第12話 桜吹雪の中で

 

 バレーボール部の練習が終わった風麻は、用事のために、親の車で迎えに来てもらっている爽太と校門前で別れた。


「えーっと……帰りに卵とベーコン買ってきてって言ってたな」

 今朝、母におつかいを頼まれた風麻は、言われた品物を思い出しながら、駅前のスーパーに向かって一人で歩き始める。


 練習は午前中までで、弁当を持って来ていないため、風麻のお腹はグーグーと低い音を鳴らしていた。


「腹減ったぁ~コンビニも寄って何か買うか~……あれ?」

 桜並木の道に、見覚えのある少女が立っている。


 少女は、まだ花が残る桜の木を見上げていた。


 風麻がその少女に近付いて、よく目を凝らして見ると、それは同じクラスの相楽亜梨明だった。


「おーい!相楽姉!」

 風麻が亜梨明を呼ぶと同時に、突然強い風がブワッと吹き始めた。


 風は木々の花びらを散らすだけでなく、地面に落ちた花弁までをも巻き上げるように吹き荒れた。


 風麻に呼ばれた亜梨明は、桜吹雪の中でゆっくりと彼の方へ振り向いた。


「…………!」

 ――その瞬間、風麻は大きく息を呑んだ。


 淡い薄紅色の花吹雪の中、光を受けて輝く長い髪と、透けるように白い肌の亜梨明が、風麻の瞳にとても幻想的に映ったのだった。


 風麻はその姿にあまりに心を奪われて、まるで時が止まったように思えた。


 風が止むと、その声の人物が風麻だとわかった亜梨明が「こんにちは」と、微笑みながら挨拶をした。


 亜梨明に挨拶をされてやっと我に返った風麻は、「おー、こんちは」と、挨拶を返した。


「髪の毛が真っ直ぐだったから、わからなかったよ」

 亜梨明は風麻の頭を指さしながら言った。


「あぁ、部活で汗かいたらな。いつもはワックスで跳ねさせてんだよ」

 緑依風と違って、真っ直ぐで柔らかな髪質の風麻は、それが余計に、背を低く見せてるのではないかと思っているので、中学生になってからは、毎朝ワックスで髪を整えていた。


「何してんだ?」

「んーとね……お散歩」

「一人でか?」

「うん、桜の花が見たくて」

 ひらりひらりと舞い散る花びらを見て、「綺麗だな」と、風麻が言った。


「うん。でも――」

 亜梨明は風麻から目を背けると、花溜まりとなったアスファルトに視線を移した。


「綺麗だけど……ちょっと悲しい」

「悲しい?」

 亜梨明の意外な言葉に風麻は首を傾げた。


「だって、このお花は今、命を終えたんでしょう?実ができて、またそれが落ちて、新しい命が生まれることもわかってるけど、ちょっと寂しいなって、思っちゃって……」

 風麻はそんなことを、今まで一度も考えたことが無かった。


 春になって桜の花が咲くのは当たり前で、それと同じように散り行くことも当たり前だった。


 散ってしまうのは少々残念だが、それすらも綺麗なのが桜のいい所で、舞い散る桜も満開の桜の木を見るのと何ら変わらないと思っていた。


「――こんなに綺麗に咲いたのに、どうしてすぐに、花の命は終わっちゃうんだろう……」

「…………」

 桜の木を眺める二人に沈黙が続いた――。


 亜梨明の横顔を見ると、痛そうで、泣きそうな……風麻が、上手く言葉に表せない表情をしていた。


 そんな顔をする亜梨明に、何か言葉を返さねばと風麻が悩んでいると、亜梨明は風麻がその考えを、不快に思っているのではないかと勘違いし、「ご、ごめんね……変なこと言って」と謝った。


「普通、こんな風に思わないよねっ!」

「いや、その……悲しいのに、見てて平気なのか?」

 風麻が問いかけると、亜梨明は「見てなきゃいけないって思う」と言った。


「もちろん、綺麗だから見たいっていう気持ちもあるんだよ!でも、その……花の最期を見届けたいって気持ちもあって……。奏音には、変なのって言われちゃったけど――」

「――いいんじゃない?」

「えっ?」

 風麻は、部活で使ったタオルなどが入った鞄を持ち直した。


「俺は、そういう風に思わないけどさ、花のことをそうやって見れる相楽姉は……優しいって思うよ」

「…………」

「桜が結局どう思ってるか、本当のことはわかんねぇし。……喜んでるかもしれないし、泣いているのかもしれないし、何にも考えてないかもしれない。だから、どう思ってもいいんだ、きっと……」

 慣れないことを言った風麻は、だんだん照れ臭くなり、ポカンとした顔で見つめる亜梨明から目を逸らした。


「うん……そうだね。本当のことは、桜しか知らないんだもんね」

 亜梨明はふふっと笑いながらそう言った。


「おう、笑ってるかもしれないし、怒ってるのかもしれないしな!」

「そっかー!」

 亜梨明は先程の切ない表情から一変して、普段学校で見せるような、無邪気な笑顔になった。


 亜梨明の笑顔につられて笑っていた風麻は、母親の伝言を思い出すと「あ、おつかい早く行かねぇと!」と言って、携帯の時刻表示を見た。


「相楽姉は帰らないのか?」

「私は、もうちょっとだけ……」

「そっか、じゃあ……」

「うん、また学校でね」

 亜梨明は、ほわっとした柔らかい笑顔で、風麻に手を振った。


 風麻も軽く手を振り返すと、スーパーのある駅方面へと歩き始めた。


 *


「…………」

 亜梨明と桜の木が小さく見えるくらいまで歩いた後も、風麻は時々、後ろを振り返りその姿を見た。


 再び強い風が吹くと、亜梨明の姿は、花吹雪の中に遮られて見えづらくなった。


「あっ……!」

 姿が隠された途端、亜梨明が桜吹雪と一緒に消えてしまいそうな気がして、風麻は思わず彼女に向かって手を伸ばしそうになる。


 風が止むと、亜梨明はちゃんとそこに居た。


「……消えるわけ、ないのに」

 消えないとわかっていても、亜梨明の存在が気になって仕方がない――。


「なんだろう……な」

 風麻は胸の奥の違和感をむず痒く思いながら、また前を向いて歩き出した。


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