第42話 贈り物


 ――カラン、カランと、麦茶の中に入った氷が、爽太が階段を上るたびに音を立てる。

 爽太の部屋は、二階の一番奥の部屋らしく、亜梨明は彼の後ろをついて歩く。


「ごめん、ドア開けてくれる?」

 両手塞がりの爽太が、部屋の前で言った。


「じゃあ、失礼して――」

 亜梨明がドアを開けると、黒色の縦長い本棚が二、三台と、ベットに机のみといった、さっぱりした部屋が見えた。


 床には、深い青地の薄いマットが敷かれているが、その上にも、脱ぎっぱなしの衣服や、漫画などはなく、きちんと整頓されている。


「爽ちゃんのお部屋、綺麗だね……」

「なにも無いだけ」

 爽太の言う通り、本当に無駄なものが無い部屋だ。


 彼らしいといえば、彼らしい部屋なのだが、亜梨明は、よく聞く話の男の子と同じように、意外と部屋は生活感あふれるものではないかと、ひそかに期待していたので、完璧な彼の私生活を知り、少しつまらないなんて、思ったりしていた。


「あ、もしつまらなかったら、ゲームする?リビングから取ってこなきゃいけないけど」

「えっ!?あっ――こ、声に出てた?」

「何が?」

 亜梨明はてっきり、心を読まれたのではないかとあたふたしたが、そうではなかったようで、爽太は机にトレーを置くと、「ソファーも座布団も無いから、ここに座って」と言って、ベッドに座るように促した。


 亜梨明が言われたとおり、爽太のベッドに座ると、斜め前にある本棚には、人気少年漫画が一巻から最新刊まで揃えられている。


「なんだ、爽ちゃんも漫画読むんだ!」

「えっ、読むよ?なんで?」

「ううん、何でもなーい!」

 普段はそんな雰囲気を感じさせない爽太も、そういった娯楽を楽しんでいることを知り、亜梨明はホッとしたように笑った。


 他にはどんな本を読むのか眺めると、その漫画以外には、バレーボールの本が数冊、図鑑――医学事典や医療関係の本が、本棚全体の半分以上を占めている。


 そして、机側の壁を見ると、パジャマ姿の小さな爽太が、白衣を着た男の人に抱きかかえられて、笑顔で写真に写っていた。


「…………」

「――それは、根治手術が終わって、退院する前日に撮ったやつ」

 爽太は、写真をじっと見つめる亜梨明に説明した。 


「この人、あの時言ってた手術してくれた先生?」

「うん」

 写真の中の幼い爽太は、今よりも頬が丸くて、とても愛らしい顔立ちをしている。

 亜梨明はそんな彼の姿に、「可愛い~」と、思いながら、ニマニマと口元を緩めていた。


「亜梨明」

「あっ、ご、ごめん。お話だよね!」

「うん」

 亜梨明が我に返って爽太に振り向くと、爽太は先程使っていた鞄から、小さな紙袋を取り出し、「はい」と、それを亜梨明に手渡した。


「これは?」

「開けてみて」

 袋を開けると、お店で亜梨明が可愛いと言っていた、音符のストラップが入っていた。


「……これ、私に?――もしかして!」

「――誕生日プレゼントっていうと、亜梨明が遠慮しちゃうから、今日のお礼ってことで!」

「でも私……今日お茶ももらったよ!こんなにしてもらうほど、爽ちゃんに何もしてない……」

 亜梨明は、今日の自分の行動を思い返していた。


 自分がしたのは、ひなたの誕生日プレゼント選びを手伝っただけ――。

 お金を半分出したわけでもなく、一人で選んだわけでもなく、爽太と共に探して選び、購入したのは爽太のみだ。


 ――それだけじゃない。

 爽太には、常日頃から世話になりっぱなしだ。


 トータルで考えても、ストラップをもらうのに、見合うことはしていない。


「もらってよ、亜梨明に喜んで欲しくて買ったんだから」

「喜んで……?」

「これあげたら、亜梨明が喜んでくれるかなって、思ったから――『おめでとう』って言ってくれたのが、嬉しかったから。でも、その『嬉しい』を言葉で全部表せないから、これが――僕の『ありがとう』の気持ち」

