第20話 おひさま

 

 亜梨明が入院する病室を後にした緑依風達は、対面から歩いてきた爽太の後ろにいる人物を見て、「げっ⁉」と声を上げた。

 

 数メートル先で、不機嫌そうにこちら側を睨む、風麻がいる。


「ちょっとぉー!なんで坂下まで来てるの⁉」

 星華が、風麻に指をさしながら言った。


「お前らこそ、なんで俺にだけ教えてくれなかったんだよ!」

 風麻は、自分だけお見舞いに誘われなかったことを怒っており、三人を恨むような目で見ていた。


「ちょっと日下……」

 奏音と星華が爽太の腕を引っ張り、風麻との距離を離した。


「なんで、亜梨明の見舞いに坂下誘ったの?」

「誘ってないけど、昼から亜梨明の見舞いに行くって話したら、一緒に来るって」

「そんなの付いて来るに決まってんじゃん!バカっ!」

 星華が呆れて額に手を当てると、「でも、風麻だって亜梨明のことすごく心配してたし……」と、爽太は風麻と緑依風がいる場所に振り返った。


「あいつら何やってんだ?」

 風麻が視線を星華達に向けた。


「あんたは、なんで亜梨明ちゃんの見舞いに来たの?」

「なんでって……俺だって相楽姉と友達だろ!?来ちゃダメなのかよ?」

 もちろん、風麻だって亜梨明とは友達なので、見舞いに来てはいけない理由は本来無い。


 しかし、今日はみんなで決めたのだ。

 亜梨明が爽太と二人きりで、ゆっくり話せる時間を作ってあげたいと。


「今日はダメ!」

「だからなんでだよ?」

 苛立つ風麻に、その理由をどう誤魔化すか悩んでいた緑依風だが、ふと、緑依風の頭の中で電球がピカッと光るように、いいアイデアが浮かんだ。


「実は私――風麻に今日は用があったんだ」

「用?」

「昨日、練習して上手くできたケーキ、風麻に試食してもらおうかなーって」

 緑依風は、たまたま昨日の夜に作ったケーキが、まだ一人分残っていたことを思い出し、それをエサにして風麻を釣ろうと考えたのだ。


「マジか!食う!」

 緑依風の予想通り、ケーキが大好きな風麻は、目をキラキラと輝かせて釣られた。

 

