第18話 はじまりの予感

 

 夏城総合病院に運ばれた亜梨明は、投薬治療を受けて容体は落ち着いたのだが、しばらく入院することが決まった。


 医者からも母親からも叱られた亜梨明は、ベッドの上ですっかり落ち込んでいた。


「この後、奏音にも怒られるんだろうなぁ……」

 彼女の白くて細い手首には、点滴の針が刺しこまれており、亜梨明はそこから繋がる管や、薬液の入った袋を、ぼんやりとした目で眺めていた。


 ――ぽたり、ぽたりと透明な薬液の水滴が落ちる。


 寝返りを打った亜梨明は、小さなため息をつきながら、一人で反省会を行っていた。


 みんなと一緒にいたいという、自分の我儘で、大勢の人に迷惑をかけてしまった。

 あの時、緑依風がもし水道まで来ていなかったら、爽太に保健室まで運ばれなかったら……と、考えたところで、亜梨明の脳裏に爽太の声が再現された。


 ――なんでこんなになるまで我慢したんだ!?具合が悪くなったら、僕に言うって約束だっただろ!?


「――爽ちゃん、すごく怒ってた……」

 亜梨明は、医者や母親に怒られたことより、爽太に怒られたことの方が大きくこたえていた。

 爽太の叫ぶような声が、亜梨明の心や耳に、いつまでもこだまして消えてくれない。


 せっかく友達になって、たくさん気遣ってもらったのに、自分勝手な理由で約束を破ったことを、爽太はきっと許してくれないだろう。

 そう思うと、亜梨明はどうしようもないくらいの喪失感に襲われ、目の奥がじわりと熱くなった。


 コンコン。


 泣きそうになっていると、ドアをノックする音が聞こえた。


「はい……」

 亜梨明は、着替えなどを取りに帰った母親かと思っていたが、ドアを開けて入って来たのは、双子の妹の奏音だった。

 奏音は、顔の中央に力を入れたまま亜梨明のベッド横にやってくると、通学鞄をダンッ!と音を立てて床に落とし、仁王立ちになって亜梨明を見下ろした。


「――反省した?」

 しかめっ面のままの奏音が聞く。


「……はい」

「……もう二度としないでよね」

「……それだけ?」

 もっと言われるかと思っていた亜梨明は、キョトンとした顔で聞いた。


「お母さんがもう怒ったからって言ってたから、我慢する……」

「そう……」

「さてと……」

 奏音は横にスライドするドアを半分ほど開くと、「入っていいよ」と、誰かに向かって言った。


 病室の外にいたのは緑依風と爽太だった。


 今朝までは会いたくてたまらなかったのに、今は会いたくないと思っていた友達……。

 二人に合わす顔が無い亜梨明は、反対側を向いて、自分の顔を見えないようにした。


「二人に言うことあるでしょ」

 まだ怒ったような口調の奏音に、緑依風は「まぁまぁ」と、なだめるようにして、二人の間に入った。


「……全部奏音から聞いたよ。病気のことも、隠していた理由も」

 緑依風は、亜梨明の顔に近くなるように、少し腰を曲げながら、静かにそう言った。


「…………」

「怒ってないし、嫌ったりもしないよ」

「えっ?」

 驚いた顔で亜梨明が振り向いた。


「病気が理由でなんて嫌わないよ。星華もそう言ってた!だから、これからは私達にもしんどい時は頼ってね」

 緑依風は温かみを感じる穏やかな声で、亜梨明に言った。


「緑依風ちゃん……」

「はい、私とも約束ね」

 緑依風は小指を差し出すと、掛布団から出ていた亜梨明の小指に、自分の指を優しく絡めた。


「うん……ありがとう」

 亜梨明が礼を述べると、緑依風は「ふふっ」と笑った。


「で……次は日下だね」

 緑依風が離れると、爽太も亜梨明の元へ近付いてきた。

 爽太の表情は、固く、冷たい。


「僕はまだ怒ってるんだけど………」

 そう言われなくとも理解できる。


 亜梨明は先程ホッとしたばかりの気持ちを、再び緊張で強張らせた。


「迷惑かけて……ごめんなさい」

「迷惑をかけたことじゃなくて………約束を守ってくれなかったことを反省して欲しいな」

 消えてしまいそうな声で謝る亜梨明に、爽太はいつもよりも低い声で言いながら、丸椅子に腰かけた。


「それに、自分をもっと大切にして欲しい」

「……うん」

 爽太の目はとても真剣で、亜梨明はその視線が痛かったが、逸らしてはダメだと思って、耐えた。


「――頼って欲しかった」

 ほろっと、爽太の口から零れた。


「でも、迷惑じゃ――」

 亜梨明はそう言いかけたが、爽太は「亜梨明に頼って欲しかったんだよ」と、言った。


「君に頼ってもらうのを……ずっと、待ってたんだから」

「……そうなの?」

「そうだよ」

 亜梨明が少し意外な気持ちで、目をぱちくりと瞬きすると、爽太はようやくいつもの優しい表情に戻った。 


