第19話 ガールズトークをしよう!
土曜日の午後。
緑依風と星華は、『木の葉』で買ったお見舞いの品を手に持ちながら、病院のベンチで、奏音を待っていた。
奏音は午前中は部活があるので、遅れてくるようだ。
「ごめーん!待ったー?」
部活を終えて、家で普段着に着替えなおした奏音が、二人の座るベンチに駆けてきた。
「そんなに待ってなーい!」
立ち上がった星華は、奏音に両手で手を振りながら、ぴょんぴょんと跳ねた。
*
三人揃ったところで、緑依風達は、病院の中へと入ることにした。
幼い頃から、亜梨明のお見舞いで病院によく来ていた奏音と違い、あまり病院の雰囲気や空気に慣れていない緑依風は、自分が診察を受けるわけではないのに緊張してしまう。
そんな中、一番病院が苦手そうな性格の星華は、鼻歌でも歌いそうなワクワクした様子でいる。
「ねぇ、亜梨明ちゃんの部屋に行く前に、ちょっと寄りたい所があるの」
星華はそう言って、緑依風が持っているお土産の入った手提げ袋よりも、小さい袋を掲げながらくるりと、後ろの二人に振り返った。
「いいけど、どこ行くの?」
奏音が聞くと、星華はニッと笑って「ママに差し入れ!」と言った。
「えっ……星華のお母さん入院してるの?」
奏音は一瞬、心配そうな顔になったが、その理由を知っている緑依風は「あぁ、違う違う」と否定した。
「うちのママ、ここの呼吸器内科のドクターなのっ!」
星華は誇らしげな笑顔でそう言った。
「へぇ~、星華って医者の娘なんだ!」
「意外でしょ?」
「意外って失礼だなーっ!」
星華の母親、空上すみれは、呼吸器内科の医長を務めている。
多忙な日々で、家事は殆ど家政婦に任せっきりだが、仕事に理解のある夫と娘に恵まれたおかげで、すみれは今も最前線で働いており、休日には普段あまり顔合わせのできない星華と買い物に出かけたり、一緒に映画に行くなどしてコミュニケーションを取っている。
「お父さんもお医者さん?」
「ううん、パパは普通のサラリーマンで婿養子。単身赴任で、たまにしか帰ってこないけど、ママが休みの日の夜はビデオ電話でお話するし、あんまり寂しくはないかな」
奏音は、親友となった星華が、もしや共働きの両親の間で、寂しい思いをしているのではないかと心配したが、普段通りの明るい口調でそう語る姿を見て、安心したように微笑んだ。
*
星華が呼吸器内科の受付スタッフに話しかけると、少し間を置いて、眼鏡をかけた一人の女医が近付いて来た。
「ママ!」
星華が手を振ると、すみれも笑顔で手を振り返した。
すみれは、ウェーブのかかった長い髪を横に流して一つに結び、真っ青なシャツとズボンの服装の上に白衣を羽織っていた。
背は160センチ程で、愛娘に手を振る笑顔の中に、厳しい現場で働いてきた貫禄も見え、とてもかっこいい女性だ。
「ママ!差し入れ持って来たよ!おやつに食べて!」
星華が手提げ袋を渡すと、すみれは嬉しそうに星華を抱きしめた。
「いつもありがとう星華~!これでまた頑張れちゃうわ!」
「おじさんにサービスもしてもらっちゃった!ママが好きな、チョコレートのマドレーヌもあるよ!」
「あら。緑依風ちゃん、お父さんにお礼をお伝えしてね」
すみれは緑依風を見ると、ぺこりと頭を下げて礼を述べた。
「あ、そうだママ!この子が新しくできた友達の一人だよ!」
星華は奏音の方を向いた。
「はじめまして、相楽奏音です」
奏音が自己紹介をすると、すみれも挨拶をした。
「今日はお姉さんのお見舞いなのよね?お姉さんにもよろしくね」
奏音は、すみれに頭を下げながら「はい!」と言った。
「ママ、今日は帰り遅いんだよね?」
「土曜日なのにごめんね……。最近ずっと忙しくて……」
すみれはレンズの向こう側で、とても申し訳なさそうに目を伏せた。
「私は平気!お仕事頑張ってね!明日のおでかけ楽しみにしてるから!」
星華がすみれに抱きつくと、すみれも人目を気にせずに、ぎゅうっと抱きしめ返した。
二人のほのぼのとしたやり取りを、緑依風と奏音は、微笑ましい気持ちで見ていた。
*
一方その頃。
亜梨明は、母親の明日香に持ってきてもらった、白いキーボードをテーブルの上に乗せて、作曲活動をしていた。
五歳の頃に買ってもらった、キーボード。
かなり年季が入っており、キズや汚れがあちこちにある。
入院中、ピアノが弾けないことを嘆く亜梨明に、両親がプレゼントしたものだった。
鍵盤は、ピアノに比べると少し足りないが、病室で一人きりの時はいつも愛用している、友達のような存在だ。
亜梨明が、病室の外に音が漏れないように、音量を小さくしながらピアノを弾いていると、楽しそうな笑い声の後に、ノック音が聞こえた。
「どうぞ~」
「亜梨明ちゃーん!お見舞いに来たよ~!!」
ドアが開かれたと同時に、星華が元気な声で挨拶をした。
「わぁ〜!みんなありがとう〜!」
「あ、キーボードだ。亜梨明ちゃんピアノ好きだもんね」
星華がテーブルの上を見て気付いた。
