第38話 声

 爽太と別れた後、風麻は漫画を買うために、本屋へと向かっていた。

 漫画を手に取り、レジに向かおうとすると、レジの付近にいた海生に声をかけられた。


「こんにちは風麻くん」

「こ、こんにちは……」

 海生は緑依風の従姉で、小学校時代も一学年上の先輩だったので、風麻は彼女とも知り合いだ。


 しかし、風麻と視線を合わせるために前屈みになった、海生の美しい顔が近くに迫ると、風麻は思わず緊張してしまう。


「何買いに来たの?」

「あっ、えっと……漫画です。海生先輩は……デートっすか?」

 風麻は、少し離れた位置で本を探す、海斗の姿に気付いて言った。


「デートっていうか、帰りに本屋寄ろうかな~って思っただけ。――あら、海斗。本は見つかった?」

 海生の背後に、海斗が本を手に持ってやってきた。


「うん。……えっと、この子は?」

 風麻は、校内で有名な海斗のことを知っていたが、海斗は風麻を初めて見た。


「一年の風麻くん。ほら、緑依風の――お友達よ」

 海生が説明すると、海斗は「あ、話はよく聞いてる!」と言って、風麻ににっこり笑いかけた。


 海生と同じく、整った顔立ちの海斗に笑顔を向けられると、同じ男同士であろうと、なんだか恋する乙女のような気持ちになってしまう風麻。


 ――と、その時だった。


 風麻は、あることに気が付いた。

 自分よりも、緑依風よりも長身の海生――よりも、海斗の背が更に高いことに。


 風麻が見たところ、海斗は海生の頭頂よりも、頭半分程抜き出ている。


「――か、海斗先輩っ!」

 風麻の手が、海斗の手を握る。


「おっ、俺に背の伸ばし方、教えてくださいっ!!」

 掠れた声を裏返しながら、風麻が藁にも縋るような思いで懇願する。


「……えっと」

 海斗は驚いて海生と目を合わせるが、自分の手を握る後輩が、まるで雨に濡れた子犬の様にいじらしくて、クスっと笑った。


「なんかよくわからないけど、とりあえずアイスでも食べに行く?俺、おごるよ」


 * 


 海斗の提案で、三人は本屋から少し離れた、アイスクリーム屋に行った。


「――それで俺、中学生になったら、一気に背が伸びるかなって思ってたんですけど、自分が思ったほど伸びてなくて……」

 風麻は、悩みを先輩達に打ち明けると、奢ってもらったアイスクリームを一口食べた。


「あー……でも、俺も去年は風麻くんぐらいだったけどね」

「え、そうなんすか!?俺、海斗先輩は昔から背が高いのかと思ってました!」

 意外な一言に、風麻はびっくりして前のめりになった。


「全然!海生より小さかったんだ」

「可愛かったよね」

「昔はね」

 少し惚気る二人の前で、風麻は「へぇぇ~……」と、鳩が豆鉄砲を食った様な顔をした。


「じゃあ、背が伸びてから付き合い始めましたか?」

「う~んと、付き合ったばかりの頃は、私の方が高かったけど、あっという間に追い抜いたわね〜?」

「それ!追い抜く頃にしたこと、教えてください!!」

 海斗は、必死な様子の風麻を見て、背を気にしていた自分を懐かしく思いながら、「そうだねぇ~」と言って、腕を組んだ。


「必ず伸びるとは言い切れないけど、俺がやってたのは、カルシウムとマグネシウムをバランスよく摂ること。たくさん寝ること……もちろん、夜更かしはダメだよ。好き嫌いせずに、肉も野菜も魚も食べて、程よく運動。あと、背伸びとかたくさんしてたかな?」

「な、なるほど……」

 風麻は、慌てて取り出したノートの端に、海斗のアドバイスをメモをした。


「それから、遺伝とかも影響するけど、風麻くんのご両親の背は、どのくらいある?」

「父親は、180あったと思います。母親も小さくはないはずっす……」

 風麻は昔聞いた、記憶を辿りながら答えた。


「じゃあ、そんなに心配無いんじゃないかな?」

「海斗先輩は、今何センチっすか?」

「春で172センチかな?」

 頭の上に手を掲げて海斗が言った。


「私は166センチだったわ」

「166……」

 風麻は、海生の身長を聞いて、昼間の出来事を思い出した。


 緑依風は四月の測定結果で、160センチだと紙に記されていた。


「――海生先輩って……女の人の中では大きい方ですよね?」

「そうね」

「背……気にしますか?」

 風麻が少し、慎重なトーンで聞いた。


「私は、面白いから、どこまで伸びるか楽しんでるけど……。もしかして、緑依風のこと?」

「はい……」

 風麻が頷くと、海生は口に運んだスプーンをカップに置いた。


「あの子は、私と違って繊細な子だから……。他の子より大きいこと気にしてるのよね」

「…………」

 風麻はあれから、元気を無くした緑依風が気掛かりになっていた。


 昔から、緑依風とケンカになって負けそうになれば、いつも彼女の体の特徴を攻撃してきた。

 緑依風も同じように、風麻の気にしていることを指摘してきた――だからおあいこ。


 ――そう思ってきたのに、今日の緑依風はいつもより傷付いて見えた。


 自分もチビ、アリンコなどと言われてカチンときたけど、そのことよりも、緑依風にあんな様子でいられることの方が、風麻の心のダメージは大きかった。


「俺、いつも……背が大きい緑依風が羨ましくて、悔しくて……。昼にそう言ったら……あいつ、元気無くなっちゃって……」

 溶けかけのアイスを練りながら、海生はふっと笑った。


「それはね、あの子の気になる子が、あの子より小さいからかもね」

「気になる子――?」

「うん、好きな子のこと」

 海生は口元に指を立てると、「緑依風には内緒ね」と言った。


 風麻は、海生から初めて聞いた、緑依風に好きな人がいる情報に、とても驚いていた。

 風麻からすれば、緑依風にそんな特別な存在がいる雰囲気は、一度も感じていなかったからだ。


「……好きなやつ、いるんだ」

 小声でそう呟く風麻を、海生と海斗は微笑ましい様子で見ていた。


「伸ばす努力はできるけど、伸びる身長を止めることなんて、できないの。あの子は、自分の好きな子が、もし伸び悩んで止まってしまったら、自分は女の子として見てもらえないって、不安なのよ」

