第16話 本当の友達(前編)


 亜梨明が星華の机の元へ向かうと、星華は頬の下に人差し指を添えながら、グループ割りの話を始めた。


「とりあえず、私達は四人で同じグループでしょ~。あ、と、は……」

 星華は風麻と爽太のいる窓際にくるりと振り向いた。


「坂下ー!日下ー!オリエンテーリング一緒のグループにならない?」

「え、風麻達と一緒!?」

 緑依風が肩をビクッとさせて赤面すると、「だって、その方が緑依風嬉しいでしょ?」と、星華が言った。


「ちょっと!!」

 慌てふためく緑依風を見て、亜梨明はあることに気付いた。


「(そっか、緑依風ちゃんは坂下くんが好きなんだ)」

 先日の奏音と星華の話の流れと、緑依風の今の反応を見て思い返すと、その予想は間違いなさそうだと、亜梨明は思った。


 ハタから見ればケンカ友達のように見える緑依風と風麻だが、風麻を叱る緑依風の表情や声には優しさが含まれている。


「お似合いだと思うな」と、亜梨明は心の中で呟いた。


 *


 ロングホームルームの時間にグループ行動の班決めと、部屋割りが決まった。

 緑依風が班長をするオリエンテーリングのグループメンバーは、緑依風、風麻、亜梨明、爽太、奏音、星華の他に、漫画研究部に所属する男子生徒、中村紫郎なかむらしろうになった。


 緑依風は宿泊部屋のルーム長も務めることになり、彼女がルーム長になった部屋のメンバーは、亜梨明、奏音、星華と、清原きよはらまりあと朝倉美紅あさくらみくに決定した。


 歌の曲目も三つの候補から多数決で決まった。


「じゃあ、他のクラスと被ってないか相談しないといけないから、委員長達は昼休みに会議に参加してね」

 波多野先生がそう言い終えると同時に、キーンコーン―カーンコーンと、チャイムが鳴り響いた。

 

 教室は、ロングホームルームが終わっても、野外活動の話で持ち切りだ。

 

「……ぅっ」

 ワイワイと賑わう教室で、亜梨明だけは一人、また不規則に動き出した心臓の動きに、顔をしかめて苦しみに耐えていた。


 *


 昼休みになると、集会に出なければならない緑依風は、大急ぎでお弁当を食べ始めた。


「ごちそうさまっ!――あれ?亜梨明ちゃんご飯全然減ってないよ?」

 他の者がお弁当を半分程食べ終えている中、亜梨明の弁当箱は、ご飯が二口分と、おかずのミートボールをひとかじりした程度にしか減っていない。 


「あー……お腹空かなくて」

「でも、食べないとまた貧血になっちゃうよ?」

 星華が言うと、「ゆっくり食べなよ。残してもいいからさ」と、奏音が言った。


「うん……」

 亜梨明はなんとか食べなければとは思っているものの、一口何かを口に入れる度、息苦しさで咳き込みそうになるため、箸が全く進まなかったのだ。


「松山さん、そろそろ行こうか」

「あ、そうだね」

 先に食べ終えていた爽太は、筆箱とノートを持って、緑依風に声を掛けた。


 その時、亜梨明の弁当箱の中身を見た爽太は、亜梨明の異変に気付いたように、彼女の横顔を上から見下ろした。


 亜梨明はその視線に勘づき、ふいっと、爽太と反対方向へ顔を背け、かじりかけのミートボールを口に入れた。


「亜梨明、あの――」

「お待たせ!」

 爽太は何かを言いかけたが、緑依風がペンケースとメモ帳を持って爽太に話しかけたため、二人は集会が開かれる空き部屋へと向かった。


 亜梨明は、緑依風が爽太を連れ出してくれたことに感謝しながらも、もう我慢は限界かもしれないと思う程に、辛い状態になっていた。


 薬だけでも飲んでしまおうと、殆ど箸をつけていないお弁当箱を片付け、亜梨明は椅子から立ち上がる。


「どこ行くの?」

 星華が尋ねると、「ちょっと、トイレに行ってくるね」と、亜梨明は言った。


「私も……っ!」

 教室を出て行く姉が心配になった奏音は、すぐについて行こうとしたが、廊下に出た途端、立花に声をかけられた。


「奏音ー!練習着の書類提出今日までだよ!早く出さないとキャプテンに怒られるよ!」

「あ、忘れてた!」

 慌てて教室に戻ってきた奏音は、必要な書類を机から引っ張り出し、立花と共に女子バレー部の部室に向かった。


 教室に残った星華は、奏音の開けっ放しの弁当箱の蓋を閉め、亜梨明の帰りを待つ。


 ――だが、五分経過しても亜梨明は戻ってこない。


「……なんか、遅くない?」

 星華は教室から近いトイレに向かった。

 しかし、トイレの個室は全て未使用の状態だった。


「誰もいないじゃん?」


 *


 その頃、亜梨明は教室の一つ上の階にあるいつもの水飲み場に来ていた。


「はぁっ、はぁっ……っぅ」

 発作が本格的に出始めた亜梨明は、薬を飲んで、しばらく床に座って苦しさが和らぐのを待っていたのだが、症状は悪くなる一方であった。

 

