第13話 芽生える
亜梨明が中学校に通い始めてから一週間が過ぎた。
亜梨明の病気を知る者は、まだ爽太と奏音以外にいない。
昼食の後の薬は、人気の無い水道に行ってこっそり飲んでいたし、体育の担当教師は、担任の波多野先生なので、参加が出来ない激しい運動の授業内容は、記録係をさせるなどして、上手く外してくれた。
奏音のおかげで、緑依風や星華ともすぐに仲良くなれた亜梨明は、風麻や爽太など、人生で初めての男の子の友達もでき、充実した日々を送っていた。
亜梨明は、中学生になってから毎日が楽しかった。
春の暖かい気温のおかげか体調も安定しており、治ったんじゃないかと思う程だった。
しかし、まだ気候が安定しない季節。
日本列島に再び冷たい空気がやってきた。
*
深夜十時頃。
亜梨明は部屋にある電子ピアノで、五線譜の書かれた紙と鍵盤を、交互ににらめっこしながら、新しい音楽を考えていた。
「たまには違うタイプの曲作りたいなぁ〜」
亜梨明が何度も「う~ん……」と唸っていると、ドアをノックする音が聞こえた。
「もう十時過ぎたわよ。明日も学校なんだから、早く休まなきゃダメよ」
ノックをしたのは母親の明日香で、作曲に夢中になると、時間を忘れてのめり込んでしまう娘を、注意しに来たようだ。
「はーい……程々にします」
亜梨明は渋々返事をすると、電子ピアノの周りを片付けて、眠ることにした。
しかし、ベッドに潜っても作曲のことが頭から離れず、全く寝付けない。
「あ~!こんなんじゃ、絶対眠れないよ!」
結局、亜梨明は間接照明を灯して、明け方近くまで作業をしてしまったのだった。
*
朝、目が覚めると、ひんやりした空気に、亜梨明はブルっと体を震わせた。
布団に潜っていたというのに身体中冷たく、動くと怠重い。
「夜更かししすぎちゃったせいかな……」
起き上がって鏡を見た亜梨明は、まずいという気持ちになった。
目の下にはクマができており、頬や顔全体に血の気が無く青白い。
「亜梨明ー!奏音ー!ご飯できてるわよー!」
母親に呼ばれて部屋を出ると、寝ぼけ
「おはよ〜……」
「おはよう……」
「あ、れ……?あんた、なんか顔色悪くない?」
奏音の半開きの目が一瞬にして完全に開いた。
「そうかな?」
とぼけたフリをして亜梨明は言った。
「悪いよ……脈と血圧測ろう」
*
リビングに移動すると、奏音は早速測定器を持ってきて亜梨明に測らせた。
「……血圧が低いけど、脈は正常か」
結果を見て、亜梨明はホッとした。
せっかく楽しい学校生活だというのに休むのは嫌だった。
「でも今日寒いからね、二人ともカイロ持って行きなさい。亜梨明は体調悪くなったら早めに連絡するのよ」
「大丈夫だよ!一人で帰れるから!」
亜梨明は明日香が準備してくれた、温かいスープやお茶をゆっくりと飲んだ。
体が暖まると、起きた時より少し楽になった気がした。
*
「ねぇ、本当に大丈夫なの~?」
登校中も、奏音は亜梨明の体調を心配し、ずっと同じようなことばかり問いかけていた。
「だから本当に平気だってば!」
口ではそう言うものの、気怠さがまだ残っている亜梨明は、本心では少し不安になっていた。
「(でもまぁ、我慢できなくなったら奏音がいてくれるし、爽ちゃんも……)」
爽太は亜梨明の秘密を知って以来、他のクラスメイトにバレないように協力し、常に気遣ってくれていた。
教室でも廊下でも、ちょっとした時にさりげなく声をかけ、困ったことはないか、体育の後などは疲れていないかなど、色々聞いてくれた。
奏音は「ちょっとしつこくない?」と言うが、亜梨明は、爽太の優しさがとても嬉しかった。
*
教室にたどり着くと、緑依風と風麻と星華はすでに教室に来ていたが、爽太の姿が見えない。
「坂下くん、爽ちゃんはまだ?」
亜梨明が、緑依風と話をしていた風麻に尋ねると、「爽太はいつももうちょいしたら来るだろ?」と返された。
「あ、そっか……」
亜梨明はチラッと時計を見た。