「……海生先輩はどうして、海斗先輩が小さくても、付き合おうと思ったんですか?」

「海斗が、私を外見でじゃなくて、内面を見て好きだと言ってくれたから。私がおバカなところも、友達が呆れることも、それを全部含めて好きって言ってくれたのが、嬉しかったの……」

 海生が海斗に笑顔を向けると、海斗は「今も同じだよ」と言った。


 風麻は、見ている方が恥ずかしい気持ちになる空気に、火照った顔を冷やしたくて、残りのアイスを一気に食べた。


「――ま、見た目を気にするのもわかるけど、どうせだったらハートで勝負!ある意味、背を伸ばすよりも難しくて、大変だけどね。……風麻くんが背を気にするのは、好きな子がいるから?」

 海斗に聞かれた風麻は、斜め下を向きながら「はい……」と、恥ずかしそうに答えた。


「じゃあ尚更、相手に見てもらうのは中身だ!」

「はい!」

 風麻は強く返事をした。


 *


 ――夜八時頃。

 昼間の出来事を引きずっていた緑依風の元に、海生から電話が入った。


「どうしたの海生?」

「帰りに風麻くんに会ってね、お昼の話聞いたの。風麻くん、緑依風が元気無くしたこと反省してたから、許してあげてね」

 電話の向こうで海生が言った。


「――そっか。別に風麻だけが悪いわけじゃないし……。むしろ私の方が、風麻に嫌なこと言った気がするんだけど……」

 緑依風も、帰宅してからずっと、風麻に吐いた暴言や、素っ気ない態度を取ったことを反省していたのだった。


「可愛いわね~風麻くん!海斗も気にいったって言ってたわ!」

「え、あいつ海斗先輩とも話したの?」

「うん、一緒にいたからね。じゃあ、伝えたわよ。明日には仲直りね!」

「はいはい……」

 緑依風は通話終了マークをタップすると、「はぁ~」と大きなため息をついた。


「可愛いか……。私から見た風麻は、いつもかっこいいんだけど」

 緑依風はそう呟くと、雨上がりの夜空に見える月を眺めた。


 *


 次の日、緑依風が坂下家のインターホンを押すと、風麻が扉を開けて出てきた。


「おはよう!」

 緑依風が元気な声で挨拶すると、「はよ」と風麻も言った。


 二人は、水溜りが残るアスファルトの道を並んで歩いた。


「……昨日は、ごめん」

 少し枯れかけた声で風麻が言った。


「こっちこそだよ。ごめんね」

 緑依風も謝ると、風麻はタタっと緑依風の前に出て、彼女の姿をじーっと見つめた。


「な、なに……?」

「お前さ、背大きいの気にしてるみたいだけど、これからは見た目じゃなくて、中身で勝負しようぜ」

「中身?」

「俺、お前の良いところ、いっぱい知ってる自信がある!もし、お前のことわかってないやつがいたら、俺がお前の良いところいっぱい説明するからな!」

「あんた……どうしたの?」

 風麻の言葉の意味がわからない緑依風は、ポカンとしながら聞いた。


「別に?俺も背を気にするより、内面を磨こうと思ってな!あ、もちろん背も伸ばすけど!お前が大きくなっても、すぐに追い抜くから待ってろよ!」

 風麻は拳を緑依風に向けながら、堂々とした様子で宣言した。


 突然こんなことを言いだす理由はわからないが、ニッと、歯を見せて笑う風麻につられて、緑依風も「わかった、待ってる!」と、小さく微笑みながら拳を当てた。


「――ところでさ、声最近ずっと変じゃない?風邪引いてる?」

「あ~っ……それなんだけどさ、熱も怠さもねぇのに、もう一週間以上こうなんだよなぁ~……」

「――それって!」

 喉に手を当てながら、「あ"~」と、発声練習の真似事をする風麻を見て、緑依風はあることに気付いた。


「もしかして、声変わり……じゃない?」

「――――!!」

 緑依風に喉元を指差されると、風麻は目を大きく開いた。


「そっかー!俺もちゃんと成長してるんだな!!」

 風麻は「よっしゃぁぁ~!!」とジャンプしながら喜んだが、無理に大声を出し過ぎたのか、「げっほ!げほ」とむせていた。


「あ~あ……。ほら、のど飴一個だけ持ってたからあげる。学校着くまでに舐め切っちゃって」

 緑依風が鞄のサイドポケットから、りんご味ののど飴を取り出すと、風麻は「あ、サンキュ……」と言って、受け取ったのど飴を口の中に放り込んだ。


「この声とも、もうすぐお別れかー!」

 男の子にしては高めの声を枯らしながら、風麻は嬉しそうに飴を舐めた。


 風麻の成長が嬉しくもあり、寂しくもある緑依風は、無邪気であどけない幼馴染の横顔を、少し切なげな眼差しで見ていた。


 変わりゆく愛しい人の瞬間が、できるだけしっかり思い出に残るように――。


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