「…………!」

 亜梨明は、ストラップを持つ手にぎゅっと力を込めた。


「ありがとう……!ありがとう、爽ちゃんっ!」

「うん、僕も……おめでとうって言ってくれて、ありがとう!」

「~~~~っ!!」

 爽太は、大事そうにストラップを手にする亜梨明を見て「ははっ」と笑った。


 初めてもらった、爽太からの贈り物。

 亜梨明だって、この『嬉しい』の気持ちを爽太の心に届けるならば、どんなに素晴らしい宝石だって、何十個、何百個集めたって足りないくらいだ。


「早速、スマホにつけるね!」

 亜梨明は、スマホカバーのストラップをつける穴に、紐を通し始めた。


「えへへ、できた!」

 亜梨明は笑いながら、爽太にストラップを見せた。


「うん!」

 爽太は目を細めながら、ストラップに触れる亜梨明を見つめていた。


 *


 午後四時になると、亜梨明は家に帰るために、爽太と共に一階のリビングへと向かった。


 本当はもっと一緒に居たかったが、早めに休んで明日学校に行かないと、爽太は心配し、誘ったことを後悔するだろう。


 せっかくの素敵な一日を、そんな思い出にしたくはない。


「あの、お邪魔しました!」

「あら、もう帰っちゃうの?」

 残念そうな顔で、唯が言った。


「あまり長い時間外出してたら、亜梨明が疲れちゃうだろ。お母さん、亜梨明を車で送ってくれない?」

 爽太が頼むと、唯は「それはいいけど~」と言いながら、頬に片手を当てた。


「お父さんに、爽太が女の子連れてきたって電話したら、「今すぐ帰るー!」ってさっき慌てて出先から戻ろうとしてたのに……」

「ええっ!?」

「お父さん、どこ行ってたんだろう?」

 驚く亜梨明の横で爽太が呟くと、バタンっ!と、玄関から勢いよくドアが開く音が聞こえた。


「たっ、ただいまっ!!爽太の彼女――じゃなくて、お、お友達はっ!?」

 騒々しい音を立てながら、すらりと背の高い男性が、息を切らしてリビングに入ってきた。


「あ、お父さん」

 爽太に呼ばれたその男性は、まるで爽太がそのまま歳をとったように、そっくりな顔立ちをしており、爽太が父と呼ばなくとも、親子だと一目見てわかる程だ。


「眼鏡壊しちゃって新しいの買いに行ってたら、お母さんが爽太が女の子連れて来たって言ってて、走って帰って来たよ……!」

 新品の眼鏡を上げ直しながら、爽太の父親が言った。


「ちょっとお父さん、走って帰ってきたのはいいけど、汗くらいちゃんと拭いてちょうだい!」

 唯がハンドタオルを渡しながら言うと、父親はそれを受け取り、額に溜まった汗を拭き取った。


「(似てるけど、お父さんは眼鏡かけてるんだ……)」

 そして、「とても賑やかな人だなぁ」というのが、亜梨明が見た、爽太の父――日下晴太郎せいたろうの第一印象だ。


「あ、お見苦しくてすみません、爽太の父です」

 晴太郎は軽く頭を下げながら、穏やかな声と、ふんわりと優しい笑顔を亜梨明に向けて、挨拶をした。


「初めまして、相楽亜梨明です」

 亜梨明は、挨拶を返しながら、笑い方まで似ている爽太の父に、彼も大人になったらこんな感じになるのかなと、想像した。


「亜梨明もう帰るんだけど」

「え、帰っちゃうの!?そっか~……また遊びに来てね」

 わかりやすく、がっくりと肩を落として、残念そうにする晴太郎。


 中身は、爽太より面白いかもしれないと亜梨明は思った。


「じゃあ私、亜梨明ちゃんを送るから、お父さんはひなとお留守番しててね」

 車の鍵を取り出した唯は、晴太郎に留守を頼んだ。


「僕も行くよ」

 爽太が言うと、「うん、来なさい」と、唯は小さい鞄を手に持った。


「では、お邪魔しました」

「お姉ちゃんまた来てねー!」

「うん、また行くね~!」

 亜梨明はひなたに手を振り、ひなたと晴太郎も、ぶんぶんと大きく手を振って、亜梨明を見送った。


「可愛い子だったな!」

 ドアが閉まると、晴太郎はひなたを抱き上げながら言った。


「ね~!髪の毛サラサラだった~!」

「あんなに小さくて可愛かった爽太も、女の子を連れて帰る歳になったのか……」

 晴太郎は、幼かった我が子の成長を喜び、感慨深そうにじ~んとしている。


「私も今度男の子連れてくる~!新しい学校で、仲良くなった男の子いるの!」

「えっ!?」

 ひなたの言葉を聞いた晴太郎の頭の中に、中学生くらいに成長したひなたが、恋人と腕を組んで、家に連れてくるイメージが浮かび上がる……。


「お兄ちゃんに彼女ができるのは嬉しいけど、ひなたに彼氏ができるのは、お父さん寂しいなぁ~……ぐすっ」

 晴太郎は、愛娘が自分の元を離れていく姿を想像すると、軽く鼻をすすって、ひなたを抱きしめた。


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