第18話 ケンタウロスを追え

 敵はどうやら足跡をごまかすことに熱心ではなく、そのうえヒルデガードを連れているはずだ。


 追いつくのは難しくない――その読みに誤りはなく、踏み荒らされた草や枝を辿ったオスカーは、程なくして異形の背中を視界に捉えた。


「……なるほど、一筋縄ではいかん相手らしいな」


 オスカーは鋭く目を細めてひとりごちる。


 周囲の木々との対比からして、以前戦ったリカントロープや先刻片付けたリザードマンよりも明らかに体格が大きい。だが今度の敵はそんなこと以上に、そもそも姿形からして人類種とはかけ離れているのだ。


 逞しい四本の脚に太い胴、そして蹄が地面を蹴るたびに跳ね上がる尻尾――下半身だけを見れば堂々たる栗毛の馬である。


 そして、本来ならば馬の首が伸びているべき位置から生えているのは、紛うことなき人の上半身。


「ケンタウロス、か」


 オスカーの知識が相手の正体を導き出した。


 平原に棲まう半人半馬の亜人種属、ケンタウロス。馬の走力と人の知性を併せ持つとされる彼らは、サピエンスのような多勢の力こそないが、個の強靱さという意味においては平原の生き物の頂点と言っても差し支えない。


 ――だが、それがどうした?


 オスカーの戦意は些かも揺るがない。応援を呼ぼうという発想もない。


 ここは平原ではない。エルフの森だ。


 ヒルデガードは自分がここで必ず奪い返す。


瞬迅ライゾ!」


 オスカーはすぐさまルーン魔法を詠唱し、一気に速度を上げて亜人へと迫った。


 平原であれば並ぶ者のないケンタウロスの脚力も、起伏に富んだ森の中では十全に真価を発揮しない。木立の間隙を通り過ぎるたびに間合いが詰まり、やがて両者の距離は互いに腕を突き出せば相手を打てるほどにまで狭まる。


 オスカーが仕掛けた。


壊せハガラズ!」


 首飾りのルーン文字が輝きを発して、マナの弾丸を迸らせる。破壊の力はケンタウロスを直撃することこそなかったが、行く手の足元に着弾し、苔むした土と小石を勢いよく跳ね上げた。


 ケンタウロスが急制動した。


 馬体の背に乗って運ばれていたヒルデガードの矮躯が、反動で高々と舞い上がる。


 オスカーは大きく地を蹴ると、落下してくるヒルデガードを宙で抱き留めた。そのまま着地する。並の男であればとてもできない芸当であろうが、オスカーのエルフ離れした足腰の強さをもってすれば何というほどのこともない。


「ヒルデガード! 無事か?」


「う……オスカー……?」


 少女の長い睫毛が震え、瞼がひらいて碧眼をうっすら覗かせる。オスカーの胸裡に一抹の安堵が差した。


 だが、危難が去ったわけではない。


 ケンタウロスが体勢を立て直してこちらに向き直ろうとしていた。オスカーはヒルデガードをそっと腕の中から下ろすと、彼女の華奢な体を押しやって、手近な木陰へと隠してやる。


「そこにいろ」


「あ、ありがとう。……あいつと戦うの?」


「少なくとも奴はやる気だ。そして、おれとしても亜人を生かしておく趣味はない」


 オスカーの中で殺意が猛る。植えつけられた戦闘生物としての本能が、理屈でなく体感でケンタウロスの意思を知覚させてくれていた。


 敵の視線は、すでにヒルデガードに注がれてはいない。まっすぐにオスカーだけを凝視する、炯々と輝く二つの眼。


 風が吹き抜けて木々が揺れ、枝葉のざわめく音が場を支配したのと同時、差し込んだ月の光が亜人の頭を照らし出した。


「――な、」


「――ほう」


 今の今まで相手の容貌がわかっていなかったのは、どうやらむこうも同じであったらしい。


「おまえは……ッ!」


 オスカーは噛み合わせた歯を剥き出して唸る。


 互いに知った顔だった。


 ケンタウロスの異形の体にあって、唯一そこだけを見るなら人類種と変わらぬ上半身。そのてっぺんに収まった顔面の口腔が、にたりと粘っこい笑みを湛える。


「これは驚いた。貴様がここに潜んでいようとはな……白亜の森のオスカー」


「驚いたのはおれのほうだ」


 力みのあまりぎりぎりと軋む歯の奥から絞り出すように、怨念に満ちた呟きをオスカーは漏らす。


 炎に巻かれる森、燃え落ちる家々、オークの群れによって蹂躙される同胞たち――いくつもの光景が一瞬のうちに脳裏を駆け抜け、オスカーの憎しみに油を注ぐ。


「まさか再びおまえと相見える日が……それもこんなに早く来るとは思っていなかったぞ。――モルゴーン、邪教の使徒め!」


 剛力ウルズ


 首飾りのルーン文字を眩いばかりに光らせて、オスカーは激情のままに踊りかかった。

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