第23話 願掛け


 亜梨明が復帰した日の夕方。

 緑依風は夏城町の隣町、春ヶ崎はるがさきにある、美容室に来ていた。


「はい、終わりましたよ。後ろも見てみて」

 いつも緑依風のカットを担当するスタイリストが、手鏡を渡した。


「うん、いい感じです!ありがとうございます!」

 緑依風は、後ろ髪を合わせ鏡で見ながら、お礼を言った。


 緑依風は三ヶ月に一度、この美容室に通い、カットをしてもらっている。

 整えてもらったばかりの髪の毛は、いつもの跳ね癖がなく、綺麗にまとまっていた。


「やっぱり、プロの人に整えてもらうと、全然違う!自分でやると、どうしてもくせ毛が綺麗に直らないんです」

「緑依風ちゃんの髪の毛は軽くて跳ねやすいからね。肩に当たる長さだと特に癖がつきやすいよ。伸ばしてみたらどうかな?重みで跳ねにくくなるし、緑依風ちゃんの髪はサラサラなんだから、ロングもいいと思うよ」

 美容師がアドバイスをくれたが、緑依風はうーんと、悩んでから「やっぱりこれがいいです」と言った。


 この長さなら邪魔な時は結っておけるし、シャンプーした後、乾かすのも楽なのだ。

 何より、自分はこの髪型が一番似合うと思っている。


 緑依風は、次の予約も三ヶ月後に入れ、お会計を済ませて美容室を出た。


 *


 ――次の日の朝。

 いつも通り、風麻を家の前で待っていた緑依風は、坂下家の家のドアが開く音で振り返った。


「おっ、髪短くなってる」

 風麻は、緑依風の肩の下まで伸びてた髪が、肩の少し上まで短くなっていることに気付いた。


 緑依風は、風麻が変化に気付いてくれたことを嬉しく思い、気分が高揚した。


 肩に毛先が当たらないおかげで、今朝はストレートアイロンで髪を真っ直ぐにするのも、いつもより楽で、上手くいった。


 真っ直ぐにしていたい緑依風とは反対に、髪の毛をワックスで少し跳ねさせている風麻も、今日の髪型はいつもよりおしゃれに整っている。


 入学したばかりの頃は、時折ワックスをつけすぎて、頭の上で白い塊が残ったままなことも多かったが、最近はかなり上手くなっているなと、緑依風は思った。


「昨日カットしてきたんだ」

 緑依風は、少し期待した気持ちで風麻に言ったが、風麻は「見りゃわかるよ」と、軽く笑って歩き始めた。


「(もっと「似合う」とか、「いい感じ」とか、プラスになる言葉をかけてくれてもいいのに)」

 緑依風は内心ムッとしたが、変に思われると困るので、それは言わないことにした。


 *


 昼休み。

 この日の緑依風、亜梨明、奏音、星華の四人の話題は、緑依風が散髪したことで、シャンプーや、髪型についてだった。


「亜梨明ちゃんの髪って、長くてツヤツヤで綺麗だよね~」

 一番にお弁当を食べ終えた星華が、箸をしまいながら言った。


「そうかな?ありがとう!」

「奏音も綺麗な髪してるのに、なんで伸ばさないの?お揃いにしたら、亜梨明ちゃんと見分けがつかなくなって面白そうなのに」

「面白くしてどうすんの。間違えちゃうよ」

 おかしなことを言う星華に、緑依風は呆れるようにツッコミを入れた。


「お母さんはせっかく一卵性なんだから、シンメトリーを楽しみたいって言うけど、私はこっちの方が楽で好きなんだよね~。今は肩より下まで伸ばしたくなーい」

「私は長い方が好きだから伸ばしてる」

「双子でも好みは違うんだね〜」

 星華が意外だなぁという顔で言った。


「あ、でもね!ヘアピンだけは、お揃いにしようって、昔から決めてるんだっ!」

 亜梨明はヘアピンを触りながら笑った。


「うーん、こんなに長い髪を見てると、色々やりたくなるなぁ~!ねぇねぇ、亜梨明ちゃんの髪少しいじっていい?」

 星華が鞄の中から、櫛や髪留めの入ったポーチを取り出して聞いた。


「いいよ〜!」

「よーしっ!」

 亜梨明の許可を得た星華は、椅子から立ち上がり、ワクワクしながら、ポーチを机の上でひっくり返した。


机の上に、いろんな種類のヘアアクセサリーや、ヘアピンが散りばめられると、星華は「飾りどれつける?」と、亜梨明に聞いた。


「じゃあ、これ!」

 つけているヘアピンを外しながら、亜梨明は、白いポンポンがついたものを選んだ。


「オッケー!」

 星華は亜梨明の後ろに回った。


「うわっ、亜梨明ちゃんの髪の毛、柔らかくて気持ちいい〜!ずっと触ってたーい!」

 亜梨明の髪を櫛で溶きながら星華が感動した。


「緑依風も触ってごらん!ほらっ!」

 星華に勧められると、緑依風も「じゃあ、失礼して……」と、亜梨明の髪に触れた。


 星華が言った通り、亜梨明の髪はとても柔らかで、上質な糸のようだった。


 昨日、美容室で自分の髪の毛を褒めてもらったばかりだというのに、緑依風は真っ直ぐで、傷みなど殆ど見当たらない、亜梨明の綺麗な髪を羨ましく思った。


 *


「はい!でーきたっ!」

「星華ちゃん上手〜!ありがと〜!」

