第35話 出かけないか?

 

 ――けほっ。


 朝、目覚めた風麻は、喉の違和感に軽く咳払いした。


「か、風邪……?でもなぁ~痛いわけでもねぇし、熱も無いしなぁ~」

 ベッドから降りた風麻は、風邪なら吹き飛ばしてやる!と、言わんばかりに、腕や足を動かして、オリジナルの体操を踊ってみた。


「風麻ーっ!洗面所混む前に早く使っちゃいなさい!あんた髪のセット長いんだから!」

 部屋の外から伊織の声が聞こえると、風麻は「はーい」と、返事をした。


 大きな声が、いつもよりほんの少し出しにくい。


「……昨日テレビ観て、笑いすぎたからかもな」

 そんな独り言をぼやきながら、風麻は制服に着替えはじめた。


 *


 ――昼休み。


「松山さんは、もう高校とか考えてるの?」

 爽太が緑依風に近寄って聞いた。


 隣にいる風麻は、まだ中学校に入学したばかりだというのに、もう高校進学を考えているか聞きだす爽太に驚いていた。


「受かるかわからないけど、春ヶ崎高校かな。難しいけど近いしね」

「同じだ!僕もそこに行けたらいいなって思ってる」

「春ヶ崎高校?」

 東京から引っ越してきたばかりの相楽姉妹は顔を見合わせて首を傾げた。


「えーっ!?賢いやつが行くとこじゃん!!やだやだ、高校からは離れちゃうんだー……」

 星華が緑依風に抱きついた。


 春ヶ崎高校とは、隣町にある高等学校で、近辺の高校では偏差値が高いことで有名だった。


 また、その分設備も充実しており、食堂が他所の高校より新しいだとか、女子生徒の制服が可愛いだとか、そういった面で人気もあり、倍率も高い。


「まだ決まってないんだし、星華も頑張ればいいじゃん」

 緑依風が引き剝がしながら言うと、「無理に決まってんじゃん。勉強嫌いだもん」

 と、星華が開き直った顔をして言った。


「星華ちゃんって、お医者さんの娘なのにお勉強嫌いなんだね?」

 亜梨明が聞くと、星華は「なんで?」と、不思議そうに聞き返した。


「医者の娘=勉強得意なわけじゃないよ?」

「えっ、そう……かもしれないけど。私は、星華ちゃんのお母さんのお仕事聞いた時、星華ちゃんもお医者さんになるのかなって思ってたから」

 星華は「ぜーったい嫌っ!」と、うんざりした口調で言った。


「私は、あんな大変な仕事に就くなんて無理!ママのことは尊敬してるけどさ~。私はどっちかっていうと、保育士とか幼稚園の先生になりたいんだよね~!」

「星華って、もう将来の人生設計組み立ててるんだ?すごいね~」

 奏音の言葉に、まだ人生計画なんて全く考えていない風麻、亜梨明も、奏音同様に少し尊敬の念を抱いた。


「日下は、わざわざ難しい高校進学しようとしてるってことは、何か目標でもあるの?」

 星華に聞かれると、爽太は「僕は――」と口を開いたが、クスっと小さく笑うと、「ただ、なんとなくだよ」と言って、風麻を誘って、他の男友達の元へと去っていった。


「……爽ちゃんが行きたい学校、難しいんだ……」

 亜梨明はがっくりと項垂れると、「はぁ……」とため息をついた。


「日下と同じ所行きたい?」

 奏音に聞かれると、「うん、でも……私には無理かな」と、すでに諦めモードで亜梨明は言った。


「まだ先の話だよ。今からたくさん勉強すればいいじゃん」

「奏音は?」

「え……?」

 亜梨明が奏音の目を見つめて言った。


「奏音とも離れたくないなって……」

「…………」

 亜梨明も奏音も、姉妹揃っての学生生活が始まったばかりなので、離れたくないという気持ちは同じだった。


「……私も、もう少し亜梨明と一緒にいたいな。亜梨明が受けたいって思うなら、私も勉強頑張るよ」

「本当!?」

「さすがに大学は別れるかもしれないけど、高校までは一緒に行けるといいね」

「うん!」

「えーっ!私一人別の学校になっちゃうじゃん~!!」

 星華は「いやだいやだ!」と、亜梨明の腕の袖部分を引っ張りながら、駄々をこねた。


 緑依風は、そんな三人を笑いながらも、進学の話題に心を悶々とさせていた。


 *


 風麻と二人で並んで歩いて下校していると、風麻は昼休みの話題を掘り返しながら、「あ~あ」と、気怠そうに空を見上げた。


「みんな早すぎじゃね?高校なんて、三年になってから考えるのかと思ってたぜ」

「うーん……人それぞれじゃない?」

「緑依風はなんで春ヶ崎なんだよ?」

 風麻に聞かれた緑依風は、ピタリと足を止めた。


「私が行きたいんじゃないよ……お母さんが」

「……おばさんに、行けって言われたのか?」

 緑依風は頷くと、昨日母親に言われたことを、風麻に話した。


 *


「――で、条件が厳しくなったと」

「うん。お母さんは、お母さんなりに、私のことを考えてくれるのはわかってるの……。それにはなるべく応えてあげたい。春ヶ崎に入れっていうのも、中学に入ってすぐに言われてて……。大学進学率が高いからっていうのが、理由だと思うけど……」

