第2話

 だだっ広い草原のただ中、少し草丈が低いところを二人は歩いていた。


「ところでメル」

 学者と名乗った青年は、一つに束ねた黒髪を揺らして飛び跳ねるように歩く。

「君、こんなところまで何しに来たんだい?」

 メルはゆったりとしたペースで青年の隣を歩いていく。

「特に目的はない、かな。そういう学者さんはここで何してるの?」

「私? 私はまあ学者だからね。この辺のことを研究してるのさ。……っと、私の話なんかはいいんだ」

 元気の有り余った子供のような歩き方をする青年をメルが眺めていると、その顔がぐいっと接近した。

「な、なにかな……」

 思わずのけぞるメルに向かって、青年はにっこりと笑ってみせた。

「よければ、私の手伝いをしてくれないかな?」

「手伝い?」

「そう。危ないこととか大変なことではないんだけど、ちょっと誰かの手を借りたくてね。ほら、この辺って誰もいなくてさ」

 青年の言葉に、メルはしばし黙り込んだ。

 素性は分からないけれど悪そうな人ではない、というのがメルの見立てだった。だが同時に、なんとなく隠し事をしているような雰囲気もある。あまり気安く請け負うのもどうかとメルが悩んでいるところに、青年が付け足すように言い添えた。

「ああ、もちろんただでとは言わないよ。今晩はお腹いっぱいのご馳走を約束しよう」

「やる」

「お、おぅ……。まあやる気になってくれたのならいいんだけど」

 食い気味のメルの返答にややたじろぎつつ、青年は苦笑した。



 歩いていた二人が立ち止まったのは、草原の中にぽつんと佇む手押し車の前だった。

 風雨に晒され続けたせいか、木製の手押し車はところどころ朽ちかけていて、かろうじて形を保っているような状態だった。

 そんなボロボロとしか言いようのない手押し車の前で、メルは尋ねた。

「ええと、手伝いっていうのはこれと何か関係あるのかな?」

「もちろん。これを押して歩いてほしいんだ」

「えぇ、これを……」

 メルは指先でそうっと手押し車の端を持ち上げる。見た感じ、湿っていたりべたついていたりはしていないのだが、それでもあまり積極的に触りたいものではない。

 しかし、これも全て豪勢な夕食のため。そう自分自身に言い聞かせて、メルは手押し車の取っ手を握った。


 カタカタ、カタカタ、と軽い騒音を鳴らしながらボロボロの手押し車は進んでいく。

「じゃあここで右に曲がって」

「分かった」

 青年の言う通りにメルは手押し車を押して歩く。

 カタカタカタカタ


 カタカタカタカタ

「じゃあ右ね」

「うん」

 カタカタカタカタ


 カタカタカタカタ

「はいここで右」

「……」

 カタカタカタカタ


 カタカタ、カタカタ

「はい右」

「……あのさ」

 カタン。

「今ので一周したよね?」

 直角に右折すること四回。どう考えても最初と同じ方角を向いている。

 だが、青年は悪びれもせずに頷いた。

「ああ、そうだね。ちょうど今ので一周したよ」

 その堂々たる開き直りっぷりに呆れるしかないメルは、もうどうにでもなれとまた手押し車を押しだした。

 別に手押し車は重くもなく、物を載せているわけでもない。歩くペースもむしろゆっくりなくらいで、何故か地面も平坦なので特に疲れる要素はない。だから、少々無駄に歩くくらいは大目に見ようとメルは思った。

「それで、これは何なの?」

 すると青年は何故か嬉しそうに答えた。

「そうそう。どこかへ行きたいわけじゃないんだ。ここを歩くことに意味があるって感じかな」

「ここ……?」

 言われてメルは足元に目を落とす。

 これといった特徴もない草原の一画。そうメルは思っていたのだが、よくよく考えると草丈はなんとなく低いし、地面そのものも石が多いわりに歩けないくらいの凹凸はなかったような気がする。

 そういう場所なのだと片付けることはできるが、そうではないとしたら。

「ねえ、ここって――」

「あ、ここで左だよ」

 タイミングがいいのか悪いのか。

 メルは言われた通りに左へと手押し車を向けて再び歩き出し、直後、足を止めた。


 膝の高さくらいに一段高くなっている場所があった。少々土が被さったり草が生えたりしているが、それは紛れもない人工物。

 跳んだり、走ったり、あるいは戦ったりするのに十分な広さの、石の舞台。

「驚いた? ここにはこんなものも残ってるんだよ」

 そう言って青年は舞台に飛び上がり、くるりと一回転してみせた。

「そうだ。ついでだしちょっと観ていってよ」


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