第43話 おめでとう!!


 日下家で、晴太郎がひなたに恋人ができることを想像し、涙ぐんでいた一方――唯が運転する車の中では、亜梨明の楽しげな声が響いていた。


「爽ちゃんのお父さんって、爽ちゃんに似てるけど、すごく面白い人だね!」

 亜梨明が後部座席で笑いながら言った。


「あははっ!そうでしょう~!でもね、爽太も昔はやんちゃで、手がつけられなかったのよ」

「えっ、そうなんですか!?」

 意外な過去の話に、亜梨明は耳を疑い、爽太はギクリと肩を上下させた。


「本当に、大変だったのよ。暴れたらダメって言ってるのに聞かなくて、何度も発作を起こしてね。良くなったと思ったら、また走り回って悪くなってを、ずーっと繰り返してたんだもの」

「爽ちゃんがやんちゃ……想像がつきません!」

「うふふっ!」

「その時は悪かったよ……」

 爽太は亜梨明の隣で、バツの悪そうな顔をしている。


「あの頃は、もう少し落ち着いて欲しいって思ってたけど、最近は落ち着きすぎて、面白くないのよね、この子」

「大人になったって言ってよ」

 ふいっと、爽太は窓の方へ顔を背け、むくれるように不満な表情をした。


 亜梨明は、初めて知った爽太の表情に、嬉しくなってクスッと笑う。


 唯は、そんな息子の態度を面白がるように、「他にもね~」と、爽太があまり人に知られたくないエピソードを語り、バックミラー越しに、爽太がどんな反応をしているのかチラチラと見て、楽しんでいた。


 甘えん坊だったことや、欲しいおもちゃを買ってもらえず、わんわん泣いて、お店の床に転がっていたこと。

 ひなたが生まれたばかりの頃は、今のように優しい兄ではなく、意地悪ばかりしていたことなどなど――。


「え~っ、爽ちゃんそんなことしてたの~!?」

「そうよ~!」

「…………」

「あ……」

 唯があんまりにも、爽太の恥ずかしい過去を語るので、亜梨明はだんまりになってしまった爽太のご機嫌が心配になる。


「――でも!小さい頃はそうだったかもしれないけど、学校での爽ちゃんは、いつもみんなより大人っぽくて、優しいです!」

 亜梨明は、爽太の機嫌を直したくて、声を張り上げて唯に告げた。


「へぇ~?」

「私、いつも爽ちゃんのこと、すごいなぁ~って、思ってるんです!……だって、爽ちゃんは、頭もいいし、スポーツもできるし、真面目で、細かい所にも気を配れて、すごくしっかりしてるし……それから~……」