「お前はそこに行きたいのか?」

 風麻が聞くと緑依風は「あー……」と言いながら下を向いた。


「行きたくないわけでも無いけど、行きたい理由も無い。ただ、そこにしなさいって言われてるだけだし……」

「お前、昔からおばさんの言うことなんでも素直に聞きすぎ」

「そうなんだけど……私の意見なんてきっと聞いてくれない。それに、期待されないよりは、される方がいいのかなって思うし……」

 風麻が見てきた限り、緑依風が母親の言葉に反論する姿は、殆ど無いに等しかった。


 小さい頃から、大人の顔色を見て、言葉や行動を選んできた緑依風は、周りからしっかり者と思われているが、風麻から見ると、常に何かに怯えているように感じる。


 プレッシャー、世間体――親に恥をかけぬよう、周囲の評価ばかり気にして、自分の意思は抑え込んでいる緑依風を見ていると、風麻はもどかしさに胸が詰まりそうになった。


「お前はもっと、我儘になってもいい!……俺とか千草みたいにさ」

「ははっ、それができたらなって思うよ……」

 ため息混じりの声で言う緑依風を見て、風麻はなんとか、この幼馴染の心を軽くしてやりたい気持ちでいっぱいになった。


「~~っ!!土曜の昼っ!」

 一歩歩き出す緑依風の背中に向かって、風麻は大きな声で言った。


 キンッ……と、住宅街の壁にこだまする風麻の声に、緑依風が振り返ると、風麻は息を荒くしていた。


「俺の部活終わったら、二人で冬丘に出かけないか!?」

「ふたり、で……?」

 緑依風がポカンとしながら言った。


「お前、他にも友達がいたらまた気使うだろ?だから、二人で遊びに行こう!」

「……ふうま、と?」

「俺なら気を使わなくていいし、その……気晴らしになればいいなってさっ……!」

「――………行くっ!!」

 緑依風が力強く応えると、「決まりな!」と風麻はニッカリ笑った。


 *


 家に帰った緑依風は、駆け足で階段を上り、自分の部屋に入ると、ドアをバタンッ!と勢いよく閉めて、背中をドアにくっつけたまま、ぺたんと座り込んだ。


「ふ、ふたりで……って、あの子言ったよね!?」

 緑依風は、信じられない気持ちで、頬の肉を引っ張った。


 痛みはある――つまり、夢ではない。


「二人で……おでかけってっ!……な、なんか、デートみたいじゃん!」

 緑依風はぎゅっと目を閉じて、火照った顔を抑えながら喜びを全身で感じた。


「気を使わなくていいってのは、やっぱり私の気持ちは知らないんだろうけど……。気……使うよ、まったく……!」

 緑依風は、小さく鼻にかけた笑いを漏らしながら呟いた。


「あ、何着ればいいんだろう?海生にもらったスカート?それとも、去年買ってもらったやつ――?」

 制服を脱ぎ始めた緑依風は、風麻とのお出かけに着ていく服を決めるため、部屋着に着替える前に、一人で試着会を始めた。


 風麻と出かけるのは、今まで公園以外なかったので、様々な妄想をしてしまう緑依風の鼓動は、速まるばかりだった。


 *


 ――土曜日の午後、十二時二十五分。

 夏城駅の改札前で風麻を待つ緑依風は、肩をかすめる毛先を気にしながら、そわそわと落ち着かない様子でいた。


「うぅ~……やっぱり跳ねるなぁ。結んじゃったほうがよかったかなぁ……。髪型もちゃんと決めておけばよかった……」

 緑依風は、今日も念入りに、ヘアアイロンで真っ直ぐにしたつもりなのだが、肩に当たる部分は、やはり跳ねやすい。


 今日は日差しが強くて暑いので、グレーの半袖のTシャツに、白いプリーツのスカート、黒のサンダルで少し夏らしい服装を選んだ。


 お店の冷房や、夕方肌寒くなった時のために、白と黄色のボーダーが入った薄いカーディガンを腰に巻いておく。


 そして耳には、風麻からもらった、葉っぱのイヤリングをちゃんとつけていた。

 

 このイヤリングをもらった日から、緑依風はまるでお守りのように、学校とお風呂に入った後以外は、肌身離さず耳に装着している。


 緑依風がほんの少し、自分の名前に自信を持てた証。

 風麻のことが、好きになった日にもらった――大切な物だ。


 待ち合わせの十二時半まで、あと二分――。

 緑依風が腕時計で時間を確認していると、部活が終わり、練習着用の白いシャツと、紺色のハーフパンツ姿の風麻が、手を上げながら近付いてきた。


「……俺、こんな格好で来ちゃったけどいいよな?」

 風麻は、きちんとお洒落した緑依風を見て、「だらしない」と言われないか、不安そうにしている。


「いいんじゃない、部活帰りってわかりやすいし」

 スポーツバッグを下げて、汗で少し濡れた髪の風麻は、どこからどう見ても、運動部の学生と分かりやすく、別に不真面目には見えない。


「そっか、じゃあ行こうぜ!切符買ってくる!」

「もう買ってあるよ!お金だけ後でもらうから!」

 すぐに改札に入れるように、緑依風は予め、自分と風麻の切符を購入していた。


「えっ、あ……サンキュー」

 風麻は、緑依風から渡された切符を受け取ると、先に改札を通る緑依風の背中を見て、口先を上に尖らせた。


「クセ……なんだろうけどなぁ~」

 風麻はスポーツバッグを掛け直しながら、緑依風に続いて改札を通った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る