 亜梨明は、これ以上は無理だとようやく観念し、保健室に向かおうと、よろめきながら立ち上がった。


「けほっ、けほけほっ!……っ!」

 ほんの数歩歩いただけで咳き込み、動悸が酷くなると、亜梨明はまた床に座り込んでしまった。


「これ……じゃ……っ」

「また昔と同じだ」と、いう呟きは、声にならずに空気だけとなって、亜梨明の口からこぼれた。


 *


 野外活動の会議は、水飲み場がある四階の空き部屋で行われていた。


 十分程の集会を終えた、各クラスの委員長達は、教室を出てすぐ隣にある階段から、自分達の教室へと戻っていった。


「松山さん、どこ行くの?」

「喉乾いたから、私は奥の水道に寄ってから教室に戻るよ」


 お昼ご飯を急いで食べた緑依風は、喉がすっかりカラカラになっており、爽太にそう告げて、小走りで四階の校舎の最奥にある、水飲み場へと向かった。


 緑依風が水飲み場に繋がる低い階段を降りようとした時だった――床に誰かが座り込んでいる姿が見える。


「あ、亜梨明ちゃん……⁉」

 うずくまり、肩を上下させて苦しそうな状態の亜梨明を見た緑依風は、顔を引きつらせながら、駆け寄った。


「――亜梨明ちゃんっ!!」

「りぃ……ふ、ちゃん……?」

 亜梨明は、弱々しい声で緑依風の名前を呼んだ。

 

 緑依風が亜梨明の横顔を覗くと、亜梨明は真っ青な顔に、冷や汗をたくさん流している。


「……っくぅ!」

 緑依風が亜梨明の肩を触ろうとした途端、亜梨明は両手で制服をぎゅぅっと、握り締めながら呻き声を上げた。


「ど、どうしたらいいの……っ?」

 緑依風は目の前状況に困惑し、声を震わせながら言った。


 助けを呼ぶにも、もうこの校舎には自分達以外誰もいない。

 自分で先生を呼びに行くにしても、亜梨明を残して行けない。


 緑依風がそう思いながらオロオロとしていると、水道の横にある、もう一つの階段から、誰かが駆け上ってくる足音が聞こえた。


「――日下っ!!」

 足音の正体は爽太だった。


「亜梨明……っ!!」

 爽太は、階段を上りきってすぐに亜梨明に駆け寄ると、彼女の頭を自分の腕にもたれさせる様に抱き寄せた。


「日下、どうしよう……亜梨明ちゃんがっ……」

 泣きそうな顔で狼狽える緑依風を見て、爽太は「松山さん落ち着いて」と、一言声をかけた。


「亜梨明、返事はいいから、手をぎゅっと握れる?」

「…………」

 亜梨明の意識は朦朧としており、爽太の手を握り返さずに、目を閉じたまま、浅く速い呼吸を繰り返していた。


「……松山さん、波多野先生にこのことを急いで伝えて、救急車を呼んでもらってくれ!」

「日下は……?」

「僕は、亜梨明を保健室に運ぶ!」

「わかった!」

 緑依風は立ち上がり、職員室に向かって走り出した。


 爽太も亜梨明を背負うと、険しい表情をしながら階段を一気に駆け下りた。


 *


 朦朧とする意識の中、亜梨明は自分の体が揺れる感覚に目を開けた。


「……爽ちゃん?」

「――なんでこんなになるまで我慢したんだ!?具合が悪くなったら、僕に言うって約束だっただろっ!?」

 亜梨明の微かな声に気付いた爽太が、振り向きざまに大声で怒った。


 その、普段の穏やかな彼からは想像できないくらいの赤く厳しい横顔に、亜梨明の瞳がぐしゃりと熱く揺らぐ――。


「ごめんなさい……ごめ……な、さ……っ」

 爽太の怒りに触れ、自分の過ちに気付いた亜梨明は、絞り出すような声で謝りながら涙を流した。


「もうすぐ、保健室に着くから……大丈夫だからっ……」

 爽太は亜梨明が背中から落ちないように、担いだ腕にしっかり力を入れ直して走った。


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