 亜梨明が、自分の知っている爽太の良い所を次々に上げていくと、窓の方へ顔を逸らしていた爽太は、亜梨明の方へ向き直り「は、恥ずかしいよっ!」と、照れながら止めた。


 亜梨明と同じくらい色白の爽太の顔は、今は照れ臭さで真っ赤っかになっており、唯は、それをバックミラーで確認すると「あっはっはっは!」と、大きな声で笑った。


「爽ちゃん、亜梨明ちゃんにたくさん褒めてもらえてよかったわね!」

「お母さん、さっきから酷いよ……」

「ごめんごめん、ちょっと調子に乗り過ぎました~!」

 唯は、亜梨明の家の手前の角を曲がるためにハンドルを切りながら、拗ねる息子に謝った。


「この子、いつも亜梨明ちゃんのことは話すけど、自分のことは何も言わないから、学校でどんな風に過ごしてるのか気になってたの」

「そうなんだ?」

「自分のことなんてわからないから、言うも何も……」

 爽太は片手で口元を隠し、また窓の方に目を逸らした。


「そう……亜梨明ちゃんから見た爽太は、そんな風なんだね」

 唯は嬉しそうに小さな声で呟くと、ブレーキを踏んで「はい、ここのおうちでいいかな?」と、後ろにいる亜梨明に問いかけた。


 *


 ――相楽家では、明日香が携帯を手に持ちながら、家の中をソワソワと落ち着かない様子で歩いていた。


 亜梨明が友達と長時間出かけることは初めてで、嬉しい気持ちもあるが、やはり心配だった。


 過保護になりすぎてはいけないとわかっていつつも、具合の悪い娘の姿は、何度見ても胸が痛くなる――。


 だから、必要以上の外出はなるべく避けさせ、遠出をするならば車に乗せて、亜梨明の体への負担を減らすことに努めていた。


 ――すると、ピンポーン……と、チャイムが静かな家の中に鳴り響いた。


 明日香がインターホンのモニターを見ると、元気な様子の亜梨明と爽太――そして、その後ろには、車と女性の姿が見えた。


「もしかして――!」

 爽太の後ろに立つ唯を見た瞬間、明日香の鼓動がドクン、ドクンと大きく音を立て始める――。


 明日香は、はやる気持ちを抑えきれずに玄関に駆けて行くと、ガチャッと、ドアを勢い良く開けた。


「お母さんただいまっ!あのね、爽ちゃんのお母さんに送ってもらったの!」

 亜梨明が輝くような笑顔で言う隣で、爽太は「こんにちは」と、礼儀正しくお辞儀をして、明日香に挨拶をした。


「こんにちは。初めまして、日下です!」

 唯は、携帯を手に握り締めたままの明日香に、ハキハキとした声で名乗った。


「あ……」

 明日香は、安堵したような――緊張したような、どちらかわからないような声を漏らして、唯を見た。


 ――この人が、日下くんのお母さん……。


「は、初めまして……日下さん、送っていただいてありがとうございました!」

 明日香は頭を下げて、唯にお礼を言った。


「いいえ、こちらこそ〜!うちの息子が誘ったんですし、娘も亜梨明ちゃんにピアノを弾いてもらって喜んでましたから!」

「そうですか……」

 唯は、明日香の顔を見て、今日一日中不安だったのだろうと心情を察した。


 ――昔の私だ。


 唯は、明日香を見てそう思った。

 だからこそ、会わねばと心に決め、亜梨明を家まで送り届けたのだ。


「相楽さん、今度よかったら、私ともお話ししませんか?」

「えっ……?」

「私、夏城でママ友あまりいないし、子供達のお話――亜梨明ちゃんと爽太のこと。相楽さんとゆっくり話がしてみたかったんです!」

 唯は、二人の何がとは言わなかったが、明日香は、唯の声色や視線で、それが『病気』のことだと理解した。


「わ、私も――!私も実は、日下さんとお話がずっとしたくて……!!そのっ、私もママ友ここで一人もいなくて……!心細くて……!」

 明日香はずっと、爽太や彼の両親に話を聞きたくてたまらなかった――その、叫びだしそうになる感情を抑えるかの如く、明日香は携帯を、両手で強く握り締める。


 病気や治療のことは、とても軽々しく聞きづらい内容であるため、仮に会えたとしても、ずけずけとその話題に触れることはできない。


 奏音にも指摘されて以来、明日香は何とか日下家の人達に、二人の共通点について相談できないかと、願ってやまなかった――。


「はい、お話ししましょう!――あ、私の連絡先を……」

「私のも……!」

 明日香と唯は、アプリ画面を開いて連絡交換すると、そのまま雑談を始めた。


「お母さん達も仲良くなりそう!」

