第39話 お誘い

 

 六月七日、金曜日。


「おっはよー!!」

 梅雨特有のジトジトした湿度と、生ぬるい気温を吹き飛ばす勢いで、星華が教室に入ってきた。


「星華、今日も元気だねぇ……」

「朝から疲れねぇのか……」

 静かに雨が降り注ぐ日が続く、この季節。


 髪の毛の広がり具合が気になる緑依風と、ワックスで持ち上げた髪が元に戻ってしまう風麻は、うんざりした様子で、ピカピカに明るい星華の笑顔を見た。


「ねぇねぇ、相楽双子の誕生日プレゼントはもう決めた?」

 星華がキランと目を光らせた。


「まだ決めてない。そっか来週だもんね〜」

 緑依風は黒板に表記されている、日付を見ながら言った。


「何にしようかなー!選ぶ側もドッキドキなんだよね〜!」

「来週のいつ?」

 風麻が緑依風に聞いた。


「十三日の木曜日。双子にプレゼントあげるって、初めてだね。やっぱりお揃いがいいかな?」

「亜梨明ちゃんは、お揃いだと喜びそうだよね〜!」

「そっか……」

 風麻が顎に手を当てて呟いた。


「おはよう〜!」

 三人が後ろを振り返ると、相楽姉妹がやって来た。


「二人ともおっはよー!ねぇねぇ、誕生日プレゼント何が欲しい?」

 星華がストレートに本人たちに聞くので、緑依風は「おいおい…」と呆れた顔をした。


「え、祝ってくれるの?」

 奏音が素直に喜んだ。


「もっちろん!私の誕生日も祝ってねー!」

「それが目的か……」

 手を差し出す星華の手を、奏音はペチペチと叩いた。


「で、何がいい?」

 星華はスケジュール手帳を取り出すと、ボールペンをマイクのようにして、相楽姉妹に向ける。


「なんでもいいよ。リクエストするより、どんなのがもらえるかの方が、楽しみだもん」

「亜梨明ちゃんは?」

「私も……あ、でも奏音とお揃いがいいな!」

「やっぱりねー!よし、お揃いで何か考えとくね!」

「お揃いか……」

 星華が手帳にメモをする隣で、風麻は声を出さずに口先だけ動かし、心の中でメモを取った。


「おはよう」

 教室に入って来た爽太が、五人に挨拶をした。


「おはよう爽ちゃん!」

「ねぇ、亜梨明。今週の日曜日予定ある?」

「何も……」

「よかったら、僕の買い物に付き合ってくれない?」

「――――!!」

 爽太以外の五人が、ヒュッと息を呑んだ。


「ダメかな?」

 首を傾げる爽太に気付かれぬよう、奏音が肘で亜梨明の横腹を突いた。


「ダメじゃないです!私でよければ喜んで!!」

 亜梨明が慌てて答えると、爽太はいつも通り、お日様のように優しい笑顔で「よかった」と言った。


 まだ鞄を手に持ったままだった爽太は、荷物を置くために、自分の机に戻っていった。


 亜梨明は、はわわわ~!と、開けた口を震わせながら、女友達の顔を見る。

 緑依風、奏音、星華は視線だけで「よかったね〜!」と亜梨明を祝福し、風麻はモヤっとした気持ちで、爽太を見ていた。


 *


「デートみたい……!」

 女子四人で集まった後、亜梨明が言った。


「デートだ……!」

 星華が羨ましそうに言った。


「買い物って言ってたよ」

 奏音が冷静な声で言った。


「買い物ってなんだろうね?」

 緑依風が首を傾げた。


「男子が買いにくい物なの?普通なら男友達誘いそうじゃない?風麻とか、バレー部の他の部員とか、三橋とか?」

 緑依風の言葉に「うーん」と三人は色々考える。


「何はともあれ、二人きりのお出かけ!楽しんできてね!」

 星華が亜梨明の肩を叩いて応援した。


「体調悪くなったら、日下にちゃんと言うんだよ!最近は安定してるけど、また前みたいになったら、日下も私達も嫌だよ!」

 奏音が念を押して言った。


「わかってる!日曜日お出かけできるように、体調整えておかなきゃ!」

 亜梨明はグッと手を握りしめ、気合を入れた。


 *


 ――土曜日の夜。


「うーん、これは派手かな?でも、こっちは暗い?」

 何を着て行こうか悩んでいた亜梨明は、タンスの中の服とにらめっこしていた。


「亜梨明、どうしたの?」

 ドアを開けっぱなしの亜梨明の部屋に、明日香と奏音が入ってきた。


「明日のお出かけの服。何着て行こうかなと思って……」

「おでかけって、奏音は?」

「明日は私行かないよ。亜梨明と日下の二人きりでのお出かけなの!」

 奏音がニヤニヤしながら答えた。


「そっか。亜梨明もそういう歳頃なのね」

 明日香は、亜梨明が恋していることを嬉しく思い、目を細めた。


「奏音、お母さん!これ、どうかな!?」

