淹れる
11月18日。今日は川崎さんと会う日だ。いちょうの木を見上げつつ、店に入る。誰かに撮られたり、尾行されたりしてるんじゃないか、と自意識過剰かもしれないが思う。
落ち着いた雰囲気の店内に入る。今日の私の心は決して落ち着いてはいないんだけど。いつもの席には、まだ川崎さんはいない。マスターがこっちを見ている。
「こんにちは。」そう言われて、こんにちは、と返した。
やっぱり、マスターには一言、言っておこうと思い、川崎さんが来るまでに少し話した。
マスターの視線が動いた。
「こんにちは。」マスターに言われて、川崎さんが返した。
「木村さんも。」そう言って、川崎さんが、席に向かった。私もそれに続く。
「あれ、いつも置いててくれたのに。マスター忘れたのかな。レモンティー。」川崎さんがそう言うのを聞いて、すかさず、
「あっ、今日は私がコーヒーを淹れさせてもらうんです。」と言って席を立つ。
マスターも、今日は木村さんのコーヒーを飲みましょう、と言ってくれる。
「じゃあ、楽しみにしときます。」と川崎さんは言って、うれしそうな顔を見せ、思い出して、
「あっ、そういえば持ってきたよ薬の見本。」といって、錠剤を私にくれた。
「ありがとうございます。」
「うん。でも、何に使うの。まだ、実験でない使用は禁止だよ。」
「ちょっと見てみたいなと思って。家に記念に置いとくんです。」ちょっと、苦しいな。あらかじめ考えておけばよかった。そう思いながら、もう一度感謝の言葉を言って、席を離れる。薬は今の一般的な錠剤と同じ仕様らしい。製薬会社との共同とはそういうことだろう。
「じゃあ、マスターおねがいします。」そう言うと、川崎さんのために私も一肌脱ごうかな、と返って来た。
私はマスターに教えられながら、コーヒーを淹れた。さっき、もらった錠剤も入れた。マスターには内緒で。ただ、もし、川崎さんが急に私のことを話さなくなったり、私たちが会わなくなったりしても、気にしないで下さいと言っておいた。
「できました。」私はそう言ってコーヒーを持って行った。後ろから、マスターの、おいしそうだよという声が飛んできた。川崎さんはパソコンを見ていた。
「そういえば、さっきの薬なんだけどね。」そう川崎さんは切り出した。
「はい。」
「あれは、普通の薬と同じだから、そのまま飲んでも、いいんだけど、何か暖かい飲み物に溶かしてもいいんだよね。ただ、中身に色が付けてあるから、透明なのに入れたらわかるけど。実際の刑罰とかでは、不透明なものに入れるのを想定してるんだよね。たとえば、コーヒーとか。」
「なるほど。」ドキリとしつつ、相槌を打つ。そしてふと疑問が浮かんだ。
「ああいう、薬って、特定の事物についての記憶を消去するって言ってましたけど、その事物ってどうやって、薬にするんですか。」
「それはね。ちょっと非科学的な感じにもなるんだけど、それが、実験の結果であり研究の最先端だから仕方がないんだよね。ええと、記憶を消す効果だけを薬に入れておいて、消去する事物は、薬を相手に飲ませようとする人の意識した通りになるんだよ。」
「そうなんですか。」それならば、大丈夫かな、と思う。
「記憶が消去されるのは、服用からどれくらいたった時ですか。」そう訊くと
「体に入ってから、大体1日後とかかな。さっき渡したのは1日後だね。」
「なるほど。」それならば、大丈夫だろう。
「研究の方はどうなんですか。」私が訊くと、
「進んだよ。そろそろ、実験の規模を大きくする頃かな。」
「なるほど。」
「でも、なんか誹謗中傷があるみたいね。国のこのプロジェクトに対して。極秘にも関わらず。」
「そうなんですか。大変ですね。」雑誌の内容を知ってのことではないのだろう。
「そうだけど、研究は楽しいよ。」
「それなら、いいんですけど。」
「唐突なんですけど、私、川崎さんとお話しできて毎回、楽しいです。」
「私もだよ。木村さん。」そう言ってくださって、何よりだ。
「もうコーヒーなくなっちゃいましたね。」私がそう言うと、
「おいしかったよ。ありがとう。でも、レモンティーも頼もうかな。もうちょっと話したいし。マスター、レモンティー2つ。」
「はい、どうぞ。そう言えば、川崎さんが最初に木村さんに話したきっかけもレモンティーだったね。」
「そうだね。」と川崎さんが言い、
「だから記念のレモンティー、今も飲んでるんですよ、マスター。」と私が言うと、
「そうですね、楽しそうですね。お二人とも。幸せだね、川崎さん。」とマスター。
「そうだね、マスター。楽しいよ。」川崎さんがそう言ってくれた。
こんな感じで、今日も会話は弾んだ。次回の予定も決めた。冬の限定メニューが
始まっている、12月の第1日曜日にした。
次回とは、来るのだろうか。
だって、もらった薬を川崎さんのコーヒーに入れたのだから。それで良いのだ。これで、川崎さんの研究がバカにされることもない。効果も川崎さんたちの薬なのだから確実だろう。
そう考えながら、私は店を出た。空は赤かった。
上の空だったのか、いつの間にか家だった。
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