「なのに、こんなになるまで頼られないなんて、僕は亜梨明に信頼されてないのかなー……」

「あ、そういうわけじゃ……!」

 拗ねたような口調で斜め上を向く爽太に、亜梨明は慌てて否定した。


 チラッと視線だけ亜梨明に戻した爽太は、クスッと笑う。


「――じゃあ、今度は絶対頼ってね。もう無茶はしないのも追加ね!」

 爽太はまた、亜梨明に指切りをさせるように、彼女の生ぬるい小指に自分の指を絡ませた。


「うん、今度はちゃんと守るね」

 亜梨明は次こそ約束を守ると、爽太に自分自身と誓った。


「もう怒ってない?」

「うん……あ、あの時怒鳴ったのはごめん……」

 爽太は、病人の亜梨明に感情的になってしまったことを気にしていたようで、座ったまま頭を下げた。


「ううん、いいの……ありがとう」

 ――怒ってくれたからこそ、自分の過ちに気付くことができた。

 今の亜梨明は、そう思っていた。


 *


 時刻は十八時になろうとしていた。


「そろそろ帰らないと……。勉強会はとりあえずまた別の日にして、土曜日、星華と一緒にお見舞いに来るね」

 緑依風が置いていた鞄を手に持って、病室を出ようとすると、「そっか、じゃあ僕も帰ろうかな」と、爽太も椅子から立ち上がって帰ろうとした。


「あっ、爽ちゃんも!!」

 亜梨明が突然、半身を起こしながら爽太を引き留めたため、爽太と緑依風、二人を見送ろうとしていた奏音も思わず後ろを振り返った。


「?」

「爽ちゃんも……また、来てくれる?」

 亜梨明が寂しそうに瞳を揺らして聞いた。


「――わかった。僕も土曜日お見舞いに行くよ」

 爽太が見舞いを約束したその瞬間、亜梨明の青白い顔色に急に赤みが差し、パアァっと、明るい笑顔になった。


「――――!!」

 爽太は何にも気付いていなさそうだが、緑依風と奏音は何かを察したように、顔を見合わせた。


 *


 三人は病室を出ると、並んで歩きながら会話をしていた。


「日下って大きな声出るんだ?なんかびっくりした!」

 奏音が意外といった様子で言うと、「そりゃ出るよ」と、爽太は参ったような笑みを浮かべた。


「つい感情的になって怒鳴っちゃって……弱っている亜梨明に、あんなこと言っちゃうなんて……」

 爽太がまだ後悔するように俯くと、「でも、奏音の言ってることわかる!」と、緑依風がそんな爽太の空気を変えるように言った。


「日下ってそういうイメージ無いもんね」

「そう……なの?」

 爽太は顔を上げて緑依風を見た。


「うん。だって、他の男子より大人びてるし、大きな声で笑ったり喋ったりしないし。女の子みたいに綺麗な顔だし、細くてひょろっとしてるから、亜梨明ちゃん担いで走って来た時、「あ、男の子なんだ」って、思っちゃったもん!」

「……ん?松山さん、それ褒めてないよね……?」

 途中から、明らかに褒め言葉ではないものが、緑依風の口から出てきたのを聞いて、爽太はぴたりと足を止めた。

 

「僕だって、ちゃんと男だよ!」

 いつも大人びた雰囲気の爽太が、少しだけ子供っぽく主張する。


 緑依風と奏音は、そんな爽太の初めての姿に「あははっ!」と、からかうように笑った。


 *


 次の日。緑依風と奏音は、土曜日に亜梨明の見舞いに行くことを星華に告げ、その待ち合わせ時間などについて打ち合わせをしていた。


「でね、実は――」

 奏音が星華に耳打ちで内緒話をしようとすると、「相楽さん」と、爽太が後ろから奏音を呼んだ。

 

「土曜日のお見舞いなんだけど、風麻も誘っていいかな?」

 爽太の問いに、緑依風と奏音は慌てたように「ダメダメっ!」と手でバッテンを作りながら言った。


「明日は風麻誘っちゃダメ!」

「それから、私達は先に行くから、日下は二時くらいにお見舞いに来て!」

「え、でも……」

「病院にぞろぞろみんなで行ったら、他の患者さんに迷惑でしょ?亜梨明もまだ疲れやすいし、私達の後にゆーっくり話して!」

 奏音はそう言うと、爽太の背中を押して、自分達の場所から遠ざけるようにした。


「なになに?みんなでお見舞い行かないの?」

 話の全貌がわからない星華は、不思議そうな様子で聞いた。


 緑依風と奏音はにんまりと笑うと、星華を間に入れて、こそこそ話をした。


「ちょっと、亜梨明ちゃんに恋が始まりそうな予感がして……!」

 緑依風が嬉しそうに「ふふっ」と笑った。


「坂下には申し訳ないけど、姉の初恋かもしれないからね……」

 奏音はわざとらしく、手で涙を拭くふりをした。


「なるほどね~!」

 恋バナ大好きな星華は、ニィーッと歯を見せて笑う。


「こりゃ、土曜日のガールズトーク……もとい、お見舞いが楽しみですな!!」


 

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