第3話
石舞台の上に立った青年は、いつの間にか別人のように凛々しい顔つきになっていた。加えて、懐から取り出したらしい巻物を剣のように振り回している。
メルはというと、少し離れたところにある手ごろな石に腰かけて、この一人の舞台を眺めていた。
「──まずは、この都市を幾万もの敵軍から守り抜いた偉大なる守護者たち、命を賭して家族と平穏を守り抜いた気高き戦士たちに最上の感謝を!」
セリフの内容からして戦争を題材にした劇の一部、といったところだろうか。朗々と言葉を発しながら、青年は舞台の奥の方を右へ左へと歩き回っている。
何が見えているのか、青年の目は斜め下の方を見ていた。
「強大な敵に膝を屈さず戦い抜いた汝らの奮闘あってこそ、都市は守られ我らが勝利を手にすることが出来た! 全ての民を代表し感謝する!」
少しの間が空く。青年は、声援にでも答えるかのように右手の巻物を掲げてみせる。
そして、満足したのか青年は再び歩き出した。
「次に、一昼夜もの時間を休むことなく走り抜け、強烈な一打をもって敵を撃退せしめた我が精鋭たち、勇敢で屈強な我が勇士たちに最上の称賛を! 汝らのこれまでのたゆまぬ研鑽と鍛え上げた魂の強さこそが、不可能を可能にし、敵を打ち破る刃となったのだ! 汝らは我が誇りである!」
言って、青年は再び剣を――巻物をかざして空想の喝采に応え、さらに身振りで盛り立てる。あの視線の先にはおそらく、兵士を演じた大勢の役者の姿があるのだろう。
これは劇の終盤というか、一番最後のシーンなのだ。だからこうして時間を贅沢に使って、劇場の空気自体を盛り上げていくのだ。
「そして!」
良く通る青年の声が、ざわつきつつあった劇場の雰囲気を一発で変貌させる。観客に息を呑ませ、ひりつくような緊張感と熱狂の予感だけを静寂の中に残す。クライマックスはもうすぐそこだ。
「そして、我はここに誓いを立てる。我々は、我が都市は、より一層強くならねばならぬ。強くなければ守ることも生き延びることも叶わぬからだ……。
――故に、誓おう! ここに、最強の都市を築き上げると! どのような敵の軍勢にも屈することのない無敵の軍勢にて、この都市に絶対の平穏を約束しよう! 決して陥落することのない鉄壁の城壁にて、この都市の永久なる不滅を約束しよう! 今日この日から――」
息を吸い、声が空気を叩き割った。
「我々は永遠となるのだ!!」
メルの耳にも歓声が聞こえた、ような気がした。地面が震えるような、大勢の観衆の大歓声だ。
青年は大歓声を浴びながら、高く高く掲げた剣の先だけを見つめていた。そのまま幕が降りるまで、彼は不動の姿勢で歓声に応え続ける――。
「どうだったかな?」
人の気配すらない大草原の真ん中で、青年は石の舞台から飛び降り、歩いてくる。今の時間が夢か何かだったように、青年はケロッとしていた。
「熱演、してたね」
「まあね。これも、そう、研究の一環だよ。この辺りで一番人気だったのが今の演目でね。史実が元になってるらしいんだ」
そう言って、青年はもう一度石舞台を振り返った。
「……永遠、かぁ。皮肉だな」
彼の零した言葉の意味は、メルにもなんとなく分かった。永遠を目指した都市の成れの果てが、この痕跡すら乏しい大草原なのだ。
「でも、学者さんは知ってる」
思わず、メルは口走っていた。
「うん? うん、まあそうだけど」
いつのまにか、西の空が赤く染まり始めていた。風も、心なしか冷たくなってきた。
「おっと、そろそろ夕食の準備をしないとだね」
そう言うなり、青年は先導するように歩き出した。
あとを追って歩いていったメルの前に小さな丘が現れたのは、それからまもなくのことだった。
全面が草に覆われた、メルの身長の3倍程度の小さな丘。遠くからでは自然にできた地形の一部にしか見えなかったが、近くで見るとそれは人工的な雰囲気のある四角い丘だった。
「ここは……お城?」
「そうだね。お城とか宮殿とか、とにかく王様が住んでたところさ」
青年はそう言いながら、丘の手前で立ち止まった。
「……登るんじゃないの?」
「お腹いっぱいってことなら、やっぱりこっちかなって」
メルが意味を理解できずに首をかしげていると、青年はガサゴソと草の中を漁ったかと思うと薄汚れた石の板を取り出した。
「よいっ……しょっと! さて、私の晩餐にようこそ、メル!」
「……えっと」
メルの前にあるのは、当然薄汚れた石の板と満面の笑みを浮かべる青年だけだった。
メルは真顔のまま首をかしげる。
「なめてる?」
「や、やだなぁ、ちょっとした冗談だよ。ちゃんと食事は準備するからさ! っていうか食事のことになると目がマジだよね君って!」
「御託はいいから。ご飯はあるの? ないの?」
「あるある、もちろん大丈夫! 今すぐ準備します、はい!」
メルの眼光に恐れをなしたか青年はきびきびと動いて懐から巻物を取り出し、それをテーブルのように置かれた石の板の上に敷いた。
「……何してるの?」
「いや待って! これはちゃんとしたやつだから! 私は魔法使いというやつなんだ!」
メルは疑い深く鋭い視線を青年に浴びせ、青年は笑顔を引きつらせながら身振りで待ってと訴えかける。
無言の攻防が続くこと10秒。沈黙を破ったのは青年でもメルでもなく、ゴトッと重々しい音を立てて現れた皿だった。しかも皿は空ではない。
皿の大部分を占領するのはローストされ分厚く切り分けられた肉だ。立ち上る加熱された肉本来の匂いに加え、ソースに含まれた刺激的なスパイスの香りが絶妙に混ざり、一層食欲を掻き立てる。
そして現れた器は一つだけではなかった。皿にボウルに壺なんかもゴトンゴトンと現れ、それぞれ異なる中身――サラダにスープに揚げ物にデザートまで、豪勢と呼ぶにふさわしい料理の数々が、卓布のように敷かれた巻物の上にずらりとならんだ。
「……どうかな? ちょっと焦ったから出しすぎたかもだけど」
そう青年が尋ねると、ぐぎゅるるると鳴った腹の音が答えた。青年は苦笑した。
「どうぞ、好きなだけ召し上がれ」
「いただきますっ!」
らしからぬ大声で叫ぶや否や、メルは肉にかぶりついた。
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