第17話 急転

 オークたちの指揮系統は目に見えて失われた。


 おそらく何らかの術によって指令を伝達していたのだろうが、司令官を務めていたリザードマンはもはやいない。時を追うごとに軍勢は瓦解し、地の利を有するエルフの戦士たちによって各個撃破されていった。


 オスカーが再びコーネリウスと合流したとき、彼の部隊はすでにオークの残党を片付けていた。


「お疲れ様です、オスカー殿。おかげで勝利を得ることができました……間違いなく戦功一番ですよ」


「働きはお互い様だろう。頭を潰したのはおれでも、数を減らしたのはおまえたちだ」


 本来の目的はオークを森から排除することだった。その意味では、より忠実に目的を果たしたのはむしろコーネリウスたちのほうだとオスカーは思う。


 少数精鋭での戦いだった手前、敵を皆殺しにできたとまでは言えない。それでもオークの生き残りは散り散りに逃げていたし、森を放棄する個体も少なからずいることだろう。


「平原へと落ち延びたオークが、そこで勢力を回復して舞い戻ってくる可能性はあると思いますか?」


「まずないな。統率個体のいないオークは少し賢いことを除いて動物と変わらん。個々の判断で何匹かが森に帰ってくることはあるだろうが、軍勢をなして襲ってくることはあるまいよ」


 森でも普段は個で動いていただろう――そう言ってやると、コーネリウスは安心したようだった。


「ひとまず危機は去った……と考えてよいのでしょうかね」


「ああ。あとはおまえの計略を進めることだ。サピエンスと同盟を結ぶことができれば、パウラ教団もそう簡単に仕掛けてはこれないはずだ」


 激しい戦いを終えて、オスカーの胸中の昂揚も収まりつつある。


 蒼鏡の森を脅かす勢力は去った。


 しばらく残党がうろついてはいるだろうが、森に自然の猛獣たちが潜んでいることを思えば、どのみち完璧な安全などあり得ない。その程度の危険とは隣人として付き合い、狩りや採集に繰り出すときには正しく恐れればよいだけの話だ。


 当面の平穏は確保できた――そう考えてよかろう。


 オスカーがそのように安堵しかけた、そのときだった。


「――火だ!」


 焦りの滲んだ声があがった。


「里の方角だぞ!」


「見ろ、煙が……!」


 部隊の男たちに動揺が広がり、あたりが騒然としはじめる。


 彼らを落ち着かせるべく号令をかけるコーネリウスを尻目に、オスカーは村のある方向へと視線を向けた。


 たしかに、炎の明かりのように見える。


 煌々たる光が地上から湧き、夜の闇を払わんと噴き上がっているかのようだった。黒々とした煙が空へと昇っているし、嗅覚を研ぎ澄ませてみれば何かが焦げるときの嫌な臭いもかすかに感じられる。


「コーネリウス、おれが先に向かう。おまえは部隊を取りまとめて、できるだけ早く追いついてくれ」


「わかりました。頼みます」


 オスカーはひとつ頷きを返して、再び木立の狭間へと駆け出してゆく。


 頭につらつくのは、集落に残っているはずの姉弟の顔。


 ――ヒルデガード、ミヒェル……!


俊迅ライゾッ!」


 二人が無事であることを祈りながら、オスカーは首飾りのルーン文字を輝かせて力強く地を蹴った。



     ◇ ◇ ◇



 里はあたかも戦場の様相を呈していた。


 否――あたかも、というのは語弊があろう。火の手の上がった家々、傷をおして消火に駆けずり回る住人たち。オスカーの眼前に広がっているのは、まさしく戦禍に遭った村そのものの光景だ。


「ミヒェルっ!」


 姉弟の暮らす家へとまっすぐに走って、荒れた屋内に誰もいないことを確認し、家の裏手に回ったとき、オスカーはそれを見た。


 井戸の脇。積み重ねた石に背中を預けるようにしてくずおれる小さな影。


 額からの流血で顔の半分を紅に染めたその子供は、見間違えようもなくミヒェルであった。


「う……オスカーにいちゃん……?」


 ミヒェルは声に反応した。瞼をひらいて、力のない視線でこちらを見上げてくる。


 オスカーは彼の息があったことに内心胸を撫で下ろしつつ、傍らに屈み込んで怪我の具合を確かめた。


「気を確かに持て。このぶんなら止血して安静にしておけば命には関わらん」


 服を破って切れ端で即席の包帯を作り、ミヒェルの頭に巻きつける。悪いものが入り込まぬよう治癒のルーン魔法をかけながら、


「何があった?」


 すると、ミヒェルは一転して俯いた。


「ねえちゃんが連れて行かれた」


 正直なところ、それは半ば予想していた答えだった。ここまでの道中にヒルデガードと会うことはなかったし、家の中にも彼女の姿はなかったのだから。


 いずれにせよ切迫した事態であることに違いはない。オスカーは眉根を険しく寄せて、最も重要な質問を投げかけた。


「オークか?」


 ところが、これに対してはミヒェルは首を横に振った。


「オークじゃない……ぐねぐね曲がった角が生えてる、見たこともない亜人だったよ。ぼくも戦おうとしたんだけど……」


 地面に目を落とす。声をしぼませるミヒェルの手元には、彼がいつも稽古に使っている木剣が転がっている。


 枝を削って作ったミヒェル手製の木剣は、半ばから真っ二つにへし折れていた。


「おまえはよくやった」


 オスカーは、少年の頭をそっと撫でて告げた。


「木剣で挑むとは見上げた度胸だ」


「でも、ぼく、おねえちゃんを守れなかった……」


「おまえはまだ子供なんだ。恥ずべきことじゃない……亜人と戦って命を拾っただけで上々だと考えろ」


 オスカーは立ち上がり、集落と森とを隔てる柵へと足を向ける。


「だが……もしそれでも今日のことを悔しいと思うなら、強くなれ。十年も稽古を積めば、いっぱしの剣士としてヒルデガードを守れるようになるだろう」


「……ほんと?」


「おまえには素質がある。戦うべきときに奮い立てる勇気もある。体のことさえ克服できればという条件つきではあるが……おれが保証しよう、おまえはきっと姉の支えになれる」


 だから。


「――今日の敵は、俺に任せておけ」


 オスカーは最後にもう一度だけ、言い聞かせるようにミヒェルの頭を撫でつけると、一気に柵を跳び越えて森の藪へと身を躍らせた。

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