第14話 嘘

 

 放課後。

 今日は奏音は女子バレーボール部、星華は科学部でいない日なので、亜梨明は自分と同じく部活に所属していない緑依風と二人で帰っていた。


 昼間に感じた胸元の違和感は、だんだん間隔を短くして訪れるようになっている。


 だが、今の亜梨明の頭にはその不安よりも、昼休みに交わした爽太との指切りのことでいっぱいになっていた。


「(爽ちゃんと指切りしたときの感覚が……ずっと残って消えないや)」

 亜梨明が爽太の指が絡められた、自身の小指を気にしながら歩いていると、隣にいる緑依風が、そっと顔を覗き込んできた。


「亜梨明ちゃん、今日は少し元気ないね?何かあった?」

 緑依風が心配して聞くと、亜梨明は我に返って「そ、そんなことないよ!」と否定した。


「そう?でも、今日はなんか、いつもよりぼんやりしてるっていうか……」

「あ、あ~……えっとね、勉強……がね」

「勉強?」

「うん、中学校になってからややこしいなって思ってて。数学のプラスとかマイナスとか、国語も……」

 ぼんやりしていた理由は嘘だが、実際、亜梨明は最初の授業を欠席していたこともあって、所々わからない場所もあった。


「そうだね、ややこしい所増えたもんね」

「私、勉強ってすごく苦手で……」

 半分本当で、半分嘘の会話。

 亜梨明は、友達に嘘ばかり増えることが申し訳なくて、緑依風からそっと目を逸らした。


 亜梨明の隣にいる緑依風は、ほんの数秒何かを考えるような仕草をすると、「じゃあ、よかったら今日うちで一緒に勉強会しようよ」と言った。


「勉強会?緑依風ちゃんちで?」

 亜梨明はくるっと、緑依風の顔へ首を回すと、大きな目をぱちくりとしながら聞いた。


「うん、お店に寄って、お父さんからケーキももらって、一緒に二人で勉強しようよ!私も友達と勉強した方が、見張ってもらってるって思って、しっかり勉強できそうだし!」

「ホント⁉やったぁ~!私、お友達の家ってはじめ――……」

 亜梨明は言いかけると、慌てて口を閉じた。


 友達の家に遊びに行ったことが無いなど、普通の子ならありえないはずだと思った亜梨明は、ヒヤヒヤしながら口を真横に結んだ。


「友達の家だと集中できない?」

「ち、違うのっ!緑依風ちゃんち行きたい!楽しみっ!」

「そっか、ならよかった……」

 亜梨明はホッとしながら、緑依風と一緒に木の葉がある駅方面へと向かった。


 しかし、嘘や口を滑らせたことで心臓に負担をかけたのか、一時いっとき忘れていた胸の違和感が、急激に強まり始めた。


「…………!」

 亜梨明は、痛みに変わり始めた感覚に、表情を曇らせた。

 平坦な道を歩いているのに、一歩足を前にする度、どんどん呼吸が苦しくなっていく。


 並んで歩いていたはずの緑依風は、少しずつ亜梨明の前を歩き始め、亜梨明は、自分の歩みが遅れているのだと悟った。


「亜梨明ちゃん……?」

 隣に亜梨明がいないことに気付いた緑依風は、ようやく後ろを振り返った。


「――大丈夫っ⁉」

 緑依風は、自分の三メートル程後ろで、膝に手を付いて止まっている亜梨明の元へ戻ってきた。


「ごめんね……っ、歩くの……おそ、くて……」

 亜梨明が呼吸を乱しながら歩みの遅さを謝罪すると、緑依風は「そんなこと……」と、心配した声で言った。


「それより、亜梨明ちゃん、なんかすごく苦しそうだよ?顔も真っ青だし……」

「大丈夫っ……!!」

 言葉では「大丈夫」と言えても、症状は悪化していくばかりで、亜梨明は動悸と圧迫感が増す胸元をぎゅうっと押さえつけた。


 早く発作が治まることを祈りながら、亜梨明がじっと身を固めていると、亜梨明の背中を黙ってさすってくれていた緑依風が、「ねぇ、亜梨明ちゃん……」と口を開いた。


「あの……前から少し気になってたんだけど、もしかして、どこか悪いの?」

「…………っ」

 亜梨明は、「もう正直に話してしまおうか」と思った。


 仲良くなりたいと願いながら、友達にどんどん嘘を重ねて騙していく自分も嫌になっていた。


 口をハッと開けて秘密を言おうとすると、昔の記憶が一気に脳内を駆け巡った。


「(まだ……言えない……怖い、嫌われたくない……)」

 亜梨明は口をキュッと閉じると、静かに首を横に振った。


「そんなことないよ……貧血を起こしやすいだけっ……だから、これも多分……そう、だから……」

「…………」

 亜梨明はフラフラしながら真っ直ぐ立ち直すと、「ちょっとマシになったよ……」と緑依風に笑顔を向けた。


「本当……?」

「うん。でもごめんね……遊びに行くのは、また今度にするよ。今日は帰るね……」


 立ち止まって休んだおかげか、発作は少しだけ治まってきたが、さすがに遊びに行ける余裕はないと思った亜梨明は、緑依風の誘いを断った。


「じゃあ、心配だから、せめて家まで送らせて。私、鞄持つよ」

 緑依風はそう言うと、亜梨明が手に持った鞄を受け取った。


 亜梨明は、心配をかけたのに親切にしてくれる緑依風に、ますます申し訳なくなり、「ごめんね、緑依風ちゃん……」と、声を震わせて謝った。


 *


 緑依風に家まで送ってもらった亜梨明は、鞄を受け取った。


「本当にごめんね緑依風ちゃん……。おうち遠いのに、鞄まで持ってもらって……」

「気にしないで。それより、お大事にね……」

 緑依風は亜梨明に優しく笑いかけると、自分の家へと帰っていった。


 亜梨明は、鍵を開けて家に入ると、そのまま玄関に座り込む。


 発作の苦しさと、嘘をついた苦しさで、しばらくその場から動くことができなかった。


 *


 心も体も弱っていた亜梨明が部屋で眠っていると、コンコンと、ノック音が聞こえた。


 ノックをしたのは奏音で、母親から亜梨明の体調を聞いて、心配して部屋に様子を見に来たようだ。


「奏音……」

「何?」

「明日……緑依風ちゃん達には、貧血って伝えてね」

「わかった」

 亜梨明は奏音に背中を向けるように寝返りを打った。


「ねぇ、奏音……」

「ん?」

「嘘って……しんどいね」

「……うん」

 奏音は、亜梨明の背中に寄り掛かるようにして座った。


「……でも、しょうがないじゃん……」

「私、緑依風ちゃんに本当のこと言えるチャンスだったのに、結局怖くて……また嘘ついた」


 亜梨明は、自分は嘘が得意だと思っていた。

 友達だけでなく、家族にもこれまでたくさんの嘘を重ねた。

 家族の心配する顔を見たくなくて、我慢できるくらいの不調なら元気だと偽って生きてきた。


 その嘘は、自分を奮い立たせるものでもあったため、多少の罪悪感はあっても、両方のためには仕方ないと割り切っていた。


 ――だが、今日の嘘はいつもと違った。


 緑依風達と、上辺だけではない『本当の友達』になりたいはずなのに、嘘をついて友達に壁を作るなんて、矛盾していると亜梨明は思った。


 それは、亜梨明のベッドに腰掛けている奏音も同じで、自分と亜梨明を守るために壁を壊せないことにモヤモヤしていた。


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