」
「五年生までスイミング通ってたからね」
「それに比べて、緑依風は相変わらずの遅さだったな」
風麻が小馬鹿にしたような目つきで見ると、緑依風は「うるさい」と言って、拗ねた。
「私は三年生で辞めたからね。元々、泳ぐの得意じゃないし……」
緑依風は斜め上に首を傾けて、そっぽを向いた。
「爽ちゃんも惜しかったね、でも速かったよ!」
「ありがとう。結局風麻には負けちゃったけどね」
「そもそもこれって、勝負じゃなくて泳ぐ練習でしょ?」
緑依風が言うと、爽太は「そうだけど、意識しない?」と返した。
「それより、僕達もみんなで遊ばない?」
「遊ぶって……?」
遊びでプールに行った時のような、ビーチボールも遊具も無いのにどうやってと、風麻が疑問に思う。
「ん~……例えば、こうっ!」
「うわっ、ぷっ……っ!」
――バシャっ!と、水音が鳴ったと同時に、風麻の顔に水が掛かる。
「隙だらけだったから!」
水を掛けた爽太は、にこやかな笑顔で風麻に言った。
「……っにゃろ!やったなー!!」
風麻はニヤッと笑うと、勢いよく爽太に水を掛け返した。
「あははっ!……はい、相楽さんもどうぞ!」
「っぁ、ちょっと――!」
爽太は奏音にも水を掛けた。
奏音は、顔に掛かった水を手で拭い取ると、「やったねー!」と言いながら、爽太の挑発を受けることにした。
「緑依風、やるよ!」
「よーし!!」
すでに風麻からの攻撃を食らっていた緑依風も、奏音と手を組み、男の子二人の誘いに乗ることにしたようだ。
「あ~っ!みんなずるーい!私もやりたーい!」
「どっちも頑張れー!!」
水を掛け合う緑依風、風麻、爽太、奏音と、足を浸けて応援する亜梨明と星華。
太陽の下で笑う六人の笑顔は、その日差しに負けないくらい、キラキラと輝いている――。
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