第21話 初恋
――カランカランと、木製のドアにつけているベルが鳴る。
風麻はその音を聞きながら、慌ただしく働く幼馴染の姿を見ていた。
「いらっしゃいませー!店内をご利用のお客様は、予約表にお名前を書いてお待ちください!テイクアウトでしたら左のカウンターへどうぞー!」
大人と同じ、木の葉のロゴマークがプリントされた、グリーンのエプロンと、白いシャツ、黒いキュロットの制服を着て、大人顔負けの接客をこなす緑依風。
「初めて見たけど、すげーな……」
風麻は、「ほぉ~」と感嘆の声を上げながら、待ち人が現れるのを待っていた。
今日の風麻は、亜梨明の見舞いの品を買うため、爽太と木の葉で待ち合わせをしている。
まだ開店してから一時間半しか経っていないのに、日曜日ということもあってか、すでに店内は満席で、外にも他の地域から来た人々が、人気店のスイーツを食べようと、行列を作って待っていた。
*
木の葉のドアから、また来店を知らせるベル音が響く。
「いらっしゃいませー!」
緑依風がドアに駆け寄りながら言うと、ドアの前に立っていたのは爽太だった。
「こんにちは」
「なんだ、日下か。風麻ならテイクアウトコーナーにいるよ」
営業用の声から、通常時の声のトーンに落とした緑依風は、風麻のいる方向に手を指した。
「へぇ〜、松山さんお店のお手伝いしてるんだ」
「そ、パティシエールの勉強がしたくて、春休みから始めたの!」
緑依風は、小学校卒業と同時に、休日は両親が経営する木の葉で、ホールスタッフの手伝いをしている。
父の働く姿を間近で観察しながら、父の作ったスイーツに喜ぶ客の笑顔を見たかったのだ。
「まっ、忙しい時間帯は、他のスタッフの邪魔になっちゃ悪いから、予約待ちのお客様への確認と、座席の案内だけだけどね。暇ができたら、注文とかもさせてもらってる」
「お店の制服、すっごく似合ってるね!凛々しくてかっこいい!」
「へへ……ありがと!」
爽太に褒められた緑依風は、頬に当たる髪の毛を耳にかけながら、少し照れ臭そうに笑った。
耳元には、風麻がくれた、あの葉っぱのイヤリングが揺れている。
*
「おー、来たか」
緑依風が爽太をテイクアウトコーナーに案内すると、風麻が手を上げた。
テイクアウトコーナーにはケーキやプリン、ゼリーなどの生菓子の他にクッキー、フィナンシェ、焼きドーナツ、マフィンなど、豊富な焼き菓子も置いてあった。
「どれにする?お値段は少し安くしておくよ」
緑依風が言うと、二人はお礼を言い、お見舞いのお菓子を選び始めた。
「こんだけ種類豊富だと悩むよな……」
風麻がケーキを眺めながら言った。
「亜梨明、この紅茶の焼きドーナツが好きだって言ってたけど……」
「そうなのか?じゃあ、それにするか!」
風麻は紅茶の焼きドーナツが入った袋を、手に取ろうとした。
「あ、でも……昨日焼き菓子にしたから、今日はプリンとかゼリーとか、生菓子にしたらどうかな?」
「そっか。そっちも美味いし、食べやすそうだからこっちにするか」
緑依風の助言を聞いた風麻は、焼きドーナツに触れていた手を離すと、生菓子の入ったショーケースの前に移動した。
*
風麻と爽太は、相談し合った結果、カスタードプリンとオレンジゼリーを、二個ずつ購入することにした。
「じゃ、亜梨明ちゃんによろしくね!」
緑依風がプリンとゼリーの入った袋を渡しながら言うと、風麻が「あ、ちょっと……」と、紅茶の焼きドーナツを持って、レジに戻って来た。
「やっぱ、これも」
「焼きドーナツも?」
「相楽姉、これ好きなんだろ。好きならこれも持って行ってあげようかなって……」
風麻の頭の中に、焼きドーナツを受け取った亜梨明が、笑顔になる姿が浮かんだ。
風麻はそれを“見たい”と、思った。
「そんなにいっぱい食べられないと思うけど」
爽太が横から言った。
「そ、そうだよな……ごめん、やっぱやめるわ」
