第37話 背くらべ


 こんな話を聞いたことがあるだろうか?

 寝ている最中に、ガクンと落ちる感覚があった時、それは身長が伸びた瞬間だと――。


「…………!!」

 何故そんな話をするのかというと、たった今――この、背を伸ばしたくてたまらない少年、坂下風麻の身に、その現象が起きたのだ。


「よーーーーっし!!!!」

 普段は頭が覚醒するまで、時間のかかる風麻だが、今日は掛布団を跳ね除けながら、ぴょんっとベッドから飛び降りた。


「伸びた!俺は今っ!背が伸びたんだ!!」

 外は土砂降り雨だが、風麻の心は晴れ晴れとしている。


 実際、そんな話は都市伝説のようなものらしいが、風麻はそれを信じていた。


 *


「母さん、母さん、母さ~~ん!!!」

 階段をドタタタタッ!と、駆け下りた風麻は、洗面所に行く前に、朝食の準備をする母親の伊織の元へ向かった。


「朝からけたたましい子ねぇ……」

 伊織は片耳を小指で塞ぎながら言った。


「母さん、今日の俺、なんかいつもと違くない?」

 風麻は親指で自分を指しながら、自信たっぷりに聞いた。


「ん~?別に……寝癖がいつもよりマシなくらいで、なんとも感じないわよ」

 伊織は、会社に出勤する和麻の朝食をトレーに乗せると、「秋麻が起きる前に、洗面所使っちゃいなさい」と言って、和麻の待つテーブルにそれを運んだ。


「ちぇ……息子の変化に気付かないなんてさ!」

 風麻が不貞腐れながら洗面所に向かおうとすると、「それより……」と、伊織が振り返った。


「喉……ここのところずっとおかしいじゃない。エアコンつけて寝てるんじゃないでしょうね?風邪なら薬が引き出しにあるから、悪化する前に飲んじゃいなさい」

「大丈夫だよ。変な感じはすっけど、ぜーんぜん元気だし!」

「あんたは元気でも、お友達にうつしたら大変でしょ?クラスに病気の子がいるって、風麻言ってたじゃない」

「あ……」

 伊織に言われて初めて、風麻はマズイと思った。


 もし、自分では大したことのない風邪が、亜梨明に感染してしまったら、彼女はとても辛い思いをしてしまうのではないだろうかと……。


「……わかった。一応飲んどく」

「ん、朝ご飯の後に飲むのよ」

「…………」

 二人のやり取りを、朝食を食べながら見ていた和麻は、風麻の声の不調は、違うものではないかと予感していた。


「あいつも成長してるな~」

 味噌汁をすすりながら、和麻は嬉しそうに笑った。


 *


 ――月が替わって六月。

 夏城中学校の制服は夏服に変わっていた。


 女子は、茶色の長袖セーラー服から、白を基調とした半袖のセーラー服に。

 男子は、特に変化は無いものの、冬服の間は絶対着用だったネクタイを、外しても良いという規則に変わっている。


 風麻はネクタイがあまり好きではなかったので、衣替えと同時に、さっそく着けずに登校した。


 緑依風と並びながら、学校までの道を歩く風麻。

 傘を叩く雨音が強まり、ふと風麻が見上げると、緑依風の差す傘の位置と、自分の傘を差す位置の違いが、以前より縮まったような気がした。


「なぁ、緑依風」

「なぁに?」

「俺さ、背が伸びたと思うんだけど、どう思う?」

「ん~?」

 風麻が聞くと、緑依風は風麻の足先から頭の位置をじ~っと見た。


「背伸びはしてねぇぞ」

「はいはい……。そうだねぇ~伸びてると思うけど?」

「ホントかっ!?」

「わっ!」

 風麻が突然詰め寄るので、緑依風は一歩後ろに下がった。


「ち、近い近い!……まったくも~」

 緑依風が顔をほんのり赤く染めて、再び歩き出すと、「どのくらい伸びてると思う?」と、風麻が後ろから聞いた。


「どのくらいかはわからないけどさ……私達成長期だもん。ちょっとずつ伸びるでしょ」

「それは……お前も伸びてるってこと?」

 風麻にそう聞かれた緑依風は、「多分……ね」と、力無い声で言った。


「どのくらい伸びてるか気になるなら、昼休みに保健室行けば?」

「――――!」


 *


 緑依風からの助言を受けた風麻は、昼休みになると、まるで成長お披露目会と言わんばかりに、友達の爽太と緑依風を誘って、保健室に向かった。

 話を聞いて面白そうだと思った、亜梨明、奏音、星華も一緒だ。


「ピコ先生~!身長測らせて!」

 風麻は、保健室のドアをガラッと開けながら聞いた。


「はいはい、いいですよ~」

 ピコ先生というのは、養護教諭の柿原真穂先生のことだ。

 小柄な柿原先生は、小さいという意味の『ピコ』という愛称で、生徒に慕われている。


 プライベートでは、一組担任の波多野先生と仲が良いらしく、仕事終わりに木の葉にお茶しに行くこともあるらしい。


 廊下に置きっぱなしの、身長測定機に乗った風麻は、爽太にバーを下ろす役目をお願いした。


「そんなに変わったかなぁ~坂下。チビのままじゃん」

「失礼だなぁ~。俺よりもーっとチビの空上には言われたくねーよ。さっ、爽太早速頼む!」

 自信満々に風麻が顎を上に反らすと、「あ、顎は少し下にしてね」と、爽太は言った。


 ――スーッと、バーが下りる音が聞こえる。


 風麻と――そして、彼の成長を願う緑依風は、緊張しながら測定結果の発表を待っていた。


「ど、どうだ?爽太……」