爽太が教室に入ってくるいつもの時間まではまだ二分程早かった。
だが、なんだか今日は、その短い時間が待ち遠しい……。
そう思いながら五人で話をしているうちに、爽太が教室に入って来た。
「お、爽太おはよー!」
爽太の姿に気付いた風麻が挨拶をすると、爽太は風麻に「おはよう」と手を振った。
「爽ちゃんおはよう」
亜梨明も挨拶をすると、爽太は亜梨明にも柔らかい笑顔で、「おはよう」と返してくれた。
「(爽ちゃんに会えた……。やっぱり、しんどくても頑張って学校に来てよかっ――あれ?)」
亜梨明はよかったと思った時に、ふと自分の気持ちがおかしく感じた。
まるで、自分が学校を休みたくない理由に、爽太がいるような気がしたからだ。
気が付けば、授業中も時折黒板やノートから目を逸らし爽太を見てしまう。
「授業に集中しなきゃ」と心の中で自分を叱咤し、板書をノートに写すも、やはり爽太が気になってしまう。
すると、爽太も視線に気付いたのか、亜梨明の方へ振り返り、ばっちり目が合ってしまった。
何となく恥ずかしくて下を向き、ノートに文字を書こうとするフリをした。
亜梨明は自分でも何故、爽太ばかり見てしまうのかわからず、困惑したまま授業を受けていた。
*
昼休み。
亜梨明は緑依風、奏音、星華と一か所に集まってお弁当を食べていた。
すると、「緑依風、いるかしら?」と、女子生徒の声が教室のドアから聞こえた。
開けっ放しのドアの前には、二年生で緑依風の従姉である青木海生が、恋人の
「わぁ~!!二年の青木先輩と城田先輩だ!」
亜梨明達とは別のグループの女子生徒から、黄色い声が上がる。
「城田先輩やっぱりイケメンだよね〜!」
「青木先輩綺麗だよなぁ……」
女子だけではなく、男子もザワザワと騒ぎ始めた。
名前を呼ばれた緑依風は、箸を置いて、ドアの前で待つ二人の元へと向かった。
亜梨明は、海生とは緑依風を通じて会ったことはあるが、海斗は初めて見たので、「星華ちゃん、海生先輩の隣の人誰?」と聞いた。
「あ、亜梨明ちゃん海斗先輩初めて見たんだ~?」
海斗の容姿は、長身、やや垂れ目の甘いマスクで、細身だが、捲られたシャツから見える腕は筋肉で引き締まっており、クラスメイトが口にした『イケメン』という言葉が似合う少年だ。
「あの二人、二年生の有名カップルなんだよ~!いいよねぇ~私もああいう人彼氏にしたいなぁ~!!」
星華はうっとりした顔で、海斗に目がくぎ付けになっていた。
「あの二人、一緒にいるとすごく目立つね」
奏音がお弁当のおかずを口に入れたまま喋った。
「だって、お似合いだもん~!!海斗先輩があともう一人いたらなぁ~!ね、亜梨明ちゃん?」
「う、うん……」
星華に話を振られた亜梨明だが、海斗を見ても、星華や周りの女子生徒と同じような気持ちにはなれなかった。
「(海斗先輩もかっこいいけど……爽ちゃんの方が、もっとかっこいいな……)」
亜梨明はチラッと、斜め後ろで風麻と共にお弁当を食べている爽太を見た。
「なんか亜梨明ちゃん反応薄いなぁ……海斗先輩好みじゃない?」
「えっ?」
星華の言葉に亜梨明は声が裏返った。
「好みどうあれ、もう人の彼氏じゃん」
奏音はどうしようもないといった表情で星華に言った。
「あ、緑依風おかえり」
席に戻った緑依風の手には、本が数冊握られていた。
どうやら、海生と海斗は、緑依風が読みたがっていた本を貸すために一年一組の教室にやってきたらしい。
「恋人ねぇ~、ああいうのって、どうやったらできるんだろう?」
奏音がお弁当箱を片付けながら言うと、「奏音はどんな人がタイプなの?」と、恋バナ大好きな星華が、目を輝かせて聞いてきた。
「私は……逞しい人がいいかな!でも心は優しい人」
「へぇ~……奏音の好きなタイプ、初めて聞いたよ」
「亜梨明ちゃんは?」
「私?」
星華は、亜梨明に詰め寄りながら、興味津々な様子で聞いた。
「私は……背が高くて……色が白くて、あったかくて、優しくて……」
亜梨明の口からぽつりぽつりと出てきたのは、亜梨明自身が思う、爽太の特徴だった。
