第6話 初登校(前編)
朝、六時五十分前。
亜梨明は携帯の目覚ましアラームよりも早く目が覚めた。
普段なら、アラームが鳴るまで、ベッドの中で目を閉じているのだが、今日は鳴る前にアラームをオフにし、ベッドから降りた。
「今日から中学校だー‼︎」
亜梨明はぐーんと腕を伸ばして背伸びをし、ウキウキした気持ちで制服に着替え始めた。
鏡の前で制服姿の自分を眺め、少しこそばゆい気持ちになった亜梨明は「ふふっ」と笑う。
亜梨明がドアを開けて部屋を出ると、まだパジャマ姿の奏音がトイレから出てきた。
「奏音おはようー!」
亜梨明が寝ぼけ眼の妹に元気よく挨拶をすると、「なんで朝からそんなにテンション高いの〜?」と、奏音はあくびをしながら言った。
「しかも、もう着替えてるし。歯磨く時、歯磨き粉落として汚すよ〜?あんたおっちょこちょいなんだから……」
「大丈夫!今日は気をつけるし、いいことたくさんありそうな気がするから!私、先に洗面所使うねー!」
亜梨明はパタパタとスリッパの音を立てて階段を降りた。
制服が汚れないように慎重に顔を洗って、歯を磨いて、髪をとかして、お気に入りのヘアピンをつけて、もう一度鏡で自分の姿をチェックする。
「制服着ただけですごく中学生みたいだな~。この間まで小学生だったのに」
亜梨明がいろんな角度から制服姿の自分を見ていると、「亜梨明ー!奏音ー!朝ご飯できてるわよー!」と母親の明日香の声が聞こえた。
*
リビングに行くと、新聞を読みながらコーヒーを飲む父親と、お皿を運ぶ母親がいた。
「おはよう〜!」
亜梨明が元気よく挨拶をした。
「おはよう。おぉ!お姉ちゃんも制服似合ってるなぁ〜!」
娘の晴れ姿を見た父親の
「ご飯こぼさないように気をつけるのよ」
母親が目玉焼きとハムとレタスが乗ったお皿を、亜梨明の前に置いた。
「わかってますってー!いただきまーす!」
亜梨明は両手を合わせて言った後、焼きたての食パンに手を伸ばした。
「さて、そろそろ仕事に行くか」
飲み終えたコーヒーのカップを置いた父親は、スーツの上着をサッと羽織った。
音楽関係の仕事に就く真琴は、今年から新しいエリアの代表として働いている。
相楽一家が夏城に来たの理由の一つは、真琴の転勤だった。
本当はもっと近い場所の方が通勤は楽なのだが、真琴がここに家を買った訳は、他にもある。
二つ目の理由は、都心より静かで、なおかつ不便すぎないこと。
そして一番大きな理由は、病弱な亜梨明のために、設備がしっかり整っている総合病院が近場にあることだった。
「帰ってきたら、学校の話聞かせておくれ。無茶だけはしない約束だぞ」
「うん、ありがとうお父さん」
真琴は亜梨明の頭を軽く撫でて、玄関に向かった。
*
七時二十五分。
早めに準備を終えた亜梨明はリビングでソワソワしている。
「奏音まだー?」
「……まだ家を出る時間まで三十分もあるし、学校は逃げないからね」
朝ご飯を食べている最中の奏音は、口をモグモグ動かしながら、呆れた目を向けた。
亜梨明はソファーに座りながら足をパタパタさせて、「う~……」と、不満そうに唸った。
「亜梨明、お薬ちゃんと持った?お昼飲み忘れないでね?」
明日香が、娘二人の弁当を袋に詰めながら言うと、「あ、そうだった!」と、亜梨明は慌てて自分の部屋に戻り、昨日持ち歩いていた鞄から、持ち歩き用の薬入れを取り出そうとした。
「……あれ?」
昨日までは確かにあったはずの、薬入れとして使っているコインケースが見当たらない。
「どこかで落としたのかなぁ?あの入れ物気に入ってたのに……」
亜梨明は鞄の中身を全て出してみたが、やはり鞄の中にそれは無かった。
「車の中かな?帰ってきたら探さなきゃ」
結局愛用の薬入れは見つからなかったため、仕方なく他の入れ物に薬を入れることにした。
*
――八時五分。
「奏音、お姉ちゃんをよろしくね」
準備を終えた亜梨明と奏音が共に玄関に向かうと、明日香が心配そうな顔で言った。
「任せといて!」
「早く行こうよー!」
ドアの前で、足をバタバタしながら亜梨明が急かす。
「わかったわかったって……。まぁったく、落ち着きの無い姉なんだからー」
奏音が苦笑いしながら靴を履き終えた。
「だって、ずっと楽しみだったんだもん!」
亜梨明がそう言うと、奏音も明日香もクスッと笑った。
『じゃあ、行ってきまーす!』と、母親に向かって手を振った亜梨明と奏音は、ドアを開けて家を出た。
「いってらっしゃい」
明日香も手を振り、娘二人の背中を見送った。
姉妹揃って学校に通う姿を見るのは数年ぶりで、喜びと不安が混ざった気持ちになった明日香の目に涙が滲んだ。
*
柔らかな朝日に照らされた通学路を、亜梨明はニコニコと嬉しそうな様子で歩く。
「履き慣れない靴で痛くない?」
夏城中の通学用の靴はローファーなので、奏音は亜梨明の靴擦れを心配していた。
「ちょっと痛いけど、今はそれすら嬉しくて……」
微笑む亜梨明につられて奏音も笑顔になった。
「私も、亜梨明と学校行けるの楽しみだったよ。本当によかった……」
奏音は、隣を歩く亜梨明を見つめながら、昔のことを思い出していた。
――わたし、こんどから奏音とはちがう学校に行くんだ。いままでごめんね。
奏音の記憶に、あの日の亜梨明の表情と声が、今でも残って離れない。
自分のせいで独りにしてしまった。
自分のせいで悲しい思いをさせてしまった。
自分のせいで一緒に学校に通えなくさせてしまったと、ずっと責任を感じて、奏音は今日まで生きてきた。
――今度は絶対独りにさせない。亜梨明の居場所は私が作る!
