第8話 学校案内
放課後。
風麻に部活を休むことを伝えた爽太は、亜梨明に学校の中を案内していた。
前日も簡単な学校探検はしていた亜梨明だったが、爽太の説明を興味津々に聞いては、「へぇ~!」とか、「ほおぉ~!」など、声を上げて目を輝かせていた。
「三年生の校舎はあっちにある建物で、職員室や進路指導室も向こうの校舎にあるよ」
「中学校って広いね~!!」
亜梨明はまるで、スキップでもしそうな足取りで学校探検を楽しんでおり、爽太はそんな彼女の様子を微笑ましく思った。
*
窓の外から「いち、に、いち、に」という掛け声が聞こえてくると、亜梨明は背伸びをして窓を覗きながら、「ねぇ、ねぇ、あれは何の部活?」と爽太に聞いた。
「あれは陸上部だよ。――で、その後ろで走ってるのはバスケ部かな?うちは運動部も文化部もいろいろあるよ」
「へぇ~、みんな頑張ってるね~!」
「亜梨明は部活入るの?」
「まだ決めてない。爽ちゃんは決めたの?」
「僕は、バレー部に仮入部してるんだ」
「バレー部?奏音と一緒だ!」
「うん、女子バレー部とはコートを分けて使ってるから、相楽さんのこともよく見えるよ」
「……そっか、治ったら運動だってたくさんできるんだね」
「うん」
心臓に病を抱えている亜梨明は、長距離を走ったりなどの激しい運動ができない。
一応、簡単なボール投げや、ストレッチぐらいならできるが、小学生の頃は今よりも病状が不安定な日が続いたため、むやみに出歩くことすらも禁止されていた。
「爽ちゃんって、運動もう何でもできるの?」
「えっと……さすがにフルマラソンみたいなのはダメって言われたけど――でも、学校の部活程度ならいいって、太鼓判押してもらったよ」
「バレーって楽しい?」
「まだ簡単な練習しかしてないけど、結構楽しいよ。亜梨明も治ったらしてみるといいよ。その時は教えるから」
「……うん、その時はお願いね」
亜梨明は一瞬キュッと口を結んだが、すぐに笑顔に戻ると、「次はどこ?」と、爽太に案内の続きをねだった。
*
爽太は、図書室の隣にある、自動販売機と、お昼休みになると開く購買を案内した。
昼休みと放課後以外は閉まっているが、ここでパンやおにぎり、スポーツドリンクが売られることを教えた。
図書室は放課後も貸し出しをしており、漫画などもあると教えると、少し中に入りたいと亜梨明が言ったので、図書室の中も見学した。
三年生の教室がある校舎に移動すると、爽太は保健室の場所も教えようとしたのだが、ここは既に初登校前日に案内されていたようだ。
「疲れてない?」
階段を上りながら、爽太が亜梨明に声をかけた。
「大丈夫!ねぇねぇ、私達の教室がある校舎の音楽室に『第一音楽室』って書いてあったけど、もう一つあるの?」
「あるよ。三年生の校舎の最上階に、第二音楽室がね」
爽太が説明すると、亜梨明はパアッと表情を明るくし、「そこ、行きたい!」とリクエストした。
*
爽太は亜梨明を、第二音楽室に案内した。
第二音楽室は、第一音楽室に比べると少し小さく作られており、ドアを開けて右の方角には、黒いグランドピアノが、窓から差し込む陽の光を受けて輝いていた。
「あ!」
亜梨明はそのグランドピアノに駆け寄った。
「これ、弾いてもいいかな⁉」
「誰も使ってないし、いいんじゃない?」
爽太に言われた亜梨明は、嬉しそうに蓋を開け、鍵盤を一つ押して音を鳴らした。
ポーン――と、高い音が鳴る。
亜梨明は目を閉じると、他の鍵盤の音も確認し始めた。
「――鍵盤はちょっと硬いけど、澄んでて良い音……」
「ピアノ習ってるの?」
亜梨明の後ろに立った爽太が言った。
「ううん、基本はお父さんに教えてもらったけど、教室とかは通ってないよ」
「何か弾いてみてよ」
「なんでもいい?」
亜梨明は椅子に座りながら聞いた。
「いいよ」
「じゃあ、聴いてね」
亜梨明はにっこりとした微笑みを爽太に向けると、鍵盤の上に両手を置いて、軽く息を吸った。