「――なんか、かなり具体的だね?」
星華に言われてハッとした亜梨明は「緑依風ちゃんは?」と、緑依風に話を振った。
すると突然、奏音と星華が笑い始めた。
「え?なんで二人とも笑ってるの?」
亜梨明が訳が分からず尋ねると、「緑依風はタイプを聞くっていうか、もう知ってるっていうかー」と、星華が冷やかすような目で緑依風を見た。
「亜梨明、緑依風のことよく観察してたらわかるよ」
奏音はニヤニヤしながら緑依風を見た。
緑依風は顔を真っ赤にして、口をはくはくさせている。
「そっか、緑依風ちゃんには好きな人がいるんだね」
亜梨明が何となく察して言うと、緑依風は奏音と星華に向かって「もー!二人のせいだよ!」と怒ったように言った。
*
お弁当箱を片付けた後、亜梨明はいつも通りそっと教室を抜けて、昼食後の薬を飲みに、人気が少ない水道に移動した。
「好きな人かー」
亜梨明は、先程の緑依風達との会話内容を思い出しながら呟いた。
亜梨明は、生まれてから今まで、自分の中で好きな男の子のことを考えてみたが、幼稚園は通えなかったし、小学校も、転校してから知り合った男の子は、同級生がいなかったせいもあって、年上や年下ばかりで、お兄ちゃんや弟のような感覚だった。
自分のことで、常にいっぱいいっぱいだった亜梨明は、男の人を特別に好きになるなど、想像したこともなかった。
入院中や、自宅療養中に読んだ少女漫画では、ヒロインの女の子が何かをきっかけに誰かを好きになり、失恋したり――また、仲の良い友達と、好きな人を巡って争ったりしていたが、現実には無いだろうと思っていた。
――違うかな……
亜梨明は自嘲気味にクスッと笑うと、手に持っていた錠剤タイプの薬をコクンと飲んだ。
*
薬を飲み終えて、教室に戻ろうとした時、亜梨明は胸に小さな異変を感じた。
「――あれ?」
痛いわけでもない、苦しいわけでもない。
でも、何かおかしいと、亜梨明が立ち止まって少し不安に思っていると、「亜梨明」と、爽太が正面から声をかけてきた。
「あ、爽ちゃん、どうしたの?」
「朝から気になってたんだけど……」
「…………!」
亜梨明は、爽太を凝視していたことを、指摘されるのではないかと思い、ギクリとした。
悪気があって見ていたわけではないが、そのことを問われた時、どう弁明しようかと頭の中をグルグルとさせていると、爽太から出てきたのは、「今朝、体調悪かったでしょ?」と、心配する言葉だった。
「え、えっと……」
真剣に見つめる爽太の顔を見て、誤魔化せないと思った亜梨明は、「うん」と、正直に言った。
「余計なお世話かもしれないと思ったけど……朝からずっと心配で、ついてきちゃった」
「そっか、ありがとう……」
亜梨明は、見つめていた理由を聞かれなかったことにホッとしながら、爽太の優しい心遣いに感謝した。
「今は平気?」
「さっき、一瞬だけおかしいかなって思ったんだけど……でも、胸の痛みもないし、苦しくもないから、きっと大丈夫!」
「……本当に?」
「本当!!」
――嘘ではなかった。
実際、こういう症状はよくあることで、悪くなる時はそのまますぐ悪くなるが、何事もなく治ることも多いのだ。
亜梨明は、「きっと、今回も大丈夫!」と、自分に暗示をかける意味でもそう告げた。
少し硬い表情になっていた爽太は、亜梨明の言葉を聞いて、「それならよかった……」と、いつもの柔らかい表情に戻った。
「……亜梨明、約束覚えてるよね?」
「うん……」
「僕にだけは困った時や、体調が悪い時に絶対に言うって。絶対に無理しないで頼るって約束……ちゃんと、守ってね」
爽太はそう言うと、亜梨明の目の前に小指を差し出した。
「爽ちゃん……」
亜梨明もそっと指を出すと、爽太はその指に自分の指を絡めて、キュッと力を込めた。
「――約束だよ」
「……うん!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます