第7話 初登校(後編)


 四人で会話をしていると、爽太が教室に入って来た。


「あ、昨日の人だ!」

 亜梨明は、机に鞄を置いている爽太を目で追いながら言った。


「亜梨明、日下にも会ってたの?」

「うん、昨日助けてもらって――?」

 奏音に聞かれた亜梨明が、出会った経緯を説明しようとしていると、爽太本人が、深刻な顔をしてやって来た。


 話を止めた亜梨明は、爽太を見上げた。


「どうしたの日下?」

「…………」

 星華が聞いても爽太は黙っていた。


「相楽さん、大事な話がある」

「私の方?」

 亜梨明が自分に指をさして聞くと、爽太は頷いた。


「亜梨明に何の用?」

 奏音が尋ねると、「ここでは話せない」と、爽太は重い表情で言った。


「一緒に来て……」

「えっ、あ……!」

 爽太は亜梨明の腕を掴むと、亜梨明を引っ張りながら教室の外に出て行った。


「あ、ちょっと――⁉」

 奏音は追いかけようとしたが、星華が止めた。


「待て待て、待ちなされ……」

「離して!」

 星華は、今にも飛び出していきそうな奏音を「大事な話って言ったでしょー!」と言いながら押さえ付けた。


「あれはきっと……愛の告白だよ」

「こ……くはく?」

 奏音は体から力を抜き、おとなしくなった。


「日下って意外と大胆だなぁ〜!昨日助けた時に亜梨明ちゃんに、運命感じちゃったのかもしれないよ〜!あぁん~、ロマンチックで羨ましい……♡」

 目を閉じて羨ましそうにする星華の予想に、緑依風と奏音は首を捻っていた。


「まぁでも、日下はいつもおとなしいし、亜梨明ちゃんに意地悪するように思えないな。もうすぐチャイムも鳴るし、すぐ帰ってくるよ」

 緑依風に諭された奏音は「……うん」と返事をしながら、もどかしそうにドアの外を見た。


 *


 ――その頃、教室のある校舎の奥の廊下まで連れて来られた亜梨明は、教室を出てから一言も言葉を交わさない爽太に、少し怯えていた。


「あの、日下くん……話って何?」

「……多分、ここならあまり人も来ないし」

 そう言って、爽太はズボンのポケットに手を入れると「これ、昨日落としてた」と、手のひらにある物を差し出した。


 それは、亜梨明が今朝探していた、薬入れとして使っているコインケースだった。


「あ、私の!拾ってくれてたんだ。ありがとう」

 亜梨明は爽太の手から、コインケースを受け取った。


 爽太は、教室の時からの表情を崩さないまま、ゆっくりと口を開いた。


「話は……それの中身なんだけど」

「――――!!」

 中身のことを触れられた途端、亜梨明の表情が強張った。


「中、見たの……?」

「うん……」

 亜梨明は、なんとか誤魔化さなければと思い、「あ、これはね……風邪薬だよ」と、作り笑いをした。


「私、この間まで風邪引いててね、まだ治りきってないから――」

「嘘だよね」

 爽太がぴしゃりと、亜梨明の言葉を遮った。


「それ……心臓病の人が飲む薬だよね?」

「え……」

 秘密を知られてしまったことに激しく動揺した亜梨明は、「な、なんで……」と消えそうな声で言った。


「なんで、中身見ただけでわかっちゃったの……」

 亜梨明は緊張した声で爽太に尋ねた。


 亜梨明は、このことをみんなに言いふらされるのか、それとも内緒にする代わりに、何か脅されるのではないかと、とても不安に思いながら爽太の目を見た。


 爽太は、少し躊躇いを見せながら――しかし、しっかりと亜梨明の目を見据えると、亜梨明の質問に答えた。


「だって、それ――僕も飲んでいたやつだから」

「へっ?」

 予想していなかった爽太の返答に、亜梨明は呆けたような、高めの声を上げた。


「これ……を?それじゃあ、もしかして……」

「僕も昔、心臓が弱かったんだ」

 爽太が少し困った笑みを浮かべて言った。


「日下くんも……?」

「うん」

「昔?」

「うん……」

 爽太は、窓際の壁に背中を預けると、自分のことを語り始めた。


「――僕ね、九歳の時に根治手術したんだ。今でも通院と投薬治療はあるけど、日常生活に問題ないし、普通の人と殆ど変わらないよ」

「そうだったんだ……」

 爽太の話を聞いて、亜梨明はようやく気持ちが落ち着いた。


「よかった……。何か怖いこと言われちゃうのかなって思ってたよ」

 亜梨明が、緊張で固くなっていた表情を和らげて、胸を撫でおろすと、「不安にさせてごめん」と、爽太は謝った。


「さっき、教室で渡そうとしたけど、もしかしたら、あまり周りに知られたくないかと思って」

 爽太の謝罪に、亜梨明は「ううん……」と、首を横に振った。


「みんなに知られたくなかったから……。ここに連れてきてくれて、ありがとう」

「相楽さんが休んでる理由を全く語らなかったから、きっと何か複雑な事情があるかと思ったんだけど……このままみんなに隠し通すつもり?」


 爽太に聞かれると、亜梨明は「うん……」と頷いた。


「きっと、本当のことが知られたら、友達になっても、面倒くさくなって、みんな離れていっちゃう……」

 亜梨明は昔、他の子達と同じように遊べないことを理由に、クラスメイトに疎外されたことがあった。