「点滴したままじゃ弾きにくくない?ずれたり外れたりしちゃいそう」
星華が指差す亜梨明の左手首には、半透明の管が繋がっており、指は動かせるが、包帯でぐるぐる巻きにされていて、不便そうだった。
「テンポの速い曲じゃなければ、意外とそうでもないよ」
亜梨明は、手をひらひらと動かしながら見せた。
「具合はどう?」
緑依風が聞いた。
「だいぶ良くなったよ。ずっと点滴繋がりっぱなしだけど、明日には外せるかもしれないって、先生が言ってた」
そう答える亜梨明の姿は、先日の状態に比べてとても顔色が良く、声も明るかったため、緑依風と星華は安心した。
「あ……」
亜梨明は、三人の姿を順番に見た後、落ち着かない様子で、ドアに視線を向けた。
「奏音……爽ちゃんは、一緒じゃないの?」
「日下は後から来るってさ」
「そうなんだ……」
奏音が、あえて遅れて来る理由を告げずにいると、亜梨明は残念そうに、小さくため息をついた。
「……亜梨明ってさ、日下のこと好きでしょ?」
「ええっ!?」
奏音の問いかけに、亜梨明は驚いた声を出した。
「な、なんで……」
真っ赤な顔をして、あたふたとする亜梨明に、三人は笑いを堪えきれなかった。
「どうなの?好きなの?」
星華が聞くと、亜梨明は「えぇ~っ……」と言いながら、ほっぺたを両手で押さえた。
「わ、わかんないよ……。でも、最近ずっと爽ちゃんのことばかり考えちゃうの」
「ほう?」
星華は、亜梨明が上体を起こして座っているベッドに近寄ると、そのまま端に座った。
「毎日ずーっと爽ちゃんのことが頭から離れなくて……。学校を休んだ時も、会いたくて会いたくて……でも、それでみんなに迷惑かけちゃって……」
亜梨明が、熱く火照る頬を抑えながら、そう語ると、「それって、やっぱり好きなんじゃない?」と、緑依風が言った。
「亜梨明ちゃんは、きっと日下のこと好きなんだよ」
緑依風にもう一度言われると、亜梨明は頬から一度離した手で、今度は顔全体を隠すように覆った。
そして、しばらく黙った後、その手をゆっくりと顔から離した。
「――うん。私、爽ちゃんのこと……大好き」
亜梨明は恥ずかしさで目を潤ませながら、自分の気持ちを認めた。
――私、爽ちゃんが好きなんだ……。
優しくて、自分の苦しみを一番理解してくれる人。
家族と同じくらい心配してくれて、自分を怒ってくれる人……。
亜梨明は、その気持ちをまるで抱きしめるように、胸元に両手を添えた。
「そうだと思った!それを聞きたくて、日下とはわざと時間をずらしたんだ〜!」
奏音はいたずらっ子のような笑顔で、ニッと歯を見せた。
「よーし!早速ガールズトークしよ!お見舞いにお菓子持って来たんだよ!」
「これみんなで食べよう!うちの店の焼き菓子だよ!」
星華と緑依風は、きゃっきゃとテンションを上げながら、お菓子をの入った箱を、袋から取り出し始めた。
緑依風、奏音、星華の三人は、亜梨明を囲むようにベッドの端や丸椅子に座ると、亜梨明と共にガールズトークに花を咲かせた。
*
「ねぇねぇ、緑依風ちゃんの好きな人は、やっぱり坂下くんなの?」
亜梨明が聞くと、緑依風は一瞬固まったが「うん、当たり」と、少し照れながら言った。
「やった、当たった!」
「お互い頑張ろうね!」
緑依風と亜梨明は、お互いの健闘を祈り、ハイタッチをした。
「緑依風ちゃんは、どうして坂下くんを好きになったの?」
「名前を褒めてくれたから……かな?」
「名前?」
「そ。この、へんてこな名前ね……」
緑依風はクッキーを口に頬張り、飲み込んでから話を続けた。
「――幼稚園の頃ね、同じクラスの男子に、名前をからかわれて泣いちゃってさ、そしたら風麻が、からかった男子を怒ってくれたの」
「坂下くんかっこいいー!」
亜梨明は手を合わせて感動した。
「それでね、その後もずっと元気無くしてたら、風麻がうちに来て、「僕は緑依風ちゃんの名前好きだよ」って言って、これをくれたの」
緑依風は耳につけている、葉っぱの形のイヤリングを指さした。
「それ可愛いなって、さっきから気になってたんだよね。そっか、坂下くんがくれたんだ〜」
亜梨明は「いいお話だね~」と、両手を組んでときめいていた。
「うん!誕生日プレゼントにって、風麻がお店で見つけたビーズに、風麻のお母さんがイヤリングのパーツをつけてくれたの!」
「世界にひとつだけのプレゼントだね!」
「うん!宝物なんだ!」
緑依風は、嬉しそうに耳元を触りながら言った。
*
――その後も、四人のガールズトークは盛り上がり、気が付けば、時刻は午後二時を迎えようとしていた。
楽しい時間が、あっという間に終わることに名残を惜しみつつ、緑依風達は亜梨明に「あとはごゆっくり~」と、顔を緩ませながら病室を出ていった。
亜梨明は、再び熱くなる頬に手を当てると、ベッド横に隠すように置いていた置時計を手に取った。
「……な、なんて話しようかな」
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