我に返った風麻は、乾いた笑い声でそう言いながら、焼きドーナツを元の場所に戻そうとした。
そんな風麻を、「いいんじゃない?」と、緑依風が止めた。
「それ、日持ちするし、亜梨明ちゃん気に入ってくれたんなら、持ってってあげて」
「え?」
「お代はいいよ。私からのお見舞いってことで」
緑依風が笑顔で言うと、「悪いな……」と、風麻はありがたく緑依風の厚意を受け取ることにした。
*
「病院であまり騒がないようにね」
緑依風が二人を店先まで見送りながら風麻に注意した。
「そのくらいわかってるよ、うるせーな……」
風麻は子供扱いされて口を尖らせながらも、二、三歩歩くと「ドーナツありがとな!」と、緑依風に手を振ってお礼を言った。
「はいはい、いってらっしゃい!」
緑依風も笑って振り返した。
病院に向かって歩いていると、「仲良いよね、風麻と松山さん!」と、爽太が二人のやり取りを振り返りながら言った。
「否定はしないな。一番の親友だと思ってるよ」
「親友って言うより、さっきのは熟年夫婦みたいに見えたよ」
「夫婦!?」
風麻が裏返った声で驚いた。
「無い無い!俺、あいつのこと、そういう風に見れねぇもん!」
「そうなの?」
「全く無いな……でも、親友っていうより、もっとしっくりくる言葉を使うなら『家族』だな」
緑依風とは、出会って既に十年近く経過している。
風麻は、そんな緑依風との関係を、『友達』『親友』という言葉で表現するには、とても軽過ぎると思っていた。
「緑依風も、緑依風の妹達も、みんな家族って思ってる。緑依風は、俺の弟達にとって姉ちゃんみたいな存在だし、俺も緑依風の妹達の兄ちゃんでいたいんだ」
「へぇ~、そういうのっていいね!」
羨ましそうに言う爽太に、風麻は「だろ!」と、ちょっぴり誇らしげな様子で言った。
*
亜梨明の病室前に来た風麻は、爽太の一歩後ろで、緊張したように顔を強張らせていた。
亜梨明と桜の木の下で会話をした日以来、何故か亜梨明のことを考えると、胸の奥がザワザワと落ち着かなくなるのだ。
――コンコンコン。
「入ってもいいかな?」
爽太がドアをノックしながら聞いた。
「待って!着替えてるから!」
亜梨明が慌てて返事をする声が聞こえた。
風麻は焦り、爽太は笑いながら、「終わったら教えてね」と、言った。
「どうぞ……」
爽太がドアを開けると、少し顔を赤らめた亜梨明が、ベッドに体を起こして座っていた。
「二人とも、来てくれてありがとう」
「こんな時間に着替え?」
爽太に聞かれると、「さっき、パジャマにお茶こぼしちゃって」と、亜梨明は恥ずかしそうに答えた。
「相楽姉、具合は……その、大丈夫か?」
風麻が聞くと、亜梨明は「うん!」と、元気良く頷いた。
「今日点滴も取れたし、このまま安定してたら、明後日には退院してもいいって」
先程までは、緊張で硬直していたはずの風麻の心が、亜梨明が笑った途端、ほわっと柔らかくなった。
もちろん、亜梨明が元気そうな姿に安心したせいもあるだろうが、風麻はそれだけではない別の感情に、少しずつ気付き始める……。
「お見舞いにプリンとゼリー買って来たよ」
爽太がプリンやゼリーが入った箱を開くと、亜梨明は「わぁ〜、美味しそう!」と、とても嬉しそうに箱の中を覗いた。
亜梨明の笑顔、声に、風麻の心は、これまで体験したことの無いくらいに揺らめいて行く……。
――これって、もしかして……。
風麻が、そう思い始めた時だった。
「あっ!紅茶の焼きドーナツだ!!」と、亜梨明が更に嬉しそうな声で言った。
「あ、あぁ……それ、好きなんだろ?爽太から聞いてさ」
「持っていこうとしたのは風麻だよ。で、サービスでくれたのは松山さん」
「坂下くん、ありがとうっ!」
亜梨明は焼きドーナツを手に取ると、目を細めて微笑んだ。
亜梨明の笑顔が向けられた途端、風麻はその感情の正体を理解した。
