第44話 とげ
「き、緊張するなぁ~……」
六月十三日の放課後、風麻は胸に手を当てながら、大きく深呼吸をして落ち着きを取り戻そうとしている。
スポーツバッグをそっと撫でて、その中のある物を意識しながら。
風麻のスポーツバッグの中には、相楽姉妹の誕生日プレゼントが入っていた。
朝は『無い』と言っていた風麻だったが、二人の誕生日を知った日から、プレゼントの用意を計画し、わざわざ隣町の春ヶ崎に買いに行ったのだ。
生まれて初めて、好きな人に贈り物を用意した風麻。
それも、少ないお小遣いの中で、自分が買えそうな物を必死に探した。
坂下家の経済状況は、高級住宅街に新築の戸建てを建てられた程には、ある程度裕福なのだが、すぐに無駄遣いをしがちな風麻に、母の伊織はあまり小遣いを渡さないようにしていた。
なので、風麻は常に金欠状態なのだが、今回はたとえ部活の帰りに、腹ペコのお腹を満たす菓子パンや、お菓子をコンビニで買えなくとも、亜梨明にプレゼントを渡し、彼女の生まれた日を祝いたいと思ったのだ。
もちろん、祝うなら亜梨明だけというわけにはいかない。
彼女の双子の妹で、風麻にとっても友人の奏音の分も必要だ。
亜梨明は、奏音とお揃いがいいと言っていた。
風麻はその言葉通り、プレゼントには姉妹がお揃いで使えるものを選んだが、気に入ってもらえるか――いや、優しい亜梨明なら、例え気に入らなかったとしても、風麻の前でそんな態度を取らないと思うが、それよりも一大事なのは、プレゼントを確実に渡せるかどうかの、風麻自身の意気地の問題だ。
奏音には、この後男女共にバレー部の活動日なので、部活が終わった後にでも渡せばいい。
亜梨明には、今すぐにでも渡しに行かないと、下校してしまう。
――しかし、彼女の隣には緑依風がいる。
二人とも帰宅部なため、いつも途中まで一緒に帰るのが日課になっている。
今渡せば、緑依風に何故、朝は無いと嘘をついたのか聞かれないかとか、亜梨明のことが好きだとバレないかなど、不安要素がいくつも浮かぶ。
気の許せる幼馴染の関係であっても、恋の相談だけはどうしても気恥ずかしくて、緑依風にできない。
プレゼントを渡すだけならば、奏音に頼めばいいのだが、どうしても、風麻は自分の手で亜梨明にそれを渡し、『おめでとう』と伝えたかった。
「(はぁ~……どうしたらいいんだ。どうすれば……ん?)」
風麻が悩んでいると、緑依風が亜梨明に「じゃあ、先に帰るね!」と、言っている声が聞こえた。
「うん、また明日ね~!」
亜梨明が手を振ると、緑依風は奏音や星華にも手を振り、教室を出ようとした。
「風麻も、また明日」
「お、おう……」
緑依風は、風麻にも軽く手を振ると、一足先に帰っていった。
「私達も部活だから」
「うん、おうち帰ったら今日はご馳走だね!」
亜梨明は、奏音にそう言うと、星華と共に教室を出ていく妹に手を振っていた。
「――爽ちゃん、坂下くんもまた明日ね!」
「うん、明日」
亜梨明は、爽太と風麻にも挨拶をすると、にこやかな顔で「バイバーイ!」と言って、下駄箱に向かっていった。
「さっ、僕達も早く部活行こうか?」
爽太が鞄を持ちながら言うと、風麻は「先に行っててくれ!」と言って、亜梨明の後を追いかけた。
――チャンスだ!
風麻は、胸の中でそう叫びながら、少し急ぎ足で階段を降りて行った。
一階に降りて、下駄箱が見えると、亜梨明は靴を履き替えているところだった。
今はまだ、周りに同じクラスの生徒の姿もある……。
風麻は壁に隠れて、亜梨明が履き替えるのを待ちながら、渡す時のセリフを脳内シミュレーションする。
*
亜梨明は、校門の前まで向かうと、そこで足を止め、携帯電話を取り出した。
夏城中学校では、防犯のために携帯電話の持ち込みは許可されているが、登校から下校時間までは使用禁止だ。
つまり、放課後にさえなれば、使っても良い……と、いうことである。
「お、わ、っ、たよ……っと!」
亜梨明が文章内容を声に出しながら、文字を打っていると、意を決した風麻は、彼女の元に駆けて行った。
「相楽姉っ――!」
「えっ?」
風麻の枯れかけた少し大きめの声に、亜梨明はちょっぴり驚いたように、目をぱちくりとさせた。
「坂下くん、部活じゃないの?」
亜梨明は、携帯電話を通学鞄のサイドポケットにしまいながら聞いた。
「あ、あぁ……行くけど。……相楽姉こそ、緑依風と帰らないのか?」
「うん、今日は薬もらいに病院に行く日だから、お母さんに学校まで迎えに来てもらうの」
「誕生日なのに、病院行かなきゃいけないのか……」
「うん……薬が無いと、学校来れなくなっちゃうからね」
風麻が表情を曇らすと、亜梨明は困った笑みを浮かべて言った。
「そうだな……」
『薬』や『病院』といった単語を聞くたび、普段は忘れがちな、彼女が抱える病の重さを思い知らされ、風麻は悲しい気持ちになった。
きっと、四月に倒れた時のようなことも、初めてじゃないのかもしれない――。
学校ではころころと笑ってばかりだが、自分や他人には理解できない、苦しみや辛い日々も、幾度となく経験したかもしれない――。
風麻はそう思うと、苦労が絶えなかったであろう亜梨明の誕生日を、軽々しく祝っていいものかと迷った。
