第36話 おさななじみ
――ガタンガタンと、電車に揺られる、緑依風と風麻。
目的の冬丘駅は、隣町の秋山駅の次の駅だ。
秋山町は田畑が多く、夏城町を通り過ぎれば、田植えを終えて、緑の苗が揺れる風景が見える。
「お、いい景色!じーちゃんちを思い出す!」
風麻は後ろを振り返って、車窓から見えるのどかな風景に、はしゃぐように言った。
「(――まったく……こっちは緊張しっぱなしなのに)」
いつもと変わらぬ、無邪気な笑顔を見せる風麻に、緑依風は「ふふっ」と笑いながら、その横顔を見ていた。
*
電車が秋山駅に停車すると、老夫婦がゆっくりした足取りで乗り込んできた。
今日は土曜日ということもあり、座席は家族連れや、遊びに出かける人達でほぼ埋まっている。
おじいさんは、杖をついており、足が不自由なようだ。
おばあさんは、一人分のスペースが空いている緑依風の隣の席におじいさんを座らせると、少し離れた場所を指差し「あっちに座ってるからね」と、おじいさんから離れようとした。
「あ、隣に座ってあげてください」
緑依風は立ち上がり、おばあさんに席を譲った。
おばあさんは最初遠慮していたが、緑依風がもう一声かけると、「ありがとねぇ~」と、感謝の言葉を述べて、おじいさんの隣に座った。
「…………」
風麻の前に緑依風が立つと、今度は風麻が立ち上がり、「座れ」と言って、緑依風の背中に手を添えて、椅子に座るように促した。
「別にいいのに、もうあと一駅だし」
椅子に座った緑依風が言う。
「お前、今日サンダルじゃん。足疲れたら遊べないだろ」
「靴底低いし、そんなに心配しなくても大丈夫だよ。風麻だって、部活で疲れてるでしょ?」
「…………」
風麻は、つり革に腕をピンと伸ばして掴まると、田園風景から商業施設が並ぶ街に変わる景色を、無言で眺め続けた。
*
冬丘駅に到着し、改札を出ると、緑依風の一歩前を進んでいた風麻が、くるっと振り返った。
「今日はお前の好きなとこ行こうぜ!」
「好きなとこ……?」
「服とか、メシとか、お前が好きな店に行こう!」
ニッと笑う風麻につられて、緑依風も笑った。
「じゃあ、お腹すいたからご飯!」
「決まり!」
二人はまず、ショッピングモールの中にあるファストフード店に入った。
メニューを決めると、風麻は緑依風に、先に席に座って待っているように言った。
緑依風が席に座って待っていると、二人分のハンバーガー、ポテト、ドリンクをトレーに乗せた風麻がやってきた。
「お待たせー!……あ、口拭く紙がねぇ……」
ペーパーナプキンが、トレーに乗っていないことに気付いた風麻が言うと「私、とってくるよ」と緑依風が立ち上がろうとした。
「俺が行くから座ってろ」
風麻は緑依風の肩を押さえて、サッと紙を取って戻ってきた。
「どうしたの風麻?なんか、いろいろやってくれるけど……」
「こういうの、お前いつも自分から進んでやるじゃん。……でも今日はさ、お前をゆっくりさせたいって思ったからな」
そう言うと、風麻はポテトを三、四本一度に摘んで口に運んだ。
「別に、こういうの嫌いじゃないんだけど」
緑依風はそういって、アイスコーヒーを一口飲んだ。
「俺が気が休まらねぇよ。今日は、お前の気持ちを楽にしたいって思って、遊びに誘ったんだ」
「楽に?」
「緑依風は家でも学校でもお姉さんを務めてて、たまには子供らしく誰かに甘えたりしたっていいのに……」
「だって……もう、そんな風にする方法なんてわかんないよ」
緑依風もポテトを一本取ると、それをちょびちょび食べながら、これまで母親に言われてきたことを思い返していた。
困ってる人には手を差し伸べる。
姉として手本となるように、妹達の前でみっともない姿は見せない。
――そうやって、小さい頃から教えられてきて、染み付いた癖はもう治らない。
「じゃあせめて……俺の前くらいは、やりたいこととか、言いたいことをぶちまけろよ」
「ぶちまけるー?」