――うん、好きだな……俺、相楽姉が好きだ。
風麻が女の子に対して、こんなに特別な感情になったことは、初めてだった。
母親に対する好きとも違う。
幼馴染の緑依風に対する気持ちとも違う……。
愛おしくて、少し苦しい――そして、幸せにも似た感情。
「これが、恋なんだ」と、風麻は心の中でそう呟いた。
*
三人は、それぞれ手にしたお見舞いの品を食べながらお喋りを始めた。
あまり接点のない風麻は、何を話せばいいのかわからず、会話をしているのは、殆ど亜梨明と爽太だった。
悔しい気持ちと、羨ましい気持ちが混ざり合う中、時間はどんどん過ぎていき、一時間程すると、「そろそろ帰ろう」と、爽太が言った。
「えっ、もう帰っちゃうの……?」
「だって、せっかく良くなってきたのに、疲れて具合が悪くなったら大変だろ?」
「うん……」
爽太に言われると、亜梨明はしょぼんと瞳を伏せる。
「あ、明日は……みんな学校、だよね……」
風麻と爽太は、顔を見合わせて「うん」と、頷いた。
「そっか、次にみんなに会えるのは、学校でだね……」
二人が首を縦に振るのを見て、亜梨明は残念そうに弱く笑った。
*
「じゃあ、お大事にな」
「お大事に」
「うん、今日はありがとう!」
風麻と爽太が病室を出ると、亜梨明も病室の外に出て、廊下を歩く二人に手を振りながら見送った。
風麻が振り返ると、もう病室からはかなり離れたというのに、亜梨明はまだ笑顔で手を振り続けていた。
出会ったばかりの時も、先程話をしていた時も、亜梨明の笑顔はとても病人とは言えないくらい、健やかで明るい。
しかし、先日窓から見えた、ぐったりとした様子で救急車に乗せられる姿や、健康であれば、本来いるはずの無い、“この”施設にいることに、現実を突きつけられる。
*
――病院の外に出ると、風麻は爽太を呼び止めた。
二人で中庭のベンチに腰掛けると、風麻が話を切り出した。
「相楽姉の病気って、お前が昔なってたやつと同じなんだよな……?すぐに手術して治せないのか?」
治った事例の爽太がここにいるならば、亜梨明だってすぐ良くなるはずだと、風麻は思った。
しかし、隣に座る爽太は、そう聞かれた途端、難しい表情になった。
「それは……最終手段なんだ。リスクが高すぎて、本当に命に関わる状態にならないとできない手術で、今は無理だ」
「この間だって、充分危なかっただろ?」
風麻は少し苛立つように聞いたが、爽太は「違うんだ……」と、ため息交じりに言った。
「手術自体が難しすぎて、成功率が少ない。腕の立つ医者に手術してもらっても、長時間手術を受ける本人の体力が無ければ、力尽きて死んでしまう……。下手に手術をするより、投薬治療と行動制限する方が長生きできるからしないんだ」
風麻は、爽太の説明を聞いて、軽々しく質問したことを後悔した。
「……ごめん」
「……わかるよ、亜梨明に早く治って欲しいからって気持ち。早く元気になってもらいたいから聞いたんだよね?」
「うん……」
木漏れ日が揺れる中、二人はもどかしい気持ちのまま空を見上げた。
「助けたい……」
絞るような声で、爽太が言った。
「亜梨明の力になりたい、亜梨明を助けたい。僕はまだ子供で、何もできないかもしれないけど、同じ経験をした僕にしかできないことが無いかって……ずっと、思ってる」
爽太は、歯痒そうな表情のまま、膝の上で組んでいた手に、ぎゅっと力を込めた。
「――俺も!」
風麻は立ち上がると、力強い眼差しで爽太を見つめた。
「……俺も、相楽姉が困ってたら助ける!」
爽太は少し驚いたように目を丸くした後、フッと口元を綻ばせた。
「心強いよ」
「俺らみんなで、相楽姉を支えようぜ!」
風麻は手を差し出し、爽太はその手を力強く握った。
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