一 ケイ

 教室では、どこの中学出身だとか、何の部活に興味があるといった、あたりさわりない会話があちこちで繰り広げられていた。初対面の相手にわるく思われないよう、あるいは、少しでもよく見られようと、どの会話もなんとなくぎこちない。そんな中、ぼくはまだ誰とも話さず、一人そわそわと教室を見まわしていた。

 学校に着いたとき、玄関の掲示で自分のクラスを確認して、教室で待つよう指示された。一緒に登校した幼なじみのミノルとは、別のクラスだった。教室に入ると、すでに八割方のクラスメイトがそろっているようだった。入口近くの席に座っていたスカートを履いた長い髪の生徒が、黒板に出席番号で席の指示があると教えてくれた。

 ぼくの席は――不運なことに――廊下側一番うしろの角の席だった。話しかける相手の選択肢が、前と左の二つしかない。前の生徒は、さらにその前の生徒とすでに話し込んでいる。左の生徒とその前の生徒は、クラスの女子を一人ひとり取り上げては、アリだとかナシだとか話していた。二人とも制服をかなり着崩していて、左の生徒にいたっては、入学初日というのに校則違反のピアスまでしている。あまり関わりたくない感じだ。

 そういうわけで、ぼくはまだ誰とも話せないでいた。後ろから全体を眺めると、同じように一人できまり悪そうにしているクラスメイトがポツリポツリといるのがわかる。そのうちの一番近い生徒のところへ席を立って話しかけにいこうか、と考える。どうやって話しかけるのが自然か、頭の中で何パターンもシミュレーションした。なかなか第一声が決まらずに、時間だけが過ぎていく。

 一人で考え込んでいるうちに、いつのまにか教室がしんと静まり返っていた。何があったのかとあわてて周りを見渡すと、みんな教室の入口の方を向いている。その視線の先には、新しく入ってきたクラスメイトがいた。

 それが、ケイだった。

 はじめ、なぜみんなが黙り込んでしまったのか、ぼくにはわからなかった。彼女が何の変哲もない普通の生徒に見えたのだ。しかし、彼女がドアを閉めようとして、違和感に気づく。。機械特有のなめらかさに欠けた動きだったのである。静寂の中で、低くうなるモーター音だけが響いていた。

 一瞬、ロボットが教室に入ってきたのかと思った。けれど、すぐそんなはずがないことに思い至る。いくらロボットが生活圏にも普及してきたとはいえ、公立の学校に導入されるほどではない。何より、これほどまで細かく人間を模したロボットが、学校なんかで必要になるはずがない。

 きっと、彼女はサイボーグだ。この十数年で、サイボーグ技術は驚くほど進歩した。二〇二一年に〈悪魔の研究〉と呼ばれる膨大な論文や研究資料がインターネットに突然現れ、脳科学や神経科学といった分野を中心に、人間の身体に関する理解が大きく進展した。そして、ソフトウェアやハードウェアの技術発展とあいまって、サイボーグが現実のものとなったのだ。今では、ほとんどの身体機能は人工物で代替できるらしい。じっさい、義肢や義眼の人を見かけることは、それほど珍しくなくなっていた。

 しかし、彼女ほど体の多くをサイボーグ化している人は見たことがない。ドアを閉める動きから、両手両足が義肢であることがわかる。服の内側はわからないが、顔も造りものだった。いや、遠目にはほとんどわからない。それでも、どんなに精巧な人形の顔も人間のものでないと分かるのと同じように、彼女の顔が自然のものでないことがわかる。その瞳や表情には、なにか生気のようなものが感じられなかった。

 彼女はドアを閉めると、ぼくらの方を振り返った。ぼくは、さっと目をそらした。彼女が全身サイボーグであるなら、それは重度の身体障がい者であることを意味する。何か重い事故や病気ために、サイボーグにならざるをえなかったのだろう。そう思ったとき、じろじろと見つめていたことが、なんだか気まずく思えたのだ。他のクラスメイトも同じなのだろう。多くがさっきまでの会話の続きに戻っていた。

 とはいえ、話し相手のいないぼくは、教室を様子をうかがうくらいしかすることがない。顔をあげると、さっき席について教えてくれた髪の長い生徒が、サイボーグの彼女にも同じ説明をしていた。じろじろ見ないようにとは思っても、好奇心には勝てず、ぼくは視界の端で彼女の動きを追っていた。

 彼女は、黒板を確認すると、教室の真ん中の方へ歩いていった。彼女の席らしい空席の前で止まると、その形を確かめるようにしばらく席を眺める。そして、ゆっくり椅子を引いて、何度も自身と椅子の位置関係を確認しながら、慎重に席についた。

「なあ、あれってロボットじゃないよな?」斜め前の席の生徒が、左のピアスの生徒に小声で聞いた。

「わかんねえ。本人に聞いたら?」ピアスの生徒が面倒そうに答える。

「いや、そんなの聞けるわけないだろ……」斜め前の生徒が笑いながらいった。しかし、ピアスの生徒は冗談のつもりではなかったらしい。

「なら、おれが聞いてやるよ」

 いたずらを思いついたようにニヤッと笑って、その生徒はケイの方へ歩いていった。そして、彼女の正面に立って薄笑いを浮かべたままいった。

「“あなたは、ロボットですか?”」

 それは、〈確認の問いベリファイ・クエリ〉と呼ばれる質問の一つだった。自然言語を扱うAIは、この問いに必ず“イエス”で答えなければならない。これは、国際規格で定められていて、AIをつくる企業はこれを守ることが義務付けられている。近年のAIは、カスタマーサポートや予約受付といった内容が決まった会話であれば、人間と同じ、あるいは、それ以上にうまくこなすことができた。そのため、電話の相手がAIか人間かを判別することは容易ではない。しかし、区別できないと困ることもあるため、そのような規格が定められたのだ。

 とはいえ、それをサイボーグに問うのはあまりにデリカシーがない。

 その生徒の質問によって、ケイは再び教室全体の注目を集めることになった。面白がるように彼女の返答を待つものや、眉をひそめてピアスの生徒の質問をとがめる様子のものもいる。ぼくを含め、多くの生徒が、好奇心半分、非難半分といった感じで二人の方を見ていた。

「私がロボットだと思った?」ケイの口が開いて、合成音声が口から発せられる。彼女は、コントロールの難しい人工声帯ではなく、合成音声を発するスピーカーを採用したらしい。

「いや、一応確認しておこうと思って」予想外の強気な返事に、ピアスの生徒が少し戸惑ったようすでいった。

「そう。じゃ、きみは童貞?」間髪入れずに彼女がきいた。

 突然の質問に、ピアスの生徒だけでなく、教室の全員があっけにとられた。その質問の意味が理解されるとともに、教室の注目はケイからピアスの生徒へと移っていく。教室から非難の空気は消え、好奇心一色になった。ピアスの生徒は口をもぐもぐさせて何か言おうとしていたが、言葉になっていなかった。

「確認のためなら何でも聞いていいと思うな」ピアスの生徒が口を開く前にケイがいった。

 こうして、タツオというピアスの生徒が童貞であることと、ケイという生徒がロボットではなく人間であり、それもかなりことが、クラスの共通認識となった。

 ぼくは、彼女をかっこいいと思った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る