「(――それでも俺は、相楽姉が生まれてきた日を祝いたい)」
だって、好きになってしまったから。
今は、特別なことは何も望まない。
笑って、元気で――元気になって欲しい。
ただ、「おはよう」「また明日」と言ってもらえるだけで、俺は毎日嬉しくなるから――。
亜梨明に対する願いを思えば、いつの間にか、風麻の心の中にいた緊張は消え去り、代わりに、ふわりと温かい感情が芽生えてくる。
風麻は静かに深く息を吐くと、スポーツバッグのファスナーをゆっくりと開き、ラッピングされた小さな紙袋を取り出した。
「あのさ……さっき渡しそびれたんだけど――これ、俺から相楽姉に誕生日プレゼント」
風麻は取り出したプレゼントを、亜梨明の前に差し出した。
「わぁ〜!いいの?」
「うん、誕生日おめでとさん」
「ありがとう!」
亜梨明はにっこりと笑いながら、プレゼントを受け取った。
「開けてもいい?」
「お、おぅ……。ヘアピンなんだけどさ……それ相楽ともお揃いだから」
亜梨明が袋を開けると、赤い薔薇の飾りがついた、ヘアピンが入っていた。
「可愛いっ!」
「そ、そうか?」
風麻は頬を指で掻き、照れ臭くて少し斜め下に視線を向ける。
「部活で奏音に会って、私の分も一緒に預けることも出来たのに……。坂下くん、わざわざ届けにきてくれたんだ?」
「ちゃんと直接祝いたかったからな……。爽太が何も無いのに、俺だけあの場で渡すのは、何か……恥ずかしくてさ」
風麻は手の甲で、緩みそうな口元を隠すように押さえた。
「これ、緑依風や空上には、俺からって内緒にしてくれるか?相楽にもそう伝えるから、自分達でお揃いで買ったってことで」
「いいけど……」
こっそり渡したなんてバレたら、緑依風はともかく、星華は間違いなくからかい、深く追求してくるはずだと予測した風麻は、何としてもあの二人に知られてはいけないと思っていた。
「大切にするね!学校につけてきてもいい?」
「それはかまわねぇよ。似合うといいんだけど……」
「今つけるよ」
亜梨明は、いつもクロスにしてつけているヘアピンを外して、風麻にもらったヘアピンをつけた。
「どうでしょう?」
「に、似合ってる……!」
「あはは……ありがとう」
ヘアピンを触りながら、亜梨明はお礼を言った。
――すると、亜梨明の携帯から、ピコンと通知音が聞こえた。
「あ、お母さんからだ。今からおうち出るって」
亜梨明が手に持つスマホカバーには、見慣れない音符のストラップがついている。
「音符のストラップか、相楽姉らしいな」
「これ?可愛いでしょ。爽ちゃんがこの間くれたの」
「え、爽太が……?」
爽太の名前を聞いた途端、風麻の心がチクッと痛む。
「……誕生日プレゼントか?」
「あ、誕生日じゃなくて、この前お買い物付き合ったお礼にって」
「そうか……」
風麻は、先週の週末に、亜梨明と爽太が二人で買い物に行く約束をしたことを思い出した。
そして、その時の亜梨明の表情も――。
「…………」
ぽつ、ぽつ……と、心に棘のようなものが生えてくる。
それは羨望、嫉妬――。
マイナスな感情が芽生えてくると、風麻の表情も暗くなる。
「坂下くん?」
「はっ……?」
風麻が我に返ると、亜梨明が風麻の顔を心配そうに覗き込んでいた。
「なんか、しんどそう……もしかして風邪?声も枯れてるし……大丈夫?」
亜梨明が風麻のそばに歩み寄ると、風麻は「だ、大丈夫だ!」と、慌てて否定した。
「全然元気っ!枯れてんのは俺、声変わりしてるみたいでさっ……風邪じゃないから!」
「本当に~?」
疑うような目で見つめる亜梨明。
「本当だって!ごめん……風邪だったら、お前にうつしたら大変だもんな……」
以前、爽太から聞いた話で、風邪やインフルエンザが持病に影響しやすいと知っていた風麻は、亜梨明がそのことを不安に思ったのではないかと考えた。
「そうじゃないよ!」
亜梨明は、謝る風麻に少し怒った口調で言った。
「坂下くんが風邪引いて、しんどかったら嫌だなって思ったの!……私じゃなくて、坂下くんが心配だから聞いたのに~!」
亜梨明はムスッと拗ねたように口をすぼませて、上目遣いで風麻を睨んだ。
「ご、ごめん……!心配してくれて……サンキューな」
亜梨明はまだ、じ~っと風麻を睨んでいたが、風麻が申し訳なさそうに肩を落とすと、「ふふっ」と笑った。
「うん、どういたしまして~!」
亜梨明は機嫌が直ったのか、朗らかな笑顔で言った。
「(俺なんて、風邪引いたってなんてことないのに……)」
風麻は、健康な自分の体調すらも気遣ってくれる、亜梨明の優しさが嬉しくて、沈んだ気持ちが一気に空に浮かぶように思えた。
「じゃあ、俺部活行くな!また明日!」
「うん、またね!部活頑張ってね!」
風麻が手をサッと挙げて立ち去ろうとすると、亜梨明はひらひらと手を振り、風麻の背を見送った。
*
「よっしゃぁ~~~~っ!!」
亜梨明から数メートル離れた風麻は、一度立ち止まり、両手でガッツポーズをして、小さな喜びの声を上げた。
「渡せた……っ!渡しちゃったぜ、俺っ……!」
風麻は、嬉しさと達成感に浮き立つ足をしっかり地面につけ、部室に向かってダッシュした。
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