 小さい頃のことを思い出した亜梨明は、薬入れを持つ手をぎゅっと握りしめた。


「だからお願い!日下くんも、このことは絶対秘密にして!」

 亜梨明は爽太に懇願するように、ギュっと目をつぶって頭を下げた。


「お願いします……っ!」

 悲痛な声で必死に頼む亜梨明は、ますます頭を深く下げた。


「……じゃあ、僕と友達になろうよ」

「え……?」

 亜梨明は少しびっくりしたように顔を上げると、「とも、だち……?」と、片言な言葉をこぼした。


「うん」

 背の高い爽太は、亜梨明を安心させるために、少し背を丸めて目線を合わせた。


「昨日、薬入れを拾った時から、ずっと言いたかったんだ。僕、相楽さんの友達になって、君の力になりたいんだ」

 爽太の言葉に、亜梨明は「でも……」と、申し訳なさそうな顔をした。


 すると爽太は、コインケースを握ったままの、小さくて冷たい亜梨明の手を両手で包みこみ、ふわっと柔らかな日差しのような笑顔を向けた。


「ね、僕と友達になって。そして、約束して……」

「約束?」

 爽太はまるで誓いを立てるように、亜梨明の目を真っ直ぐ見つめた。


「相楽さんの秘密を誰にも言わない。もし病気がバレて、他の子と何かあっても、絶対に君の味方でいるって約束するから……相楽さんも、何かあったら僕を頼るって、約束して欲しいんだ」

「…………っ」

 爽太の温かい笑顔と言葉に胸がいっぱいになった亜梨明は、大きな目を涙で滲ませた。


「僕じゃ……嫌だったかな?」

 心配した爽太が両手から力を緩めると、亜梨明は「ううん、嬉しい……っ」と言って、涙を流したまま笑顔になった。


「こんな風に言ってくれた友達は……初めてだから」

 亜梨明が空いている手で涙を拭くと、爽太は安心した様に「よかった……」と言った。


「ありがとう日下くん……。これからよろしくね!」

「爽太って呼んで。僕も亜梨明って呼ぶから」


 亜梨明は元気よく「うん!」と返事をしてすぐ、「……あ、でもごめんなさい」と、困った表情になった。


「私、奏音以外の人を呼び捨てにしたことなくて……呼び捨ては、ちょっと抵抗が……」

 亜梨明が戸惑うと、爽太は「じゃあ、呼びやすい方でいいよ」と亜梨明の気持ちを優先した。


「でも、せっかくお友達になったし――そ、『爽ちゃん』って呼ぶのは……どうかな?」

 亜梨明が提案すると、爽太は「あはは」と笑った。


「いいよ、家族以外にそう呼ばれたのは初めてだ!特別な友達って感じで、いいと思う!」

「特別な友達……」

 亜梨明はその言葉の響きに、胸の奥がジーンと熱くなった。


「変かな?」

「ううん、すごく良いと思う!」

 爽太は目を細めて微笑むと、「……さて、チャイムが鳴る前に戻ろうか」と言って、亜梨明に手を差し出した。


 亜梨明は爽太の温かい手に、自身の冷たい手を乗せた。

 先程手を握られた時にも感じたその温度は、爽太の笑顔の温かさと同じだと、亜梨明は思った。


 *


 和やかな様子で教室に戻ってきた亜梨明と爽太に、「あ、おかえり〜!」と、緑依風が手を振りながら迎えた。


 亜梨明も「ただいま~!」と、手を振り返した。


「日下〜!告白上手くいった?」

「告白?」

 爽太と亜梨明は顔を見合わせた。


「んも~っ、しらばっくれちゃってさ!早く結果教えてよ~!」

 星華がニヤニヤしながら聞くと、「だから違うって」と、奏音がため息をつきながら言った。


「で、二人で何話してたの?」

 緑依風も気になっていたようで、少しソワソワしながら二人に聞いた。


「ん~?僕と亜梨明だけの秘密だから、教えない」

 爽太はそう言うと、「ね~っ?」と、亜梨明と目を合わせて笑った。


「何それ怪しい〜!余計気になる!」

 星華が爽太に詰め寄りながら言うと、風麻が「ん?」と、何かに引っかかった様に首を傾げた。


「お前……相楽姉のこと、下の名前で呼んでるのか?」

「うん。風麻の呼び方の方が面白いけど、どうしてその呼び方になったの?」

「会ったばかりの女子の名前を呼び捨て……」

 平然とした様子の爽太に、幼馴染以外の女の子の呼び捨てに抵抗のある風麻は、「信じられない」と、ショックを受けたような顔をした。


「坂下って、結構ウブなんだね」

 小声で緑依風に耳打ちする奏音に、「意外でしょ?」と、緑依風はクスッと笑った。


「聞こえてんぞ!意外で悪かったな!」

 顔を真っ赤にして怒る、風麻の純情さを笑う緑依風達をよそに、亜梨明と爽太は二人で話をしていた。


「そうだ!亜梨明、放課後時間ある?僕が学校案内しようか?」

「いいの?ありがとう爽ちゃん!」

『爽ちゃん⁉︎』

 ほんの十分前に出会ったばかりの爽太のことを、親しげに「爽ちゃん」と呼ぶ亜梨明に、今度は風麻を笑っていた三人が、驚いた様に振り向いた。


「な、なに?その呼び方……」

 星華に問われると、亜梨明は「え?」と、何も不思議なことなどないように、首を曲げた。


「……ねぇ、本当に二人で何話してきたの?」

 いぶかし気な様子で聞いた奏音に、亜梨明と爽太はまた顔を合わせると、「内緒だよ」と笑顔で言うのだった。


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