「どこに行きたいとか、何がやりたいとか聞かれると、「なんでもいい」って、他人の気持ちを優先するじゃん、緑依風は。そうじゃなくて、俺と一緒に出かけた時は「ここに行きたい」とか「これがやりたい」って、緑依風が本当にやりたいことを言ってよ。高校だって、その先だって、お前が親にも友達にも言いにくいこと、俺に話してよ。他の人には言わねぇし、ずっと心に留めておくより、お前の気持ちが楽にならねぇかな……ってさ」
風麻がまさかここまで、自分のことを考えてくれていたと思わなかった緑依風は、声には出さないがびっくりした。
緑依風は、風麻を見ているのは自分だけだと思ってた。
風麻はいつも子供っぽくて、呆れかえる言動が目立つ少年だ。
その風麻が、そんな真剣に自分のことを、考えていたとは思わなかった。
自分の知らない風麻と、自分を見ていてくれた風麻に、緑依風は新鮮さと、優しさを感じた。
全てを言い終えた風麻は、柄にもないことを言って恥ずかしくなったのか、赤い顔のまま、目を逸らしてメロンソーダを飲んだ。
「――風麻もさ、人のこと言えないよ。気遣い屋さんじゃん」
「そ、そうか?」
「そうだよ……うん、でも嬉しい」
緑依風は微笑みながら、キュッとスカートの上に乗った手を握りしめた。
「風麻の前では、少しだけ……甘えようかな?」
「甘えろ甘えろ……へへっ!」
風麻は、頬杖をつきながら、緑依風に向かって照れ臭そうに笑った。
*
食事を終えると、風麻の厚意に甘えることにした緑依風は、まず雑貨屋さんに行きたいと言った。
そこから次に、プチプライスの洋服が揃う大型店に行き、新しいTシャツを一枚買った。
風麻もシャツを一枚購入し、その後はゲームセンターで、エアホッケーをした。
力技で攻める風麻に対し、緑依風は巧みにバウンドを仕掛け、見事勝利した。
「くっそ~ぅ!勝てると思ったのにっ!!」
「やったー!勝った勝った~!」
最初悔しそうな風麻だったが、勝って喜ぶ緑依風の顔が、自分と同い年の少女らしくて、安堵したような笑顔になった。
UFOキャッチャーで、緑依風が可愛いと指差した、マスコットのストラップを見た風麻は、それを三回目のチャレンジで獲得し、緑依風にプレゼントした。
「ありがとう、風麻っ!大事にする!」
緑依風は、風麻が自分のために、頑張って取ってくれたことが嬉しくて、早速携帯に付けた。
*
たくさん遊んで疲れた二人は、帰る前にアイスを食べに行った。
風麻は、チョコとナッツとマシュマロが入ったアイスと、キャラメルソースが混ざったアイスのダブルを選び、緑依風は、ラズベリーソースとチョコレートのアイスと、ラムレーズンのアイスのダブルにした。
「美味いな!」
「本当、暑いから余計に美味しく感じる!」
緑依風がアイスを口にしながら言うと、「なぁ、そっちのラズベリーのやつ少しくれ!」と、風麻が聞いた。
「え……」
緑依風がいいよと言う前に、風麻は上からパクリとアイスを食べた。
「――――っ!!」
「おっ!これ美味い!俺も今度これ食べよう!」
「わ、私の食べたとこだよ……」
これでは間接キスではないかと、緑依風が顔を真っ赤にしていると、風麻は口元についたアイスを指で拭いながら「何を今更?」と、全く気にしない様子だった。
「俺達兄妹みたいなもんじゃん?今になって、汚いも何もないだろ?」
「………そうだね」
やはり、恋愛対象として見られていないと理解した緑依風は、ヘラっと弱く笑った後、風麻が食べた部分をそのまま食べながら、甘くて酸っぱいなと思った。
*
お店を出ると、あんなにお天気だったのに、いつの間にか黒い雲が出ていた。
夕立が来る前に急いで帰ろうと思った二人は、小走りで駅に向かい、電車に乗った。
夏城駅に到着すると、雨は降り始めたが、小雨なので濡れて帰ることにした。
だが、駅から離れるといきなり強い雨がザァァーっと降り始め、視界が遮られる程だった。
「わーっ!急げ急げっ!!」
風麻の声と共に、緑依風は足の速い彼に追い付けるように、走るスピードを上げる。
――ベチャッ!