 サイドハーフアップの髪型になった亜梨明は、机に置いていた鏡を見て喜んだ。


「楽しそうだね」

「あ、爽ちゃんと坂下くん」

 髪を結ってもらってご機嫌の亜梨明の元に、爽太と風麻がやってきた。


「亜梨明、薬飲んだ?」

「あ、忘れてた……」

 もう隠す必要が無くなった亜梨明は、水飲み場まで行かず、この場で水と薬を取り出してゴクンと飲んだ。


「ちょっと日下!薬も大事だけど、いつもと違う亜梨明ちゃんの髪型には、何も言ってくれないのー?」

 星華が、亜梨明の髪を持ち上げながら言った。


 亜梨明は「えっ?」と星華と爽太を交互に見上げた。


「うん、可愛い」

「でしょ〜!よかったね亜梨明ちゃん!」

「あ……ありがとう……」

 顔を少し赤くした亜梨明を見て、女子三人はにんまりとした。


 三人の横では、風麻も何か言わなきゃと思っていたが、完全に出遅れてしまったようで、小さく口を開けたまま固まっている。


 そんな風麻の様子に誰も気付かないでいると、「僕も結っていい?」と、爽太が亜梨明に聞いた。


「え、日下が?できるの?」

 緑依風が聞くと、「編み込みとかもできるよ」と爽太は答えた。


「な……なんで、男の日下が編み込みとか難しいやつできるの?」

 奏音は、髪が短い男子である爽太が、難易度の高いアレンジが出来ることに、顔を引きつらせて聞いた。


「僕、妹いるから。たまにお母さんの代わりに、妹の髪結んだりするよ」

「あ、なんだ。そういうこと……」

 風麻と亜梨明は知っていたが、爽太に妹がいることを初めて聞いた緑依風、奏音、星華は、変な想像をしていたため、話を聞いてホッとしていた。


「じゃあ、よろしく〜」

 小さく笑いを堪えた星華が、爽太に櫛を渡した。


「髪、柔らかいね。痛かったら言ってね」

「う、うん」

 亜梨明は、緊張と嬉しさの混ざった声で、返事をした。


 余程慣れているのか、爽太は手際良くサッと髪を分けると、まずツインテールを作り、そこから細く取った髪を三つ編みにして、ツインテールを作ったゴムに巻きつけた後、ヘアピンで留めるという、なかなかに凝ったヘアスタイルに仕上げた。


「す、すごい……私、三つ編み出来ないもん」

 髪が短い奏音は、昔から髪を結ぶことすらしないため、爽太の技を見て、尊敬の眼差しを向けた。


「どうかな?」

「わぁ~……!可愛い!すごいよ爽ちゃん!ありがとう〜!」

 亜梨明がキラキラした目で鏡を見ながら言った。


「長い髪の毛だからやりがいがあったよ。気に入ってもらえてよかった」

 爽太が元の髪に戻そうとすると、星華が「今日はこのままにすれば?」と提案した。


「うん、そうする!」

 亜梨明が、自身のツインテールに触れながら上機嫌で言うと、爽太も手を止めて、今日はこのまま過ごすことにした。


 風麻は、楽しそうに会話をする亜梨明と爽太を見ながら、少し面白くない気持ちでいた。


「風麻?どうしたの?」

 緑依風が風麻の様子が変だと思い、声をかけた。


「ん?」

「なんか、変な顔してたから」

「変な顔ってなんだよ……」

 風麻はフンっと鼻息を漏らすと、「別になんにも~」と言って、両手を頭の後ろに回した。


「ただ、長い髪は女の子らしくていいな~って思っただけ」

「……風麻は、長い髪の毛の女の子が好きなの?」

 風麻はただ、誤魔化すために適当に言ったつもりだった。


 しかし、その言葉の意味が気になった緑依風は、彼の好みなのではと思い、そう問いかけた。


「えっ?……まぁ、似合えばなんでもいいけど、どちらかといえば長いのが好きかもな」

「そう……」

 緑依風は、短くなったばかりの自分の毛先に触れながら、亜梨明の長い髪を見た。


 *


 終礼の時間になると、教室に入ってきた波多野先生が、朝と髪型が違う亜梨明に気付いた。


「お、亜梨明可愛いじゃん!」

「これねー、日下がやったんだよ」

 星華が言うと「へぇ~、器用だねぇ……」と、波多野先生は感心していた。


「ねぇ、私も今度、相楽さんの髪の毛のアレンジしてみたい!」

 女子生徒の一人が言うと、次々に俺も私もと、男子も女子も集まってきた。


「こらこら、お人形じゃないんだから……、ほら終礼始めるよー」

 すっかりクラスに打ち解けることができた亜梨明と、他の生徒達の様子を、波多野先生は嬉しそうに見つめていた。


 *


 ――家に帰宅した緑依風は、自分の部屋の鏡を見ながら、昼休みの出来事を思い出していた。


「髪の毛……私も伸ばしてみようかな。綺麗に伸ばしたら、風麻も……ちょっとは私のこと、女の子として見てくれるかな……?」

 緑依風は、携帯電話を取り出すと、美容室に電話をかけ、三か月後の予約をキャンセルした。

 

「……叶うといいな」

 緑依風は独り言を言いながら、短い毛先に願いを込めた。


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