「えと……152.5センチだね」

「なっ……!」

「――やった!」

 風麻は驚愕の声を、そして緑依風は歓喜の声を思わず上げたが、ハッと気付くと、それを悟られないように、サッと風麻から顔を背けた。


「の、伸びてない……!」

 風麻はそう言うと、床に手をついて落ち込み始めた。


「えっ、伸びてるじゃない!」

 緑依風が、項垂れる風麻を疑問に感じながら言った。


「そうだよ坂下~!1.5センチ伸びてるじゃない!」

 奏音は測定器の数値を確認した。


「俺は、3センチくらい伸びてると思ったんだよーっ!!」

 風麻は頭を抱えながら、とても悔しそうに叫んだ。


「あんまり一気に伸びると、身体中痛いからいいんじゃない?」

「わかる、成長痛でしょ?関節とかすごく痛いよね」

 六人の中で長身の爽太と緑依風は、同じ悩みを告げた。


「坂下くんは、なんでそんなに背にこだわるの?私から見ると、坂下くんも大きいと思うけどな」

 亜梨明に質問されると、「そりゃ、小さい男なんて恥ずかしいじゃん……」と、風麻は床に座ったまま、モジっとしながら言った。

 

「そんなことないよ!可愛くていいと思う!」

「か……かわっ!?」

 亜梨明は励ましたつもりだったが、風麻にとってその言葉は、男のプライドが傷付くものだった。


 好きな女の子に「可愛い」と表現され、ショックのあまり、床にうずくまる風麻……。


「ありゃ!坂下が更に小さくなった!」

 星華は、ダンゴムシの様に丸くなる風麻の頭を、ツンツンして遊んでいる。


「あ……ごめんね坂下くん、励ましたつもりが……!」

「伸びてるんだから大丈夫だって!」

 緑依風は肩を軽く叩きながら元気付けるが、顔を上げた風麻はしょぼくれた顔をしている。


 風麻が緑依風を見上げると、床に座っているせいで、彼女の姿がいつもより大きく見える……。


 羨ましい気持ち、悔しい気持ちが、風麻の心の中で、ゴム風船のように膨らんでいくと、「お前はいいよな……」という言葉が、無意識に風麻の口から零れ出た。


「えっ?」

 風麻は緑依風が差し出した手を取ることなく、自力で立ち上がると、恨めしそうな目で緑依風を睨んだ。


「……昔から背が高くてさ。何の心配もなく成長して……一人だけ大人に近付いてさ」

「そ、そんなこと……」

「伸びてるんだから大丈夫?それは、お前がそんな心配したこと無いから言えるんだろ……。昔からデカいお前には、背がなかなか伸びなくて悔しいっていう俺の気持ち、一生わからねぇよ……」

「…………」

 緑依風はギュッとこぶしを握りながら、耐えるように俯いた。


「あーっ!坂下ひっどーい!緑依風の地雷踏んだ!!」

 星華が緑依風に寄り添いながら言った。


「なんで地雷なんだよ。背が高い方がいいじゃん!」

「女の子は逆なの!伸びすぎると、今度は釣り合う人が見つからなくて大変なんだから!」

「そんなの、背が高い男子と付き合えばいいだろ!」

「坂下は本当に女心がわかってなーい!」

「……いいよ、星華」

 顔を上げた緑依風は、風麻に一歩近寄ると、泣くのを堪えているような表情をしていた。


「――バカっ!チビっ!!アリンコっ!!」

 緑依風はそれだけ告げると、一人先に教室へと戻っていった。


「あ~、もう……」

 奏音は、緑依風の心を心配し、彼女の後を追った。


「な、なんだよ……!あの暴言の仕方!見た目は大人でも、悪口は幼稚園レベルじゃねぇか!」

 緑依風の気迫に圧された風麻が、顔を引きつらせていると、「今のは、坂下くんが悪いっ!」と、亜梨明が怒った。


「え、ええっ~?」

 自分が悪いだなんて思っていない風麻は、驚いて狼狽える。


 亜梨明は、む~っと下唇を噛むと「星華ちゃんいこっ!」と言って、風麻と爽太を置いて去っていった。


「……お、俺だけが悪いの?」

 風麻が尋ねると、爽太は「そうとは……思わないけど」と言いながら、身長測定器のバーの位置を元に戻した。


 *


 ――放課後。

 部活が無い日は、緑依風と一緒に帰るのが殆どな風麻だが、今日は愛読している少年漫画の発売日だったので、寄り道してから帰ることを、彼女に告げようとした。


「なぁ、緑依風~!」

「…………」

 風麻に呼ばれた緑依風の表情は、曇ったままだった。


「あの……俺、本屋寄るんだけど……」

「あっそ。……先に帰るね」

 緑依風は鞄を手に持つと、さっさと階段を降りて行ってしまった。


「え……そんなに怒る?おあいこじゃね?」

「あれは、怒ってるというより、落ち込んでるように見えるけどな……」

「落ち込む~?」

 爽太の予測を、風麻は訝し気に聞いた。


「僕達にはわからないけどさ、松山さんが大きいことを気にする理由が、きっとあるんじゃないかな?からかいとか、そういうのだけじゃなくて、もっと深い理由――」

 風麻は、昼休みに自分が緑依風に放った言葉を思い返した。


 ――昔からデカいお前には、背がなかなか伸びなくて悔しいっていう俺の気持ち、一生わからねぇよ。


「俺も……か」

 風麻は、自分こそ緑依風の気持ちを理解していなかったと反省すると、違和感の続く喉に手を当てた。


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