 白いTシャツと、チェックのギャザースカートを手に持ちながら、亜梨明が聞いた。


「いいんじゃない?靴は歩き疲れないように、スニーカーの方がいいと思うわよ」

「え~っ……。この間買ってもらった、サンダルにしようかと思ってたのに〜」

「履き慣れないサンダルで疲れて買い物できなかったら、日下に迷惑でしょー」

「はぁい」

 やや不満げな亜梨明は、床に散らかした服を畳み始めた。


「亜梨明が恋か……。なんだか自分のことみたいにウキウキしちゃうね!」

「そう?まぁ、応援はしてるけどさ~」

 明日香は、亜梨明がやっと、同年代の女の子と同じように友情を育み、好きな人に思いを馳せる姿を、とても喜ばしく感じていた。


「ところで、奏音にはそういう子いないの?」

 明日香がクスリ笑いながら、口元を手で押さえた。 

「私には恋の『こ』の字もありませーん!」

 奏音は、指でその加減を表しながら答えた。


 *


 日曜日の午前十時二十五分。

 雨続きだった日々から一転して、お出かけ日和に最適な快晴の空だ――。


 亜梨明が夏城駅に向かうと、三十分に待ち合わせだというのに、爽太はもう駅に到着していた。


「わっ、待たしちゃってた!」

 数メートル先からその姿を確認した亜梨明は、慌てて走ろうとした。


 ――あ、ダメ!慌てない。


 走って具合が悪くなった方が、待たせることよりも迷惑だと気付いた亜梨明は、そう自分に言い聞かせ、走るのをやめた。


 しかし、学校以外で会えたことや、滅多に見れない、私服姿の爽太に心が舞い上がり、早く彼の元へ行きたくてたまらない。


 そんな念が伝わったのか、亜梨明の気配に気付いた爽太は、笑顔で手を振りながら、亜梨明に歩み寄ってきた。


「おはよう」

「お、おはよう。爽ちゃん早いね……」

「コンビニでお茶買おうと思って。亜梨明もこれ飲んでね」

 爽太は、袋から取り出した麦茶を亜梨明に渡した。


「えっ?ありがとう!お金払うね!」

 亜梨明が受け取りながら言うと、「付き合ってもらうから、このくらいいいよ」と、爽太は言った。


「今日は暑いからね、水分補給もちゃんとしないと」

「うん……!」

 強い日差しより、爽太の優しさに感動して、亜梨明の顔は、熱く火照っていく。


 *


 電車を待ちながら、亜梨明は隣に立っている爽太をチラチラと見ていた。


 爽太の服装は、白いTシャツを着て、その上に薄い水色の長袖シャツを羽織り、袖は緩く肘まで捲っている。

 下は青いスキニージーンズを履いて、くるぶし丈の靴下にスニーカーという、夏らしく、また彼の名前のように爽やかなコーデだった。


 学校では、女子生徒から高評価されている爽太だが、それは外でも同じのようだ。

 ただ立っているだけなのに、反対側のホームや列の横から、同年代の女の子や、少し年上の女の人の視線が、彼の元に集まってくる。


 爽太はそれに気付いていないのか、それとも知らんぷりをしているのか、よくわからない表情で、電車が来るのを待っていた。


 ――私、爽ちゃんと一緒に歩いてて、恥ずかしい格好じゃないよね?


 今更ながら、隣にいる爽太に見合う服装なのか、気になった亜梨明。

 ソワソワしながら、前で組んでる指を動かしていると、「なんか新鮮!」と、爽太が言った。


「え?」

「亜梨明の私服姿」

「そ、そうかな?」

「うん、滅多に見ないからさ」

「へ……変かな?」

 亜梨明は、頬にかかった長い髪を、手で避けながら聞いた。

 

「うーん……別に、普通だと思うよ?」

 亜梨明はドキドキしながら返答を待っていたが、爽太の口から出てきたのは、期待していた「可愛い」でも、恐れていた「変」でもなく、「普通」だった。


「ふ、普通かぁ~……」

 亜梨明の心は、ホッとした気持ちと、残念な気持ちで、半分半分に別れた。


「――あ、電車来たよ」

 亜梨明の気持ちなど、これっぽっちも気付いていない爽太は、ホームに入ってきた電車を指差した。


 停止した電車の窓に、亜梨明と爽太が並んで立つ姿が映る。


「…………!」

 その瞬間、亜梨明の気分は再び高揚した。

 

 ――なんか、恋人同士みたいじゃない?


 もちろん、亜梨明の片想いなため、そんな関係ではない。

 しかし、どうしたって、同じ年頃の男女がこうして近くに並んでいると、それっぽく見えてしまう。


「(ちょぴっとだけ……ちょぴっとだけ、浮かれてもいいかな?)」

 亜梨明はそう思いながら、「乗ろう?」と手を差し出す爽太に、自分の手を伸ばした。


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