「(あれ……?)」
一瞬、爽太の脳裏に誰かの笑顔が浮かんだ。
しかし、それが誰なのかまではわからないくらいの、曖昧な記憶――。
「(思いだせない……けど、なんだろう……?誰かに似ている気がする……)」
爽太がぼんやり考えているうちに、亜梨明は演奏を始めた。
ピアノの音色が、静かな校舎に響き渡る――。
亜梨明が演奏する曲は、彼女の雰囲気にとても似合う、優しく――柔らかい音楽だった。
演奏する亜梨明の表情はとても穏やかで、光に照らされて神々しく見える。
この音楽を独り占めするのは、なんだかもったいない気がした爽太は、そっと窓を開けた――。
校舎の外にいた何人かの生徒は空を見上げ、遠くに聴こえる音楽に耳を傾けた。
「…………?」
亜梨明は、ふわりと入り込んだ温かい風に気付くと、爽太に視線を移した。
窓にもたれながら優しく微笑む爽太に、亜梨明もにっこりと笑顔になった。
*
――演奏が終わると、亜梨明は爽太の元へと近付いた。
「綺麗な曲だったから、みんなに聴いて欲しくて窓開けちゃった!」
「ありがとう。私も風が気持ちよくて、演奏がもっと楽しくなっちゃった!」
二人はクスクスと小さく笑った。
「ピアノ、すごく楽しそうに弾くんだね」
「うん!だって、本当に楽しいもん!」
亜梨明は手を後ろにしながら朗らかな笑顔で語った。
「好きだっていうのが、聴いててすごく伝わって来た」
「うん。ずっと弾いてたいくらい……」
「それはオリジナル?」
爽太が尋ねると、亜梨明は「うん」と言って、今度は少し寂し気な目をピアノに向けた。
「たくさん曲を作って、生きた証を遺したいの……」
「…………」
亜梨明は再びピアノに近付くと、そっと鍵盤に手を添えた。
「家族には言えないけど――私、自分が大人になる姿って想像できないんだ。何度も具合が悪くなって入院するたびに、ますますそう思った……。周りの子達が大きくなったらって夢を語っても、私は一度も――自分が将来何になるのかどころか、成長する姿が浮かばない……。でも、音楽のことならどんどんイメージが溢れてくるの。だから、生きてるうちにたくさん曲を作って、私が居たって記録を遺したいの……」
亜梨明はそう語り終えると、学校探検をしていた時とは真逆の、悲し気で恐れを抱くような表情のまま俯いていた。
「――生きたいって思わないの?」
「…………!」
ハッと顔を上げた亜梨明は、爽太の方に向き直した。
「思うよ。でも、無理だよ……」
亜梨明は、すでに未来など諦めているように、小さく呟いた。
「――生きたいって、強く思わなきゃ治らない!!」
亜梨明の様子に、胸がいっぱいになった爽太が叫ぶように言うと、亜梨明は目を見開き、口を小さく開けたまま呆然としていた。
「…………」
「――って、僕も同じようなこと言われたんだ」
「……爽ちゃんも?」
爽太は亜梨明のそばに寄ると、小さな彼女と同じ目線にするため背を丸めた。
「うん。僕の手術をしてくれた先生が、そう言ってくれた」
爽太は自分の胸の中心に手を添えると、その手を軽く握り締めながら、当時のことを語り始めた。
「根治手術をするって決まった時……。僕は、手術も死ぬのも怖くて、ずっと泣いてたけど……その時、その先生が僕を抱き上げて言ったんだ。「生きたいって強く思ったらきっと治る!絶対に治して元気にする!」ってね。だから信じた」
――亜梨明は爽太の顔と、手が添えられている爽太の胸元を交互に見た。
「――私も、治るかな……治って、大人になれるかな……?」
「亜梨明が大人になるの、僕は信じる。だから、亜梨明も自分が治るって信じて」
「……うん」
爽太は亜梨明の頭をそっと撫でながら、彼女がいつの日にか、本当に元気になれることを祈った。
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