第10話 奏音の後悔
空の色が薄紫色になり、星々が見え始めた頃――。
バレー部に仮入部中の奏音は、「ただいまー」と、やや気だるげな声色でドアを開けた。
「おかえりなさーい!」
先に家に帰っていた亜梨明は、ご機嫌な様子で奏音を出迎えた。
「初日で疲れてるかと思いきや、私より元気じゃん……」
奏音は部活動中、体力の無い亜梨明が、いきなり全日授業で疲れているのではないかと心配していたのだが、亜梨明はそんな雰囲気を微塵も感じさせないような、明るい笑顔でいる。
「聞いて聞いて!あのね、放課後に爽ちゃんが授業でよく使う教室とか、購買とか教えてくれたの!中学校って本当に広くて、私びっくりしちゃったよ~!」
奏音は楽しそうに語る亜梨明の肩に手をかけると、「ちょっと……その日下と何があったか、めちゃくちゃ気になるから教えてくれない?」と、顔を近付けた。
*
制服から普段着に着替え終えた奏音は、温かい紅茶が入ったマグカップを手に持ちながら、亜梨明から爽太との出来事を聞いた。
「――なるほどねー……日下もそんな過去があったんだ」
「うん……。それで、爽ちゃんは私が秘密にしたがってるのもわかってくれて、みんなにも黙っててくれるって、言ってくれた」
亜梨明はミルクティーをゆっくり飲みながら、一つ一つ思い出すように話した。
「……で、その『爽ちゃん』って呼び方が、一番気になってるんだけど⁉」
奏音は、すぐ隣にいる姉に体を詰め寄せて問いただした。
「え、だって爽ちゃんが『爽太』って呼べって言ったんだけど、いきなり呼び捨てはちょっとなーって思って……」
「……ふーん」
奏音は眉間にシワを寄せ、少し目を細めて亜梨明を見た。
「どうしたの?」
「べっつにー!私がいなくても、ちゃんと自分で友達作れてるみたいで、よかったなーって」
奏音はプイッとそっぽを向いて、マグカップの中をスプーンでぐるぐるかき混ぜた。
「……もしかしてヤキモチ?」
「…………」
亜梨明が奏音の顔を覗き込むと、図星を突かれた奏音の顔は、唇を尖らせた状態になっている。
「も〜!奏音にもすっごく感謝してるんだから!緑依風ちゃんとも星華ちゃんともお話できたのは、奏音のおかげだよ!」
「……そう?」
「うん、私が休んでる間、奏音が友達を作ってくれて、みんなの話をたくさん聞かせてくれたから、私は今日みんなとお話できたんだもん!」
「そ、それならいいけどさ~!」
亜梨明にそう言われた途端、奏音はニヤ~っと表情を緩ませて、機嫌を戻した。
「――緑依風ちゃん達とも、
「
「うん……。いつか、本当のことも話せるようになりたい」
不安そうな顔で、マグカップを持つ手に力を込める亜梨明を見て、奏音は心がぎゅっと苦しくなった。
「ごめんね……あの時、私があんたを一人にしたから」
奏音が俯きながら小さく謝ると、亜梨明はハッと奏音に振り向き、「奏音のせいじゃないよ!」と、明るい声を作った。
「だって、私があの時っ――!!」
「本当に奏音のせいじゃない、前にも言ったでしょう?」
亜梨明が奏音の頭をそっと撫でながら微笑むと、奏音はますます、過去の罪悪感に耐えられず、目に涙を滲ませた。
*
――奏音の頭の中に、小学校一年生の頃の記憶が蘇った。
中休みの時間、同じグループの友達が一か所に固まって話をしていた。
そのグループのリーダー格の女の子が、「奏音ちゃん、こっち来て」と、やや声量を落としながら奏音を手招きした。
「なに?」
リーダー格の女の子は、奏音の背中に手を回し、彼女を輪の中心に誘い込むように入れると、ひそひそした声で話し始めた。
「あのね、私達と一緒に遊ばない?」
「うん、いいよ!あり……――?」
奏音が、授業中に使った鉛筆をしまっている亜梨明を呼ぼうとすると、リーダー格の女の子は、奏音の口を塞いだ。
「しーっ!亜梨明ちゃんには内緒なのっ!」
リーダー格の女の子は、小声のまま奏音に告げた。
「なんで?」
奏音が聞くと、リーダー格の女の子も、その周りにいる他の友達も、奏音から目を逸らしながら渋い顔をした。