奏音は、強い決意を心の中で呟いた。
*
亜梨明と奏音が角を曲がって、横断歩道を渡ると、前方には緑依風と風麻の姿があった。
「緑依風ー!おはよー!」
駆け寄った奏音が、緑依風の背中を叩いて声をかけた。
「おはよー!――あっ!」
緑依風は、奏音の隣にいる亜梨明に気が付いた。
「亜梨明ちゃんおはよう!」
「おはよう緑依風ちゃん!」
「そっか、昨日会ったって言ってたね」
すでに顔見知りの様子の二人を見て、奏音が言った。
「おおっ⁉︎」
少し先の方を歩いていた風麻が、振り返って近付いてきた。
「もしかして……相楽の?」
「そうそう、前に言ってた双子の姉」
「名前はー……えーっと……」
うろ覚えだった風麻が、思い出そうとしていると「亜梨明っていいます」と、亜梨明が自己紹介をした。
「俺は坂下風麻。よろしくな!……えーっと……」
「どうしたの?」
緑依風が聞くと「いや、どう呼ぼうかと思って……」と、風麻が亜梨明と奏音を交互に見ながら言った。
「どっちも相楽なんだから下の名前で呼び分ければ?」
奏音が名前呼びを勧めるが、風麻は口を尖らせて「女子の名前呼びって、なんか……恥ずかしい」と、照れ臭そうにした。
「私と晶子は名前呼びじゃない」
「お前達は幼馴染だから別」
悩む風麻に亜梨明が「相楽Aと相楽Bは?」と提案するが、奏音は「却下」と、拒否をした。
「え~……じゃあ、相楽一号、二号!」
亜梨明が次の候補を上げても、奏音は「ダサい!」と嫌がった。
「ん〜……じゃあ、姉の方は
今度は風麻がそう宣言すると、「やだ、それもダサい!」緑依風からのダメ出しが飛んだ。
「ダメか~?俺は一番しっくり来たけど?」
「そうなの?じゃあ、それでいいよ!」
亜梨明は風麻の提案した呼び名に賛成した。
「よし、決まりな!相楽姉!」
「うん!」
緑依風と奏音はまだ微妙な表情をしているが、呼ばれた亜梨明本人は気にいったように笑っていた。
*
教室に到着すると、亜梨明は星華との対面も果たした。
「本当にそっくり!同じ顔‼︎」
身近な所で、一卵性の双子を見たことが無かった星華は、何度も亜梨明と奏音の顔を興味津々に見つめていた。
「でも、見分けはすぐつくね!髪が長い方が亜梨明ちゃん!」
星華が亜梨明に指をさしながら言うと、亜梨明は「せいかーい!」と、両手を広げて笑った。
奏音が、星華とも早速打ち解けている亜梨明の様子に安心していると、「ところでさ~」と、星華が話を切り出すように言った。
「亜梨明ちゃん、なんで一週間も休んでたの?風邪?」
星華の質問にその場の空気が一瞬、しん……と、静かになった。
「そうそう!なかなかしつこい風邪だったから、大変だったの!」
緑依風と奏音が表情を無くす中、亜梨明はなんてことない様な顔で、「ね、奏音?」と、奏音が話を合わせやすい様に誘導した。
「うん、なかなか治らなくて……」
「すっごーくしんどい風邪だったんだぁ~。だから、入学式の後もお休みしてたの!」
「そうなんだ~。治ってよかったね!私達、なんで亜梨明ちゃん休んでるのかなぁ~?ってずっと気になってたんだよ。ね~緑依風?」
「う、うん……」
亜梨明の話を信じる星華と、話に合わせる奏音の隣で、緑依風だけが二人の話を疑っていたのだった……。
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