 亜梨明が母親達の様子を見て言った。


「仲良くなって、風麻と松山さんちみたいになれたらいいね!」

「うん!」


 *


 相楽家からの帰り道――爽太は唯に、何故連絡先を交換し合ったのか尋ねた。


「――亜梨明ちゃんのお母さん、多分爽太の治療の話とか、聞きたいことあるんじゃないかなぁ~って思ったの。私が逆の立場だったら、絶対聞きたいもの」

「なるほどね」

 唯は、一時停止の白線の前で止まると、「おんなじ顔してたなぁ~……」と、独り言を呟いた。


「亜梨明とおばさん?……確かに、輪郭とか目とか似てたね」

「う~ん……」

 唯が言った『おんなじ顔』というのは、四年前の自分のことだ。


 ――不安で、自分を責めている顔。すごく、苦しそうな顔だった……。


 唯は、爽太に言葉の意味を訂正することなく、左右の道を確認すると、またアクセルを踏み込んで、車を走らせた。


 *


 ――六月十三日。

 相楽姉妹の生まれた日がやって来た。


「やっほーぅ!二人とも、ハッピーバースデー!!」

 星華は、亜梨明と奏音が教室に入って来た途端、両手を上げて、大きな声で二人を出迎えた。


「ありがとう~!」

「ありがと、ってか……声うるさっ!」

 亜梨明は抱き着く星華に、きゃっきゃと喜びながらお礼を述べ、奏音は片耳に小指を挿し込み、うんざりしながらも、内心は嬉しそうだ。


「二人ともおめでとう!これ、私からのプレゼント」

「緑依風ちゃんもありがと~!」

「ありがと!」

 亜梨明と奏音は、緑依風からラッピングされた袋を手渡された。


「私もほらっ!ちゃーんとあるよ!十二月の私の誕生日にも、よろしくねっ!」

「はいはい……わかったよ」

「ちゃんと、星華ちゃんの誕生日もお祝いするね!」

 星華からも、プレゼントを受け取った相楽姉妹は、感想を聞きたがる星華に急かされながら、早速机の上で開封を始めた。


 緑依風からは色違いで同じ柄のシュシュを。

 星華からは、授業の時にも使いやすい、五色のカラーペンをもらった。


『お揃いだ!』

 亜梨明と奏音は、まるで、タイミングを事前に打ち合わせたように同時に言うと、お揃いのプレゼントに喜んだ。


「おはよう!」

 登校してきた爽太が、集まっている亜梨明達に、挨拶をして近付いてきた。


「そういえば、坂下と日下はプレゼントないの?」

「ごめん、無いよ」

「おっ、俺も――無い……なぁ~?」

 星華に聞かれて、爽太は少し申し訳なさそうに。

 風麻は、やや挙動不審な動きをしながら、プレゼントの用意をしていないと告げた。


「なーんだ、無いのか」

 星華はぶーっと、つまらなさそうに唇を尖らせている。


「いいよ、こういうのは気持ちだし、気にしないで」

 奏音は、星華の膨れた頬を指で潰しながら、爽太と風麻に言った。


「――ねぇ、爽ちゃん。私も……私達にも、『おめでとう』って言ってくれる?」

 亜梨明は爽太に一歩近付くと、背の高い彼を見上げてお願いした。


「うん、いいよ」

「やった!」

「えっ!?私はいいよ!亜梨明だけでいいからっ!」

 亜梨明がパアッと、表情を明るくする横では、奏音が手と首を横に振りながら、断ろうとする。


「だーめっ!今日は私と奏音、二人の誕生日だよ?」

「そうそう!ほらっ、日下の前で亜梨明ちゃんと並んで!」

 星華は、逃げようとする奏音の肩を掴むと、亜梨明の隣から動けないように抑え込んだ。


「では、お願いします……!」

 亜梨明が頼むと、爽太は亜梨明と奏音の顔を、交互に見つめた。


「~~~~っ!!」

 奏音は改まって言われることが恥ずかしいのか、ソワソワモジモジしており、それを緑依風と星華は、少し面白そうに見ている。


「じゃあ……亜梨明、相楽さん――お誕生日おめでとう!!」

 爽太は、普段よりも少し声を張り上げて、亜梨明と奏音にお祝いの言葉を贈った。


 亜梨明は、にっこりと嬉しそうに笑い、奏音は、はにかむように顔を歪ませる。


 ――そして、どちらともなく、姉妹は顔を見合わせると、ふっ……と、息を漏らした。


 同じ顔の亜梨明と奏音に、同じ気持ちが溢れてくる。


『ありがとうっ!!』

 姉妹は、爽太の祝福の言葉を喜んで受け取った。


 今日は六月十三日――。

 亜梨明と奏音の、十三歳の誕生日。


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