「だってさ……亜梨明ちゃんが一緒だと、遊べないものばっかりになるんだもん」
「そうだよ、外での遊びはだめなんでしょ?誘うと先生に怒られるし、そうなったら鬼ごっことかできないじゃん……」
「今日は私たち、みんなで氷鬼するんだもん。亜梨明ちゃんがいると遊べなくなっちゃう」
「そんなこと言わないでよ、トランプとかまたみんなで……!」
奏音が亜梨明も一緒に遊べる遊びを提案すると、「何してるの?」と、背後から亜梨明の声が聞こえた。
「いこっ……奏音ちゃん、私達先に行って待ってるからね」
リーダー格の女の子は、奏音の肩に軽く触れると、他の子も連れて逃げるように教室を出ていった。
「何話してたの?」
何も知らない亜梨明は、ニコニコした表情で奏音に聞いた。
「みんなで、一緒に遊ぼうって話してたんだよ……」
「そうなの?じゃあ、私も行くっ!」
「今日は鬼ごっこだから、亜梨明はできないよ」
奏音が引き留めると、亜梨明は「そっか……」と残念そうに呟いた。
奏音の心は揺れていた。
本当は自分も友達と同じように、走り回って遊びたい。
でも、亜梨明を置いて遊びに行くこともできない……。
奏音は二つの感情で板挟みになっていたが、目の前の亜梨明は、そんな妹の心情など全く考えもしないような口調で、「じゃあ、図書室に行こう!」と、奏音の腕を引っ張りながら、図書室に向かおうとした。
――その瞬間、奏音がこれまで抑え込んでいた気持ちが、一気に膨れ上がって破裂した。
「私ね、この間気になる本見つけちゃった!奏音もついてきて!」
「――――っ!」
奏音は亜梨明の手を振り払った。
「奏音?」
亜梨明が少し驚いたように、奏音の顔を覗いた。
「……なんで?」
「?」
「なんで、なんで私はあんたと一緒にいなきゃいけないの……。なんであんたは他の子と違うの……。双子だからって、なんで学校でまで一緒にいなきゃいけないの……⁉︎」
「え……?」
奏音が我慢していた思いを吐露すると、亜梨明は大きな目を更に見開きながら、困惑していた。
「私だって友達と遊びたい!図書室なんて行かない!行くなら一人で行って!」
奏音はそう叫ぶと、亜梨明を置いて、友の待つ運動場へと急いだ。
溜め込んでいた不満を吐き出した奏音はとても気持ちがスッキリとしていた。
しかし、休み時間が終わって教室に戻ると、自分に置いて行かれて、恐らく泣いたであろう亜梨明の顔を見て、すぐに曇った。
「(私は悪くない……。亜梨明だって、私のこと何にも考えてなかったんだから)」
奏音は、そう自分の心に言い聞かせて、罪悪感を払おうとした。
*
夜になると、亜梨明は高熱を出した。
「朝は元気だったのに……」
奏音は、母親の明日香が心配そうに、亜梨明の看病をする姿を横目で見ながら、何も知らないふりをしていた。
普段なら、元気付けにそばに行くのだが、亜梨明に対する不満や憤りが心に残ったままの奏音は、何も話す気になれなかった。
姉妹が仲直りできぬまま、二日が過ぎた。
熱が下がった亜梨明は、二日ぶりに奏音と登校したが、互いに気まずい雰囲気が漂っていて、交わす言葉は少なかった。
奏音とだけ遊びたかった友人達は、ようやく奏音が亜梨明と離れたことを喜んでおり、学校に到着した時も、奏音だけ呼び出して輪の中に入れた。
*
放課後、リーダー格の女の子が「今日みんなうちに遊びに来ない?」と、仲の良い友達を誘った。
「一回帰ると遊ぶ時間無くなっちゃうし、このまま遊びにおいでよ!」
「うん、行く!」
奏音は他の子と同様に、その誘いに賛同したが、ふと背後に亜梨明の気配を感じた。
亜梨明の真っ青な顔を見て、奏音は彼女が何が言いたいのか、すぐに察した。
奏音は明日香から、登下校中に亜梨明の具合が悪くなったら、すぐに連絡できるようにと、子供用の携帯電話を持たされていた。
この日は明日香が用事で、夕方まで家にいないと聞いていたが、奏音にも大事な予定ができた。
亜梨明のせいで時間が奪われるのは、もう嫌だった。