「よし決まり!明日また、日下と二人でお見舞い行ってあげなよ」

「そうだな、そうしよう!」

 すっかり思考がお菓子へと傾いた風麻は、爽太に「俺、やっぱり帰るー!」と伝えて、緑依風と出入り口のある一階に降りるためのエレベーターに向かった。


 振り返った緑依風は、「あとはよろしく!」と、言うように、こっそり奏音と星華にサムズアップし、奏音達も「任せて!」と伝えるように頷いた。


「日下はゆーっくりと、亜梨明と話してきてね」

「……?うん、わかった」

 奏音と星華は、何もわかっていなさそうな爽太の背中を、二人で軽く押し出し、緑依風と風麻を追いかけていった。


 *


 一人、亜梨明の部屋の前に訪れた爽太は、コンコンコンと、ドアをノックした。


「どうぞ」

 亜梨明の声が聞こえると、爽太はゆっくりとドアを開けた。


「爽ちゃん……!」

「こんにちは」

 爽太が挨拶をすると、亜梨明はにっこりと笑って挨拶を返した。


「さっき、廊下から賑やかな声が聞こえた」

「松山さん達に会ったんだ。風麻も一緒だったんだけど、用事ができたから帰るって」

「そ、そっか」

 緑依風達が気を使ってくれたことを察した亜梨明は、少し風麻に申し訳ないと思った。


 ドアの前に立っていた爽太は、亜梨明のベッド横にある丸椅子に腰を掛けた。

 亜梨明は、爽太のことが好きだと自覚したせいで、彼のことをとても意識してしまい、顔だけじゃなく、全身が熱くなるのを感じた。


「調子、良さそうだ」

 爽太は安堵の笑みを浮かべた。


「うん、この間より大分楽になったから……」

「食欲は?」

「お昼は少し残しちゃったけど……でも、さっき緑依風ちゃんが持って来てくれたお菓子はたくさん食べれたよ。まだ少し残ってるから、爽ちゃんにもあげるね」

 亜梨明はベッドのそばに置いてあった、お菓子が入った袋を取り出した。


「どれ食べていい?」

「好きなの食べていいよ。あ、でもこれ私好きだから、爽ちゃんにも食べて欲しいな!」

「じゃあ、これもらうね」

 爽太は、紅茶の焼きドーナツが入った袋を取り出した。


「爽ちゃんはお昼何食べたの?」

「パン食べてきた」

「何パン?」

「たまごのサンドウィッチ。僕、それ大好きなんだ!」

「そうなんだ」

 爽太の好物を聞いた亜梨明は、心の中でメモを取った。

 料理なんて殆どしたことが無いが、いつか彼のために作ってみたいと思った。


「そうだ、今日は元々勉強会の予定だったから、一応勉強道具持ってきたんだけど……」

 爽太は鞄からノートと単語帳を取り出した。


「相楽さんもクラス一緒だし、いらないかもしれないって思ったんだけど、一応、亜梨明が休んでる間の授業のノートコピーしたから、よかったら使って」

「ありがとう」

 受け取った爽太のノートのコピーを見ると、細くて綺麗な筆跡で書かれた文字が並んでいる。


 大事な部分には、しっかりペンを使った線や注意などが書かれており、とても見やすくてわかりやすい。


「すごい……奏音には悪いけど、爽ちゃんのノートすごくわかりやすい!」

「あははっ、相楽さんに怒られるぞー。――ここ、ややこしいけど、多分テストに出るだろうから、覚えておくといいかも」

 爽太は、ノートの脇の方に枠で囲ってある注意ポイントを指し示すため、亜梨明に詰め寄った。


 爽太の肩が、亜梨明の肩に触れる距離―――。


 顔も近くに来てドキドキした亜梨明は、せっかく爽太が教えてくれているのに、全く説明が頭に入ってこなかった。


「亜梨明?」

 上の空の亜梨明を心配した爽太は、顔を覗き込もうと、更に亜梨明に近付いた。


「―――っ!」

 亜梨明は、自分の鼻先に触れそうなくらい、近い距離にいる爽太に気付き、思わず顔を逸らした。


「……もしかして汗臭いかな?一応スプレーはしてきたんだけど……」

 爽太は、自分のシャツの首元を引っ張りながら言った。


「そんなことない!ちゃんといい香りする!」

 亜梨明が慌てて言うと「なら良かった」と、爽太が柔らかい笑顔で言った。


「(爽ちゃんの笑顔って、見てるとあったかい気持ちになるな……)」

 他の男の子と比べると、物腰柔らかな爽太の笑い方は、まるで春の日差しのようで、ふわりと優しい。


 言葉も、声も、体温も――何もかもが温かい少年だ。

 自分はきっと、そんな所を好きになったんだろうなと、亜梨明は思った。


 *


 二人で三十分程勉強をした後は、爽太の部活の話や、最近の面白いテレビ番組の話などをして楽しんだ。

 

 午後三時半頃になると、まだ万全の体調ではない亜梨明は、話疲れてウトウトとし始めた。


 亜梨明が眠気を堪えるように、頑張って顔を上げていると、爽太は「休んだ方がいい」と言って、亜梨明に眠るように促した。


「でも……もっと爽ちゃんと話したいよ……」

「明日もお見舞いに来るから……ね?無理しない約束だよ」

 爽太は残念そうにする亜梨明にそう言うと、渋々ベッドに寝転がる亜梨明に掛け布団をそっと乗せた。


「じゃあ、また明日。おやすみ……」

「うん、また明日も待ってるね……」

 亜梨明は強い眠気と戦いながら、病室を出る爽太を目線で見送った。


 ドアノブに手を掛けながら、亜梨明に振り返る爽太の微笑みは、窓から差し込む光にとてもよく似合っている。


 その日差しと同じくらい、優しく眩しい爽太の笑顔に、亜梨明の心はとても幸せな気持ちで満たされていった。


「わたしの……お日さまだ……」

 ぽつりと呟いた後、亜梨明は心地よい眠りについた。


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