不慣れなサンダルで走っていたせいか、緑依風はアスファルトの小さなくぼみにつま先を引っ掻け、転んでしまった。
「いった……」
「あっ!――大丈夫か!?」
風麻が手を差し出して、緑依風を立たせると、今度は空の上からゴロゴロと、雷の音を遠くに感じた。
*
家までまだ少し距離があるため、雨と雷がおさまるまで、屋根のあるバス停で様子を見ることにした、緑依風と風麻。
風麻は、転倒した緑依風に怪我が無いか聞いた。
「血は出てないから大丈夫」
「スカート汚れちゃったな」
「洗ったら落ちるよ」
ぐっしょりと、ずぶ濡れの二人は、チカチカと光り始めた空を見た。
「梅雨入り宣言まだなのにねー」
「他の地域は入ったらしいから、この辺もそろそろ入るだろうな」
ザァァァーっとシャワーのように落ちる雨は、まだまだ続きそうだ。
それでも、雨に打たれて災難なんて、今の緑依風は思っていない。
――むしろ、普段は素直に口に出せない言葉が、今は言いたくて仕方がない。
「……楽しかった!」
雨音が響く二人の世界に、緑依風の明るい声が混ざった。
「顔見てわかったよ。そういう風に思い切り笑ってる方がいい!」
「また、連れてってくれる?」
「行こう。二人の時は、俺がお前の兄ちゃんな」
少しふんぞり返りながら言う風麻に、「何それ?」と緑依風は聞いた。
「だってお前と一緒にいると、周りにお前の弟扱いされるんだよ。でも、今日みたいに俺が誘ったときは、妹の面倒見るってことで、俺が兄ちゃん!」
「そんなの気にしてんの?」
「気にするだろ!同い年なのに、いつも俺ばっか子供子供って言われて悔しいし!」
「そもそも、誕生日が私の方が早いし、私がお姉ちゃんでしょ……」
「なにおぅ~!?」
風麻が少しムキになって、緑依風に迫った時だった。
突然、稲光と共に、ピシャーンッ!と、空間を引き裂くような轟音が鳴り響いた。
「きゃあッ!!」
「うわッ!!」
二人同時に悲鳴を上げ、体を飛び上がらせると、驚いた拍子に両手を挙げた風麻の片手が、緑依風の胸元に触れてしまった。
「――ひゃッ!」
「――ご、ごめんっ!わざとじゃっ……!!」
「だ、大丈夫!!わかってるっ!!」
緑依風は、慌てて謝る風麻にそう伝えるが、風麻は顔を真っ赤にしたまま、口をはくはくとさせていた。
触れたものの感触に、先日の下着事件を思い出した風麻は、緑依風が女の子だということを急に意識してしまい、この場を取り繕うセリフも、空気を変えるアイディアも、何も浮かばなかった。
緑依風も、普段は風麻に対して、もう少し自分を女の子として見て欲しいと願っているのに、いざそれを意識されると、消え去りたいくらい恥ずかしくて、何も言えない。
――ヤバい、何話そう……。
二人が互いに背を向け、そう思って沈黙していた時だった。
ゴォォォッー!と、大型トラックがエンジン音を鳴らし、二人のいるバス停に近付いてくる。
――バシャァッ!!
トラックのタイヤは、アスファルトにできた大きな水溜りを飛沫に変えて、風麻の顔面にそれを被せた。
「…………」
「…………」
二人はしばしの間、ポカンと口を開けて見つめあった。
風麻の髪や顎から、薄汚れた水が、ポタン、ポタンと滴り落ちる――。
「――ぷっ、あはは!あっははははは!!」
「ワッハッハッハッハ!!」
おかしくなった緑依風と風麻は、大声を出して笑い始めた。
「ふふっ、ふふふふっ!風麻〜〜っ、だ、大丈夫〜!?」
笑いを堪えながら緑依風が聞いた。
「くっそ〜、トラック野郎め!ひでぇことしやがるっ!!」
風麻はスポーツバッグから大きいタオルを取り出して、顔を拭いた。
*
雨が小降りになり、雷も遠くへ行ったようなので、二人は並んで家まで歩いた。
「風呂入ってあったかくしろよ」
家の門扉に手をかけながら風麻が言った。
「そっちも!風邪引かないでね」
家の中へと入った緑依風は、濡れた体を温めるため、お風呂に入った。
「ふぅ……」
少し熱めのお湯につかりながら、緑依風は息を吐いた。
「甘い空気なんて、これっぽっちもなかったけど、すごく楽しかった。大きな声で笑ったのも……久しぶりだったな」
緑依風は腕を伸ばしながら、今日の出来事を振り返っていた。
もどかしいけど、一番近くにいれる、『幼馴染』の関係――。
抜け出さなきゃいけないと理解はしても、幸せな距離感だ。
「やっぱり……あと少しだけ、このままでいいよね?」
緑依風は夢心地に包まれながら、小さく笑った。
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