「今日は友達のとこに遊びに行くことになったから。これから携帯電話は亜梨明が持ってて」
奏音は心配の一声もかけぬまま、亜梨明にランドセルから取り出した携帯電話を渡した。
亜梨明は、悲しそうな瞳で「うん……」と携帯を受け取った。
「お母さんに迎えに来てもらえるなら、私がいなくたっていいじゃん。お母さんには友達んちに遊びに行くっていっといてね」
「奏音ちゃーん!早く行こう!」
「あ、うん!今行くね~!」
奏音はそう返事をすると、亜梨明を置いて友達を追いかけた。
チラッと振り返ると、亜梨明は携帯を握り締めたまま静かに泣いていた。
「(きっと、お母さんすぐ来るよね……。しんどそうだけど、少しくらい大丈夫なはず……)」
少し後ろめたい気持ちはあったものの、奏音は亜梨明を教室に残したまま先を歩く友人の元へ駆けて行った。
*
奏音がリーダー格の女の子の家で、みんなで仲良く楽しく遊んでいると、女の子の母親が、誰かの電話に深刻な様子で受け答えをしていた。
女の子の母親は、奏音を電話の前に呼び出すと、亜梨明が救急車で病院に運ばれたことを告げた。
「――だから、お父さんが今から迎えに来てくれるって」
女の子の母親から説明を受けた奏音は、この時初めて、自分が亜梨明にしたことを後悔した。
*
父親の真琴と共に病院に向かうと、母親が目と顔を真っ赤にして、椅子に座っている姿があった。
「お、お母さん……」
奏音が明日香を呼ぶと、明日香は怒りと悲しみを堪える様子で、奏音を見下ろした。
奏音は母親からの叱責を覚悟していたが、明日香はその感情を飲み込むように喉を上下させると、「――任せっぱなしでごめんね……」とだけ言った。
*
亜梨明の病態は、奏音が思っていたよりも悪く、入院はひと月以上続いた。
奏音は今すぐにでも会って謝りたかったが、亜梨明が入院する病棟は、入院患者以外の子供の立ち入りを禁止していたため、亜梨明が退院するまでそれは叶わなかった。
亜梨明が一時退院して自宅に戻ると、奏音は亜梨明に、これまでのことを泣きながら謝った。
「いいよ……」
亜梨明は優しい声で許してくれた。
しかし、それから半月後――亜梨明の口からは、思わぬ言葉が告げられた。
「私ね、二年生から別の学校に行くの。病院の近くにね、私に合う学校があるから。お母さんも先生も、そっちの方が良いって。私も、その方が良いと思う……」
奏音は、亜梨明にその決断をさせてしまったことにショックを受けた。
「やだっ!私、なんとかするから!もう一人にしないからっ!だから……二年生になっても、同じ学校行こうよっ‼︎」
奏音は必死にそう告げたが、亜梨明の決意は固かった。
「――もう、私のお守りしなくていいんだよ。これからは、奏音は友達とたくさん遊んでね……っ!」
あの日の亜梨明の涙を、奏音は数年経った今でも忘れられなかった。
*
それから卒業までの間、奏音はクラスメイトと仲良く過ごしていたが、大切な双子の片割れが、彼らの中にちっぽけでも残っていないのだと悟ると、そんな薄情な友人達と一緒にいることに嫌気がさした。
――みんなにとって、あの子は本当にどうでもいい存在だったんだ。
東京から夏城町に引っ越すと決まった時、家族は奏音が、六年間共に過ごした友達と別れてしまうことを心配したが、奏音はむしろ離れることを望んでいた。
新しい土地で――自分達を誰も知らない環境で、亜梨明と二人でやり直したい。
亜梨明と自分と、本当の信頼関係を築ける人と友達になりたい。
奏音はそう願い、亜梨明も同じようにそのことを望んでいた。
姉妹はそのために、信頼できる友達を見つけられるまで、亜梨明の病気のことは隠そうと決めたのだった。
奏音は引っ越してすぐ、卒業式に友達に教えたばかりの、自分の連絡先を変更していた。
そして、これまでの友人の連絡先も全て消去し、その者達との関係を断ち切った。
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